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【人生哲学】ある画家との会話 「迷った時に、どうするか?」

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ある画家の先生との会話 先日、連れの恩師(洋画家)の個展に行った。一通り作品を見せていただいてから、ギャラリーの横にあった椅子に腰掛けて休んでいると、先生がこちらにやってきて私の隣の椅子に腰をかけた。以前に何度かお話しさせていただいたこともあり面識もあったので、質問させていただくことにした。
私は先生に「作品を作っていて、迷った時はどうするのですか」と質問をした。先生は「それはどのような状況についてですか?」と慎重に確認された。私は自分の仕事の状況などを、簡単に説明させていただいた。先生の答えは明快だった。
「私なら、全部やります。どちらかを選択するのではなく、両方ともやりますよ」

その時、他のお客さんがやってこられ、先生はその方と話し始めたので、会話はそこで終了となった。時間にするとほんの数分だったけれども、重厚なご指導をいただいた感覚があった。
「めんどうくさい」は、成長を止めるキーワード 以前、ある経営者の方に「30代は情熱を燃やして、前に進むことだけを考えなさい」と、アドバイスを受けたことがあった。30代の頃の私は、折々にその言葉を思い出しながら、手と足を動かし続けることだけを考え、突き進んできたように思う。
ところが40代に入ったあたりで「そろそろ効率的に、うまく立ち回って言うことも必要だな」と、考えるようになっていた。浅い知識と経験を振り回しながら、分析を繰り返す時間が増えてきた。
一度、分析の側に立ってしまうと、制作(実践)の側に戻るのが面倒に感じられるようになる。面倒に感じるということは、変化や挑戦を(無意識に)避けてしまうということにつながる。それは油断と慢心を強めてしまう。
自分はいつの間にか「そちら側」に立っていなかったか?過去の個人的な体験が、未来の事象にも通用すると勘違いし、変化を体感することを避けてはいないか?そもそも、表現したいことを、きちんと表現できているのか?
机越しに交わす賢人との問答は、1ヶ月の読書と同じ価値がある 人生を100年と考えるなら、40代はまだ「折り返し」にも立っていない。50代は、情熱を燃やして全部やる、でいいのではないか? そう考えると、なんだか新しい希望のようなものが、見えてくるような感覚があった。
現在進行形の制作物も、未発表のものも、これから制作するものも、公開することを最優先で、矢継ぎ早…

【仕事】「起業するって、大変ですか?」

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質問「起業するのって、大変ですか?」 私は、仕事などを通して出会った人達から「起業するのって大変ですか? 自分にもできるでしょうか?」というような相談を受けることがあります。そのような時私は次に紹介する「3つの質問」について考えてみることをおすすめしています。みなさんも、試してみてください。

1「働く時間は2倍で、収入は2分の1で生活できるか?」
2「今の職場で、1番になっているか?」
3「自分が『やりたいこと』を他者に説明できるか?」


このような質問をして「今の仕事の方がいいかもしれない」と感じるのであれば、「今」は現在の仕事を一生懸命取り組んだ方が得るものが多いかもしれません。逆に「そんなの簡単ですよ。大丈夫ですよ!」と即答するようでも、少し自分自身を見つめ直す時間が必要かもしれません。

「え? じゃあ何が正解なの?」と質問されたのならば、独立起業するということに、正解も不正解もない。今の自分が「どのような方向へ進んでいるか」を、注意深く観察しながら進んでいくしかない、と答えます。質問に対して即座に「これが答えだ」と(よくもわるくも)断定するのではなく、少し立ち止まって考察してから回答を探す姿勢が必要ではないかと思うからです。
答えをはぐらかしているように感じる人もいるかもしれませんが、これが実際のところです。そして、すでに起業している方には「ああ、うん、そうですよね」と共感していただけるのではないかと思います。
起業することは、だれでもできる。 はじめることは、誰にでもできます。しかし、そこからどのように伸ばしていけるかが、腕のみせどころであり、勝負どころです。ところが多くの方が「はじめるまで」には時間をかけるのに「そこからどうするか」には、あまり時間をかけていないように感じます。
「やってみなければわからない。やりながら考えればいい」と嘯く人もいらっしゃいます。たしかに、やってみなければわからないのが人生です。しかし、すでに多くの人が実践していて先人の知識や情報が蓄積しているというのに、それを学び考察せずに始めるのは無謀です。無謀と勢いの良さは、似ているようで土台が異なります。
実際に、独立起業して一度走り始めると、時間は一気に消費されていきます。立ち止まり、周囲を見渡す時間を見失うほどの強い勢いで前へ進みます。よくもわるくも予想もしていなかったことが起こります…

【人生哲学】あなたの可能性を育てるヒント「2本の柱を立てろ!」

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あなたの可能性を見つけるヒント
以前書いた「あなたの可能性を見つける質問」の記事を読んだ知人から「あのように質問されることで、自分と向き合うきっかけを作れますね。深いところで再確認できそうです」というメッセージが届きました。ありがとう! しかしそれにしても、身近な人から感想が届くと必要以上に恐縮してしまうのは、どうしてなのだろう? いや、もちろん素直に嬉しいんですけどね。

さて「自分と向き合うきっかけ」を見つけてもらえたのは、とても嬉しいことです。しかし、きっかけで終わらせてしまってはもったいない。きっかけは成長の種ですから、そこから育てなければいけません。そこで今回は前回の記事からひとつ足を進めて、あなたの可能性を育てるヒントというテーマで話してみたいと思います。

自分の可能性を「二つの柱」で育てていく 前回あなたは、今と過去の自分に質問することで、自分の可能性を示唆するキーワードを、いくつか見つけることができたと思います。せっかくのチャンスです。ここで少しだけ立ち止まり、もう少しだけ「キーワード」を掘り下げて考えてみましょう。 
私は「自分の可能性を育てる」には、2つの柱(視点)が必要だと考えています。


①結果にこだわらず、好きだから続けていくこと。 ②好き嫌いではなく、世の中に必要とされることを続けていく
前回、あなたが見つけたキーワードを、この2つに分類してみてください。多くの人達が、①②のどちらかだけを選んで行動してしまいます。しかし、ものごとを育てていくには、複数の視点を持ちバランス良く底上げしていく必要があります。大きく高い目標を手にしようとするならば、なおさらです。

そこで私は、①=好きなこと優先 ②=必要とされること優先 の2つの柱を設定し並行させて同時に実行していくことを、おすすめしています。不思議なもので、この2つを育てていく過程で「いつかどこかでクロスする瞬間」がやってくるものです。そこに後ほど解説する「③タイミング」という要素が加わることで、現実的に手応えを感じる段階にまで進むことができるようになります。

そしてなによりも、複数の視点を設置し同時に進めていくことは、これからの新しい時代に必要な考え方のひとつになると私は考えています。この部分はまた機会があれば別のところで書いてみたいと思います。 



①本目の柱「結果にこだわらず、好きだ…

【人生哲学】「欠点」が個性となり、「才能」に変わる瞬間。

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「本ばかり読んでないで、外で遊びなさい」「お前は、子供らしくないことを言うね。生意気って言われない?」

子供の頃は、そんなことを言われていたような気がします。

「文学の勉強しても、就職には役立たない」 「小説なんて、個人が好きに読めばいい。大学で勉強するようなものではない」

学生の頃は、そんなことを言われていたような気がします。

「小説家にでもなる気なのか?」 「文学なんか勉強すると、屁理屈ばっかり上手くなって困る」

社会人になってからも、そんなこと言われていたような気がします。

欠点が、私の「個性」になっていた。 ところが気がつくと私は、制作費をいただいて文章を書くようになっていました。人格者でも才気あふれる人間でもない私が、時には飛行機で移動をしながら、文章や文学のことを社会人や学生の皆さんの前で講義するようになっていたのです。

もしも今あなたの周りに「ひとこと、注意したくなる人」がいるならば、自分の価値観だけで切り取るのではなく、信頼感を胸に適度な距離を置いて接してみてください。 何気なく口にした「ひとこと」が、その人の可能性を大きく変えていくことがあります。それが子供や社会経験の少ない相手に対してならば、なおさらです。

あなたにとって「欠点」と感じることが、その人の「個性」であり「才能」となって、やがて世の中で活躍していくかもしれない。批判を口にする前に、そんな風に考えてみよう。子供はもちろん、大人と接する時にも。誰かを指導するような立場になった時には、とくに。教育の仕事に携わって約20年。多くの生徒を指導してきた経験を通して、今、私(佐藤)は、そんな風に考えています。
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☝筆者:佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者:佐藤のtwitter
佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【人生哲学】やりたいことを、見つけるには?

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痛い目に遭って、ようやく理解できる子供だった。 セミナーの質問の時に「佐藤さんは、どうやって『自分がやりたいこと』を見つけたのですか?」という質問を受けることがあります。どうやら私が、自分がやりたいことに向かって、迷いなくまっすぐ進んできた人間のように見えるようです。

残念ながら私は、人一倍試行錯誤繰り返してきた人間です。ただ、皆さんと少しだけ違う点があるとするならば、私は頭の中で考えるタイプではなく、考えたことを行動して実践してみないと気が済まない人間だった、ということだと思います。

大人に「これは危ないから、触ってはいけない」と言われると「どれほど危ないか、触ってみよう」と手を伸ばして、痛い目にあう子供がいますよね? 私はそんな子供でした。いつも本を読んでいて大人しくて臆病そうな雰囲気のくせに、好奇心は人一倍ある。実行してみて「たしかにこれは痛い!」と、体験してみないと納得できない子供だったのです。

私が20代〜30代前半だったころ 20代30代前半ぐらいまでは、この傾向が続いていたと思います。気になることが見つかった場合は、試してみたくて仕方がなくなる。寝食は後回し。もしくは食べながら、居眠りをしながらでも続けたい。

起業した初期の頃は、ワンルームのマンションを借りて事務所にしていたのですけれども、ひとりで作業を始めて「なんだか周囲が静かになったな」と時計を見てみると午前1時を回っていたこともよくありました。すでに周囲の人たちは寝ている時間ですから、それは静かになるわけです。

子供は、何か興味があることがあると、ご飯も食べずに好きなことを繰り返していますよね? 母親に「ご飯食べなさい!」と怒られても、黙々と目の前のことに取り組んでいる。ちょうどあんな感じです。たぶんそうやって、興味があることを調べて、試行錯誤をしている時間が好きだったのだと思います。

最近では「どうすれば少しでも長く休んでいられるだろう」と、考えるようになってきましたから、人間はだいぶ変わるものです。もしかすると、私のような凡人の場合は「一生のうちに、努力できる量」が決まっているのかもしれません。天才は「一生、努力を止めない人」なのかもしれません。

試行錯誤の中で、わかってくることがある。 さて、そのようにして試行錯誤していくうちに、自分の中で「これは楽しいな」とか「やって…

【漱石の言葉】火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。

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夏目漱石の手紙より
「あせっては不可ません。頭を悪くしては不可ません。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げることを知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。」

これは、夏目漱石が門下生である「芥川龍之介 久米正雄」に宛てた手紙の一文です。この当時、漱石は時代を代表する作家。のちに文豪になる芥川は大学を卒業したばかりの新人作家。血気盛んに文壇に足を踏みいれようとしている芥川にとって、師匠である漱石先生の「あせっては不可ません」という言葉は、深く心に染み渡ったであろうことは、想像に難くありません。
私(佐藤)が起業した時の話私(佐藤)も、若い時はせっかちで、考えたことをすぐに行動に移したくて、でも結果につながらなくて、ほんとうに焦りました。周りの同世代の人たちが、家庭を持ち安定した居場所を手にし始めている中、何ももっていない自分の姿を見ると「これでいいのか?」「もっと別の道があるのではないか?」と、夜も眠れず、昼間に居眠りをしながら考えたものです。
そんな時に、この漱石先生の言葉を思い出して「うんうん死ぬまで押すのだ」と、自分を奮い立たせていたことを思い出します。私は、才能がありませんから、芥川のような世界を驚かせるような仕事はできませんが、それでも「うんうん」やってこれたのは、この言葉を知っていたからだと思うのです。
未来をつくる 起業家・社会人・学生のみなさんへこれから新しい挑戦をする若手の起業家、社会人、学生のみなさんにも、この漱石の言葉を覚えておいていただきたいと思います。19年前の私がそうだったように、いつかどこかで心を奮い立たせる力になると思うからです。
人生は何かを成し遂げるには短すぎます。しかし、それでも私たちは「何か」を作り続けなければいけません。「一瞬の記憶」ではなく、少しでも遠くまで届くものを作っていきたい。そう願い、志す人には、きっと必要な言葉だと思うからです。
ちなみに、漱石はこの手紙を書いた数ヶ月後に亡くなってしまいます。49歳あまりにも早すぎる最期でした。しかし、100年以上も経過した今、この現代でも読み継がれる「言葉」となって生き続けています。あらためて漱石先生のすごさを実感したのでした。

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☝筆者:佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者:佐藤のtwitter
・今…

【人生哲学】質問「私は飽きっぽい性格なので、何をしても続きません。継続するコツを教えてください」

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継続するコツを教えてください以前セミナーの質疑応答の時間に、受講生の方から「私は飽きっぽい性格なので、何をしても続きません。先生のように継続するコツを教えてください」というような質問を受けたことがある。 
その時私は「自分に継続する力がある」とは思っていなかったので、戸惑いつつも頭の中をフル回転させて「他にできることがなかったので、できることに取り組んできただけです」と回答をした。 
これはこれで、正直な回答だったと思う。様々な能力がある人ならば「あれもできるかもしれない、これもできるかもしれない」と豊富な選択肢があるが故に、迷ってしまうと思う。 しかし私の場合は「自分ができることは限られている」ことがわかっていたので、そのことだけをやってきた。その結果として「継続できた」ということなのである。
「続ける事を目標」とするセミナーが終わってから、あらためて「継続する」ということについて考えてみることにした。そして「続ける事を目標としている」自分がいることに気がついた。
私は何かを始めるときに「1年は続ける」というように、期限を決めてから始めることが多い。そして、一度始めてからは「1年は続けると決めたのだから」と続けることだけに集中して進めていく。
質や内容にこだわると、続けることが難しくなる。もう少し時間をかけて考えて修正してタイミングをみて、などとやっていると何もできないままに時間が過ぎる。しかし「続けていることに意味があるのだ」と考えることができれば、取り組んでいることそのものに意味が感じられる。 女性を口説く時に「そこにいてくれるだけでいいんだ」を決めセリフにしている知人がいたが、つまりそういうことである。
起業して19年続いた理由たとえば、私は独立起業して19年目になるのだが、これから起業を考えている人からは「どうすればそんなに継続することができるんですか? なにか秘訣があるのですか?」というような質問が来ると思う。
結論から教えてしまうと「事業を継続する」ということを最優先事項にしてきたに過ぎない。何があっても続けるのだ、とすべてを犠牲にし、それに投資してきた結果、なんとか続いてきたにすぎない。
実際のところ、事業を継続するのは地道な時間の連続である。固定費を減らし、日の目を見ない企画を考え続け、外部との交渉もこまめに行っていく。そして、営業を繰り返し「これ、なんとな…

【人生哲学】3年の努力で「10年」食える

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ある起業家の「奥様」との会話今日は「3年の努力で10年食える」といった話をしてみたいと思います。今回お話しする内容は、私が独立起業して4年目に、ある社長の奥様から伺った話です。その方は、当時70代だったと思います。仕事の合間といいますか、休憩時間などに時々お話をさせていただいたりしていたんですね。
ある日、いつものように休憩していた時に、なぜそのような話になったのかは忘れてしまったのですが、私が「これから世の中はどのような方向に進むかわからないし、私のような小さなところは、いつどうなるかわかりませんよね。一瞬で吹き飛びますよね」と、いうような話題を口にしたのです。すると奥様は、
「佐藤さんは起業して何年目ですか?」
と、聞いてきたんですね。そこで私が「今年で4年目です」と答えると、即座に「もう大丈夫ですよ。10年は大丈夫ですよ」と断言して下さったのです。
「3年乗り越えられたら、10年大丈夫」もちろん奥様は、私のくわしい状況は全くご存知ありません。どのような生活をして、事業の状況がどうなっているのか、ということは全くわからないんだけれども「3年乗り越えられたら、もう大丈夫」と話して下さったのですね。その時私は「ああ、そうか大丈夫なんだ」と。何か具体的な理由や根拠があるわけではないけれど、この調子で精一杯がんばっていけば大丈夫なのかもしれない、と妙に落ち着いた気分になったことを覚えています。
そして実際に、今年で起業してから19年になるのですが、奥様の「10年大丈夫」という言葉通り、今日まで仕事を続けていくことができました。事業の方向性の検討や、震災の被害もありましたが、なんとか乗り越えることができました。実体験を通して、奥様の予言(?)を検証することができたのです。
10年乗り越えられる「意志力」が育っている今回、あらためて「あの時、奥様が私に教えたかったこと」は何だったのか、と考えてみました。もうご本人に直接は聞けないので、推測になりますけれども、おそらく「3年間、じっくりと下積みの期間を耐え忍んでくることができたのなら、そこから10年乗り越えられる意志力が育っている」と、いうことなのではないかと思います。
半年や1年程度の「下積み」では、どうしても底が浅くなります。しかし3年かけて継続することができたのなら、それなりに強い土台になっていきます。若い時は、焦ります。結果が出な…

【人生哲学】チャンスをつかめる人 つかめない人の違いとは?

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チャンスをつかめる人 つかめない人の違いとは?今回は「チャンスをつかめる人 つかめない人の違い」といった内容で考えてみたいと思います。私は今までに、起業家や経営者のみなさんと仕事をさせていただいてきたのですが、チャンスをつかんで業績を伸ばしていく人には「共通点」があるように感じていました。その一つが「常に準備ができている」ということだと思うのですね。
伸びていく人は、何か解決しなければいけないできごとがあると「この方法はどうでしょう」などと、すぐに提案して行動してくださるのですね。さらに準備が必要な事項でも、打ち合わせが終わった夜などに、企画書や資料などをすぐに用意して送付していただけるのです。なので、一緒に仕事をしていると「それで行きましょう」「今回は、こちらが良いのではないですか?」と具体的な回答ができるので、すぐに話がまとまっていくのですね。
そして「あの人は、すぐに対応してもらえる = 何かあったら相談してみよう」となり、次からもその人にお願いすることになります。いつでも行動できるように「常に準備ができている」これが、共通点のひとつだと感じています。
クリエイター志望のみなさんへ私たちのところには、時々クリエイター志望の人たちから売り込みの営業を受けたりもします。この時も「準備の段階」で勝負はほぼ決まっているものです。
チャンスをつかめる人は、最初の段階で「ポートフォリオ」をしっかりと準備しています。大きなファイルを抱えてきて、机の上に広げながら説明をしてくれるし、こちらの質問にもていねいに答えてくれます。作品を通してコミュニケーションがとれますから、短時間で多くの情報を共有できます。
ところが、「手ぶら」で何も準備せずにやってくる人もいるのです。ミュージシャン志望の人であれば「演奏」することで自分たちをアピールしますよね。クリエイターならば「作ったもの」でアピールしなければいけません。それがすべてです。「こんなことをやってみたい」と夢を語るのは大切ですが、仕事として受注したいのならば「何ができるのか」を具体的に提案する。そこが出発点であることを忘れてはいけません。準備で決まるのです。
チャンスは静かにやってきて、静かに去っていく以前私は「チャンスが来るときは、予感や気配のようなものがあるのではないか」と考えていました。ところが実際には、チャンスは静かにやってきて、静…

【人生哲学】人生は「ちいさな選択」の積み重ねで、できている。

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人生は「ちいさな選択」の積み重ねで、できている。
今回は「人生は小さな選択の積み重ねで、できている」という話をしてみたいと思います。今、人生という言葉を使ったんですけれども、人生と言われるとあまりにも広大で膨大でとらえどころがない、という印象受ける方が多いと思うんですね。
しかし、人生はちいさな選択の積み重ねでできている。ちいさな選択の集合体といいますか、それらを繰り返し、積み上げたものが「今の自分」なのだ、と考えると今までとは違った視点が生まれるんじゃないかなと思うんですね。
「文章を読む」という選択たとえば今みなさん、この文章を読んでいますよね。文章を読む以外にも、実際にはたくさんの選択肢があったと思います。音楽を聴くとかネットで何かを調べるとか本を読むとか、そのようなたくさんの選択肢の中から「この文章を読もう」という選択をした。
もしも、この文章を読まずに、本を読んでいたら、別の「発見」があったかもしれない。何もせずにゴロゴロするという選択もあった。ジョギングして身体を動かすという選択もあった。そして、そのような「小さな選択 = 発見」がきっかけになって、その後の流れが少しずつ変化することもあると思うんです。それが10年、20年経過すると「人生」と呼ばれるものになると思うんですね。
19年前の「自分」に説教したいこと今私は独立起業して19年経つのですが、起業して自分で仕事を選べるようになると「自分がやりたいこと」とか「自分が興味があること」だけを選んでしまうのですね。かっこいいことか、目立つような部分、大きな選択だけ意識してしまうのです。
小さな選択は目立ちません。なので、その時は重要性に気がつかないのですが、だいぶ時間が経過してからようやく「しまった、ここの部分を見落としていた」と、気がつくのです。大きな選択ひとつで人生が変化するのではなく、ちいさな選択をていねいに考えていくことが、大きくしっかりとした未来を育てていくのだ、だいぶ後になってからようやく気がつくのです。
もしも私が19年前に戻ることができたのならば、当時の自分に向かって「いいか。小さな選択の積み重ねが、大きな流れを作っていくのだ。目の前の小さな選択を考え抜けない人は、大きなことはできないぞ」と説教すると思います。たぶん、当時の私は耳を傾けられないと思いますが……結局、同じような選択を繰り返すような気もしま…

何歳になっても「伸びていく人」「伸び悩む人」の違いとは?【起業家の教え】

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「伸びていく人」「伸び悩む人」の違いとは?
「トーク力を身に付けたい」と考えている人に「確かにトーク力も重要です。ただ、あなたの場合は文章力を身につけた方がいいですよ。一見遠回りに見えますが、その方が伸びると思います」とアドバイスをして「なるほど、では文章力から鍛えてみます」と実行できる人は、まちがいなく伸びます。
たいていの人は実行できません。「オレは文章力ではなく、トーク力を磨いた方がいいはず」と考えを変えることができずに「あの先生はダメだ」と批判を始めます。そして「言い方がイヤ」「オレの方が歳上なのに、話し方が上から目線」「服装のセンスが悪い」などと、関係のない部分までも批判して「自分は間違っていない」という理由を集め始めます。
そして別の先生のところへ行く。最初はなんとなくよかったものの「あなたは文章力を身につけた方がいいですよ」と、同じ指摘をされる。批判を始める。そこをやめて先生を探す。このようなサイクルを繰り返してしまうのです。
先生と生徒の「気持ちのよいサイクル」これは極端な例ですが、もしかすると、同じような体験をしている方もいらっしゃるかもしれません。なぜ、そのようなことがわかるかというと、私は20年以上教育の現場で仕事をしてきたので、伸びる生徒と伸びない生徒の特徴がわかるからです。
伸びる生徒は「やってみます」と、演習を積み重ねます。半年後には一定の演習量を積み重ね、スキルアップを実現します。適切な指導ができる先生ならば、生徒の伸び具合に合わせて次の課題を提示したり、もっと才能を伸ばすために他の先生を紹介してくれたりするでしょう。たとえそこを離れたとしても互いに感謝の気持ちはつづくし「気持ちのよいサイクル」が生まれていくのです。
学生時代の「学習体験」にヒントありこのような記事を読んで「何か、気になる」ことを感じた方は、学生時代のことを思い出してみてください。中学生・高校生の頃を振り返り「成績が伸びた時、伸びなかった時」を思い返してみると、伸びた時は先生の指導を素直に実行していたし、伸びなかった時は「あの先生はダメだ」と批判を繰り返していたと思います。
(もちろん、間違った指導方法の先生もいるので客観的な判断は必要です。私も、学生時代は先生によく殴られました。あれは指導ではなく、個人的な感情を優先しただけだと思う。学生時代は先生を選べないので厳しいですね。先生…

【人生哲学】独立起業して19年目に「思い出した」言葉

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独立起業して19年目に「思い出した」言葉今年の6月で独立起業して19年目になった。今までは「今年で何年目だったかな」と適当に考えるくらいで、特に気にとめていなかった。ところが、なぜか今年は妙に「当時のこと」を思い出す時間が増えていた。自分にとってはめずらしいことだった。
若い頃は「昔話をするような大人には、なりたくない」とうそぶいていたし、セミナーなどでの自己紹介のような必要最低限の時以外は、あまり語ることはなかった。しかし、あまりにも頻繁に浮かんでくるので、もしかすると「当時を振り返るタイミングなのかもしれない」と考え、Youtubeに「起業した時の話」というような動画を公開することにした。
実際に録音してみると、30分を越える長さになった。そして話せば話すほど、当時の細かな部分が思い出されてきて「まだまだ話せる」ような感覚があった。おそらく自分で考えているよりも「起業した時のことを、話したかった」のだと思う。あまりにも辛い時間が続いていたので「思い出したくもない」と考えていたのだけど、それと同時に、どこか懐かしむような気分があったのだと思う。
・動画「私が20代で起業した時の話」は、こちら
今のところ、当時を振り返ってみて「あたらしい発見」のようなものはない。むしろ「もう少しがんばれたのではないか?」という反省点が思い浮かび、あまりよい気分にはなれない。それと同時に「あのころの経験が、今の自分」を形成していることも確実なことなので、失敗や成功というものは長いスパンで考えるべきものだな、とも思っている。
「想像できることは、かならず実現できる」ここまで書いてきて、ふと思い出した言葉がある。「想像できることは、かならず実現できる」というフレーズである。当時読んだ、マンガの台詞だったか、雑誌の記事だったのか、正確なことは忘れてしまった(なにせ19年も前のことなので、もはや確認することはできない)。
当時、このフレーズを目にした時の自分は「想像できれば、実現できるなんて、そんな簡単な話はない」と感じていたと思う。そんなことで実現できるのなら、いくらでも想像してやる、と鼻息を荒くしていたように思う。頼れるのは自分だけだ、と若さゆえの勘違いで起業した自分にとって、どこかリアリティを感じられなかったのだと思う。
あれからそれなりに長い時間が過ぎた。このフレーズを目にした私は、今こんな風に…

文学を勉強しても、意味がない?

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文学を勉強しても、意味がない?

以前、といってもだいぶ昔の話。僕が「大学で日本文学を勉強した」と自己紹介したことに対して「文学なんて個人が好きに読めばいい。わざわざ大学で勉強するものでもない」と、批判してきた人がいた。

その時僕は「いや、でもしかし・・・」と、戸惑いつつも言葉を返すことができなかった。今よりもずっと若く、理屈よりも感情の方が強かったし「この人は、どうしてわざわざそんなことを言うのだろう?」と不快感や、人前で批判されたという恥ずかしさもあり、冷静に考えることができなかったのだった。


文学作品を、研究するということは
先日、ある本(文学についての研究書籍)を読んでいて、ふとこの出来事を思い出した。そしてあらためて「文学作品について研究(考察する)こと」について考えてみた結果、今私はこんな風に考えている。

作品を読んで「どこかモヤモヤした」感覚になることがある。それは、作品に対して「自分が把握している言葉では、うまく説明できない感覚」を抱いたということだろう。そのモヤモヤをモヤモヤのままにして、作品を楽しむ人もいる。同じ作家の別の作品を読んで、モヤモヤの中を進んでいこうとする人もいる。

私は、どちらかというと「どうして自分は、この作品に〇〇を感じたのだろう」と、少し立ち止まって考える事が多い。そして文学(小説)だけでなく、映画や絵画において同じような事を考えてみたりもする。

そんな時、作品や著者について解説された書籍を読み、新しい情報や見解を得ることで「そういうことだったのか」と、霧が晴れていくような感覚になることがある。モヤモヤが言語化され、疑問が晴れていく爽快感(のようなもの)もある。そして作品を読み返してみる。納得したり、新しい視点が生まれたり、また別のモヤモヤが見つかる。

こうして出会った作品と解説のおかげで「ものごとに対する自分なりの見方」を育てていくことができたと思う。そこに社会に出て実体験を加えることで、今自分が取り組んでいるような仕事の基盤を作ることができている。これは間違いなく「そうだ」と言える。

必要とされているならば、そこには存在する意味がある。
文学作品を読む、ということは個人的な行為である。しかし私のように、読んだ作品に対して「わからないことを、もう少しわかるようになりたい」と感じてしまう人には解説してくれる人が必要になる。彼らは、私にとって不明な…