さらばラシーン その2

ラシーンを降りてから数日が過ぎた。自分でも不可思議に思うほど、この数日間は「奇妙な喪失感」があった。何をしていても、心の隅に空白が存在しているような気がしていた。大袈裟ではなく「ほんとうに、何かが損なわれた」のを感じていた。一体どうしたというのだろう? 免許を収得してから現在まで、数台の車を乗り継いできて、その都度寂しい気持ちにはなったものの、ここまで喪失感を感じることはなかった。どちらかというと、新しい車をどのようにカスタマイズするかを考えてワクワクする気持ちの方が強かった。一体どうしたというのだろう?

ラシーンには約6年間乗った。最初の数年間は大きな故障もなく、心地よい時間を過ごすことができた。年を重ねるごとに故障する部分が増え、走行距離が14万キロを越えたあたりからエンジン周りのオイルの滲みが酷くなってきた。走行中に送風のファンを回すと車内にオイルの匂いがする時もあったので、ディーラーにオイル滲みについて相談に行ったところ「エンジンを降ろして確認しなければならないので・・・云々」と、あまり良い返事が返ってこなかったので、クリーナーで周辺を掃除したり、オイルの粘度を変更してみたりしながら様子を見てきたものの、確実に状況は悪い方へ進んでいった。そして、昨年の夏にマフラーが腐食で折れてセンターパイプから交換した時を境に、これ以上修理費を投資することに躊躇している自分がいた。
最終的な走行距離は15万キロを越えていた。屋根付きの車庫に駐車していたので、見た目はそこそこ綺麗な状態を保っていたけれど、中身は平成7年式相応にヤレてしまっていた。ラシーンのようなデザインの車は、もう出てこないだろうし、出来る限り修理をして乗り続けようと思っていたのだけど、修理費の増加と修理をしてもあとどのくらい乗れるかわからないというリスク。そして、車は通勤等でほぼ毎日使用するということもあり、実用面と消費税が上がるという経費の面からも今回の乗り換えを決意したというのが実情である。客観的に考えても「乗り換えは妥当」という結論が賛成多数で可決されるような状態だったと思う。

つまり「修理費用さえあれば、あと数年は乗れたかもしれない」という気持ちが、この喪失感を生み出しているのか? うむ。もちろん、それもあるだろう。でも、それだけではない気がする。大枚を投資して乗り換えの時期を数年先延ばしにしたとしても、いつかはこの時を迎えなければいけないことは承知している。さらに、投資に見合うリターンは期待できない確率の方が高いだろう。その時自分は、喪失感ではなく別の不快感を味わっているだろう。その辺りのことを考えて、自分自身でも「納得」できたから、今回の乗り換えに踏み切ったわけだ。それなのに、この喪失感はどこから生まれてくるのだろう。

そこで考えてみる。
確かに、ラシーンにもう2度と乗れなくなるのは悲しい。
悲しい、が、それは納得することで抑えることができる悲しみの類いだ。
そこで考えてみる。
もしかすると、自分はラシーンを失うことで「思い出」も失ってしまう、と感じているのではないか? ラシーンがこの世界から消えてしまうのと一緒に、自分の楽しい思い出もすべて消え去ってしまう、と感じているのではないか。

ラシーンとは一緒に色々なところへ行った。雨の日も晴れの日も吹雪の日も雷の日も、雹が降る日もあった。山へも行った。川へも行った。海へも湖へも。それからそれからそれから・・・。とにかくこの6年間、色々なところへ行って、色々なものを見て、色々なことを考えた。自分の意志で行き先を決め、わずかな資金と大量の荷物を詰め込んで、行けるところまで行こうと旅を楽しんできた。

その時間の象徴として、ラシーンが存在していたのかもしれない。
たぶん、そうなのだと思う。(その3へ つづく

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