天災は忘れた頃にやってくる(東日本大震災から10年目に、考えたこと)
「天才は忘れた頃にやってくる」!?
「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉がある。私は子供のころ、この言葉を「天才は忘れた頃にやってくる」だと思っていた。天才というものは、最初から表舞台に登場するわけではない。様々な混沌が起きて「これはもうどうすることもできない」と一般人が嘆いていると、華々しく天才が登場して解決する。そのような歴史上のできごとを「ことわざ」として表現したのだと、思い込んでいたのである。しかし「天才」」は「天災」であり、全く内容が異なっていた。それを知った時「天災より、天才の方がかっこいいのに!」と、妙に落胆した記憶がある。そして「天才は忘れた頃にやってくる」という言葉も、きっとどこかに存在するに違いない、と頑なに考えている子供だったのである。
「天災と国防」寺田寅彦より
そんな私も大人になり、文学作品などを読むようになった。そして夏目漱石の資料を調べていた時に「天災は忘れた頃にやってくる、は 寺田寅彦の言葉である」という文章を目にした。「これは寺田寅彦の言葉だったのか。さすが漱石先生の一番弟子!」と、妙に感動したことを覚えている。
ところが、確認するために出典を調べてみたところ「寺田寅彦の言葉らしいが、定かではない」ということを知った。講演会で口にしたことはあったが、文章としては残っていない、などと曖昧な状況で「寺田寅彦の言葉」として伝わってきたらしい。
確かに、寺田の随筆を読んでみても、この言葉が記載されている文を見つけることはできなかった(浅学の私が見つけられないだけで、存在する可能性は否めない。もしご存知の方はぜひお知らせください)。しかし「天災と国防」という作品の中で、同様の趣旨を解説している部分があるので、ここで紹介してみたいと思う。
悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。「天災と国防」より
数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である。 しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。「天災と国防」より
寺田は、天変地異の非常時はいつか回ってくるのが自然の鉄則である。しかし、それを綺麗に忘れがちになってしまい、充分な用意をせずに過ごしてしまうことを指摘している。さらに、文明が進むほど天然の災害による被害が大きくなる可能性を指摘している。
しかし昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教えにたよることがはなはだ忠実であった。過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守して来た。それだからそうした経験に従って造られたものは関東震災でも多くは助かっているのである。「天災と国防」より
過去の経験に学び、それにそぐった造形物は災害時にも助かっている。自然の力を押さえつけようと「過去の災害を忘れ」て造形されたものは被害を受けることも多い。まさに「天災は忘れた頃」にやってくるのだから、過去の経験を忘れることなく備えていく大切さ(そして、国家としてそれにどのように備えていくのか)を指摘しているのである。
東日本大震災から10年目を目前に
先日(2021年2月13日)に、福島県沖でM7.3の地震が起きた。私(筆者)が住んでいる宮城県仙台市も大きく揺れた。数日前に「来月で、震災から10年だね」という話をしたばかりだった。そこには、もう震災は過去のものであり当分の間は起こらないもの、という無意識が存在していたように思う。
もちろん、あのような体験を「早く忘れたい」と考えるのも当然のことだ。あまりにも酷く強烈な体験だから、考えることを避けたい。そうでもなければ、失ったものの大きさと恐怖に押しつぶされそうになる。「もう、あのようなできごとは起こらないのだ」と思いたい。
しかし、2月13日の地震は、当時の記憶を一瞬で蘇らせた。あの日の「世界の終わり」を感じるような地響きも、どこにも逃げられない恐ろしさも、子供のころから慣れ親しんだ風景がすべて失われた喪失感も、すべて自分の記憶にのこっていることを再確認した。終わってはいないし、思考を止めてはいけない。倒れそうになる家具を支えつつ、キッチンの方で何かが割れる音を耳にしながら、そう感じていた。
天才は忘れた頃に、やってくる
「地震の現象」と「地震による災害」とは区別して考えなければならない。現象のほうは人間の力でどうにもならなくても「災害」のほうは注意次第でどんなにでも軽減されうる可能性があるのである。(災難雑考 寺田寅彦)
「地震の現象」は人間の力では対応できないが「地震による災害」は軽減することはできる。それならば、軽減するためにどのように振る舞うべきか。実際に2011年の震災を体験した私たちが、日本人としてできることは何なのか?
「天災は忘れた頃にやってくる」この言葉を、どのように解釈するかは個人の価値観や状況によって異なる。それはひとつとして同じものはないし、正しい正しくないだけで切り取れるものではない。しかし私はあらためて、当時の自分が考えていたことを「忘れない」ようにしようと思う。それを通して続けてきたことを、もう一度踏み固め実行していこうと思う。
過去に学び、先人たちの叡智に触れていく。そこに凡人の私ができることを、わずかながらでも積み重ね未来へのこしていきたい。その先に「天才が、やってくる」ことを期待して。寺田寅彦の文章を読み返しながら、そんなことを考えました。
【参考】寺田寅彦「天災と国防」