【文学】グスコンブドリの伝記 宮沢賢治より
「人はやるだけのことはやるべきである。けれどもどうしてもどうしてももうできないときは落ちついてわらってゐなければならん。落ち着き給へ。」(グスコンブドリの伝記 宮沢賢治)」
こちらは主人公のブドリが、冷夏がやってくるのでどうしたらよいか、とフウフィーボー大博士に相談した時、大博士が口にした言葉の一部です。フウフィーボー大博士は、自然がもたらす災害に対し、人間としてやれるべきことをやったならば後は笑って落ち着いていなければいけない、と焦るブドリを諭すのです。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるように、できることをやりきった後は、結果を静かに待つしかありません。しかし、そう理屈ではわかったとしても気持ちは落ち着かないですよね。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるように、できることをやりきった後は、結果を静かに待つしかありません。しかし、そう理屈ではわかったとしても気持ちは落ち着かないですよね。
特に、ここ一年のように予想外の事態が続き、今まで通りの対応が困難な状況が続く時はなおさらです。大きな地震が起きたりすると、平静さを保つのが精一杯で、こわばったような表情のまま数日過ごしてしまうこともあります。
そんな時に私は、このフウフィーボー大博士の言葉を思い出すと、心が落ち着くような気分になる時があります。笑うところまではいきませんが、すこし落ち着いた気分で目の前の作業に取り組むことができるので、今回みなさんにも紹介してみました。
そんな時に私は、このフウフィーボー大博士の言葉を思い出すと、心が落ち着くような気分になる時があります。笑うところまではいきませんが、すこし落ち着いた気分で目の前の作業に取り組むことができるので、今回みなさんにも紹介してみました。
「グスコンブドリの伝記」と「グスコーブドリの伝記」の違い
宮沢賢治の作品が好きな方は「『グスコンブドリの伝記』?『グスコーブドリの伝記』の間違いではないか?」「もしかして『グスコンブドリの伝記』が正しい題名なの?」などと気になった人もいらっしゃるかと思います。もちろん間違いではありませんし「グスコンブドリの伝記」が正しい題名というわけでもありません。この部分をすこし説明してみますと「グスコンブドリの伝記」は、現在私たちが定稿として読んでいる「グスコーブドリの伝記」の一つ前の原稿ということになります。つまり、
「グスコンブドリの伝記」を書き直したもの →「グスコーブドリの伝記」
と、いうことですね。そして「グスコンブドリの伝記」には「グスコーブドリの伝記」では削除されてしまった部分が存在するのですが、削除された部分にも魅力的な表現がある、と個人的に感じています。今回とりあげた、フウフィーボー大博士の台詞の部分も「グスコーブドリの伝記」では削除されているのですが、みなさんにも紹介してみたい言葉だと感じたので、今回紹介してみました。
興味がある人は「グスコンブドリの伝記」も手にとってみてください。そして、修正しされた部分を確認しながら「なぜ、この部分はこのように修正したのだろう?」などと、作者・宮沢賢治の思考をたどりながら想像してみるのも文学作品を楽しむ方法のひとつではないか、と私は考えています。ぜひ掘り下げつつ楽しんでみてください。
【ラジオ版 佐藤ゼミ】グスコンブドリの伝記 宮沢賢治