【人生哲学】ある画家との会話 「迷った時に、どうするか?」
ある画家の先生との会話
先日、連れの恩師(洋画家)の個展に行った。一通り作品を見せていただいてから、ギャラリーの横にあった椅子に腰掛けて休んでいると、先生がこちらにやってきて私の隣の椅子に腰をかけた。以前に何度かお話しさせていただいたこともあり面識もあったので、質問させていただくことにした。私は先生に「作品を作っていて、迷った時はどうするのですか」と質問をした。先生は「それはどのような状況についてですか?」と慎重に確認された。私は自分の仕事の状況などを、簡単に説明させていただいた。先生の答えは明快だった。
「私なら、全部やります。どちらかを選択するのではなく、両方ともやりますよ」
その時、他のお客さんがやってこられ、先生はその方と話し始めたので、会話はそこで終了となった。時間にするとほんの数分だったけれども、重厚なご指導をいただいた感覚があった。
「めんどうくさい」は、成長を止めるキーワード
以前、ある経営者の方に「30代は情熱を燃やして、前に進むことだけを考えなさい」と、アドバイスを受けたことがあった。30代の頃の私は、折々にその言葉を思い出しながら、手と足を動かし続けることだけを考え、突き進んできたように思う。ところが40代に入ったあたりで「そろそろ効率的に、うまく立ち回って言うことも必要だな」と、考えるようになっていた。浅い知識と経験を振り回しながら、分析を繰り返す時間が増えてきた。
一度、分析の側に立ってしまうと、制作(実践)の側に戻るのが面倒に感じられるようになる。面倒に感じるということは、変化や挑戦を(無意識に)避けてしまうということにつながる。それは油断と慢心を強めてしまう。
自分はいつの間にか「そちら側」に立っていなかったか?過去の個人的な体験が、未来の事象にも通用すると勘違いし、変化を体感することを避けてはいないか?そもそも、表現したいことを、きちんと表現できているのか?
机越しに交わす賢人との問答は、1ヶ月の読書と同じ価値がある
人生を100年と考えるなら、40代はまだ「折り返し」にも立っていない。50代は、情熱を燃やして全部やる、でいいのではないか? そう考えると、なんだか新しい希望のようなものが、見えてくるような感覚があった。現在進行形の制作物も、未発表のものも、これから制作するものも、公開することを最優先で、矢継ぎ早に進めていこう。いや矢継ぎ早はちょっと言い過ぎだけど、完成度よりも勢いを大切に動いていこう。そういえば、昨日、ちょっと興味を感じる提案があったので、それに乗ってみようか。
「机越しに交わす賢人との問答は、1ヶ月の読書と同じ価値がある」をという諺があるけれど、先生との短い会話の中で、この感覚を実感したのでした。