【仕事】失敗しても、人格は否定されていない。


失敗しても、人格は否定されていない。

何かを表現するということは、自分自身を表現するということでもあります。それがアート作品のような表現を目的としたものではなく、仕事の企画に関することであったとしても、それは同じだと思うのです。

何日も、時には何ヶ月もかけて準備した企画は、そこには「自分(達)」の意思が込められています。いわば自分の分身でもあり、家族のような思いを感じる人も少なくないでしょう。

そのような企画を世の中に発表し、残念ながら失敗してしまった。全く反応が得られなかった。見てもらえない、無視されてしまった。そのような体験をした時は「企画が失敗した」と感じる以上に「自分自身の人格を否定された = 私はダメな人間だ」と感じて落ち込んでしまうものだと思います。


私が「起業」した時の話

その気持ちは、本当によくわかります。あまり思い出したくない記憶なのですが(笑)具体例として私が「独立起業」した時の話をしてみたいと思います。

当時私は「学習塾」を経営していました。それまでも学習塾に正社員として勤務していたので、一通りのノウハウと体験はあるつもりでした。しかし、生徒募集の企画(広告)などを実行して失敗したとしても「みんなで取り組んで失敗した = 責任が分散されるのでさほど深刻にならない」で済んでいたように思います。何かしら自分以外の部分に理由をみつけて言い訳を考えることができたのです。

ところが起業すると「すべてが自分一人の責任」になります。すべてを自分で考え、チェックし実践するわけですから、失敗を自分一人で受け止められなくてはいけません。まるで自分の考えや存在を、世の中から痛烈に批判されているような感覚。自分はここまでダメな人間だったのか、と「ほんとうの自分」と正面から強制的に向き合う時間。それは、当時の私にとって(なによりも、若かったし)プライドそのものを打ち砕かれるような、痛烈な体験でした。

世の中の人たちは「人格を否定」している訳ではない

しかし、世の中の人たちは「プライド」を傷つけようとしているわけではありません。ただ単に「あなたの商品(企画)は、未熟ですよ。もっと改良し工夫してください」と言っているだけのことです。私たちは改善し、学び、世の中から注目されるような工夫を繰り返していけばいいのです。失敗しても、人格は否定されていないし中途半端に傷つく必要はないのです。

もしもみなさんが、仕事を通して失敗をしてしまった時、私と同じように「人格を否定された」と感じてしまう時があるかもしれません。痛烈に孤独感を感じ、身動きができなくなるようなところまで自分を追い込んでしまう人もいるかもしれません。「これで本当によかったのか?」と今までの自分の選択や努力を自分で批判してしまいたくもなります。そんな時は、ここに書いていることを思い出してみてほしいのです。

失敗は通過儀礼。そこで何を「学ぶ」かを問われている

失敗は、自分の未熟さ(改善点)を客観的に知ることができる機会である。評価は下がるが、あくまでも「現時点での評価」が下がるだけで、人格そのものが下がるわけではない。ある一定のレベルに達するまでは失敗がつきものだし、それは通過儀礼として必要な過程である。そこから何を学ぶかで、仕事の技量も人格も磨かれる。これは机上の理論でも、きれいごとを言っているわけでもありません。私自身の体験を通し現場から学んだ知恵です。

まじめな人ほど、この部分を切り離して考えにくいもの。そして、急速に成長している途中で能力を発揮できずに、自分の心を傷つけあきらめてしまったりする。私自身は、この部分を「本当に理解」するまでに10年ほどかかってしまいました。おそらくプライドが高すぎて、受け止めることができなかったのだと思います。若さや経験不足によって「頑固」になってしまい、ほんとうに必要な部分に目を向けられなかったのでした。

独立起業・フリーランスなどを目指し、これから新しい挑戦を始めるみなさんは、私のように中途半端に傷つくことなく、雄々しく堂々と失敗を改善し続けてほしいと思います。適切な学びと実践は、必ず「ある一定のレベル」まで、みなさんを引き上げてくれます。そこからどのように表現していけるかが、腕の見せ所なのです。


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