ノルウェイの森を読む。ふたたび。

秋になったので、また「ノルウェイの森」を読み返しています。パラパラとめくって、目にとまった部分を読んでいると、胸の奥の部分をコツコツとノックされているような気分になります。

「だから当然話もかみあわなかったし、僕は一人で黙々と本を読み続けることになった。そして本を何度も読みかえし、ときどき目を閉じて本の香りを胸に吸い込んだ。その本の香りをかぎ、ページに手を触れているだけで、僕は幸せな気持ちになることができた。:ノルウェイの森 村上春樹 より一部抜粋」

不思議なもので、読み返すたびに、気になる部分、目に留まる部分が変わっていきます。そして、その変化を楽しむのが、同じ本を何度も読み返す楽しさなのかもしれないな、と最近思ったりしています。


ちなみに、村上春樹の「遠い太鼓」の中に、ノルウェイの森を執筆した時のエッセイが収録されているのですが、

「小説を書きながら、僕は死にたくない・死にたくない・死にたくないと思いつづけている。少なくともその小説を書き上げるまでは絶対に死にたくない。この小説を完成しないまま途中で放り出して死んでしまうことを思うと、僕は涙が出るくらい悔しい。あるいはこれは文学史に残るような立派な作品にはならないかもしれない、でも少なくともそれは僕自身なのだ。:遠い太鼓 村上春樹 より一部抜粋」



当時、この部分を読んだ時、僕は足の指先から頭のてっぺんまで、一気に震えが走り抜けるような感覚になったことを覚えています。見てはいけないものを見てしまった時のような、作者の「書く」という行為の背後にある執念、凄まじさをのぞき見てしまったようで、しばらくの間、放心状態になってしまったものです。そして、今でもこの作品を読み返す度に、同じような感覚になることがあります。そのような意味でも、自分にとって大切な作品だし、これからも折にふれて読み返すのだろうな、と思ったりしたわけです。

あれから長い時間が流れて、当時この作品を一緒に読んだ人達はみんないなくなってしまったけれど、みんなどこで何をしているかもわからないけれど、そこで元気に楽しく暮らしていてくれたらいいのだが、とノルウェイの森を読みながら、そんなことを考えました。


追記:
写真を見ていただけると、おわかりいただけると思うのだけど「定価1.000円」と表示されている。そう、当時は1.000円だったのだ。ちなみに、現在はアマゾンにて「1.365円」となっている。つまり、当時から365円ほど値上がりしたということだ。だから何、といわれると困るのだが、ふいに気になったのでここに追記しておくことにする。

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