啄木新婚の家へ行く。【盛岡と文学をめぐる旅】
まずは「福田パン」へ
時間的に、行ってみようか迷ったのだが、せっかく「ざわざわ」とした気分になったことだし立ち寄ってみることにした。ちなみに、今回は近くにある「福田パン」に立ち寄ってパンを買ってから向かうことにした。先にパンを買っておいて、どこか良さそうなところで食べようという計画である。ところが、である。店内はパンを買い求める客で長蛇の列ができていた。いったい、どのくらい並ぶのだろうかと時計を見ていたところ、パンを受け取るまでに45分ほど経過していた。大人気である。連休中ということで、普段よりも混雑していたと思われるが、パンを購入するのに45分も並んだのは人生初の経験であった。並んでいる時は「あと、どのくらい並ぶのだろう」と限られた観光時間が気になってハラハラしていたのだが、そんな風にしてようやくパンを手にした時には、妙な達成感があった。おそらく脳内では快楽物質が軽く放出されていたと思われる。並んでも手に入れたいという人間の心理を体感できたような気がしたのだった。しかし、食べるのは一瞬である・・・。うまいけど、一瞬である・・・。
さて、福田パンのことでだいぶ行数を費やしてしまった。もしかすると啄木新婚の家よりも、無意識では福田パンのことを書きたかったのかもしれない。まあ、寄り道するのも旅の醍醐味のひとつである。話を元にもどそう。
啄木新婚の家へ行く
市内の通りを歩き、ひょい、と左折すると、そこに表れたのが「啄木新婚の家」だった。入口の看板によると「(結婚式に)啄木は遂に姿を見せなかった。」とある。これは知っていた。啄木というと純朴な印象がある方が多いと思うのだが、実際は・・・というのは、以前に本で読んだことがある。
しかしその後に続く「啄木一家がここに在ること3週間」ということは知らなかった。わずか3週間で引っ越してしまったのだそう。これは「住んだ」というよりは「しばし滞在した」という表現の方が近いような気がするが、まあそんな野暮なことは言わずに(書いていますが)中に進んでいくことにする。
玄関から中を覗き込む。おもわず「お邪魔します」と口にしてしまいそうな雰囲気。ああ、いいなあ、と思う。別に、このような家屋に住んだ経験はないのに、なぜか懐かしい気分になる。電球の色がそう感じさせるのかもしれない。畳の色が、開放感のある家のつくりが、そう思わせるのかもしれない。靴を脱いであがらせてもらう。
啄木夫妻の部屋へ
ここが、啄木夫妻の部屋。啄木の作品「我が四畳半(一の上)」の中に、
「我が四畳半は、蓋し天下の尤も雑然、尤もむさくるしき室の一ならむ。して又、尤も暢気、尤も幸福なるものゝ一ならむ。」
「石川啄木 閑天地 我が四畳半(一の上)より一部抜粋」
と記された部屋である。きっと啄木は、この部屋で希望と情熱を燃やしながら窓の外と天井を眺めながら新婚生活を送ったのではないか。そんなことを想像しながら、部屋の中を歩き回っていると、すこしあたたかな気分になれるような感じがした。今回は、ここに立ち寄ることができて、よかった。帰宅したならば、啄木の作品を読み返してみよう。
そして、ふと、壁にかけられたカレンダーを見ると「福田パン」のものだった。ああ、いい感じにつながったなあ。そして、最近「スマートホン」を盛岡に忘れた方は、ここにあるかもしれませんよ。
【参考】
岩手観光ポータルサイト:啄木新婚の家読書ブログ 閑天地 石川啄木