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青森土産に「太宰弁当」を、いただいた話。

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おみやげに「太宰弁当」を 先日、連れが仕事で青森に出張へ行ってきた。帰り際に「おみやげに 太宰弁当 があるよ!」とメッセージが届いた。「太宰弁当?」そのメッセージを見て、私の頭に浮かんだのは「 桜桃 」だった。しかし桜桃と弁当の組み合わせはメインになりにくいだろう。 他には・・・そういえば、以前 斜陽館へ向かう 途中に 「太宰は根曲り竹が好きだった」 という文章を、どこかで見た記憶がある。根曲り竹なら弁当の具材に最適な気がする。などと、弁当の名前から想像を膨らませつつ連れの帰りを待った。そして、渡されたのが、こちら。 ネーミングは「 太宰弁当 」キャッチコピーは 「 太宰治の好物がたくさん詰まっている 」。パッケージは、コートを着用し、物憂げな表情を浮かべて木の前に立つ太宰の写真。なるほど、と、何がなるほどなのかわからないのだが、蓋を開けて中を見てみる。 「 太宰治の好物がたくさん詰まっている 」 若おいおにぎり、貝焼きみそ、けの汁、馬肉のみそ煮、紫蘇巻き梅干し、紅鮭他と、太宰の好物がしっかりと詰め込まれている。美味しそうである。もちろん「 根曲り竹」も入っていた。 「けの汁」も入っていたのだが、汁がないので煮物になってしまっていた。「やはり『けの汁』は外せませんよね?」「そうだね。でも汁ものだから、どうしようかねえ」「汁を抜いて中身だけにするのはどうでしょう?」「それだと『けの汁』じゃなくて『け』になるねえ」などと、失笑しながら企画会議を進めている様子を想像してみる。 「では、 ひきわり納豆はどうします?」「うーん。『ひきわり納豆』は津軽発祥だから、そういう意味でも入れたいけどね」「でも、弁当に納豆が入ると気になる人は気になるでしょうし」「よし、今回は『けの汁』採用『ひきわり納豆』は却下でいくか」などと、 議論が交わされたりしたのだろうか? そんな舞台裏を勝手に想像しながら食べた。 「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」 ちなみに、数年前に弘前へ旅に行った時、個人的に気に入ったのが「けの汁」だった。帰宅後、青森出身の知人に話したところ「今度作ってみますよ。ちょっと待っていてください!」と言われたまま、数年が過ぎてしまった。 「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」 とりあえず気長に待っているの

文学を勉強しても、意味がない?

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文学を勉強しても、意味がない? 以前、といってもだいぶ昔の話。僕が「大学で日本文学を勉強した」と自己紹介したことに対して 「文学なんて個人が好きに読めばいい。わざわざ大学で勉強するものでもない」 と、批判してきた人がいた。 その時僕は「いや、でもしかし・・・」と、戸惑いつつも言葉を返すことができなかった。今よりもずっと若く、理屈よりも感情の方が強かったし「この人は、どうしてわざわざそんなことを言うのだろう?」と不快感や、人前で批判されたという恥ずかしさもあり、冷静に考えることができなかったのだった。 文学作品を、研究するということは 先日、ある本(文学についての研究書籍)を読んでいて、ふとこの出来事を思い出した。そしてあらためて 「文学作品について研究(考察する)こと」 について考えてみた結果、今私はこんな風に考えている。 作品を読んで「どこかモヤモヤした」感覚になることがある。それは、作品に対して「 自分が把握している言葉では、うまく説明できない感覚 」を抱いたということだろう。そのモヤモヤをモヤモヤのままにして、作品を楽しむ人もいる。同じ作家の別の作品を読んで、モヤモヤの中を進んでいこうとする人もいる。 私は、どちらかというと「どうして自分は、この作品に〇〇を感じたのだろう」と、少し立ち止まって考える事が多い。そして文学(小説)だけでなく、映画や絵画において同じような事を考えてみたりもする。 そんな時、作品や著者について解説された書籍を読み、 新しい情報や見解を得ることで「 そういうことだったのか」と、霧が晴れていくような感覚 になることがある。モヤモヤが言語化され、疑問が晴れていく爽快感(のようなもの)もある。 そして作品を読み返してみる。納得したり、新しい視点が生まれたり、また別のモヤモヤが見つか る。 こうして出会った作品と解説のおかげで「ものごとに対する自分なりの見方」を育てていくことができたと思う。そこに社会に出て実体験を加えることで、今自分が取り組んでいるような仕事の基盤を作ることができている。これは 間違いなく「そうだ」 と言える。 必要とされているならば、そこには存在する意味がある。 文学作品を読む、ということは個人的な行為である。しかし私のように、 読んだ 作品に対して 「わからないこと

移動のパートナーに、最適の一冊は?

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移動のお供に最適の一冊とは? 長時間の移動の時、自分の場合は本を読んで過ごすことが多い。以前は、 はりきって未読の本を数冊持ち歩いていた のだけど、重いし読まないことも多いので、ここ数年は「もう一度読み返したい本」を選ぶようにしていた。そして、実用書ではなく文学作品が中心になっていた。 移動の時は、雑多な用事で集中が途切れることも多い。しかし文学作品ならば「そういえば、あの場面はどうだったかな?」と途中を省略して読んでも、すでにストーリーは把握できているので問題ない。むしろ、そうやって読み返すことで、新しい発見があったりもする。 細切れになりがちな読書には「一度読んだ文学作品」 が、自分の中の定番になっていたのだった。 電子書籍だと、数十冊を持ち歩けるが・・・。 しかし、最近では Kindleを使い電子書籍で読む機会が増えた ため、スマートフォンかタブレットがひとつあれば、数十冊以上の方を持ち歩けるようになった。これは便利だ、重さを気にする必要がない、と大量に 未読の電子書籍を詰め込んで 移動するようになっていた。 ところが。そう、ところが、思ったよりも読み進められないのである。電子書籍だからといって、読書のスピードが上がるわけでもなく「新規」と表紙に帯が貼られた表紙がずらりと並ぶようになっていた。 結局、紙の本と同じように、 一度読んだ本をKindleで再読することが多くなっていた。 やはり自分の場合は、未読の本を読む時は落ち着いた環境で、 ある程度まとまって集中できる時間が確保できないと駄目なのだ ということを確信した。 細切れになりがちな読書には「一度読んだ文学作品」 は、揺るがなかったのである。 Kindleの読み上げ機能を使ってみよう。 昨年、 Fire7を購入した 時、 kindleには「読み上げ機能」 が付いていることに気が付いた。なんとなく使ってみると、若干読み上げがおかしい部分はあるものの、 ある程度知識がある分野の書籍であれば、音声だけで内容を理解できる ことがわかった。 一冊読み終える(聞き終える)のに、実用書だと二時間前後で終了することができるので、読書をするのとそこまで変わらない。さらに速度も変更できる(自分の場合は、通常の速度だとやや遅く感じることが多かった)ので、もう少し短縮することもできる

志賀直哉旧居へ はじめての奈良旅(7)

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志賀直哉旧居へ ほとんどの人が覚えていないと思うのだが、二つ前の投稿に 「今回の奈良旅で、ぜひ行ってみたい場所がある」 と書いた。もったいぶっていたわりには、すでに、この記事のタイトルでバレてしまっているけれど、つまりそこが、今から向かおうとしている 「志賀直哉 旧居」 である。 初めて読んだ志賀直哉の作品は、中学生の時に読んだ「小説の神様」だった。ぐいぐいと作品の世界に引き込まれ、中学生ながら「他の作家とは、どこか違う魅力」を感じたことを覚えている。高校生の時、国語の資料集で志賀直哉が宮城県石巻で生まれたということを知った。宮城県出身の自分としては 「小説の神様と呼ばれる文豪が生まれたのは、宮城県だったのだ」 と、さらに思い入れのある作家の一人になっていた。 そんなわけで、今回の奈良旅を計画している時に眺めていたガイドブックの中に「志賀直哉旧居」という文字を見つけた時、自分の中では 「たとえ東大寺や興福寺に行けなくても、ここには行きたい」 という最優先事項のひとつになったのだった。そして、今回の旅も3日目。いよいよそこへ向かう。 ささやきの小径を通って、高畑町へ 春日大社から志賀直哉旧居へは徒歩で移動する。 春日大社の境内から「ささやきの小道」と呼ばれる小径へ入る。参拝客で賑わう境内とは正反対に、この道を歩いている人の姿はない。あまりにも静かで穏やかなので「この道で大丈夫なのか?」と思いながら進んでいくと「志賀直哉旧居」と書かれた案内板があった。安心して足を先に進めていく。 ちょっとした里山を歩いているような雰囲気の道。木漏れ日が射し込み、高畑町へ向かって 少し下り坂になっている この道を、志賀直哉も歩いた らしい。何を考え、どんなことを話しながら歩いたのだろう。そんなことを想像しながら、道に覆いかぶさるようにして生い茂っている木の下を10 分ほど歩き、小さな橋を渡ると閑静な住宅街の横に出た。そこから、だいたいこのあたりだろう、と検討をつけて先に進んでいくと案内が立っている建物の前に到着した。 志賀直哉旧居へ到着 門をくぐり入場券を買い求める。受付の方に写真を撮っていいかと尋ねると、どうぞという声が返ってきたので、連れにスマートフォン渡して玄関の前で写真を撮ってもらう。普段はあまり自分から写真を撮ってもらおうとは考えないのだけれども

宮沢賢治をめぐる旅(宮沢賢治詩碑 編)

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花巻への旅 自分の場合、旅をする時には移動時間や滞在時間を考慮して「綿密に計画を立てる」場合と、とりあえず現地に行ってみてから決める「なりゆきまかせ」の場合の二種類がある。今年の夏は「なりゆきまかせ」で花巻へ行った。 どうして花巻なのか、というとお盆休みの二日前に予約が取れる宿を検索していたところ、花巻に良さそうな旅館が見つかったからだ。つまり、目的があって花巻に宿をとったのではなく、宿がとれたから花巻に行くことになったのだった。 1日目は、ゆったりと過ぎた。懸念していた渋滞もうまく回避できたし、美味しいものを食べることもできた。なによりも直前に予約した花巻の温泉宿が想像していたよりも、良い感じだったので「今回の旅は、いい感じだなあ」という気分で過ごすことができた。あまりにも、ゆったり充実した時間だったので、宿を出た時には二日間ぐらいここに滞在していたような気分になったくらいだった。 2日目は、宮城の方に向かって南下しつつ、気になったところがあれば立ち寄ってみようと考えていた。ところが、花巻で立ち寄った「まちなかビジターセンター」で「宮沢賢治詩碑へ行ってみては?」と勧められたのだった。当初は全く予定していなかった場所だったのだが、これもまた縁、ということで行ってみることにした。 宮沢賢治詩碑へ 花巻駅から車で約15分。駐車場に車を止め、そこからは徒歩で移動する。自分達の他に観光客らしき人はいない。昨晩はずっと雨が降っていたのに、今日は夏らしい陽射しが地面に降り注ぐ道を、 残りわずかの夏を惜しむかのように盛んに鳴く蝉の声を耳にしながら歩く。 雨が降っている時は「夏なのに雨ではつまらない」と愚痴を言うのに、晴れている時には「暑い。日に焼ける」と文句を言う。実に勝手である。賢治先生ならば、晴れても雨でも変わらず、同じように過ごしているにちがいない。そんなことを考えながら歩いていると五分ほどで、入口に到着した。 そこでふと気がつく。道標には「宮沢賢治詩碑 羅須地人協会跡入口」と記されている。ああ、そうだったのか。ここが一度訪問してみたいと考えていた、羅須地人協会の跡地だったのか。センターの方から「宮沢賢治が住んでいた場所」と説明を受けた時に気がつくべきだった。 さきほどまでは「暑い」「汗が不快だ」などと

「安吾 風の館」へ行く。

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先日新潟へ出かけた際に「 安吾 風の館 」へ立ち寄ってきた。折しも桜が満開の時期だった。前回の 読書ブログ で「桜の森の満開の下」を選んだばかりだったので、まさに誂えたかのようなベストタイミングだった。木の下から、 青い空に淡い桜の花の組み合わせを眺めていると、自然と笑顔になってしまう。 「新潟の冬は曇天が多いから、なんとなく気分が上がらないことがある」と、新潟在住の方から聞いたことがあった。厳しい冬を抜けて迎えた春の桜と青空は、もしかすると私たちが感じている「それ」よりも、ずっと青く桜色に感じられるのかもしれない。待ちわびた分だけ、深くあたたかく心に響いてくるのかもしれない。 春に満開の桜を見ることができるのは、このうえない喜びの時間である。それが旅先ならば、さらにうれしい。そして今回は「桜の森の満開の下」を読み返した直後という絶妙のタイミング。色々なことが重なった「記憶に残る桜」となりました。 関連: 読書の記憶 五十四冊目 「桜の森の満開の下 坂口安吾」

啄木新婚の家へ行く。【盛岡と文学をめぐる旅】

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盛岡市の観光案内を眺めていて、ふと目がとまった。そこには「 啄木新婚の家 」という文字。なんとなく、ざわざわとした気分になる。なぜそんな気分になったのかと考えてみるに「新婚」という言葉が、そうさせるのではないかと思い至った。 まずは「福田パン」へ 時間的に、行ってみようか迷ったのだが、せっかく「ざわざわ」とした気分になったことだし立ち寄ってみることにした。ちなみに、今回は近くにある「福田パン」に立ち寄ってパンを買ってから向かうことにした。先にパンを買っておいて、どこか良さそうなところで食べようという計画である。ところが、である。店内はパンを買い求める客で長蛇の列ができていた。いったい、どのくらい並ぶのだろうかと時計を見ていたところ、パンを受け取るまでに45分ほど経過していた。 大人気である。連休中ということで、普段よりも混雑していたと思われるが、パンを購入するのに45分も並んだのは人生初の経験であった。並んでいる時は「あと、どのくらい並ぶのだろう」と限られた観光時間が気になってハラハラしていたのだが、そんな風にしてようやくパンを手にした時には、妙な達成感があった。おそらく脳内では快楽物質が軽く放出されていたと思われる。並んでも手に入れたいという人間の心理を体感できたような気がしたのだった。しかし、食べるのは一瞬である・・・。うまいけど、一瞬である・・・。 さて、福田パンのことでだいぶ行数を費やしてしまった。もしかすると啄木新婚の家よりも、無意識では福田パンのことを書きたかったのかもしれない。まあ、寄り道するのも旅の醍醐味のひとつである。話を元にもどそう。 啄木新婚の家へ行く 市内の通りを歩き、ひょい、と左折すると、そこに表れたのが「啄木新婚の家」だった。入口の看板によると「(結婚式に)啄木は遂に姿を見せなかった。」とある。これは知っていた。啄木というと純朴な印象がある方が多いと思うのだが、実際は・・・というのは、以前に本で読んだことがある。 しかしその後に続く「啄木一家がここに在ること3週間」ということは知らなかった。わずか3週間で引っ越してしまったのだそう。これは「住んだ」というよりは「しばし滞在した」という表現の方が近いような気がするが、まあそんな野暮なことは言わずに(書いていますが)中に進んでいくことにする。

太宰治まなびの家 (旧藤田家住宅)へ行く。

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私の人生は、運が60%。才能が5%。 10月の連休に、旅に出ることにした。 初日、まず最初に向かったのは「 太宰治まなびの家 (旧藤田家住宅)」だ。昨年訪問した「 斜陽館 」と「 太宰治疎開の家 」にひきつづき、一度行ってみたいと思っていた場所である。斜陽館も、疎開の家も、そして、学びの家も、高校生の時に太宰の作品を読んでから「行ってみたいものだ」と思いつつ、なかなか行けなかったのだが、一度タイミングが合えば、このようにとんとん拍子で訪問できるわけである。まさに、人生とはタイミングと運である。 ちなみに私の人生は、60%が「運」であると思う。のこりの20%が「偶然」で、さいごの20%が「才能」だと思う。いや才能なんて「5%」くらいかもしれない。ほとんど運と偶然に支えられてきた。年齢を重ねるごとに、そう実感するようになってきた。 太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)へ さて。 太宰治まなびの家は、太宰が官立弘前高等学校に在学していた三年間、下宿していた場所である。カーナビを頼りに指示された方向へと進んでいくと、静かな住宅街のなかに「それ」はあった。 斜陽館の時には、案内の看板などが増えていくにしたがって「おお、いよいよ斜陽館が・・・。あの角を曲がったあたりに・・・」と、気分が高揚したものだったが、まなびの家の場合は周辺が住宅街だったこともあり「あれ、ここかな?」というような感じだった。もしかして、あまり見るところはないのかな、というのが第一印象だった。 「学生の頃の太宰」を感じる部屋 しかし、安心していただきたい。当時のままに保存されているという太宰の部屋は、大正時代の面影がそのままに残っている「ああ、まさに、ここだ」というような空間だった。当日は小雨が降っていたのだが、その淡い光量もよかったのかもしれない。いかにも静かで、落ち着いてして、そしてどこか湿っぽい雰囲気が「学生の頃の太宰」を、連想させるような印象を醸し出していた。 太宰は、この部屋で何を見て、何を考え、そして何をしようと思っていたのだろう。芥川に憧れた青年は、自分が文豪と呼ばれる人物になることを想像していただろうか。もちろん、そんなことも考えてはいただろうけれど、それよりは恋愛のことが思考の中心になっていたのではないだろうか

太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」へ 太宰をめぐる青森への旅(2)

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太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」へ 太宰治疎開の家 (旧津島家新座敷)は、斜陽館の混雑ぶりとは対照的に静かで落ち着いた場所だった。ここには40分ほど滞在したのだけど、僕達の前に一組。後に一組。わずか、それだけしか訪問する人がいなかった。 ところが、そう、ところが太宰が好きな人にとっては、この場所は 絶対に外せない場所 である。パンフレットによると「新座敷は、文壇登場後の太宰の居宅として唯一現存する邸宅である。」とあるように、ここは実際に太宰が滞在して執筆した場所に触れることができる、数少ない貴重な場所なのだ。 ここは「パンドラの箱」が執筆された家 太宰はここに、昭和20年7月末から昭和21年11月まで滞在した。この間に、仙台出身の自分には思い入れのある「パンドラの匣」も執筆されたとのこと。あの、 「やっとるか。」 「やっとるぞ。」   「がんばれよ。」 「ようし来た。」 (パンドラの匣より) が執筆されたのが、まさにこの場所だと考えると頬がゆるんでくるような気がする。この天井を見上げて「ふうむ」とペンを走らせていた様子を想像していると、 太宰が実際にこの世界に存在していたのだ ということを体感できたような気がする。 と、いかにも色々なことを知っているような素振りで書いているけれども、実は僕自身ここに来るまで、この事実を知らなかった。 現地でいただいたパンフレットを見て知った のである。 いやはや、ここに立ち寄って良かった。「ちょっと疲れたし、斜陽館は見たし宿へ行ってゆっくりするか」と、くだらないことを考えなくて良かった。やはり旅先では「よし、時間があるからここにも行ってみよう」と、足を伸ばすことが大切である。意外とそんな風にして立ち寄った場所で出会ったできごとが、目的地よりも大きな収穫を得る事ができるのも少なくないものである。 さらに幸運なことに、僕達が訪問した時には他に訪問客がいなかったため、店長さん(と、いう表現でよいのだろうか?)から解説をしていただくことができた。 「作品のこの部分に書かれているのが、この部屋です」 「え? あれって、この部屋だったのですか?」と、作品世界と現実の世界とがリンクしていく。それは、実際に現地を訪問したから体感できる素

太宰治の生家「斜陽館」へ行く 太宰治をめぐる青森への旅(1)

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「斜陽館」へは、行くことができなかった。 今年の5月の連休は、4日間ほどかけて青森方面に旅してきた。色々な場所へ行って色々なものを見てきたのだけれども、僕にとって今回の旅のハイライトは「 斜陽館 」を訪問できたことだった。 今までにも青森へは何回か旅をしてきたけれど、 なぜか斜陽館へは行くことができなかった 。時間的に厳しくなって予定を変更したり、吹雪と大雪で道路が通行できなくなってしまったりなど、など。とにかく様々な理由で訪問することができなかったのである。 ここまで縁がないということは、もしかすると、このまま永遠に訪問できないのではないか? なにかしら見えない力が働いて拒絶されているのではないか。とまあ、そのようなことを冗談まじりに考えつつも、意外と本気で「今度こそ! いやもしかすると今回もまた何かトラブルが起きて…」などと考えつつ、仙台から出発したのであった。 そして「斜陽館」へ向かう 斜陽館へは旅の二日目に向かう予定だった。弘前から岩木山神社へ向かい参拝後、白神の森を歩いてから、最後に金木町へ向かう計画だった。少々タイトなスケジュールではあったけれどもトラブルや渋滞などがなければ、スムーズに到着する予定だったのだが… … 。 と、さも何かトラブルがあったかのような書き方をしてしまったのですが、実際はほぼ予定通りに金木町に到着することができた。順調に進む時というのは、まあこんなものである。駄目な時は、どうあがいても駄目なのだが、うまくいく時はさらさらと流れていくのである。 写真で何度も見た、あの「斜陽館」と対面。 カーナビと看板の案内を確認しながら、斜陽館に車で近づいていく。(直進。次の交差点を右です。まもなく目的地付近です) 進行方向の右手に、写真で見た「あの建物」があった。おう、やったぜ。とりあえず、ここにこうやって到着できたというだけでも、今回の旅は成功だったと思えるほど嬉しかった。 仙台市から斜陽館まで、車で約370km。さほど遠くはないが、近くもない。とにもかくにもとうとう来たぜ。おそらくこの時の僕の顔には、かなりの達成感が漂っていたに違いない。 駐車場の前に立っていた係員が近づいてくる。「駐車場が満車だから、そこの銀行の前に止めてくれ。大丈夫だから」と

がんばることば。

「やっとるか。」 「やっとるぞ。」 「がんばれよ。」 「よし来た。」 パンドラの匣 太宰治より がんばらなくてはいけない時に「よしきた」と口にすると、あと少しだけ頑張れる気がする。よしきた。

読書ブログ「つまり、佐藤の本棚」はじめました。

今月から「つまり、佐藤の本棚」という新しいブログを始めました。 こちらのブログでは、私(佐藤)の記憶の中にある本棚の中から一冊ずつ選んで、その本にまつわるエピソードを書いていこうと考えています。 http://hondana.wordproject21.com 現在の目標は今年1年間休まずに更新すること。月1~2冊のペースで更新していけば、なんとか1年間は継続できるかな、と思っているのですが実際はどうなることでしょう(笑)ひとまず、来年のこの時期までに、最低12冊。目標24冊でがんばってみようかと思っているわけです。 http://hondana.wordproject21.com

千葉家曲がり家から続き石へ 遠野物語をめぐる旅(2)

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遠野物語をめぐる旅 千葉家曲がり家へ 今回の遠野めぐりは、市内観光共通券(1.050円)を購入して、市内の施設を回ってみることにした。漠然と「遠野を回る」と言ってもイメージがつかめないので、共通券が使える施設を回りつつ、その周辺の観光地にも立ち寄ってみようというわけだ。 そんな訳でまず最初に向かったのが「 千葉家曲がり家 」。遠野市のwebによると「 曲り家の最盛期に建てられ保存状態も良く、上層農民の最高級の曲り家として典型的なものといわれます。「日本十大民家」の一つに数えられます。」とある。「日本十大民家」ときたならば古民家好きの自分にとって、まず最初に押さえておきたい場所だ。 駐車場に到着して見上げた丘の上に、悠然と構えた千葉家の姿が目に飛び込んでくる。すでにこの段階で「見に来てよかった」と思ってしまうほどの存在感があった。「上層農民の最高級の曲り家として典型的なもの(遠野市HPより)」とあるように「資産家」の雰囲気が漂っている。きっと昔の人達も、この場所から丘を見上げるようにして「千葉さんのお宅は立派だねー」と話していたに違いない(←イメージ)。そんなことを想像しながら入口で共通券を購入して、家につづくやや急な坂を上がっていく。 それにしても、古民家を見るとふしぎと心が落ち着いてくるのはなぜなのだろう? 実際に古民家に住んだこともないし、近所に古民家があったわけでもないのに「なつかしい」という気分になってくる。子供のころ「このような場所で遊んだことがあるような気分」にさえなってくる。 そんな不可思議なノスタルジック気分に浸りながら、見事な茅葺きの屋根を眺め写真を撮り展示物に目を凝らし土の感触を楽しんだあとは、早々に次の場所へと移動をしなければいけないのが観光客のつらいところ。次に向かうのは「続石」だ。 遠野物語に登場した、続石に対面する 続石は遠野物語の中にも登場する石 。「さて遠野の町と猿ヶ石川を隔つる向山という山より、綾織村の続石とて珍しき岩のある所の少し上の山に入り、両人別れ別れになり、鳥御前一人はまた少し山を登りしに、あたかも秋の空の日影、西の山の端より四五間ばかりなる時刻なり。ふと大なる岩の陰に赭き顔の男と女とが立ちて何か話をして居るに出逢いたり。(遠野物語)」の「続石とて珍しき岩」