【夏目漱石】あの手紙を見たものは 手紙の宛名に書いてある夏目金之助丈である。(文豪の手紙を読む)



今回は、夏目漱石が門下生の森田草平に宛てた手紙の一節を紹介します。

余は満腔の同情を以てあの手紙をよみ満腔の同情を以てサキ棄てた。あの手紙を見たものは手紙の宛名に書いてある夏目金之助丈である。君の目的は達せられて目的以外の事は決して起る気遣いはない。安心して余の同情を受けられんことを希望する。
(夏目漱石 森田草平宛書簡より一部抜粋)


森田草平は、漱石に宛てた手紙の中で「自分の生い立ち」に関する告白をします。それは森田が誰にも話せず秘密にしていたことであり、ずっと悩んでいたことでした。それを読んだ漱石は「読み終わって、すぐに手紙を裂いて捨てた。あの手紙を読んだのは夏目金之助(注 夏目漱石の本名は金之助です)だけである。他の人に知られることは決してないから安心しなさい」と返信します。

漱石と森田の間に存在する信頼関係。それは師匠である漱石が「上から意見する」というものではないように感じます。相手の自我を尊重し、あくまでも自分の個人的な意見として伝える。そして、約束は絶対に守る。この短いの文章の背後には、そのような言葉と信念のやりとりが感じられるように思います。

秘密を守らないことで、失っていくもの

昨今は「秘密」だったはずの内容が、瞬く間に拡散される世の中です。本来ならば、秘密を公開した人は非難され信頼を失うわけですが、逆に周囲から評価を受け注目を集めるような気配もあります。それは、著名人だけでなく、私たちのような一般人のレベルでも同様で「ちょっと調べれば、大抵の秘密は明らかになる」ような状況です。

私たちは、この状況に麻痺してしまい、いやもう少し正確に表現すると、秘密を守らないことで失うものの大きさを理解できずに、ただなんとなく手元のスマホで情報を検索しています。そして発信していきます。もはや、私たちが失われたものを把握し理解できることは困難かもしれません。失っていることを気がつかないまま、または、わかっているつもりで生涯を終えてしまうのかもしれない。

言葉のやりとりの背後には「信頼」が存在する。信頼が存在するからこそ、言葉を通した交流が生まれていく。言葉のやりとりとが、簡単にできるようになってしまった、大量生産が可能になった現代では「言葉」も消耗品になってしまった。「軽く」考えられるようになってしまったのではないか。。

漱石の「あの手紙を見たものは手紙の宛名に書いてある夏目金之助丈である。」という言葉の奥に、私たちが見落としてしまっている何かを見ることができるような気がして、今回みなさんに紹介してみました。

【Youtube版 佐藤ゼミ】夏目漱石の手紙を読む

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