【読書の記憶】四十年間、ずっと探していた本。

40年間、探していた本

小学一年生 図書館で出会った本


小学一年生の時、図書館で借りて読んだ本があった。それは、奇妙で不可思議で、今までに目にしたことのないような言葉が並んでいて、わからないところも多かった。それでも、どこか惹かれる部分がある。もっとこのような世界を探検してみたい気がする。そんな雰囲気のある小説だった。

「もう少ししたら、また借りて読んでみよう」

小学校一年生の僕は、そう考えて本を閉じた。しかし、転校などで環境が変わったこともあり、その本を借りて読むこともなく小学生は中学生となり、社会人になっていた。

題名も、作者名も思い出せない

もちろん「あの本」のことを忘れていたわけではない。折々に「あの本をもう一度読み返してみたい」と思っていた。しかし、本の題名も作者名も何一つ思い出せない。唯一頭に残っている情報が、


1 SFであること
2 宇宙が舞台であること
3 ロボット犬が登場すること(表紙に描かれていた?)
4 最後の場面で、登場人物の2人が結婚式らしきものあげること



これだけだったため、どうにも探しようがなかったのだった。図書館に行き、小学生向けの本棚を眺める時などに「もしかしたら、ふいに目に飛び込んでこないだろうか」などと、神がかり的な奇跡を期待する程度で、あまりの情報の少なさに探すことすらできないまま数十年が過ぎていたのだった。

もちろん、インターネットが登場してからは「本を探すサイト」を覗いてみたり、質問を書き込んでみたりもした。しかし、自分が提供する情報が少なすぎるのと、曖昧な部分が多すぎるため、何も反応を得られることはなかった。当然である。

これが「最後のチャンス」の気配がする。

数ヶ月前のことである。何がきっかけだったか忘れてしまったが「本を探したい人」を募集しているサイトを見つけた。活発に情報交換がなされている雰囲気があったので、依頼してみることにした。「依頼が殺到しているため、掲載されるのは数ヶ月後」とのことだったが、数十年も待ったのだから数ヶ月待つなんてどうってことない。むしろ、自分の曖昧な情報を掲載してもらえたら幸運だ、あまり期待し過ぎないようにしよう……。程度のスタンスで待つことにした。

数ヶ月後、管理者から「ご依頼の情報を掲載します」と連絡が来た。ああよかった、この程度の情報でも掲載してもらえるんだ、という期待感と同時に「今回見つからなかったら、もう見つからないかもしれない」という予感めいたものも感じていた。ずっと探してきたけれど、これが最後のチャンスのような気がする。そう感じながら、掲載を待つことにしたのだった。

記憶は再構築され、新たに作り変えられていく。

数日後、私の情報が掲載された。同じ時期に掲載された、他の依頼者の情報には複数のコメントがついていくのに、自分の情報には何もコメントがつかなかった。やはり記憶が間違っていたんだろうな、と不安になる。

記憶は再構築され、新たに作り変えられていく、から、自分の頭の中で様々な本の記憶がまざりあって、存在しない一冊を脳内で作ってしまっていたのかもしれない。なにせ小学一年生のころに一度だけ読んだ本だ。当時は、図書館を利用できることがうれしくて、手当たり次第に本を読んでいたから、複数の記憶がまざりあっていても不思議ではない。


そういえば「この本」と同時に「別の本」も続けて読んだような気がする。その本の内容と組み合わせてしまったのだろうか。存在しない本を、依頼してしまったのかもしれない。どんどん不安になっていく。

それでも、確かに「この本を読んだ」時の記憶は残っている。日曜日の昼過ぎから読み始めて、夕方になるまでベットに寝転がって読み続けていた。読み終わって顔を上げた時、周囲の薄暗さに驚いたことも覚えている。ああ、もう夕方だ。暗くなってきた。もう少ししたら晩御飯だろうか。その情景だけは、確実に残っている。……と、感じているこの記憶さえも存在しない記憶なのだろうか?


小学生の時に読んだ本を探す


一件コメントがついた! しかし見覚えがない・・・。

数日が過ぎた。私の依頼文にコメントがついた。「ハインラインの超能力部隊ではないか」というアドバイスだった。ハインライン? 作者名にもタイトルにも見覚えはなかった。検索して表示された装丁も、想像していた雰囲気と異なっている。もう少し、何かこう幾何学模様のようなイラストがあったような・・・いや、これも勘違いなのかもしれない・・・。

とにもかくにも、せっかくいただいた貴重な情報だ。私は書き込まれていた題名の本を購入してみようと考えた。ところが、既に廃盤になっていたため現在ではプレミアム価格でしか入手できないことがわかった。もしも「これだ!」と感じる本だったならば、プレミアム価格で手に入れることもやぶさかではない。しかし、確信が持てないまま、それに手を伸ばすのは、少々勇気が必要だった。


私は、最後の手段として図書館の蔵書を検索してみた。すると、図書館の書庫に「超能力部隊」があることがわかった。もちろん借りることもできる。出版年からみても、私が小学一年生のころにはすでに出版されていたから、読むことは可能だ。さっそく予約し取り寄せることにした。

今まで数多くの本を図書館で取り寄せてもらったけれども、これほどまでに待ち遠しかった事は無いかもしれない。数日後、指定した図書館に本が届いたという連絡が入った。しかし図書館の閉館時間は午後7時。残念ながら、借りにいくのは週末になる。図書館も週に一回、いや、二週間に一度でもいいので、午後8時まで開館してほしい。そんなことを考えながら、週末までの時間を指折り数えて待つことにした。

あの記憶は、間違いではなかった。

ようやく週末がきた。カウンターで本を受け取った。やはり装丁に見覚えがない。タイトルも作者名にも見覚えがない。私は本を読み始めた。ストーリーにも見覚えがない。それでも、言葉の節々に一度触れたことがあるような気配も感じる。

クライマックスの場面にたどり着いた。
主人公の二人が結婚の誓いの言葉を交わした。

この場面だ!
確かにこの本だ! 
絶対にこの本だ! 

私は小学生のころの自分を、確かにそこに見つけることができたのだった。 

その本を「読んだ時」の記憶。

昔に読んだ本を再読している時「その本を読んだときの情景」が、ありありと思い出されることがある。それは物語でも専門誌でも関係はない。内容に関わらず、その時の、その年齢の、そのタイミングで抱えていた思考が、落差の大きい滝が流れ落ちるみたいに、頭の中に飛び込んでくることがある。

最後の場面を読んだとき、私は確実に、小学一年生の頃の自分とつながっていたと思う。夕暮れのベットの上に横になって、一人で本を読んでいた自分自身と、微かで僅かな時間だったけれども、確実にリンクしていたと実感している。 ありがとうありがとう。教えてくれて、ほんとうにありがとう。



追記(1):
ハインラインの超能力部隊は、いわゆるジュブナイル作品である。原作は「深淵」という題名でハヤカワ文庫SFの「失われた遺産」に収録されている。こちらの文庫本は、お求めやすい価格だったので、さっそく注文することにした。これからしばらくの間(いや、きっと、死がふたりを分かつ日まで)読み返す一冊になると思う。

追記(2):
「超能力部隊」にも「深淵」にもロボット犬は登場しない。表紙にも描かれていない。これは、自分の勘違いだったのだろう。しかし「ロボット犬が主人公と一緒に幾何学模様の背景を奥に向かって進んでいく」装丁のイラストを、同時期に目にしたような記憶がある。ものすごく曖昧で全く自信はないのだが、もし同様の装丁をご存知の方がいらしたら、アドバイスいただけますと幸いです。

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