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【記念日】起業して、20年が過ぎました。

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7月で、私(佐藤)は 独立起業して20周年 を迎えました。そこで、ざっくりと20年間を振り返りつつ、私が実際に体験してきたこと(失敗談など)を音声で話してみました。文章でまとめるのではなく、思いつくままに語った方がリアルな内容になるのではないか、と考えて音声配信にしたのですが、どうでしょう?  今回、番組内で語っている内容は私が実際に経験してきた 【現実の20年間】 です。ドキュメント、というやつです。何か特別なノウハウや情報などはありませんし、涙を誘うような感動のストーリーも存在しません。現実というものは、意外にそんなものです。 しかしそんな普通の人間の話だからこそ、これから起業やフリーランスでの独立を考えている人、あたらしい挑戦を考えているみなさんにとって、何かしらのヒントになるのではないか。そのようなことを考えつつ、録音してみました。ぜひ耳を傾けていただき「 考えるヒント」 を見つけていただければ幸いです。 【内容】 ・私が起業した時の話(今から20年前) ・取材の依頼が飛び込んできた ・クリエイターとしての仕事を始める ・プレッシャーやトラブルで体調を崩す ・2011年 仙台で被災し失ったもの ・もう一度、当時に戻ったらどうする? 起業する? ・20年間、私を支えてくれた言葉「夏目漱石の手紙」 ・次の20年に向けて 【Youtube版】起業して、20年が過ぎました。 【Podcast版】起業して、20年が過ぎました。   ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【仕事】人前で、話すのが苦手(2)勝負は戦う前に決まる。

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人前で話すのが苦手(2)勝負は、戦う前に決まる 勝負は戦う前に決まる、という言葉があります。人前で話す時もおなじです。練習でできないことは試合でもできないように、準備の段階で充分に仕上げておかなければ現場で実行できるわけがありません。油断は禁物です。 ところが現場で 失敗してしまう人の多くが「準備不足」にある と、私は考えています。私の指導経験からお話ししますと「このくらい準備しておけば大丈夫!」と 自分で判断した段階 では、 40点ほどのレベルにまでしか仕上がっていない ものです。そのまま現場に立ってしまうと、予想外の状況に直面して頭の中が真っ白になってしまい、笑ってごまかしてその場を繕ってしまうような内容で終わってしまうことが多いのです。 30分の講演なら、1時間の準備をする。 私は塾講師をしていた時、新人講師の研修を担当していました。参加する新人講師のみなさんには「模擬授業」をやってもらい、アドバイスを行なっていくのですが、多くの講師が最初の模擬授業は「準備不足でボロボロ」で終わってしまいます。そして 「想像以上にうまく話せなかった自分 = 準備不足」と正面から向き合ってもらう ことが、最初のステップになるのです。 まずは「自分がOKを出した段階では、まだ半分の完成度」と自覚しながら、様々な角度から準備を進めていきましょう。 最初の段階では「2倍の準備」を目安に作業を進めて いって、ちょうど良いと思います。30分の講演時間ならば、1時間の内容で準備を進めていき30分に編集していくのです。ベースにそのくらいの情報量がないと、話術に長けた人でもない限り内容がスカスカか、自己満足の内容で終わってしまうでしょう。人前で話すのが苦手な人はまず 「準備だけは、誰にもまけない気持ち」 で、2倍の準備を心がけてください。 私が「新人講師」だったころ 私(佐藤)が新人講師だった頃は、授業のレジュメ(内容)を事前に資料にまとめて教室長にチェックしてもらっていたのですが、1時間の授業のために3時間ほどかけて準備を行なっていました。 そのくらい準備しないと不安になってしまう し、自分の指導力に自信があったわけではないので、新人の私ができることは 他の先生たちよりも準備の量を増やす ことくらいだったからです。 そのような準備を重ねることで 「このくらい準備をしたのだから、きっと大丈夫」

【仕事】失敗しても、人格は否定されていない。

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失敗しても、人格は否定されていない。 何かを表現するということは、自分自身を表現するということでもあります。それがアート作品のような表現を目的としたものではなく、仕事の企画に関することであったとしても、それは同じだと思うのです。 何日も、時には何ヶ月もかけて準備した企画は、そこには「自分(達)」の意思が込められています。いわば 自分の分身でもあり、家族のような思いを感じる人 も少なくないでしょう。 そのような企画を世の中に発表し、残念ながら失敗してしまった。全く反応が得られなかった。見てもらえない、無視されてしまった。そのような体験をした時は 「企画が失敗した」と感じる以上に「自分自身の人格を否定された = 私はダメな人間だ」と感じて落ち込んで しまうものだと思います。 私が「起業」した時の話 その気持ちは、本当によくわかります。あまり思い出したくない記憶なのですが(笑)具体例として私が「独立起業」した時の話をしてみたいと思います。 当時私は「学習塾」を経営していました。それまでも学習塾に正社員として勤務していたので、一通りのノウハウと体験はあるつもりでした。しかし、生徒募集の企画(広告)などを実行して失敗したとしても 「みんなで取り組んで失敗した = 責任が分散されるのでさほど深刻にならない」 で済んでいたように思います。何かしら自分以外の部分に理由をみつけて言い訳を考えることができたのです。 ところが 起業すると「すべてが自分一人の責任」 になります。すべてを自分で考え、チェックし実践するわけですから、失敗を自分一人で受け止められなくてはいけません。まるで 自分の考えや存在を、世の中から痛烈に批判されているような感覚。自分はここまでダメな人間だったのか、と「ほんとうの自分」と正面から強制的に向き合う時間 。それは、当時の私にとって(なによりも、若かったし)プライドそのものを打ち砕かれるような、痛烈な体験でした。 世の中の人たちは「人格を否定」している訳ではない しかし、世の中の人たちは 「プライド」を傷つけようとしているわけではありません 。ただ単に「あなたの商品(企画)は、未熟ですよ。もっと改良し工夫してください」と言っているだけのことです。 私たちは改善し、学び、世の中から注目されるような工夫を繰り返していけばいいのです。 失敗しても、人格は否定されて

【仕事】若手起業家が、はまりやすい「失敗」とは?

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自分の「アイデア」に酔っていないか? これから起業を目指している20代の方や大学生と話をしていると 「自分のアイデアに酔ってしまっている」 と感じることが少なくありません。「オレのアイデアは凄い!」と 「自分に対する自己評価」が高くなりすぎて、見落としてしまう部分が多くなってしまう のです。 もちろん、自己評価を高くして突っ走れるのも「若さ」の特権であります。私自身も20代で起業しましたが、自分の能力を過大評価しすぎていたため力不足に苦しみ、 ボコボコに叩きのめされました。 そこから「次こそは!」と這い上がれたのも、ありあまる「若さゆえの突進力」のおかげであることは事実です。 しかし、もしも私が起業した20代の頃に戻れるのならば「 自分のアイデア(能力)を過信するな。それだけに頼るな!」 と100回ほど繰り返すでしょう。「わかったよ。しつこいな!」と言われたとしても、さらに300回ほど繰り返すでしょう。 まずは「基礎」が8割 著名な成功者の自伝などを読むと、みな10代の頃から独自のアイデアを企画し、自由奔放なスタイルでそれを実現してきたことが書かれています。彼らの思考を学び自分に吸収しようとすることは、とても大切ですし積極的に取り込んでいきたいもの。しかし、彼らのように 「独自のアイデア」で成功できる人は、全体の数% でしょう。天才的な才能と実践量と運を味方にすることで成し遂げられる世界は、 簡単ではないからこそ注目され評価を受け書籍にもなる のです。 私も含め「普通の人間」がゼロから起業し伸ばしていくならば、まずは 「基礎」を徹底的に実践していく方が近道 です。 仕事は「お客様から、支払いをいただいて」はじめて結果 になります。どうすれば、お金をいただけるものを提供できるのか。何を扱い、学び、実践していけば、それを手に入れられるのかという「基礎」の部分に8割ほどの時間と労力を、スピードをつけて実践していくことが近道です。 基礎が8割 アイデアが2割 しっかりとした 「商売の基本」を実践を通して学び、お客様からの信頼を受けることができるようになってから、少しずつあたためていたアイデアを提供していく と(ほんとうに信頼関係ができているならば)ようやく耳を傾けてもらえるようになります。そこからが、腕の見せ所です。今まで磨いてきた「基礎」に「アイデア」を加えて、自分らしい

【仕事】これからは「自分を広告する」時代になる。

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A君からのメール 先日学生時代の同級生からメールが届いた。それには 「アマゾンで佐藤くんの本を見つけた。思わずメールをしてしまった」 というような内容が書かれていた。 彼(ここではA君とする)とは、特に親しかったわけではなかったし、卒業してからも数十年以上連絡を取っていなかったので、アマゾンで私の名前を目にしたことによほど驚いたのだろう。そして、懐かしくなった勢いで連絡をくれたのだろうと思う。 そこでふと考えてみたのだけれども、アマゾンで最初の一冊を公開したのは、今から十ヶ月ほど前のことになる。ものすごく売れた! ということはなかったのだが 「ビジネスライティング部門 3位」にもなり「まあまあ読まれたのでは」と、それなりにほっと していたような節もあった。 しかしA君のメールを読んだことで 「もっと広告しなければいけない」 と感じたのだった。この十ヶ月間で、直接連絡をくれたのはA君だけである。と、いうことは 「佐藤の本が、アマゾンにあるらしい」ということを、気がついていない友人知人が圧倒的に多い と、いうことでもあると思う。告知が必要なのである。 「自分を知ってもらう努力」 以前、ある先輩に 「佐藤君は、もっと自己アピールをしないといけない。技術を磨くのも大切だが、自分が何をできるかを知らせる努力をしなければいけない」 と注意を受けたことがある。 その当時(20代だった)の私は 「いい仕事をしていれば、自然と評価を受ける」 と考えていた。しかし、どんなに「いい仕事ができる力」を持ったとしても、それを知ってもらわなければ意味がない。知ってもらえなければ、理解してもらうことはできない。理解してもらってようやく「この人に何か頼んでみようか」と言うような気分が起きてくる。 天才のように圧倒的な才能があれば、自然と評価を受けるだろう。しかし私のような凡人の場合は「やがて評価してもらえる」と待っていては、どうにもならない。時間ばかりがすぎていく。「今までに何をやってきて、何をしたいのか」と広く告知していく。つまり 「自分を広告する」必要がある。 私は、 これからの時代は「会社名」ではなく「個人名」で仕事をするようになってくると考えてきた。 それは、私のように独立起業し個人で仕事をしている人だけではなく、会社に所属している人も同様である。 「この人に仕事を頼みたい」と評価を

【独学のすすめ】社会人になったら、勉強しよう

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すべり止めしか、合格できなかった・・・。 「今年で、独立起業して19年になります」というような話をすると「この人は、優秀な人なのだな。何か才能があったのだろう」と思われるかもしれません。しかし残念ながら、いろいろな所で話したり書いたりしていますけれども、私は決して エリートでも学歴があったわけでもなく、特別な才能に恵まれたわけでもありません。 集団行動も苦手なので、一番最後に登校して誰よりも早く下校するような、学校の先生からすれば扱いにくい生徒だったと思います。 そんな不真面目な生徒ですから、 高校受験も大学入試もことごとく失敗し両方とも滑り止めしか合格しませんでした。 学歴に関してはコンプレックスの塊のような学生時代だったのです。就職活動をする時も「こんな自分が、倍率の高い会社に就職できるわけがない」と考えていたので、挑戦するわけでもなく、適当に就職活動して採用されたところに勤めることにしたくらいです。おそらく、 この記事を読んでいる皆さんの方が、学校の勉強や成績は良かったと思います し、周りや先生からも期待を受けるような生徒だったのではないでしょうか。 社会人になってから「勉強の方法」が、わかるようになった。 そんな私が、ある程度仕事ができるようになったきっかけは 「社会人になってから勉強の方法が、わかるようになった」 からだと思います。そして「学ぶことのおもしろさ」を、ようやく体感できるように、なったからだと思うのです。 学校教育は、複数の科目を勉強しなければいけません。大量の情報を覚え、テスト会場で発揮できる人が評価されます。 地道なまじめさと、長時間の積み重ね学習が要求 されますから、自分のように気分にムラがあり、バイクを乗り回したり大音量でギターをかき鳴らすことが楽しかったような人間には、到底向いていません。 しかし社会人になってからは、自分の得意分野を徹底的に勉強することで、評価を得ることができます。「売り上げ」のように、明確なデータで自分が積み重なっていることを客観的に判断することができます。 一度失敗しても、もう一度勉強し直して挑戦することもできます。 「10回失敗」でも「1回成功」すれば「あの人は、できる!」と注目されます。20回失敗しても、2回成功すれば「あの人は、また成功した!」と言われたりもします。入試は一発勝負ですが、 人

「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」風姿花伝より

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「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず(風姿花伝)」 こちらは風姿花伝の中にある一文です。 「秘密にするならば花となり人を魅了する。秘密にせずに公開してしまうと、花ではなくなる」 このような解釈になるかと思います。 私が初めてこの一文を目にしたのは、高校生の時だったと思います。古文の資料の中にあったと思うのですが、初めてこの一文を見た時は「なるほどそうか」と。秘密は公開してしまうと力が失われていくものなのだ。一子相伝というけれど、やすやすと公開してはいけないのだな、と考えたことを覚えています。 先日、風姿花伝を読み返したところ、この一文のあとに、このような文章が続いていることに気がつきました。 しかれば秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。 (風姿花伝) 「秘事」と聞くと、とんでもなく 貴重な秘訣であり期待してしま けれども、実際には「たいしたことない」ものなのである。だからこそ 「秘密にしておく」ことそのものに意味があるのだ。 そのように解釈できると思います。 成功者しか知らない『秘密』があるのでは? 確かに、これは私自身にも 思い当たる体験 があります。私は「独立起業」した時、成功している経営者の人に会うたびに「うまくいく秘訣を教えてください」というようなことを質問したものです。この質問の背後に 「成功するには、その人たちしか知らない『秘密』があるのではないか」 という考えがあったからです。 ところが、私の質問に返ってくる言葉は「真面目にやること」というような 「普通のこと」 ばかりだったのですね。まさに「させることにてもなきものなり。」という感じです。当時に私は、そのような返事を耳にする度に 「たしかに、真面目が大切なことはわかる、でも本当の秘密は別にあるに違いないし、簡単に教えてはもらえないのだろう」 と感じていたものです。 しかし、実際のところ「真面目にやること」こそが「秘訣」であり本質なのです。経営者のみなさんは「秘訣を隠していた」わけではないのです。なので「 たいしたことないな」と思われるくらいならば、秘密にしておいた方がいい。そして、本当に理解できる人や、ここぞというタイミングに伝えた方がいい。 まさに、風姿花伝に書かれていたことを、実感したのでした。 そじて実際に、これから私が起業する若手のみなさんに質問されたとしても「真面目

【仕事】私が起業した時に考えていたこと「まずは、質より量をこなせ!」

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自分には「新しいもの」は作れない。 私が19年前に独立起業を考えた時の話です。以前、どこかに書いたかと思いますけれども、私は自分に 「発想力」や「企画力」があるとは考えていませんでしたし、シンプルで定番商品を好む方なので「目新しいものを作り出すことは、難しいだろう」 と考えていました。 そこで、自分の強みのようなものを探してみたところ、かろうじて見つかったのが 「仕事をこなすスピードが早い」 という事だったんですね。会社勤めをしている時も(出来栄えはともかくとして)私が最初に仕事を終えることが多かったからです。おそらく、要領といいますか、優先順位といいますか、 効率よく整理していくポイントを見極めるのが得意だったのではないか、と自己分析 してみたわけです。 「下手な鉄砲も、数打てばあたる」と、いうことで 自分が一週間かけて考えたアイデアでも、才能のある人なら一日で考えてしまうかもしれない。それならば 「質よりも量で勝負しよう」 と起業した当時の私は、そう考えました。下手な鉄砲も数打てば当たるといいますが、とにかく量で勝負するんだと。通常の3倍の量をこなしていけば、どれか1つは当たるんじゃないかな、とそんなふうに考えたんですね。 なので 「人の3倍作業する。質より量」をキャッチフレーズ にしました。恥をかくこともあると思うけれど、まずは恐れずにやってみよう。完成し、実践することを最優先として、圧倒的な数をこなしていくことを目標にしたのでした。 「予算がなければ、自分で作れ。そうすれば無料!」 当時、私が一番時間を費やしていたのが 「広告制作」 でした。どんなに素晴らしい商品を作っても、お客さんがいなければ売ることができません。売ることができなければ、利益を得ることができません。 まずは集客です。 そのためには「広告」が重要であり、限られた時間を投資していくには最適な作業だと考えたからです。 当時(つまり19年前)はインターネット広告はまだ黎明期でしたから(Google広告も、SEOという概念もまだ存在していません)広告といえば、新聞折り込み広告や、雑誌広告、ポスター、などを活用していくことになります。 物件を契約するだけで予算の多くが飛んでしまった私には、 広告もすべて手作業で自分で作っていく必要 がありました。私は、自宅のMacを使用して、す

【人生哲学】ある画家との会話 「迷った時に、どうするか?」

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ある画家の先生との会話 先日、連れの恩師(洋画家)の個展に行った。一通り作品を見せていただいてから、ギャラリーの横にあった椅子に腰掛けて休んでいると、先生がこちらにやってきて私の隣の椅子に腰をかけた。以前に何度かお話しさせていただいたこともあり面識もあったので、質問させていただくことにした。 私は先生に 「作品を作っていて、迷った時はどうするのですか」 と質問をした。先生は 「それはどのような状況についてですか?」 と慎重に確認された。私は自分の仕事の状況などを、簡単に説明させていただいた。先生の答えは明快だった。 「私なら、全部やります。どちらかを選択するのではなく、両方ともやりますよ」 その時、他のお客さんがやってこられ、先生はその方と話し始めたので、会話はそこで終了となった。時間にするとほんの数分だったけれども、重厚なご指導をいただいた感覚があった。 「めんどうくさい」は、成長を止めるキーワード 以前、ある経営者の方に 「30代は情熱を燃やして、前に進むことだけを考えなさい」 と、アドバイスを受けたことがあった。30代の頃の私は、折々にその言葉を思い出しながら、手と足を動かし続けることだけを考え、突き進んできたように思う。 ところが40代に入ったあたりで 「そろそろ効率的に、うまく立ち回って言うことも必要だな」 と、考えるようになっていた。浅い知識と経験を振り回しながら、分析を繰り返す時間が増えてきた。 一度、分析の側に立ってしまうと、制作(実践)の側に戻るのが面倒に感じられるようになる。面倒に感じるということは、変化や挑戦を(無意識に)避けてしまうということにつながる。それは油断と慢心を強めてしまう。 自分はいつの間にか「そちら側」に立っていなかったか?過去の個人的な体験が、未来の事象にも通用すると勘違いし、変化を体感することを避けてはいないか?そもそも、表現したいことを、きちんと表現できているのか? 机越しに交わす賢人との問答は、1ヶ月の読書と同じ価値がある 人生を100年と考えるなら、40代はまだ「折り返し」にも立っていない。50代は、情熱を燃やして全部やる、でいいのではないか? そう考えると、 なんだか新しい希望のようなものが、見えてくる ような感覚 があった。 現在進行形の制作物も、未発表のものも、これから制作

【仕事】「起業するって、大変ですか?」

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質問「起業するのって、大変ですか?」 私は、仕事などを通して出会った人達から 「起業するのって大変ですか? 自分にもできるでしょうか?」 というような相談を受けることがあります。そのような時私は次に紹介する「3つの質問」について考えてみることをおすすめしています。みなさんも、試してみてください。 1「働く時間は2倍で、収入は2分の1で生活できるか?」 2「今の職場で、1番になっているか?」 3「自分が『やりたいこと』を他者に説明できるか?」 このような質問をして「今の仕事の方がいいかもしれない」と感じるのであれば、 「今」は現在の仕事を一生懸命取り組んだ方が得るものが多い かもしれません。逆に「そんなの簡単ですよ。大丈夫ですよ!」と即答するようでも、 少し自分自身を見つめ直す時間が必要 かもしれません。 「え? じゃあ何が正解なの?」 と質問されたのならば、独立起業するということに、正解も不正解もない。今の自分が「どのような方向へ進んでいるか」を、注意深く観察しながら進んでいくしかない、と答えます。質問に対して即座に「これが答えだ」と(よくもわるくも)断定するのではなく、 少し立ち止まって考察してから回答を探す姿勢が必要 ではないかと思うからです。 答えをはぐらかしているように感じる人もいるかもしれませんが、これが実際のところです。そして、すでに起業している方には「ああ、うん、そうですよね」と共感していただけるのではないかと思います。 起業することは、だれでもできる。 はじめることは、誰にでもできます。 しかし、そこからどのように伸ばしていけるかが、腕のみせどころであり、勝負どころです。ところが多くの方が 「はじめるまで」には時間をかけるのに「そこからどうするか」には、あまり時間をかけていない ように感じます。 「やってみなければわからない。やりながら考えればいい」と嘯く人もいらっしゃいます。たしかに、やってみなければわからないのが人生です。しかし、 すでに多くの人が実践していて先人の知識や情報が蓄積しているというのに、 それを学び考察せずに始めるのは無謀です。 無謀と勢いの良さは、似ているようで土台が異なります。 実際に、独立起業して一度走り始めると、時間は一気に消費されていきます。立ち止まり、周囲を見渡す時間を見失うほどの強い勢いで前へ進みます。

【人生哲学】私が「書く」ようになった、きっかけ。(Nさんからのメール)

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文章を褒められたことは、一度もなかった。 私は、コピーライターという肩書きで仕事をしているということもあって 「子供の頃から文章を書くことが得意」 と思われることが少なくない。 ところが実際は、 文章書くことは得意でもなんでもなかった。 苦手でもないし嫌いでもないが、特に好きなわけでもない。作文で評価されたこともなければ、 国語の成績が一番わるかった というのが実際のところである。 なので、大学を卒業して就職活動をする時も、クリエイター系の仕事を志望することはなかった。自分にクリエーターとしての才能(能力)があるとは、全く考えていなかったからだ。あのような仕事をする人は、子供のころから評価を受け、 しかるべき才能がある人が進むものだ と思っていたからだ。 メル友「Nさんからのメール」 そんな私が 「文章を書くこと」 について、意識を向けるきっかけになった出来事がある。それはインターネットを始めた、今から大体20年ほど前のことである。 その当時私は、インターネットの掲示板で知り合った人たちと メールで情報交換することを楽しみにしていた (いわゆる『メル友』というやつだ)。日本全国に住んでいる人たちと、自分が好きなことについて情報交換ができる。周囲には共通のテーマで話せる相手がいなくても、インターネットを通せばたくさんの人達と同じ話題でやりとりができる。それに夢中になっていたのだった。 その中に、Nさんという女性がいた。彼女は、大学院で美術を研究していた人だったと記憶している。某作家の作品について情報交換したことがきっかけで、メールを交換するようになったのだった。 四月の上旬だった。彼女から 「そちらも桜が咲きましたか?」 とメールが届いた。私は帰宅する途中に目にした、桜の蕾がほころび始めた様子を書いて返信した。その文章を読んだNさんから返信が届いた。そこには 「前から思っていたけれど、佐藤さんは文章書くのが上手ですね。 その場に立っているような気分になりました 」 と書かれてあった。 新鮮な驚きが、背中を押してくれた。 驚いた。何が驚いたかと言って、文章を褒められたということに驚いた。私は今までに「自分が書いた文章を褒められたこと」などない。学校の先生には、赤ペンでザクサクと修正され 「〇〇が書いた作文を見せてもらえ。あんな風に書け!」 と

【名言】火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。【文豪・夏目漱石の手紙】

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夏目漱石の手紙より 「あせっては不可ません。頭を悪くしては不可ません。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げることを知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。」 これは、 夏目漱石が門下生である「芥川龍之介 久米正雄」に宛てた手紙の一文です。 この当時、漱石は時代を代表する作家。のちに文豪になる芥川は大学を卒業したばかりの新人作家。血気盛んに文壇に足を踏みいれようとしている芥川にとって、師匠である漱石先生の 「あせっては不可ません」という言葉は、深く心に染み渡ったであろう ことは、想像に難くありません。 私(佐藤)が起業した時の話 実際に私(佐藤)も、若い時はせっかちで、考えたことをすぐに行動に移したくて、でも結果につながらなくて、ほんとうに焦りました。周りの同世代の人たちが、家庭を持ち安定した居場所を手にし始めている中、何ももっていない自分の姿を見ると 「これでいいのか?」「もっと別の道があるのではないか?」 と、夜も眠れず、昼間に居眠りをしながら考えたものです。 そんな時に、この漱石先生の言葉を思い出して 「うんうん死ぬまで押すのだ」 と、自分を奮い立たせていたことを思い出します。私は、才能がありませんから、芥川のような世界を驚かせるような仕事はできませんが、それでも「うんうん」やってこれたのは、この言葉を知っていたからだと思うのです。 未来をつくる 起業家・社会人・学生のみなさんへ これから新しい挑戦をする若手の起業家、社会人、学生のみなさんにも、この漱石の言葉を覚えておいていただきたいと思います。19年前の私がそうだったように、 いつかどこかで心を奮い立たせる力 になると思うからです。 人生は何かを成し遂げるには短すぎます。しかし、それでも私たちは「何か」を作り続けなければいけません。 「一瞬の記憶」ではなく、少しでも遠くまで届くものを作っていきたい。 そう願い、志す人には、きっと必要な言葉だと思うからです。 漱石はこの手紙を書いた数ヶ月後に亡くなってしまいます。 49歳あまりにも早すぎる最期でした。しかし、100年以上も経過した今、この現代でも読み継がれる「言葉」となって生き続けています。あらためて漱石先生のすごさを実感したのでした。 関連 「人生哲学」に関する記事 「夏目漱石」に関す

【人生哲学】質問「私は飽きっぽい性格なので、何をしても続きません。継続するコツを教えてください」

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継続するコツを教えてください 以前セミナーの質疑応答の時間に、受講生の方から 「私は飽きっぽい性格なので、何をしても続きません。先生のように継続するコツを教えてください」 というような質問を受けたことがある。  その時私は「自分に継続する力がある」とは思っていなかったので、戸惑いつつも頭の中をフル回転させて 「他にできることがなかったので、できることに取り組んできただけです」 と回答をした。  これはこれで、正直な回答だったと思う。様々な能力がある人ならば「あれもできるかもしれない、これもできるかもしれない」と豊富な選択肢があるが故に、迷ってしまうと思う。 しかし 私の場合は「自分ができることは限られている」ことがわかっていた ので、そのことだけをやってきた。その結果として「継続できた」ということなのである。 「続ける事を目標」とする セミナーが終わってから、あらためて「継続する」ということについて考えてみることにした。そして 「続ける事を目標としている」自分がいる ことに気がついた。 私は何かを始めるときに「1年は続ける」というように、期限を決めてから始めることが多い。そして、一度始めてからは「1年は続けると決めたのだから」と 続けることだけに集中 して進めていく。 質や内容にこだわると、続けることが難しくなる。もう少し時間をかけて考えて修正してタイミングをみて、などとやっていると何もできないままに時間が過ぎる。しかし 「続けていることに意味があるのだ」と考えることができれば、取り組んでいることそのものに意味 が感じられる。 女性を口説く時に「そこにいてくれるだけでいいんだ」を決めセリフにしている知人がいたが、つまりそういうことである。 起業して19年続いた理由 たとえば、私は独立起業して19年目になるのだが、これから起業を考えている人からは「どうすればそんなに継続することができるんですか?  なにか秘訣があるのですか? 」というような質問が来ると思う。 結論から教えてしまうと 「事業を継続する」ということを最優先事項にしてきた に過ぎない。何があっても続けるのだ、とすべてを犠牲にし、それに投資してきた結果、なんとか続いてきたにすぎない。 実際のところ、事業を継続するのは地道な時間の連続である。 固定費を減らし、日の目を見ない企画を考え続け、外部との交渉

【人生哲学】3年の努力で「10年」食える

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ある起業家の「奥様」との会話 今日は「3年の努力で10年食える」といった話をしてみたいと思います。今回お話しする内容は、私が 独立起業して4年目に、ある社長の奥様から伺った話 です。その方は、当時70代だったと思います。仕事の合間といいますか、休憩時間などに時々お話をさせていただいたりしていたんですね。 ある日、いつものように休憩していた時に、なぜそのような話になったのかは忘れてしまったのですが、私が「これから世の中はどのような方向に進むかわからないし、私のような小さなところは、いつどうなるかわかりませんよね。一瞬で吹き飛びますよね」と、いうような話題を口にしたのです。すると奥様は、 「佐藤さんは起業して何年目ですか?」 と、聞いてきたんですね。そこで私が「今年で4年目です」と答えると、即座に 「もう大丈夫ですよ。10年は大丈夫ですよ」 と断言して下さったのです。 「3年乗り越えられたら、10年大丈夫」 もちろん奥様は、私のくわしい状況は全くご存知ありません。どのような生活をして、事業の状況がどうなっているのか、ということは全くわからないんだけれども 「3年乗り越えられたら、もう大丈夫」 と話して下さったのですね。その時私は「ああ、そうか大丈夫なんだ」と。何か具体的な理由や根拠があるわけではないけれど、この調子で精一杯がんばっていけば大丈夫なのかもしれない、と 妙に落ち着いた気分になったこと を覚えています。 そして実際に、今年で起業してから19年になるのですが、奥様の「10年大丈夫」という言葉通り、今日まで仕事を続けていくことができました。事業の方向性の検討や、震災の被害もありましたが、なんとか乗り越えることができました。 実体験を通して、奥様の予言(?)を検証 することができたのです。 10年乗り越えられる「意志力」が育っている 今回、あらためて 「あの時、奥様が私に教えたかったこと」 は何だったのか、と考えてみました。もうご本人に直接は聞けないので、推測になりますけれども、おそらく「3年間、じっくりと下積みの期間を耐え忍んでくることができたのなら、 そこから10年乗り越えられる意志力が育っている 」と、いうことなのではないかと思います。 半年や1年程度の「下積み」では、どうしても 底が浅くなります 。しかし3年かけて継続することができたのなら、それなりに

【人生哲学】チャンスをつかめる人 つかめない人の違いとは?

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チャンスをつかめる人 つかめない人の違いとは? 今回は 「チャンスをつかめる人 つかめない人の違い」 といった内容で考えてみたいと思います。私は今までに、起業家や経営者のみなさんと仕事をさせていただいてきたのですが、チャンスをつかんで業績を伸ばしていく人には「共通点」があるように感じていました。その一つが 「常に準備ができている」 ということだと思うのですね。 伸びていく人は、何か解決しなければいけないできごとがあると「この方法はどうでしょう」などと、すぐに提案して行動してくださるのですね。さらに準備が必要な事項でも、打ち合わせが終わった夜などに、 企画書や資料などをすぐに用意して送付していただける のです。なので、一緒に仕事をしていると「それで行きましょう」「今回は、こちらが良いのではないですか?」と具体的な回答ができるので、すぐに話がまとまっていくのですね。 そして 「あの人は、すぐに対応してもらえる = 何かあったら相談してみよう」 となり、次からもその人にお願いすることになります。 いつでも行動できるように「常に準備ができている」 これが、共通点のひとつだと感じています。 クリエイター志望のみなさんへ 私たちのところには、時々クリエイター志望の人たちから売り込みの営業を受けたりもします。この時も 「準備の段階」で勝負はほぼ決まっている ものです。 チャンスをつかめる人は、 最初の段階で「ポートフォリオ」をしっかりと準備 しています。大きなファイルを抱えてきて、机の上に広げながら説明をしてくれるし、こちらの質問にもていねいに答えてくれます。 作品を通してコミュニケーションがとれますから、短時間で多くの情報を共有 できます。 ところが、 「手ぶら」で何も準備せずにやってくる人もいる のです。ミュージシャン志望の人であれば「演奏」することで自分たちをアピールしますよね。クリエイターならば「作ったもの」でアピールしなければいけません。それがすべてです。「こんなことをやってみたい」と夢を語るのは大切ですが、 仕事として受注したいのならば「何ができるのか」を具体的に提案する。 そこが出発点であることを忘れてはいけません。準備で決まるのです。 チャンスは静かにやってきて、静かに去っていく 以前私は 「チャンスが来るときは、予感や気配のようなものがあるのではないか」

【人生哲学】人生は「ちいさな選択」の積み重ねで、できている。

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人生は「ちいさな選択」の積み重ねで、できている。 今回は 「人生は小さな選択の積み重ねで、できている」 という話をしてみたいと思います。 今、人生という言葉を使ったんですけれども、人生と言われるとあまりにも広大で膨大でとらえどころがない、という印象受ける方が多いと思うんですね。 しかし、 人生はちいさな選択の積み重ねでできている。ちいさな選択の集合体といいますか、それらを繰り返し、積み上げたものが「今の自分」なのだ 、と考えると今までとは違った視点が生まれるんじゃないかなと思うんですね。 「文章を読む」という選択 たとえば今みなさん、この文章を読んでいますよね。文章を読む以外にも、実際にはたくさんの選択肢があったと思います。音楽を聴くとかネットで何かを調べるとか本を読むとか、そのようなたくさんの選択肢の中から 「この文章を読もう」という選択 をした。 もしも、この文章を読まずに、本を読んでいたら、別の「発見」があったかもしれない。何もせずにゴロゴロするという選択もあった。ジョギングして身体を動かすという選択もあった。そして、そのような 「小さな選択 = 発見」 がきっかけになって、その後の流れが少しずつ変化することもあると思うんです。それが 10年、20年経過すると「人生」と呼ばれるものになる と思うんですね。 19年前の「自分」に説教したいこと 今私は独立起業して19年経つのですが、起業して自分で仕事を選べるようになると「自分がやりたいこと」とか「自分が興味があること」だけを選んでしまうのですね。かっこいいことか、目立つような部分、 大きな選択だけ意識してしまう のです。 小さな選択は目立ちません。 なので、その時は重要性に気がつかないのですが、だいぶ時間が経過してからようやく「しまった、ここの部分を見落としていた」と、気がつくのです。 大きな選択ひとつで人生が変化するのではなく、ちいさな選択をていねいに考えていくことが、大きくしっかりとした未来を育てていくのだ 、だいぶ後になってからようやく気がつくのです。 もしも私が19年前に戻ることができたのならば、当時の自分に向かって「いいか。小さな選択の積み重ねが、大きな流れを作っていくのだ。 目の前の小さな選択を考え抜けない人は、大きなことはできないぞ 」と説教すると思います。たぶん、当時の私は耳を傾けられないと

何歳になっても「伸びていく人」「伸び悩む人」の違いとは?【起業家の教え】

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「伸びていく人」「伸び悩む人」の違いとは? 「トーク力を身に付けたい」と考えている人に「確かにトーク力も重要です。ただ、あなたの場合は文章力を身につけた方がいいですよ。一見遠回りに見えますが、その方が伸びると思います」とアドバイスをして「なるほど、では文章力から鍛えてみます」と実行できる人は、まちがいなく伸びます。 たいていの人は実行できません。「オレは文章力ではなく、トーク力を磨いた方がいいはず」と考えを変えることができずに「あの先生はダメだ」と批判を始めます。そして「言い方がイヤ」「オレの方が歳上なのに、話し方が上から目線」「服装のセンスが悪い」などと、 関係のない部分までも批判して「自分は間違っていない」という理由 を集め始めます。 そして別の先生のところへ行く。最初はなんとなくよかったものの「あなたは文章力を身につけた方がいいですよ」と、同じ指摘をされる。批判を始める。そこをやめて先生を探す。このような サイクルを繰り返してしまうのです。 先生と生徒の「気持ちのよいサイクル」 これは極端な例ですが、もしかすると、同じような体験をしている方もいらっしゃるかもしれません。なぜ、そのようなことがわかるかというと、 私は20年以上教育の現場で仕事をしてきたので、伸びる生徒と伸びない生徒の特徴がわかる からです。 伸びる生徒は「やってみます」と、演習を積み重ねます。 半年後には一定の演習量を積み重ね、スキルアップを実現します。適切な指導ができる先生ならば、 生徒の伸び具合に合わせて次の課題を提示したり、もっと才能を伸ばすために他の先生を紹介 してくれたりするでしょう。たとえそこを離れたとしても互いに感謝の気持ちはつづくし 「気持ちのよいサイクル」 が生まれていくのです。 学生時代の「学習体験」にヒントあり このような記事を読んで「何か、気になる」ことを感じた方は、 学生時代のことを思い出してみてください。 中学生・高校生の頃を振り返り「成績が伸びた時、伸びなかった時」 を思い返してみると、伸びた時は先生の指導を素直に実行していたし、伸びなかった時は「あの先生はダメだ」と批判を繰り返していたと思います。 (もちろん、間違った指導方法の先生もいるので客観的な判断は必要です。私も、学生時代は先生によく殴られました。あれは指導ではなく、個人的な感情を優先しただけだと思う

【佐藤の文章講座】アイデアは一瞬で消え去る。手書きメモのススメ

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メモのススメ アイデアの多くは、 日常生活のふとしたタイミングに突然訪れる。 Macの前に座って「さあ、書くぞ!」という時に、都合よく思いつくということはありません。そして大抵の場合、道を歩いている時、車を運転している時、風呂に入っている時、など、突拍子もない時に思いついたりします。 そして「よし、これはおもしろそうだ!」と考え、あとであらためて考察してみようと考えていると、 ものの数分くらいで綺麗さっぱりと忘れてしまいます。 「あれは何だったかな?」と、ひらめいたアイデアを思い出そうとしている時の喪失感といいますか、もったいない(実際は、たいしたアイデアではない場合も多いのですが)気分でいっぱいになります。みなさんも同じような体験があるのではないでしょうか? だから「メモ」する そのような「もったいない感」を覚えなくてもいいように、私の場合は 「メモ」を小まめにとる ようにしています。移動中ならば、安全な場所に立ち止まるまで、忘れないように何度も頭の中で繰り返します。手帳に書き留めると、ほっと安心します。それでも、タイミングがあわなくて、メモをするのがすこし遅れたりするだけで、あっというまに消え去ることもあります。 どうしてこんなに忘れやすいのだろう 、と自分の記憶力の弱さにあきれてしまうことは、しょっちゅうです。 そして不思議なもので、私の場合、 メモをしてしまうと(メモをした瞬間?)内容を忘れてしまいます。 安心するからなのか、全くきれいさっぱりと意識から消えてしまいます。1年前の手帳を読み返してみた時に「これはどうやって発想したのだろう」とか「なんでこんなこと思いついたんだろう」と考えることがよくあります。 昔は、あまりにも覚えていないことが多いので、自分はどこかに欠陥があるのではないか、とさえも思いました。しかし最近では、そんな風に「覚えていない」ことで、 手帳を読み返した時に新鮮な気持ちで接することができる ため、 新しいアイディアへの発展とか、別の要素得組み合わせることで、思っていたよりも良いものになったりする場合があるので、これでいいのかな、と考えてもいます。その分、 メモをする時にしっかりと書いておけばいい と思っています。 メモは手書きか? スマホか? ちなみに、 メモは手書きの方が良い ような気がします。他の所でも解説しているので詳細は省きます

【佐藤の文章力講座】情報収集の方法とは?

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【佐藤の文章力講座】情報収集の方法とは? 前回の記事 で 「ひらめきは、情報と経験量に比例する」 ということを書きました。おそらくみなさんの頭の中には「では、 どうやって情報を集めていけばいいのですか? 」という質問が浮かんでいると思います。 すこし厳しめの回答になりますが 「どうやって情報を集めれば」というような質問をするようでは成長が望めない 、ということになるのではないかと思います。まるで呼吸をするように意識することなく、すべての事象から「アイデアの種」を拾い続けていく、ということだからです。 日常のできごとに「アンテナ」を立て続ける 実際に、私の周囲の「アイデアがひらめく人たち」は、 日常生活のほとんどを情報収集にあてアンテナを立てている のですね。生活していると、様々な情報(できごと)に遭遇しますが、それらの中に「興味をひくものはないか?」と常に意識を向けています。 たとえば、知人のデザイナーと一緒に移動していたとします。すれ違った人が「ちょっと変わったデザインのTシャツ」を着ていたので「さっきのTシャツ見ました?」と話しかけると「見ました。キャラクターが履いていた靴の色がかわいいヤツですよね」のような答えが返ってきます。 私は「ちょっと変わったTシャツ」というレベル でしか見ていませんが、 デザイナーは細やかな部分まで観察し情報収集 しています。そして「あのTシャツのブランド、私も好きなんです」とブランド名を教えてくれたりもします。次回に会った時に、そのTシャツを着ていて「あっ!それは!」「いいでしょ?」と、話題を作ってくれたりもします。 目が出ない「アイデアの種」の方が多い もちろん、そのような「アンテナ」を立てて集めた情報が、すぐに仕事に活かせるわけではありません 。ほとんどの情報が普段は「眠っている」状態 ですし、活用したとしても「不採用」になる確率の方が圧倒的に多くなります。 そして実際のところ 「ひとつの情報が、そのまま大きなアイデアになる」 ということは、ほとんどありません。きっかけになることはありますが、そこは出発点で試行錯誤が始まり、あれだこれだ、修正だ、変更依頼だ、などと雑多な作業を積み重ねた先に「いいアイデアですね」とまとまることが多いのです。そうやって拾った種を「どのように育てていくか」が力のみせどころです。 だからこそ「情報収集す