木下大サーカス(仙台公演)へ行く。(はじめてのサーカス?)
2022年、木下大サーカスの仙台公演があった。ポスターの告知で「それ」を知った時、絶対に行こうと思っていた。今までサーカスを観たことがなかったので、一生に一度くらいは「見ておきたい」と思ったからである。
仙台公演は「9年ぶり」ということだった。一回ごとの公演に間隔があるので、サーカスを観るのはこれが最初で最後になるかもしれない。そのように考えた私は、まず最初に「木下サーカス四代記」という書籍に目を通すことにした。書籍を通して初代から今日までの歴史を学んだ。よし、これで準備はばっちりである。
・・・と、万全の準備をしたつもりでいたのだが、一番大切な「チケット」を購入することを後回しにしてしまっていた。会場も大きそうだし大丈夫だろう、と甘く考えていたのである。しかし、年末進行などで忙しくなっていたこともあり、みるみると月日が流れ、気がつくと公園終了まで2週間を切ってしまっていた。しかも私たちの予定が合うのが「公演最終日」のみ。
いそいでコンビニへ出かけ、チケットを購入することにする。チケットにはいくつかランクが設定されていて、前の席になるほどに料金も高くなる。しかし、せっかくだからここは少々奮発して・・・と思っていたのだが、すでに完売状態。なんとか「ロイヤルイエロー」という席を並んで取ることができた。大人4.500円(税込)だった。こんどこそ、準備万端である。
真っ赤なテント小屋へ
チケットをにぎりしめ、赤に白のラインが映えるテント小屋を目指す。先日まで更地だった空間に、突然あらわれた真っ赤なテント。独特の存在感と期待を盛り上げてくれる風貌。すでに観覧を終えた親子が「おもしろかった?」と話しながら外に出てきた。その楽しそうな表情を見ていると、わくわく感が高まってくる。さて今日は何を見せてくれるのだろう?
私たちが購入した「ロイヤルイエロー」は、正面から45度ほど横にずれた位置で、柱などの障害物で視界が妨げられることはなかった。12月でテント内での観覧ということで、寒さを覚悟し事前に防寒対策をしていたのだが、内部は十分に温められていて快適な温度だった。羽織っていた厚手のコートを脱いで足にかけて開演を待つ。客電が落とされ、ライトがテント内を照らすと観客席から「わー!」という歓声があがった。
演者と一体になる瞬間
写真撮影は禁止だし、演目の内容を文章で解説するのも野暮な気がするので、個人的な感想だけを書き留めておく。
今回は、演者が失敗する場面があった。しかし私は失敗を責めたいわけではない。むしろ「プロの人たちでも、ギリギリの演技をしているのだ。危険と隣り合わせのパフォーマンスなのだ」ということを目の当たりにし「すごいものを見せてもらった」という気分である。
ある演目で転落してしまった演者がいた。観ている私たちとしては「大丈夫だろうか?」という心配とショックを感じる場面だった。しかし彼は「すみません、もう一度挑戦します」という仕草をすると、先ほど失敗した演目にもう一度挑戦を始めた。
緊張感が高まる。ああ、さっきはここで落ちてしまったんだ。今度は大丈夫だろうか? 自然と拍手が湧き上がる。それは「すごい!」という気持ちに加え「がんばって!」とか「でも無理しないで!」といったような様々な感情が混ざっているように聞こえる。さあ、どうだ、どうだ、やったー!すごいものを見せてくれてありがとう!
もちろん最初から成功するのがベストだ。失敗する場面は、演者も観客も見たくはない。もちろん鍛練を積み重ねてきた演者も見せたくはないだろう。しかし今回私は「失敗の場面を見たことで、深い感情を共有できた」ように感じた。それを多くの観客と共有し、拍手で完歓声を送ることも、ライブでサーカスを観る醍醐味のひとつだと感じたのだった。
年齢を重ねることで、見えてくるもの
おそらくこのような感情は、私が年齢を重ねたことにも関係するのだと思う。これが若い頃ならば「プロならば客の前で失敗して、ハラハラさせてはいけない」などと生意気な口調でうそぶいていたと思う。
もちろん、そうかもしれない。これはショーなのだから。しかし今回私は(もちろん、ショー全体がすばらしいものだった、ということはもちろんである)そのような場面を目にできたことも含めて「観てよかった」と感じたのだった。
赤いテントから外に出ると、寒気が身体を包み込んだ。コートの襟を立て背中を丸くする。出口へと向かう人の流れに続きながら、妻に「おもしろかった?」と聞く。答えは確認するまでもない。私たちは互いの感想を交換しながら、帰宅の道へついた。
(後日談)数日後、木下大サーカスのテントが張られていた広場の前を通った。すでに撤去作業が進行していて、元の更地に戻ってしまっていた。一座のみなさんは、すでに次の公演の場へ向かわれたのだろう。賑やかで非日常の世界が過ぎ去った跡にのこる侘しさ。これもまた「サーカス」の醍醐味のひとつなのかもしれない。
(後日談2)この記事のタイトルに「はじめてのサーカス観戦?」と「?」を入れたことには理由がある。私の記憶の中でに「子供のころにサーカスを観たような気がする」という朧げな断片が存在していたからだ。しかしそれは曖昧で、実際に観たのかそれともテレビなどで見たのかわからなかったので「?」と表記したのであった。
実際にサーカスを観たら、その時の記憶が蘇るかもしれないと思っていたのだが、やはり何も出てこなかった。それと同時に「いや、しかし、どこかで空中ブランコを見上げたような・・・」という拭きれない何かも残っていた。もしかすると、記憶が定まらない子供のころに親に連れられて観に行ったのだろうか? 今度機会があれば確認してみようと思う。
参考:木下大サーカス(公式)
☝筆者:佐藤隆弘のプロフィール