文学作品を「マンガ」で読むのは「あり」なのか?

「文学作品をマンガで読むことに反対!?」


私は読書が趣味なので、時間がある時は文学作品を読んでいることが多い。同時に、マンガも読むし映画も見るし音楽も聞く。山に登ってキャンプもする。

以前、文学作品を原作にしたマンガを読んでいたところ「意外ですね!」と言われたことがあった。くわしく話を聞いてみると「(サトウさんは)文学作品をマンガで読むことに反対している人だと思っていた」とのこと。

とくに反対運動をしたこともなく、その人の勝手なイメージなのだが、そのように思われていたことが意外だった。とりあえず自分は「文学作品をマンガで読むこと」も少なくないし、どちらかというと推奨したい方である。その理由を、今から考えながら書いてみたい。

ストーリーを把握してから、原作を読む

とはいえ、そこまで深い考察をする訳ではないので、結論から書いてしまう。未読作品の中に「興味はあるけれど、ちょっと手が出ない」という作品があると思う。難しそう、とか、長いから、とか、理由は色々だと思うけれど、あなたにもたぶんあると思う。

そんな時、もしマンガ版があるならば、私ならば先にそちらを読んでみる。マンガで全体のストーリーを把握してから、原作を手にとるわけだ。このようなことを書くと「ストーリーがわかっていたら、読んでいてつまらないのでは?」と感じるかもしれない。

いやいや、優れた文学作品は「ストーリーを知っていても、面白みが色あせることはない」と私は考える。例えば、気に入った映画は「1回目はストーリーを楽しみ」「2回目は詳細な部分を掘り下げながら楽しむ」そして、さらに興味が続くなら3回・4回と繰り返し見るわけだけど、それでも面白みが色あせることはない。私は数年前に、

ストーリーを追う「読書」から、自分自身を映す「読書」

という記事を書いたことがあるのだが、つまりそういうことである。もちろん、最初から原作を読むにこしたことはないマンガは「絵」で表現されるため、作家の解釈が大きく反映される。原作とは異なった印象を受けてしまうことは避けられない。この点は意識しておく必要がある。

しかし「未読のまま放置」しておくよりも「一度触れてみる」方が得られることが多いだろう。そこから「よし、原作を読んでみよう」という気持ちになれたのなら、おそらくマンガの作者の方も本望なのではないか、と想像する。

作者の解釈を楽しんでみる。

すると逆に「すでに原作を読んだ人はストーリーを把握しているので、マンガを読む必要はないのか?」という質問があると思う。私の場合は、マンガ版を見つけると手にとって読むことが多い。描写されている絵を見て「ああ、こういう風景だったのか」と理解できることも多いし「あれ? このような場面はあったかな?」と読み直してみるきっかけにもなる。なによりも、作者の方はこの作品をこのように解釈したのだ、と自分の解釈と照らし合わせて楽しむこともできる。

……と、短くざっくりと書いてみるつもりだったのだが、勢いがついて思いの外長文になってしまいそうな気配があるので、今回はこの辺りで止めることにする。最後にまとめると、私は文学作品をマンガで読むことは、読書の楽しみを広げてくれる、と感じている。ただし、興味を感じたら原作を手にとって読んでみること。子供に読ませる場合は「原作とは少し違うところもある」という概要を説明しつつ、原作にも触れる機会を用意してあげる。可能ならば……と、止めるつもりが止まらなくなってきたので、また機会があれば書いてみたいと思います。(おわり)



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