宮沢賢治をめぐる旅(宮沢賢治詩碑 編)
花巻への旅
自分の場合、旅をする時には移動時間や滞在時間を考慮して「綿密に計画を立てる」場合と、とりあえず現地に行ってみてから決める「なりゆきまかせ」の場合の二種類がある。今年の夏は「なりゆきまかせ」で花巻へ行った。どうして花巻なのか、というとお盆休みの二日前に予約が取れる宿を検索していたところ、花巻に良さそうな旅館が見つかったからだ。つまり、目的があって花巻に宿をとったのではなく、宿がとれたから花巻に行くことになったのだった。
1日目は、ゆったりと過ぎた。懸念していた渋滞もうまく回避できたし、美味しいものを食べることもできた。なによりも直前に予約した花巻の温泉宿が想像していたよりも、良い感じだったので「今回の旅は、いい感じだなあ」という気分で過ごすことができた。あまりにも、ゆったり充実した時間だったので、宿を出た時には二日間ぐらいここに滞在していたような気分になったくらいだった。
宮沢賢治詩碑へ
花巻駅から車で約15分。駐車場に車を止め、そこからは徒歩で移動する。自分達の他に観光客らしき人はいない。昨晩はずっと雨が降っていたのに、今日は夏らしい陽射しが地面に降り注ぐ道を、残りわずかの夏を惜しむかのように盛んに鳴く蝉の声を耳にしながら歩く。
雨が降っている時は「夏なのに雨ではつまらない」と愚痴を言うのに、晴れている時には「暑い。日に焼ける」と文句を言う。実に勝手である。賢治先生ならば、晴れても雨でも変わらず、同じように過ごしているにちがいない。そんなことを考えながら歩いていると五分ほどで、入口に到着した。
そこでふと気がつく。道標には「宮沢賢治詩碑 羅須地人協会跡入口」と記されている。ああ、そうだったのか。ここが一度訪問してみたいと考えていた、羅須地人協会の跡地だったのか。センターの方から「宮沢賢治が住んでいた場所」と説明を受けた時に気がつくべきだった。
さきほどまでは「暑い」「汗が不快だ」などと考えてばかりいたのに、にわかに気の引き締まる思いを感じながら、少しばかり姿勢を正して歩く。「この道を賢治も歩いたのだろうか。こうやって木に手を触れたりしたのだろうか」などと考えながら、涼しい木陰の下を通り抜けると、そこには気持ちのよい景色が広がっていた。
「下ノ畑ニ居リマス」
案内版には「この辺り一帯は耕地整理で畑から田んぼに変わり、当時の面影はありません。」と説明があった。確かに当時とは色々と変化があるだろう。しかし、山々峰々の景色、なだらかに広がる地形には当時の気配が残っているはずだ。賢治もこの場所に立ち、この山の稜線を眺めただろう。そんなことを考えながら景色を眺めていると、すっ、と気持ちが澄んでいくような感じがした。清廉で強い意思を持ち、ここに立った賢治の心に少しだけ触れられたような気がした。ここに来てよかった、と思った。
今回は、なりゆきまかせの旅だったけれど、まるで導かれるように「一度行ってみたかった」場所へ立ち寄ることができた。旅に正解も失敗もないけれど、今回の旅は「大正解」だったと言ってみたい。もしも、これから花巻へ宮沢賢治を巡る旅を計画されている方がいらっしゃるならば、この場所に立ち寄ってみてはいかがでしょう。おすすめですよ。
参考
花巻観光協会公式サイト佐藤の本棚「宮沢賢治」