【夏目漱石 こころを読む】急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。【文豪の名文に触れる】



今回は、夏目漱石「こころ(上 先生と私)」から、先生と私が会話をしている場面を紹介します。


「君の兄弟は何人でしたかね」と先生が聞いた。
 先生はその上に私の家族の人数を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔母の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。
「みんな善い人ですか」
「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者ですから」
「田舎者はなぜ悪くないんですか」
 私はこの追窮に苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
 先生のいう事は、ここで切れる様子もなかった。私はまたここで何かいおうとした。すると後の方で犬が急に吠え出した。先生も私も驚いて後ろを振り返った。

【夏目漱石 こころより】


「私」の父親は、体調を崩しあまり良くない状態です。それを知った先生は「父親が元気なうちに、財産を整理してもらった方がいい」と提案をします。

主人公は、なぜ先生がそのような話をするのかわかりません。いつものような雑談だと考えつつも、その背後に「どこか普段とは違った気配」を感じますが人生経験の少ない主人公にはそれを理解することができません。

後半の「下 先生と遺書」で、なぜ先生がこのような話をした理由があかされるのですが、そこには先生自身の辛い過去の体験が存在していたことを「私」は把握します。先生は雑談などではなく、自らの人生で学んだ教訓として語りかけていたのでした。そして、主人公が「それ」を理解するのは、先生が亡くなってしまってからなのです。

「こころ」=「恋愛小説」ではない?


「こころ」という作品は「先生= K = お嬢さん」の三角関係の恋愛小説だと考えている方も、少なくないかと思います。もちろん「三角関係」というモチーフが「こころ」という作品が読み手の心を捉える重要な役目を担っていることは、まちがいありません。

しかし私は「こころ」という作品は「恋愛」だけではなく「人のこころ」について、様々な角度から考察された作品だと考えています。

「人のこころ」は、どのようなものなのか。ずっと信じて守ってきたことが、あるできごとをきっかけに「一瞬で変化してしまう」ような、はかなくも弱いもの。それでいて、世の中を変えていくような強い意志と力を生み出してくれる存在。そんな「こころ」とは、いったいどのようなものなのか?

夏目漱石が「こころ」について考察したことを、物語(恋愛)を通して表現している作品だと私は考えています。つまり「恋愛小説」ではなく、恋愛を通して「人のこころ」をとらえようと試みている作品ということです。

なぜ「恋は罪悪」なのか?


しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか

【夏目漱石 こころより】

みなさんも、どこかでこの一文を目にされたことが、あるかと思います。とても鮮烈な言葉ですから、このような一文も「こころ=恋愛について書かれた作品」という印象を強めているように感じます。

しかし、もう一歩だけ言葉の奥へ踏み込んでいき「なぜ恋は罪悪なのだろう? このような考えに到達した『先生』の背後には、どのような物語が存在しているのだろう」などと、思いつくままに掘り下げてみていただきたいと思います。このような過程の中に「小説を読むおもしろさ」のひとつが隠れていると、私は考えているからです。

読み手の数だけの答えがあり、あたらしい発見があります。年齢と経験を重ねることで、読み取れる内容にも変化が起こってくるでしょう。そしてなによりも「今のあなたに必要な考えるヒント」を、見つけることができるはずです。

もう一度「こころ」を読んでみてください。そして、何か面白いことが見つかったのならば教えてください。その時を楽しみにしています。

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