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【仕事】人前で話すのが苦手(4)ギャップを受け止めよう。【私の体験談】

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「理解してもらえない」と、グチる人たち・・・。 あなたの周囲に、このような人はいませんか? 自分が話題の中心になっている時は意気揚々と話しつづけるのに、気に入らないことがあると、すぐにふてくされる。 「それは嫌だ!やりたくない!」と不満をすぐ口 にする。自己主張を通り越してワガママな人。 そんな人ほど、飲み会の席でしんみりと「オレは 自分が言いたいことを、言えない タイプなんだよ。もっと〇〇さんみたいに、自己主張しないと損をするよなあ」と、つぶやいたりする。 ああ、います!  自分のことが見えていない人! おまえが言うな! と言い返したくなりますよね(笑) いますよね? でも、ちょっとだけ想像してみてください。 あなたが自分で考えている「自己イメージ」と他人があなたに抱いている「客観的イメージ」は一致しているでしょうか? 「自己イメージ = 客観的イメージ」の間に、ギャップは存在していませんか?  いや、存在していませんか? ではありませんね。 ほぼ 100%ギャップは存在します。 自分では気がついていない「マイナスイメージ」は、確実に存在するんです。 ギャップに自分で気づく人は、存在しない 厳しめの表現になりますが、すばらしい内容を話しているのに、あなたの話が聞き手の心を揺らさないのは、あなたの話し方に 「マイナスイメージ = 不足している点」 が存在するからです。 ここを理解できるかどうかが、次のステップに進めるかどうかを決める重要な鍵 になります。そして、客観的に自分自身で不足している部分を理解できる人は、まずいません。強烈に「痛い目」にあって、何度も失敗してようやく少しずつわかってくるものです。なぜそのようなことがわかるかというと、私自身がそうだったからです。 私(佐藤)の体験談 私が在籍していた学習塾では「生徒アンケート」が定期的に実行されました。そのアンケートの結果をもとに、先生の評価が決まり担当するクラスなどが決定していくのです。初めてアンケートの結果を見た時は(悪い意味で)かなりの衝撃でした。 「早口で聞き取れない」 「自分で話したことに、自分でウケている」 「前の先生の方がよかった」 などなど、率直な意見が書き込まれています。 そこに書き込まれたことの多くが、 今までの人生で指摘を受けたことがなかったことばかり です。思い当たる節もありますが、そん

【仕事】人前で話すのが苦手(3)第一印象で、その日の評価が決まる。

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私たちは「第一印象」で、すべてを予想する まずは、みなさん自身が「初対面の人」の「プレゼン」を聞いている時のことを思い出してください。おそらく多くの人が第一印象から、 「あかるい感じの人だな」 「あまり元気がなさそう」 「真面目そうだけど、プライドも高そう」 などと一瞬で印象を読み取っていると思います。そして、 「おもしろい内容が聞けそう!」 「たいくつな時間になりそうだ・・・」 などと、これからの話の内容を予想していきます。そして不思議なことに、その 「第一印象」のイメージというものは、かなりの確率で的を得ていることが多い のではないでしょうか? 私たちは、実際に話を聞く前に「その人の印象」を数秒で読み取って、話の内容を予想する(もしくは、決めつける)ものなのです。 私が「新人講師」だった時の話 私が新人の講師だった時の話です。ベテランの先生達の前で「模擬授業」をすることになりました。先生達の前で授業をするというのは、かなりのプレッシャーです。しかも模擬授業は初体験でしたから、どのような切り口で始めていけばよいかもわかりません。私は事前に配布されたテキストを何度も見直し準備を繰り返し、与えられた20分間の模擬授業を行いました。 模擬授業のあと、先生達から批評を受けていきます。それぞれの先生から「もう少しクラス全体を見渡すように」などと修正点を指摘されていくのですが、ある先生から、 「最初の挨拶の部分がよかった」 と評価を受けたのでした。その時の私は「あいさつ?」と、その先生の意図するところがわかりませんでした。「あいさつ」は特に練習もしていないし、ただ「こんにちは。今日は天気がよくて気分がいいですね」のような普通のことを口にしただけだったからです。 おそらくその先生は 「第一印象が、親しみやすい感じでよかった」と評価 してくださったのだと思います。他に褒めるところがなかったので、無理矢理「あいさつ」を褒めてくださったのかもしれませんが、この先生の言葉はそれから20年以上もの間、ずっと私の記憶に残り続ける印象的な言葉になったのでした。 「あいさつ」をていねいに。 それ以来私は、初対面の人たちの前で話をする時は 「あいさつ = 第一印象」をていねいに することを心がけてきました。 「この先生の話は、ちゃんと聞いてみよう」「質問したら、ちゃんと答えてくれそう」 など

【正岡子規】柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

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柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 (正岡子規) 今回紹介するのは 正岡子規 の俳句です。「柿を食べていると、法隆寺の鐘の音が聞こえてきた」もはや何の解説も不要なほどわかりやすく、しみじみと深まっていく秋の気配の中で作者がそれを全身で受け止めている様子が伝わってくる名作です。 私がこの作品を初めて目にしたのは、国語の教科書だったか資料集だったか、正確には忘れてしまいました。妙に印象的な頭の形をした正岡子規の横顔の写真と一緒に掲載されていたように思います。「俳句 = むずかしい = おとなむけ」と感じていた当時の私にとって、この作品は 「なんとなくわかるような気分」 にさせてくれた作品でした。 技法とか難しいことは理解できないし、どこが凄い作品なのかを説明することもできないけれど「このような俳句ならば、もっと読んでみたいなあ」と、 なんとなくうれしく 感じさせてくれた作品だったことを覚えています。 夏目漱石「三四郎」の中の子規 この作品には「柿」が重要なモチーフとして登場しますが、実際の正岡子規も柿が大好物だったようです。夏目漱石の「三四郎」の中にも、 子規は果物がたいへん好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな樽柿を十六食ったことがある。それでなんともなかった。自分などはとても子規のまねはできない。(夏目漱石 三四郎より)」 と、正岡子規が柿を食べるエピソードが登場します。大きな樽柿を十六も食べて普通にしているというのは、漱石でなくてもまねはできませんが、そこまで「柿」が好きだった正岡子規が、秋の奈良で法隆寺の鐘の音を耳にしながら「柿」を頬張る時間。 目に見えるもの、聞こえる音、そして味覚。秋の気配とともに感じる「それ」は、さぞ至福の時間だったことであることは想像に難しくありません。そして読み手である私たちはそのような作者の気分を、 17文字の言葉の奥 に感じ取っているのかもしれません。 (追記) 数年ほど前に、奈良へ旅をしたことがあります。(参考: はじめての奈良旅 )3泊4日の日程で旅をしたのですが、とてもたのしくおもしろく、観光してみたい場所がまだまだ、たくさんのこっています。 現在は国内旅行もむずかしい状況ですが、またいつの日か奈良へ行ってみたい。樽柿を食べながら法隆寺を眺めてみたい。そんなことを考えていると、この厳しい状況をなんと

【仕事】人前で、話すのが苦手(2)勝負は戦う前に決まる。

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人前で話すのが苦手(2)勝負は、戦う前に決まる 勝負は戦う前に決まる、という言葉があります。人前で話す時もおなじです。練習でできないことは試合でもできないように、準備の段階で充分に仕上げておかなければ現場で実行できるわけがありません。油断は禁物です。 ところが現場で 失敗してしまう人の多くが「準備不足」にある と、私は考えています。私の指導経験からお話ししますと「このくらい準備しておけば大丈夫!」と 自分で判断した段階 では、 40点ほどのレベルにまでしか仕上がっていない ものです。そのまま現場に立ってしまうと、予想外の状況に直面して頭の中が真っ白になってしまい、笑ってごまかしてその場を繕ってしまうような内容で終わってしまうことが多いのです。 30分の講演なら、1時間の準備をする。 私は塾講師をしていた時、新人講師の研修を担当していました。参加する新人講師のみなさんには「模擬授業」をやってもらい、アドバイスを行なっていくのですが、多くの講師が最初の模擬授業は「準備不足でボロボロ」で終わってしまいます。そして 「想像以上にうまく話せなかった自分 = 準備不足」と正面から向き合ってもらう ことが、最初のステップになるのです。 まずは「自分がOKを出した段階では、まだ半分の完成度」と自覚しながら、様々な角度から準備を進めていきましょう。 最初の段階では「2倍の準備」を目安に作業を進めて いって、ちょうど良いと思います。30分の講演時間ならば、1時間の内容で準備を進めていき30分に編集していくのです。ベースにそのくらいの情報量がないと、話術に長けた人でもない限り内容がスカスカか、自己満足の内容で終わってしまうでしょう。人前で話すのが苦手な人はまず 「準備だけは、誰にもまけない気持ち」 で、2倍の準備を心がけてください。 私が「新人講師」だったころ 私(佐藤)が新人講師だった頃は、授業のレジュメ(内容)を事前に資料にまとめて教室長にチェックしてもらっていたのですが、1時間の授業のために3時間ほどかけて準備を行なっていました。 そのくらい準備しないと不安になってしまう し、自分の指導力に自信があったわけではないので、新人の私ができることは 他の先生たちよりも準備の量を増やす ことくらいだったからです。 そのような準備を重ねることで 「このくらい準備をしたのだから、きっと大丈夫」

【仕事】人前で、話すのが苦手。コツを教えてください。(1)まずは、あいさつから

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「緊張しやすい性格なので、人前で話をするのが苦手です。コツを教えてください」 私の授業を受けた人から、時々このような質問を受けることがあります。どうやら受講生のみなさんからは、私が人前で話すのが得意で堂々としているように見えるようです。確かに、教育の仕事を20年以上続けてきましたし、数千時間以上も授業をしてきたので「 表面的には、堂々と話している」 ように見えると思います。 しかし実際のところは「明日は、セミナーがある」と思うと前の夜から「さて、何を話そう・・・」と緊張感が漂いはじめ、当日控え室で待機している時などは「しまった。今回はこちらの話をすればよかったのでは? しかし今からでは資料を作る時間もないし・・・」と 直前まで、あれこれと考え続け 、担当の方が呼びにきてドアをノックする音に心臓が縮み上がる思いをすることも少なくありません。 そもそも人前に出るのも好きではありません。趣味が読書なので 一人で過ごす時間が多い ですし、山登りをしたり釣りをしたりと、 人がいないところを探索したり音楽を聞いたり考え事をすることが好き な方です。パーティや飲み会にも参加しませんし、酒も飲みません。大学生の頃には同級生の女性に「オレに近づくなオーラが出ているよ」と、からかわれましたが(笑)たぶん、パーソナルスペースというやつも広い方だと思います。 実際は「開き直って」いるだけ = 仕事用の自分 そんな私ですから、講演の依頼などは逆に 「これは仕事なのだから」 と自分に言い聞かせて「仕事というのは、苦しいことを乗り越えるからお金がもらえるのだ」などと、なんだかよくわからない理由を並べながら 「仕事用の自分」で乗り切っている のです。私の授業を受けた方からは「楽しそうに話していますよね」と言われますが、実際はそんな感じなのです。そして「人前で話すのが苦手」という意識は、年齢を重ねる度に強くなっているような感覚もあります。 なので、もしみなさんが「佐藤先生は、人前で堂々と話せていいなあ」と感じているのであれば「あれは開き直っているだけで、実際にはなかなか大変」なのだということと、 「ある程度経験を積めば私と同じくらいのレベルであれば、人前で話すことはできるようになる」 ということを、お伝えしておきたいと思います。 簡単な「テクニック」をアドバイス 最後に、ひとつだけテクニックのような

【仕事】失敗しても、人格は否定されていない。

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失敗しても、人格は否定されていない。 何かを表現するということは、自分自身を表現するということでもあります。それがアート作品のような表現を目的としたものではなく、仕事の企画に関することであったとしても、それは同じだと思うのです。 何日も、時には何ヶ月もかけて準備した企画は、そこには「自分(達)」の意思が込められています。いわば 自分の分身でもあり、家族のような思いを感じる人 も少なくないでしょう。 そのような企画を世の中に発表し、残念ながら失敗してしまった。全く反応が得られなかった。見てもらえない、無視されてしまった。そのような体験をした時は 「企画が失敗した」と感じる以上に「自分自身の人格を否定された = 私はダメな人間だ」と感じて落ち込んで しまうものだと思います。 私が「起業」した時の話 その気持ちは、本当によくわかります。あまり思い出したくない記憶なのですが(笑)具体例として私が「独立起業」した時の話をしてみたいと思います。 当時私は「学習塾」を経営していました。それまでも学習塾に正社員として勤務していたので、一通りのノウハウと体験はあるつもりでした。しかし、生徒募集の企画(広告)などを実行して失敗したとしても 「みんなで取り組んで失敗した = 責任が分散されるのでさほど深刻にならない」 で済んでいたように思います。何かしら自分以外の部分に理由をみつけて言い訳を考えることができたのです。 ところが 起業すると「すべてが自分一人の責任」 になります。すべてを自分で考え、チェックし実践するわけですから、失敗を自分一人で受け止められなくてはいけません。まるで 自分の考えや存在を、世の中から痛烈に批判されているような感覚。自分はここまでダメな人間だったのか、と「ほんとうの自分」と正面から強制的に向き合う時間 。それは、当時の私にとって(なによりも、若かったし)プライドそのものを打ち砕かれるような、痛烈な体験でした。 世の中の人たちは「人格を否定」している訳ではない しかし、世の中の人たちは 「プライド」を傷つけようとしているわけではありません 。ただ単に「あなたの商品(企画)は、未熟ですよ。もっと改良し工夫してください」と言っているだけのことです。 私たちは改善し、学び、世の中から注目されるような工夫を繰り返していけばいいのです。 失敗しても、人格は否定されて

【夏目漱石】あの手紙を見たものは 手紙の宛名に書いてある夏目金之助丈である。(文豪の手紙を読む)

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今回は、夏目漱石が門下生の森田草平に宛てた手紙の一節を紹介します。 余は満腔の同情を以てあの手紙をよみ満腔の同情を以てサキ棄てた。あの手紙を見たものは手紙の宛名に書いてある夏目金之助丈である。君の目的は達せられて目的以外の事は決して起る気遣いはない。安心して余の同情を受けられんことを希望する。 (夏目漱石 森田草平宛書簡より一部抜粋) 森田草平は、漱石に宛てた手紙の中で「自分の生い立ち」に関する告白をします。それは森田が誰にも話せず秘密にしていたことであり、ずっと悩んでいたことでした。それを読んだ漱石は「読み終わって、すぐに手紙を裂いて捨てた。あの手紙を読んだのは夏目金之助(注 夏目漱石の本名は金之助です)だけである。他の人に知られることは決してないから安心しなさい」と返信します。 漱石と森田の間に存在する信頼関係。それは師匠である漱石が「上から意見する」というものではないように感じます。相手の自我を尊重し、あくまでも自分の個人的な意見として伝える。そして、 約束は絶対に守る。 この短いの文章の背後には、そのような言葉と信念のやりとりが感じられるように思います。 秘密を守らないことで、失っていくもの 昨今は「秘密」だったはずの内容が、瞬く間に拡散される世の中です。本来ならば、秘密を公開した人は非難され信頼を失うわけですが、逆に周囲から評価を受け注目を集めるような気配もあります。それは、著名人だけでなく、私たちのような一般人のレベルでも同様で「ちょっと調べれば、大抵の秘密は明らかになる」ような状況です。 私たちは、この状況に麻痺してしまい、いやもう少し正確に表現すると、 秘密を守らないことで失うものの大きさを理解できず に、ただなんとなく手元のスマホで情報を検索しています。そして発信していきます。もはや、私たちが失われたものを把握し理解できることは困難かもしれません。失っていることを気がつかないまま、または、わかっているつもりで生涯を終えてしまうのかもしれない。 言葉のやりとりの背後には「信頼」が存在する。信頼が存在するからこそ、言葉を通した交流が生まれていく。言葉のやりとりとが、簡単にできるようになってしまった、大量生産が可能になった現代では「言葉」も消耗品になってしまった。「軽く」考えられるようになってしまったのではないか。。 漱石の 「あの手紙を見たも