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「カレーライス」か「ライスカレー」か?

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「カレーライス」と「ライスカレー」どちらが正しい? 皆さんはそんなことを考えた事はありませんか? 小学生の頃の私は、この違いが気になり色々と考察した結果、 「カレーが上でご飯が下 = カレーライス」 「ご飯が上でカレーが下 = ライスカレー」 という結論にたどり着いた。つまり 「カレーとご飯の位置関係で、カレーライスかライスカレーかが、決定するのではないか」 ということである。それまでの人生の中で「ご飯が上になっているカレー」を見たことはなかったが、それはまだ自分が見たことがないだけできっとどこかに存在する、ということにして、小学生のころの私はこの結論に、ひとり満足したのであった。 先日、自宅でカレーライスを作っていた時、ここに書いたことが気になりネットで検索してみることにした。すると、 「ライスにカレーをかけたもの =ライスカレー」 「ライスとカレーを別にしたもの =カレーライス」 という説が有力であった。小学生のころの私は 「ご飯とカレーの位置関係がポイント」 というところまでは辿りついていたが、もう一歩踏み込みが足りなかったようだ。確かに、何かの絵本でカレーポットのイラストを目にしていたし「なんかあれ、かっこいいな」とも思っていたのだった。残念である。 以上のことを考察すると、私が昨晩食べたものは「ライスカレー」ということになるのだろう。食事の席で 「今、僕たちが食べているのはカレーライスではなくライスカレーなんだ。この違いわかる?」 などと、うんちくを語ってみたい欲求が湧き上がってきたが、おそらくそんなことを語ったとしても誰も聞いてくれないし嫌悪感が増すだけだと思うので、ひっそりとここに記しておくことにした。もしもあなたが、いつかどこかでこの情報を使える時があれば、ぜひ活用していただきたい。 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【文学】漱石山房の冬 芥川龍之介

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夏目漱石、芥川龍之介などと聞くと、 教科書に載っていた歴史上の人物 といった印象が強くて、実際にこの世界に存在していたのだろうか? もしかして架空の人物なのではないだろうか、という気分になる事があります。 もちろん2人はこの世界に存在していて、しかも今私たちが住んでいる日本で生活していたわけです。彼らは約100年前の日本で、どのような時間を過ごしていたのでしょう? 今回紹介するのは、芥川龍之介の「漱石山房の冬」の一節です。ある冬の日に、2人が人がどのような会話をしていたのか、ちょっと覗いてみたいと思います。 又十月の或夜である。わたしはひとりこの書斎に、先生と膝をつき合せてゐた。話題はわたしの身の上だつた。 (漱石山房の冬 芥川龍之介) 「君はまだ年が若いから、さう云ふ危険などは考へてゐまい。それを僕が君の代りに考へて見るとすればだね」と云つた。わたしは今でもその時の先生の微笑を覚えてゐる。いや、暗い軒先の芭蕉の戦も覚えてゐる。しかし先生の訓戒には忠だつたと云ひ切る自信を持たない。(漱石山房の冬 芥川龍之介) 芥川龍之介は、夏目漱石に身の上話をします。それに対して漱石は「僕が君の代わりに考えてみるとすればだね」といった感じで、芥川の立場に立って助言をします。 この時の漱石は、時代を代表する作家先生。後に文豪となる芥川龍之介は、この時点ではまだ若手作家のひとりです。そんな芥川に対し漱石先生は、上から意見を押し付けるわけではなく「君の代わりに考えてみるとだね」と、微笑みながら丁寧に語り掛けている様子が伝わってきます。 相手の自我を尊重し、そこに向き合いながら自分の考えを伝えていく。そして、その言葉を真摯に受け止めようとする芥川龍之介。 2人の文豪が夜に語り合っている様子を想像すると、どこか優しい気分になれるような 気がします。 そして、このような場面を想像してから、漱石と芥川の作品を読み返すと、またどこか違った気配が背後から感じられるような気がするのでした。 【佐藤ゼミ】漱石山房の冬(芥川龍之介)を読む ↪出典 漱石山房の冬(芥川龍之介) 〰関連 「読書」に関する記事 「夏目漱石」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

天災は忘れた頃にやってくる(東日本大震災から10年目に、考えたこと)

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「天才は忘れた頃にやってくる」!? 「天災は忘れた頃にやってくる」 という言葉がある。私は子供のころ、この言葉を 「天才は忘れた頃にやってくる」 だと思っていた。天才というものは、最初から表舞台に登場するわけではない。様々な混沌が起きて「これはもうどうすることもできない」と一般人が嘆いていると、華々しく天才が登場して解決する。そのような歴史上のできごとを「ことわざ」として表現したのだと、思い込んでいたのである。 しかし「天才」」は「天災」であり、全く内容が異なっていた。それを知った時 「天災より、天才の方がかっこいいのに!」 と、妙に落胆した記憶がある。そして「天才は忘れた頃にやってくる」という言葉も、きっとどこかに存在するに違いない、と頑なに考えている子供だったのである。 「天災と国防」寺田寅彦より そんな私も大人になり、文学作品などを読むようになった。そして夏目漱石の資料を調べていた時に 「天災は忘れた頃にやってくる、は 寺田寅彦の言葉である」 という文章を目にした。「これは寺田寅彦の言葉だったのか。さすが漱石先生の一番弟子!」と、妙に感動したことを覚えている。 ところが、確認するために出典を調べてみたところ「寺田寅彦の言葉らしいが、定かではない」ということを知った。講演会で口にしたことはあったが、文章としては残っていない、などと曖昧な状況で「寺田寅彦の言葉」として伝わってきたらしい。 確かに、寺田の随筆を読んでみても、この言葉が記載されている文を見つけることはできなかった(浅学の私が見つけられないだけで、存在する可能性は否めない。もしご存知の方はぜひお知らせください)。しかし「 天災と国防 」という作品の中で、同様の趣旨を解説している部分があるので、ここで紹介してみたいと思う。 悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。「天災と国防」より 数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である。 しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然

古いメガネを見ると、思い出すこと

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メガネを購入した時の話 以前、某眼鏡店でメガネを購入したときの話。メガネの調整をしてもらってる時に、テンプルの部分が食い込んで痛かったので「この部分を少し広げてもらえませんか」と、店員さんにお願いをした。 すると「このタイプのメガネは、これ以上幅を広げられない」ということだった。広げられないタイプならば仕方がない。しかしデザインは気に入っていたので様子を見つつ、そのうち馴染んでくることを期待して使ってみることにした。 もう一度だけ、相談してみよう…。 しばらく使ってみたのだが、長時間使っていると食い込んでいる部分が痛くなってしまう。メガネの位置が気になって、何度も直してしまう。しかし「このタイプは幅を広げられない」と聞いていたので「せっかく購入したばかりだけれども、このメガネを使うのは諦めようか」とも考えていた。 数日後、某眼鏡店の前を通りかかった時、前回と別の店員さんがいたので「この部分が当たって痛いのですが」と相談してみた。これで駄目と言われたら、別のメガネを検討するつもりだった。  するとその店員さんは、確かにこれは痛いですね調整しましょう、と顔に当たっていた部分を手早く調整してくれた。どうぞと手渡されたメガネをかけてみると、しっかりと幅がひろげられていて、とても快適になっていた。しっくりと顔になじむ感じがした。 古いメガネを見るたびに、思い出すこと 「このメガネを使うのは諦めようかと思っていたんです、ありがとうございます」とお礼を言うと「しばらく、これで様子を見てください」と気持ちよく対応していただけた。あきらめかけていたのに、普通に使えるようになったことが嬉しかった。ていねいに対応していただけたのも、ありがたかった。そしてその眼鏡はその後3年ほどメインで使う愛用のメガネになった。 先日、新しいメガネを買った。このメガネを使う回数はこれから大幅に減っていくだろうと思う。それでも、このメガネを見るたびに「あの店員さんは、とても手際が良い人だったなぁ」と思い出すだろう。そして、そんな記憶が残るものが増えていくのは、なかなかよいものだ。 それにしても、最初の店員さんはなぜ「このメガネは調整できない」と言ったのだろう。今となってはわからないのだが、もしも私と同じような体験がある方は、別の店舗で相談してみても良いかもしれない。諦めるのは、それからでも

【人生哲学】世間が必要としているものと、 あなたの才能が交わっているところに天職がある(アリストテレス)

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今日は「仕事」について考えてみたいと思います。 誰しも「自分に合った仕事がしたい。自分の力を生かした仕事がしたい」と考えると思います。1日の大半を仕事に費やすわけですから、これは当然のことです。もちろん私もそう考えています。 哲学者のアリストテレスは「仕事」に対して、 世間が必要としているものと、 あなたの才能が交わっているところに天職がある (アリストテレス) と表現しています。自分ができることと、世の中が求めるものが合わさったところに天職がある。確かに、どんなに「オレは、これを仕事にしたい!」と思ったとしても、お金を払って頼みたい人がいなければ、 仕事として成立しません 。 そして「仕事」について考える時、 この部分が的外れになっている人が少なくない ように感じます。ポイントをはずしたままで思考を繰り返しても、本質から離れていくばかりです。アリストテレスの言葉を噛みしめつつ、考えてみたいものです。 「自分には向いていない」場所に、ヒントあり? また、逆の視点から考えてみるならば「自分には向いていない。才能がない」と思えることであったとしても、 世間から要望がある場合は、それが「天職」になる場合 もあると思うのです。 実際に私の場合は「自分には向いていない」と感じている仕事が、天職であったと体験から感じています。私が大学を卒業して最初に就職したのは学習塾でした。正直なところ、私は人前で話したりするというのは「そこまで得意」なわけではありません。苦手ではないけれど、向いているとも思えない。とりあえずがんばれるだけ、がんばってみよう。そのような気持ちで始めたのです。 実際の授業は大変でした。大きな声で説明していると、すぐに声が枯れてしまうし、授業のあとに生徒と「雑談」をするのも苦手だったので、授業が終わったらすぐに職員室に逃げ込むようなタイプの先生で、授業をすればするほど「この仕事は、自分に向いていないのでは」という気持ちが強まっていきました。 ところが、私の授業を休まずに受けてがんばっている生徒と過ごしているうちに「みんなの力になりたい」と思うようになりました。こちらが全力で向き合うと、生徒からも全力の気持ちが返ってくる。受験生を相手にした授業では、そのような熱量が限界点にまで高まっていく瞬間があります。 そんな環境に身を置きながら、がむしゃらに5年

【文学】太宰治「女生徒」を読む

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女生徒 太宰治 を読む 今回は、太宰治の「女生徒」を紹介したいと思います。「女生徒」は、タイトル通り 「10代の女子生徒」が主人公 です。父親は亡くなってしまい、姉も嫁いでしまったため、母親と二人暮らし。主人公が朝、目を覚ます場面から作品が始まります。 朝は、いつでも自信がない。寝巻のままで鏡台のまえに坐る。眼鏡をかけないで、鏡を覗くと、顔が、少しぼやけて、しっとり見える。自分の顔の中で一ばん眼鏡が厭なのだけれど、他の人には、わからない眼鏡のよさも、ある。(女生徒より) 主人公は、目の前の様子やできごとに対して、色々と思いを巡らせていく。それを目の前の人に語りかけていくような、一人語りのスタイルで物語は進んでいきます。 今「物語が進んでいく」という書き方をしましたが、 何か特別な物語が展開されるわけではありません。 主人公が「朝起きて、学校へ行き、帰宅して、夜寝る」までの1日が、淡々と静かに語られていきます。たとえば、電車の中ですれ違った人たちを見て、 みんな、いやだ。眼が、どろんと濁っている。覇気が無い。(同) 周囲の人間に対する不快感で、頭の中を一杯にしたかと思うと、 ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの。(同) 授業中に窓から見える花を眺めながら、人間のよいところを考えてみる。そして、 私は、たしかに、いけなくなった。くだらなくなった。いけない、いけない。弱い、弱い。だしぬけに、大きな声が、ワッと出そうになった。(同) 自分自身を批評して落ち込んだかと思うと、帰宅の途中に夕焼けを眺めながら、 「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました。(中略)それから、いまほど木の葉や草が透明に、美しく見えたこともありません。そっと草に、さわってみました。 美しく生きたいと思います。(同) 風景の美しさを全身に感じ取り「美しく生きたい」と考えてみる。実に忙しく、そして右から左へと感情のスイッチが切り替わっていく。その様子が、主人公の言葉を通して、流れるように読者に語りかけてきます。まるで目の前で、ほんとうに「女生徒」が語りかけてくるような文体で言葉が紡がれていきます。  「女生徒」は、ある女

【中原中也】一人でカーニバルをやってた男

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詩人 中原中也と聞いて連想すること 「中原中也」と聞くと、黒い帽子を被り少年のようなまっすぐな瞳をしている、あの有名な写真が頭に浮かぶ人も多いと思います。「詩人」という言葉がぴったりの、繊細で物静かな雰囲気が漂っている人物という印象を受けますよね。 ところが実際の中原中也は、少々気難しいといいますか、酒を飲んでは人に絡んでしまうような一面があったようです。 そのような酒の席における自分の状況を、親友に宛てた手紙の中で説明している文章があります。 昨夜は失礼しました。其の後、自分は途中から後が 悪いと思ひました。といひますわけは、僕には時々自分が一人でゐて感じたり考へたりする時のやうに、そのまゝを表でも喋舌ってしまいたい、謂ばカーニバル的気持が起ります。(以下略)【中原中也 安原喜弘氏宛ての手紙より】 自分が一人の時に考えていることを、そのまま口に出してしまう。そして、相手の反応が気になってしつこく絡んでしまう。それを中原は「カーニバル的気持ち」と説明しているのですね。そして、この手紙はこのような一文で結ばれます。 一人でカーニバルをやってた男  中也 【同】 カーニバルはたくさんの人が集まって行われるものであって、 一人でカーニバルはできません よね。しかし中原は、たった一人でカーニバル状態になって熱狂している。周囲の人々がそこに参加する事は無い。むしろ、どんどん距離をとって離れていく。 そのような状況を、中原自身も自覚していたのだろうな、と。翌朝になって手紙を書きながら反省しているのだろう。そのような状況を想像してみると、せつない寂しさが漂ってきます。そして「一人でカーニバルをやってた男」という最後のフレーズに、中原らしい言葉の響きを感じたりもします。  詩人が見ていた世界と、現実の世界とのはざまで 中原中也には、酒の席での様々なエピソードが残されています。太宰治が絡まれた話も有名ですよね。そのようなエピソードを知りつつあらためて、中原中也の作品を見ていると、そこに大きなギャップが存在していることを感じます。詩人 中原が見ていた、または追求している世界と、現実の世界とのギャップ。 それは、私たちが想像するよりも大きなものだったのかもしれません。 そんなことを考えながら、天才詩人の作品をひとりで読んでいると、遠くの方から