ヴェネツィア展へ行く。

宮城県美術館へ「ヴェネツィア展」を観に行ってきた。キャッチコピーは「魅惑の芸術・千年の都」。
千年の都・・・いい響きである。最近、百年とか千年とか、時間を積み重ねてきた存在に対して、とても惹かれるようになってきた。この現実世界、色々あるけれども、時間は努力だけではどうにもならない。どんなに望んでも願っても、1年は1年だし百年は百年である。伸びもしないが縮みもしない。佐藤は佐藤だし、鈴木は鈴木である(←深い意味なし)


なので、目の前に展示されている美術品などを見ると(もちろんそれが美術品として優れているということもあるけれど)百年以上も前のものがこうやって展示されているというのは、これを大切に保管していた人がいるというわけで、その労力とか志のようなものにも、むむっ、と感じるものがあるわけである。なかには、当時の生活用品なども展示されていて、まさか自分が日常で使っていたモノがガラスケースに収まり、数万人の人たちからじっくりと眺められることになるなんて、どんな気持ちでいるだろうと想像すると、これもまた、むむっ、と感じるものがあるわけである。はたまた、これを海外から運んできた人達のことを考えると到着して開封し、中身を確認するまではさぞ・・・(以下略)


そのようなことを考えながら、展示を見て回る。ヴェネツィアン・グラスを見ていた時に、横にやってきたご夫婦が「あ、これと同じものを・・・」「いや、それはこれのコピーだろ?」と、大きな声で話し始めた。どうやら同じようなデザインのグラスを所有されているのか、どこかで見たらしく、その時の思い出を話していた。60代くらいのご夫婦だと思うけれど、こうやって昔に見た作品を「あれは今から20年前に・・・」と話し合える相手がいるというのは、素敵なことだ。ここでもまた「積み重なった時間」のすばらしさを体験させてもらった。
ちなみに自分は、見た物や聞いたものを、わりとかたっぱしから忘れてしまう方だ。覚えているものは頑なまでに詳細まで覚えているのだけど、それ以外の多くのものはすぐに忘れてしまう。時々メモを読み返したりして「おお、自分はこのようなものを見て、こんなことを考えていたのか」と感じることも少なくない。たぶん、今、このようなことを書いているということもすっかりと忘れて、そのうち読み返して「おお」と思うことだろう。


今、ここまで書いた文章を読み返してみて、ほとんどヴェネツィア展について何も書いていないことに気がついた。が、そろそろ時間切れなので、あえて書かないまま終わりにしてしまおうと思う。さらに話が飛ぶのだが、美術館の閉館が5時というのは少し早すぎるのではないかと思う。展示品を見て、コーヒーを飲んだりしていると、あっ、という間に閉館の時間になってしまう。せめて土日だけでも、もう少し延長してくれたのならいいのだが。観光シーズンなどは特に。旅をしていて「最後にもう一カ所・・・、ああ5時でお終いか」と、残念に感じたことがある人も、きっと少なくないと思う。ちなみに自分はかなりの頻度で思う。遠くから旅にやってきて、くそー、と思うこともわりとあります。そういえば、カフェでコーヒーを飲んでいた時に、目の前の席に座っていた70代くらいのご夫人が一人でニコニコしながらコーヒーカップを眺めたり手帳を開いたりされている様子が、ふんわりとしてとてもよかった。もしかしたら、この宮城県美術館に何か思い出があってコーヒーを飲みながら思い出されているのだろうか? なんというか「時間を楽しんでいる」という雰囲気が漂っていて、自分もとても楽な気分になった。と、最後にヴェネツィア展とは関係のないことを書いておわりにする。

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