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uniqloジーンズの色落ち(二年経過)

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UNIQLOジーンズの色落ち(二年経過) このブログの中で、コンスタントにアクセスがあるのが「uniqloジーンズの色落ち」についての記事である。もしかすると続きが気になっている人がいる、かも? しれないので、ちょうど、前回の記事から一年が経過したところで(つまり、購入した時から二年使用したということ)更新してみたいと思います。 さて、どのように色落ちは進んだのか? その答えはこちら。 いかがだろうか? そう、自分でも驚くほど「前回とあまり変化していない」と感じる出来映えである。もちろん、部分部分では細かな変化があるし全体的に青みが増してはいるのだが、「ぱっ」と見た感じでは二年という時間を通り抜けてきたという印象は、あまり受けない。 前回と同じ場所で撮影したので背景も一緒だから「同じ写真だよ」と言われたのなら、ああそうかと信じる人もいるかもしれない。(前回の「 購入一年後のuniqloジーンズ はこちら)もう少し「おっ!」という軽い発見が欲しいところだったが、これが現実なのだから仕方がない。 ちなみに、あれから新しいジーンズは一本も購入していない。もう少し細身のものが欲しいな、とか、値引きされているものを店頭で見かけて購入しようかと思ったことはあったのだが、なんだかんだで結局この一本と、以前に購入したジーンズを組み合わせて乗り切ってしまった。使用頻度は、平均すると月に3〜4回程度。洗濯は月に1回くらい。この程度の使用だと、一年経過したとはいえ、まあこのくらいの変化が適当なのだろう。 とりあえず、もう少し色落ちしたあたりが、好みの段階なので様子を見ながらこれを「育てて」みたいと考えています。次回(一年後)までに、どのくらい変化があるのか? 実は某メーカーのジーンズで気になるものがあるので、もしかしたらそれを購入してしまうかもしれない。もしそうなったらこれは使用頻度がさらに下がるだろう。 「ジーンズを育てるということは、飽きとの戦いである」 これが、私がこの2年間で体験から学んだことかもしれない。 関連: (5) uniqloジーンズの色落ち(あれから四年後) (4) uniqloジーンズの色落ち(あれから三年後) (3) uniqloジーンズの色落ち(あれから二年後) (2) uniqlo

2017年の「松の内」に、考えたこと。

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年末年始の慌ただしさから一段落。作業机の周辺を整理していたところ、見慣れない大きな茶封筒がクリアファイルの中から出てきました。手に取ってみると、先月兵庫県の商工会議所から依頼を受けて行ったセミナーの、受講生からのアンケートの束でした。 そうか。後で読もうと思って、ここに挟んだまま忘れてしまっていたんだ。今年の年末も気忙しかったからなあ。そんなことを考えながら、直筆のコメントを一枚一枚読んでいると、セミナー当日のことが彷彿としてきました。温かいコメントを読み、セミナーの後に名刺交換をしながら交わした言葉を思い出しながら、ふと「この受講生のみなさんに、お会いすることは、もうないかもしれないんだな」と感じたのでした。 「会うは、別れの始めなり」 私が起業をしてから、15年以上もの時間が過ぎました。その間に、たくさんの方達との出会いがありました。数年以上、ご縁が続いている方もありますが、大部分の方達とは(直接お会いするのは)その一度きりになってしまったことが少なくありません。とくにセミナーのように、一度に多くの方の前でお話しする場合は、なおさらです。 今までは、そのようなことを気にしたことはありませんでした。「縁がある方とは、またいつか会える」そんな風に考えていたように思います。ところが、私も40代半ばを過ぎたせいか、少しずつ「のこされた時間」について考えることが増えてきました。まして、今のようなペースで依頼をこなしていくことは、どんどん難しくなっていくことでしょう。 「会うは、別れの始めなり」 ご縁をいただいた方に、しっかりと向き合っていこう。これが最初で最後になるかもしれない。今、自分にできることを、ていねいに表現していこう。苦手な飛行機にも乗り、できる限り遠くの街まで行ってみよう。新年の気分が残っている松の内に、あらためてそう感じました。 今年は、色々な地域に出かけ、様々な場所でセミナーをする機会が増えていくかもしれません。この文章を読んでいる方とも、どこかでお会いする時がくるかもしれません。その瞬間のために、学び続け、しっかりと準備をし、表現し続ける一年にしたいと考えています。あらためまして、2017年もよろしくお願い致します。みなさまにとって、おおきくすばらしい飛躍の一年になりますように。

書き初め 平成29年

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今年(2017年)の元旦は、初日の出を拝んだ。人生初の「初日の出」である。もしかしたら、一度くらいはどこかで拝んだことがあるのかもしれないが、覚えていないということは記憶の中に存在していないということなので、今回の初日の出を人生初としておきたいと思う。 そして、せっかく清々しい気分になったということで、午前中に書き初めをすることにした。初日の出と元旦という雰囲気の中で、普段はやらないようなことをやってみたくなったのだった。そこで、連れが用意してくれた筆と墨汁を使って、なんとなく書きたいことを書いてみた。そのひとつが、こちら、 酉年なので「飛」という、何のひねりもない1文字だが、なんとなく右上がりの弾んだ感じに仕上がったのではないかと自分では思っている。素人が調子に乗って思っているだけなので、言い過ぎた部分は見逃していただきたい。 なんとなく筆が進み、水墨画をきどって「それっぽい」ものも描いてみた。タイトルは「山と湖」である。そう思って見ていただくと、右側の線は柔らかな山容を表し、左側の線は豊かな水をたたえた湖に見えてこないだろうか? みなさんのやさしさに期待したい(笑) 今年は、昨年まで継続してきた目標を粘り強く進めつつ、新しいことに「ひとつ」「ふたつ」挑戦する一年にしたいと考えている。とりわけ仕事の面では、時間が許す限り様々な地域にでかけて、講演する時間を増やしていきたいと思う。この文章を読んでいる方と、どこかの街でお目にかかれることを楽しみにしています。今年もよろしくお願いします。

【旅】Cabin zeroのトラベルバックを買う。

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「機内持ち込み可」のバックパックを探す ずっと使っていた小型のバックパックが、だいぶくたびれてきた。ちょうど仕事で飛行機を利用することになったので、それに合わせてバックパックを買い換えることにした。 バックパックを購入する際に気をつけたいのが「サイズ」である。機内持ち込み可能サイズにして、荷物を預けることなくスムーズに移動したい。そこで候補に上がったのが、 Cabin Zeroのトラベルバック である。 28Lであれば国内線の機内持ち込みサイズにも収まるし、デザインもシンプルなのでビジネススーツと合わせても大丈夫だろう。値段も予算内。店頭に実物を確認に行ったところ、シンプルなデザインで軽いし、持ち手もついていて使いやすそう。さらに 「こちら、今年の夏に、とてもよく売れました」という店員さんのセールストークにも背中を押され購入することにした。 自宅に戻って荷造りをしてみる。形状がスクエアなので思っていたよりも荷物を入れることができた。ノートパソコンと資料、着替えなどを入れてもまだ余裕がある。2泊程度の移動であれば、このサイズ(28L)がちょうどよいと感じた。 「OKOBAN」に登録する さらに、このトラベルバックには「OKOBAN」という個別識別コードが、ひとつひとつに与えられている。これに情報を登録しておけば、空港などでロストバゲッジをした場合でも、拾ってくれた人が確認して連絡をしてくれる(可能性がある)らしい。 さっそく記載のウェブサイトにアクセスしてメールアドレスを登録しておいた。 さて、これからこのバックと一緒に、何キロくらい移動することになるだろう。国内はもちろん、海外にも一緒に移動できる相棒になってくれるだろう。そんなことを考えていると、わくわくしてきますね。 追記 先日、仙台国際空港→伊丹空港の国内線(JAL)で、CabinZaroを使ってきた。もちろん機内持ち込みOKのサイズだった。このバックパックひとつで、2泊3日の出張を乗り切ることができた。2箇所に持ち手がついているのが、思っていた以上に使いやすかったので追記しておきます。 【参考】 Amazonで「Cabin zero」のバックパックを探す

カビにまみれた、革ジャンを洗濯する。

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クローゼットから、カビまみれの革ジャンを発見 先日、クローゼットの奥の方で「ゴトン」という音が聞こえてきた。そのような音が出るようなものは存在しないはずなので、気になって扉を開けてみると、そこにはハンガーから落下した革ジャンの姿があった。学生のころ(つまり、今から二十年以上も前)にバイクに乗る時に購入したライダースジャケットである。 おお、なつかしいなあ、と取り出して広げてみると・・・それはすっかりと変わり果てた姿になってしまっていた。ジャケットの表面に広がるカビカビカビカビ。なんだこれは、最初からこのような模様だったのではないか、と思うほど一面にカビが広がっていたのだった。確かに、とくにメンテナンスもしていなかったし、ずっと着用する機会もなかったから、このような状況になるのも仕方がない。が、しかし、それにしても酷いありさまだった。記録用に写真を撮っておこうかと思ったものの、あまりの酷さに止めてしまったほどだ。 カビを落とすには、どうすればいいのか? そっと、床の上におき、まずは濡れたタオルで表面をこすってみる。ある程度は取れたが、全体的に広がっているし、こすっても落ちない汚れもあちらこちらに見受けられる。このライダースジャケットを着用することは、とりあえず当分の間はなさそうだが、そうだとしてもこのまま放置しておくのは気がひける。さて、どうするか? クリーニングに出す? たしかにそれがベストではあるが、費用もかかりそうだ。うん、そうだ洗濯機で洗ってみようか? バイクで走っている時に、突然の雨でずぶ濡れになったこともある。そもそも外を走り回る時に使っていたジャケットで、ラフに扱っていたものだから、今さら繊細なメンテナンスをしたところで・・・。 革ジャンを、洗濯機で丸洗いしたらどうなる? などと考えたところで「どうせ駄目なら、まあしかたない」という自己責任で、丸洗いしてみることに決めた。いや、むしろ、丸洗いしたらどうなるのか、ということを知りたくなったのだ。 まず最初に、風呂場へ持っていき、ていねいに水洗いをした。さすがに、このカビまみれのものを洗濯機に入れるのには抵抗があったからだ。この段階で、おおむね綺麗になったので「これでもいいか」という気分になったのだが、予定通り洗濯機に入れてみることにした。 そして待つ事40分。水を

啄木新婚の家へ行く。【盛岡と文学をめぐる旅】

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盛岡市の観光案内を眺めていて、ふと目がとまった。そこには「 啄木新婚の家 」という文字。なんとなく、ざわざわとした気分になる。なぜそんな気分になったのかと考えてみるに「新婚」という言葉が、そうさせるのではないかと思い至った。 まずは「福田パン」へ 時間的に、行ってみようか迷ったのだが、せっかく「ざわざわ」とした気分になったことだし立ち寄ってみることにした。ちなみに、今回は近くにある「福田パン」に立ち寄ってパンを買ってから向かうことにした。先にパンを買っておいて、どこか良さそうなところで食べようという計画である。ところが、である。店内はパンを買い求める客で長蛇の列ができていた。いったい、どのくらい並ぶのだろうかと時計を見ていたところ、パンを受け取るまでに45分ほど経過していた。 大人気である。連休中ということで、普段よりも混雑していたと思われるが、パンを購入するのに45分も並んだのは人生初の経験であった。並んでいる時は「あと、どのくらい並ぶのだろう」と限られた観光時間が気になってハラハラしていたのだが、そんな風にしてようやくパンを手にした時には、妙な達成感があった。おそらく脳内では快楽物質が軽く放出されていたと思われる。並んでも手に入れたいという人間の心理を体感できたような気がしたのだった。しかし、食べるのは一瞬である・・・。うまいけど、一瞬である・・・。 さて、福田パンのことでだいぶ行数を費やしてしまった。もしかすると啄木新婚の家よりも、無意識では福田パンのことを書きたかったのかもしれない。まあ、寄り道するのも旅の醍醐味のひとつである。話を元にもどそう。 啄木新婚の家へ行く 市内の通りを歩き、ひょい、と左折すると、そこに表れたのが「啄木新婚の家」だった。入口の看板によると「(結婚式に)啄木は遂に姿を見せなかった。」とある。これは知っていた。啄木というと純朴な印象がある方が多いと思うのだが、実際は・・・というのは、以前に本で読んだことがある。 しかしその後に続く「啄木一家がここに在ること3週間」ということは知らなかった。わずか3週間で引っ越してしまったのだそう。これは「住んだ」というよりは「しばし滞在した」という表現の方が近いような気がするが、まあそんな野暮なことは言わずに(書いていますが)中に進んでいくことにする。

太宰治まなびの家 (旧藤田家住宅)へ行く。

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私の人生は、運が60%。才能が5%。 10月の連休に、旅に出ることにした。 初日、まず最初に向かったのは「 太宰治まなびの家 (旧藤田家住宅)」だ。昨年訪問した「 斜陽館 」と「 太宰治疎開の家 」にひきつづき、一度行ってみたいと思っていた場所である。斜陽館も、疎開の家も、そして、学びの家も、高校生の時に太宰の作品を読んでから「行ってみたいものだ」と思いつつ、なかなか行けなかったのだが、一度タイミングが合えば、このようにとんとん拍子で訪問できるわけである。まさに、人生とはタイミングと運である。 ちなみに私の人生は、60%が「運」であると思う。のこりの20%が「偶然」で、さいごの20%が「才能」だと思う。いや才能なんて「5%」くらいかもしれない。ほとんど運と偶然に支えられてきた。年齢を重ねるごとに、そう実感するようになってきた。 太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)へ さて。 太宰治まなびの家は、太宰が官立弘前高等学校に在学していた三年間、下宿していた場所である。カーナビを頼りに指示された方向へと進んでいくと、静かな住宅街のなかに「それ」はあった。 斜陽館の時には、案内の看板などが増えていくにしたがって「おお、いよいよ斜陽館が・・・。あの角を曲がったあたりに・・・」と、気分が高揚したものだったが、まなびの家の場合は周辺が住宅街だったこともあり「あれ、ここかな?」というような感じだった。もしかして、あまり見るところはないのかな、というのが第一印象だった。 「学生の頃の太宰」を感じる部屋 しかし、安心していただきたい。当時のままに保存されているという太宰の部屋は、大正時代の面影がそのままに残っている「ああ、まさに、ここだ」というような空間だった。当日は小雨が降っていたのだが、その淡い光量もよかったのかもしれない。いかにも静かで、落ち着いてして、そしてどこか湿っぽい雰囲気が「学生の頃の太宰」を、連想させるような印象を醸し出していた。 太宰は、この部屋で何を見て、何を考え、そして何をしようと思っていたのだろう。芥川に憧れた青年は、自分が文豪と呼ばれる人物になることを想像していただろうか。もちろん、そんなことも考えてはいただろうけれど、それよりは恋愛のことが思考の中心になっていたのではないだろうか