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【Youtube 佐藤ゼミ】「あなたも淋しい人間じゃないですか。」 【夏目漱石 こころ】

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今回は、 夏目漱石「こころ」 より、先生が「淋しさ」について話している場面を紹介します。興味を持った方は、ぜひ作品を手にとって読書を楽しんでみてください。 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ☑: ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ

【Youtube 佐藤ゼミ】強情さえ張り通せば、勝った気でいる 【吾輩は猫である 夏目漱石】

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今回は「吾輩は猫である(夏目漱石)」の一場面を紹介します。興味をもった方は、ぜひ作品を読んでみてください。後半は、函館で「名探偵コナン」の聖地巡礼をした話をしています。 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ☑: ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ

【Youtube 佐藤ゼミ】漱石先生、メリーゴーランドにのる!?【文豪エピソード】

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今回の【佐藤ゼミ】では「夏目漱石先生の追憶(寺田寅彦)」より、夏目漱石がメリーゴーランドに乗ったエピソードと、寺田寅彦の師匠・夏目漱石への信頼と愛情が感じられる文章を紹介します。 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ✒ 【Youtubeチャンネル】佐藤ゼミ ☑: ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ」

【Youtube 佐藤ゼミ】夏目家の「福猫」(夏目鏡子 漱石の思い出より)

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夏目漱石の小説といえば「吾輩は猫である」を思い浮かべる人も多いかと思います。そして実際に夏目家では「猫」が飼われていました。今回の【佐藤ゼミ】では「 夏目鏡子 漱石の思い出 」より、夏目家で飼われていた「猫」についてのエピソードを紹介します。 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ✒ 【Youtubeチャンネル】佐藤ゼミ ☑: ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ」

【文学クイズ】夏目漱石 小説の書き出し文(一問一答)

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夏目漱石の「中・長編小説」の書き出し文 を、一問一答形式で紹介します。 「作品の冒頭文」→「作品名」 の順に読み上げていきますので、頭の中で答えわせをしながら楽しんでみてください。 あなたは、何作品答えられるでしょうか? ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。ぜひご視聴ください。そして何か気になる作品がありましたら、チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ」

【夏目漱石 虞美人草より】苦手な人に、どう向き合うか?(名作文学に学ぶ)

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愛嬌と云うのはね、――自分より強いものを斃す柔かい武器だよ。 (夏目漱石 虞美人草) 今回の「佐藤ゼミ」では「夏目漱石 虞美人草」から引用して紹介します。意見を強く押し付けてくる相手に対し、職場や生活の中で弱い立場の人、繊細な心の人たちはどのように向き合っていけば良いのか? 読んでいると心に響いてくる一文ですね。 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。ぜひご視聴ください。そして何か気になる作品がありましたら、チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ」

【文学】夏目漱石「私の個人主義」を読む

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夏目漱石「私の個人主義」より、本当の「個人主義」とは何か? 権力と資金力を手にした人間に必要な考えについて解説します。  「私の個人主義」は、大正三年に漱石が行った講演録です。100年以上前の作品ですが、現代を生きる私たちにも必要な視点が示唆されている名作です。経営者、組織のリーダーとなる人、これからの時代を作る若い世代のみなさんに、おすすめします。 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。ぜひご視聴ください。そして何か気になる作品がありましたら、チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ」

【夏目漱石の手紙】不愉快なものを避けずに、飛び込め。【文学講座】

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世の中は自己の想像とは全く正反対の現象でうずまっている。 夏目漱石 鈴木三重吉への手紙より 世の中は想像していものとは異なり、汚いもの、不愉快なもの、嫌なもので溢れているかもしれない。しかし、それを避けずに飛び込んでいかなければならない。文豪・夏目漱石が門下生、鈴木三重吉に宛てた手紙の一節を紹介します。 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。ぜひご視聴ください。そして何か気になる作品がありましたら、チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ」

【名言】功業は百歳の後に価値が定まる。【夏目漱石の手紙より】

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今回、紹介するのは夏目漱石が門下生の森田草平に宛てた手紙です。森田草平は自分の出生に関する悩みを抱えていました。それがコンプレックスになっていて、先に進むことができなかったため、その悩みを漱石に手紙で相談することにしたのです。 その手紙を読んだ漱石は、森田に返信の手紙を書きます。そこに『私の知人に君と同じような境遇の人がいる。そして彼らはみんな成功している。だから君もきっと乗り越えられる。そして成功した時に、その不幸を乗り越えることができるだろう。君の人生はこれからだ。堂々と進んで行きなさい』と返信します。そして、 功業は百歳の後に価値が定まる。 このような一文を続けていくのです。つまり『仕事の評価は、10年20年で決まるものではない。本当の評価というものは100年後に決まるものだ。だから、100年後の人に評価されるような気持ちで堂々と仕事していきなさい』と伝えていくのです。そして、 余はわが文を以て百代の後に伝えんと欲するの野心家なり。 と続けていきます。つまり『私(漱石)は自分が書いた文章が時代を越えて、ずっと先の人たちに伝わって欲しいと願っている。そのような野心を持っている』と、作品を書いていく時の強い志を森田に伝えていくのです。 漱石先生の願い通り、私たちは今でも漱石の作品を読んでいます。100年以上前に書かれた作品を、感動したり考えさせられたりエネルギーをもらったりしながら、何度も読み読み続けています。あらためて「文章」が持つ可能性のすごさ。そして、高く強い志を持って表現していくことの大切さを感じますね。 つづきはYoutube【佐藤ゼミ】で↓ ✏参考文献:  漱石書簡集(岩波文庫) ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。ぜひご視聴ください。そして何か気になる作品がありましたら、チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ」

【夏目漱石】座右の銘を教えてください。(文豪エピソード)

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夏目漱石のところに「文芸雑誌」の編集部から 「文学を志している青年に向けて『座右の銘』となるものを教えてください」 とアンケートの依頼がきました。この依頼に対して、漱石先生はどのような返信をしたのでしょうか? 坐右の銘と申すほどのいい訓戒になるやうなものはまだ考へる事がありません。持ち合せは無論ありません。それ故一寸書けません。 「文学に志す青年の座右銘 より」 「座右の銘」というようなものは考えたこともないし、持ち合わせはもちろんない。なのでちょっと書けませんね。このように返信しているのですね。漱石先生、 頑固といえばかなり頑固ですけれど、正直な人だなとも思います。 夏目漱石らしいというか、個人的に親しみを感じる内容だったので今回紹介しました。 なぜ漱石は、このような返信をしたのか? 私なりに勝手に想像してみますと、おそらく漱石は、若いうちは座右の銘のように『何かしらの指針』を気にしたり目標とするのではなく、気になったこと、良いと思ったことを、どんどん書いていったほうがいいんだよ、と考えていたのではないかと思います。 芥川龍之介と久米正雄に宛てた手紙の中にも 「周りは気にしないで、ずんずん進みなさい」 という内容の文章がありますが、そのような態度としてこのような返信をしたのではないか? などと 深読み をしてみたりもします。 そして、この返信が届いた編集部は、どのように考えたのでしょうか。「漱石先生からこんな返信が来ました」「これは、どうしようかね」「もういいよ、このまま掲載してしまおう」と、そんな感じだったのでしょうか? 編集部の慌てぶりといいますか舞台裏などを加想像すると、また面白いですね。 つづきは「Youtube」で↓ 【佐藤ゼミ 漱石先生「座右の銘」を教えてください】 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ ✏  Amazonで「夏目漱石全集」を探す 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。ぜひご視聴ください。そして何か気になる作品がありましたら、チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オン

夏目漱石が教える「伝わる話し方」とは?

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自分の考えを誰かに説明する、伝えるのは難しいですよね。自分では一生懸命準備をして、情熱をこめて説明したつもりなのに、後で確認してみると全く理解してもらっていなかった。そのような体験をしたことある人も少なくないと思います。 今回は 夏目漱石が「自分の考えを他人に理解してもらうために必要な事」 という内容で説明している一節がありますので、そこを抜粋して紹介したいと思います。 まず最初に漱石は 「自分の頭に浮かんだことをそのまま誰かに伝えたとしても、決して理解してもらえるものではない」 と説明します。それならば、理解してもらうためにはどうしたら良いかといいますと・・・。 丁度学校の講義だとか外国の書物などに能くある通り、判り切た事を幾度も繰返す。もう大抵でよせばよいと思う程に馬鹿馬鹿しくくだらぬ事を明細に説明して居る。併し之は事理を人に知らしめんとするには皆此の様にせねば人をして能く理解せしむる事が出来ぬからであつて、自分の思ひ付きを人に知らしむる為めには是非必要な事である。単に其骨子丈けを云ふても解せらるるものでない。 (夏目漱石「物の関係と三様の人間」より) 自分の頭に浮かんだことを、ただ一度話したところで理解してもらえるようなものではない。学校の授業や外国の書籍のように、 わかりきったことを何度も何度も繰り返し粘り強く説明する必要がある。 自分の考えを理解してもらうためには、そのようなことが必要になる。単にポイントだけを話しただけでは理解してもらえないんだよ、と解説しているんですね。 このアドバイスには、私も非常に共感するところがあります。私は20年以上、教育に関する仕事をしてきました。今までに数百回以上、授業や講義をしてきたのですが、最初の頃は自分なりに準備をして授業をしたにもかかわらず、なかなか生徒に理解してもらえなくて試行錯誤を繰り返していたんですね。 そこで 「大切なところを何回も繰り返す」という授業のスタイルに切り替えてから 、生徒の理解度が向上してきたという体験があったのです。まず授業の最初に「今回の授業のテーマ(ポイント)」を説明してから、実際に問題を解いてもらう、テストをする、生徒に内容を復唱してもらう、など、様々な角度や方法でポイントを授業の中で繰り返していくのですね。このような私の授業スタイルと、漱石先生のアドバイスとの間には少し共通点

夏目漱石の小説執筆術「人工的インスピレーション」とは?

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文章を書く時に 「何かよいアイディアはないか? インスピレーションがひらめく方法はないかな?」 などと考えてしまうことがありますよね。そこで今回は、文豪・夏目漱石が「人工的感興」の中で、インスピレーションについて語った部分がありますので紹介したいと思います。 世にインスピレーシヨンが起らねば筆が執れぬといはれて居るが、インスピレーシヨンは必ずしも待つて、出てくるとは限らない。 (中略) 其意味は気が乗らなければ書けぬといふ事は、事実に相違ない。それは事実には相違ないが、併し気が乗るのを待つてゐなければ書けぬといふのは嘘であらうと思ふ。言ひ換へると、自分が気が乗らなければ、自ら気が乗るやう仕向けるといふことが必要ではあるまいかと思ふ。いはゞ人工的インスピレーシヨンとでもいふものを作り出すやう力めなければなるまいと思ふ。 (中略) 併し人工的インスピレーシヨンの出来し方はどうしたらよいかといふは問題である。これはわからないと答へるより仕方がない。唯自分はどうしてインスピレーシヨンを作るかといふ事だけは語られる。 (中略) そこで自分が小説を作らうと思ふ時は、何でも有り合せの小説を五枚なり十枚なり読んで見る。十枚で気が乗らなければ十五枚読む。そしてこんどは其中に書いてあることに関聯して、種々の暗示を得る。斯ういふことがあるが、自分ならば、これを斯うして見たいとか、これを敷衍して見たいとか、さまざまの思想が湧いてくる。それから暫くすると書いて見たくなる。それをだんだん重ねて行くと、だんだん興が乗ってくる。 夏目漱石「人工的感興」より 一部抜粋 インスピレーションは、ただ待っていれば良いものではないのだ。気持ちが乗らなければ インスピレーションが生まれるように仕向けていく努力 が必要になってくる。それを漱石は「人工的インスピレーション」と名付けているんですね。 そして「人工的インスピレーション」を起こすにはどうしたら良いかと、小説を書こうとするならば、適当な小説を5枚、10枚と読んでみる。それで駄目なら15枚読む。読みながら、その中に書いてあることについて、 色々と考察していくうちにアイデアや「書こうという気分」が高まってくる。 そうなれば適当なところで筆を取る、ということなんですね。漱石が執筆に向けてインスピレーションを高めていく様子がわかって、面白いですよね。

夏目漱石が教える【英語の学習方法】とは?

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これから英語の勉強をしようと考えている皆さんに向けて、夏目漱石が英語の勉強法についてアドバイスしている一節を紹介してみたいと思います。 英語を修むる青年は或る程度まで修めたら辞書を引かないで無茶苦茶に英書を沢山と読むがよい、少し解らない節があつて其処は飛ばして読んで往つてもドシドシと読書して往くと終には解るやうになる、又前後の関係でも了解せられる、其れでも解らないのは滅多に出ない文字である、要するに英語を学ぶ者は日本人がちやうど国語を学ぶやうな状態に自然的慣習によつてやるがよい、即ち幾遍となく繰返へし繰返へしするがよい、チト極端な話のやうだが之も自然の方法であるから手当たり次第読んで往くがよからう 夏目漱石「現代読書法 多読せよ」より一部抜粋 この学習方法には、私も共感するところがあります。私は20年以上、教育の仕事をしてきました。生徒に教える時は、まず最初に「基礎の部分を丁寧に繰り返し」教えていきます。そしてある程度基礎が出来上がったならば、次は「問題演習量を増やす」カリキュラムに変えていくんですね。 基礎を復習することと同時並行で、問題を徹底的に解き続けていく時間を確保していく。受験勉強をしていると、色々と考えてしまって不安になることもあるけれど、まずは問題集を一冊、また一冊と終わらせていくことを目標にする。量をこなすことを優先して問題に触れている時間を増やしていこう、と指導をしていたんですね。 そのようにして学習を進めていくと、6ヶ月とか10ヶ月ぐらい過ぎたあたりで、いつのまにかレベルアップしている自分に気がつく。「なんだか最近、わかる問題が増えてきた」というような生徒が増えていくので、私は現場での指導体験を通してこのような授業をしていたのです。そのようなわけで、漱石先生がこのようなアドバイスをしている、ということを知った時は、すこしだけ自分の指導方法と共通点があるようで嬉しく感じたことを覚えています。 ちなみに「なぜ漱石が、英語の勉強方法について話をしているのか?」と気になった方がいらっしゃるかもしれないので付け加えておきますと、夏目漱石は大学では「英文科」に進学しています。卒業してからは、松山と熊本で英語の先生として教壇に立ちます。その後留学したイギリスでは「英語に関する研究」をして、帰国してからは東京帝国大学の英文科の講師となります。つまり夏

【夏目漱石の手紙】世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが・・・。

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今回は、これから新しいことに挑戦してみたいと考えている人、何かを表現したいと考えている人に向けて、 夏目漱石が芥川龍之介と久米正雄に向けて書いた手紙 の一節を紹介してみたいと思います。   世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。 夏目漱石が、芥川龍之介 久米正雄に宛てた手紙より(一部抜粋) 暗闇の中に火花が見えた時、私たちはそちらに目を向けますよね。そして「明るいな」とか「綺麗だな」と感想を持つ。 感想は持つけれど「記憶」に残ることはない。 何かを表現していこう、ものづくりをしていこうと試みるのであれば、大切なことは「根気」なのだと。うんうん押して、地道に積み重ねていくことが大切なのだと、漱石は芥川と久米に伝えているのですね。 確かに、この考え方は現代を生きる私たちにも必要な言葉だと思います。実際に私は、今までに様々な経営者の皆さんと一緒に仕事をさせていただいてきたのですが、10年20年と事業を継続させている人たちは、 地道な作業をコツコツと継続していることが共通点のひとつ であったと私は感じています。 10年以上一緒に仕事をさせていただいた職人さんがいたのですが、 いつ連絡をしても作業場でコツコツと仕事をされていて、時間をかけて丁寧に作業を続けている姿がとても印象的な方 でした。残念ながら、その職人さんは亡くなってしまったのですが、本当に亡くなる直前まで、これからも仕事を続けていく、まだまだ頑張らなくてはいけない、という気持ちでいっぱいの方でした。今でも、その職人さんのことを考えると「佐藤さん、この前このような仕事をさせてもらいましてね」と熱っぽく話してくださったことを思い出します。そして、自分ももっと頑張らなくてはいけない、と背筋が伸びるような気持ちになります。 もちろん、起業して仕事を続けていくには、表舞台に立って人目を集めるような仕事も必要です。見てもらえなければ存在しないので、 まずは知ってもらうことが大切です。 しかしそれと同時並行で、根気よく地道に推し進めていく仕事も必要です。せっかくチャンスがやってきても、 実力不足ですぐに息切れしてしまっては 意味がありません。そして、そのような人には次のチャンスが与えられないかもしれないからです。 実

夏目漱石「行人」あらすじ解説

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夏目漱石「行人」のあらすじを解説します。 今回は「普段の授業を再現してみよう」と考え、じっくりと解説を始めてみたところ想像以上に長くなり、 3時間を越える録音時間 となってしまいました。さすがに3時間は長すぎるだろうと、ざっくりと編集をして「1時間50分」にまとめたのですが、それでも長いですよね・・・。 画面を見ずに、聞き流しでも理解できるかと思いますので、年末の掃除をするときのBGMなどでご活用願います。そして全編を完走された方がいらっしゃいましたら、感想などいただけると幸いです。 しかし語れば語るほど「もっと、この部分をくわしく」という内容が出てきて、おそらく5〜6時間程度ならぶっ通しで授業ができるような気がします。機会があれば、教室で受講生のみなさんと議論をしながら一緒に読み込めたら楽しいだろうな、などと空想しています。 そして、今回あらためて「行人」を読み返してみて「漱石のすごさ」を再確認しました。このクオリティの作品を新聞連載で執筆するなんて、いったいどのような脳をしていたのでしょうか。漱石の脳は東京大学の医学部に保管されているということなので、一度拝見してみたいような気がしたいような、したくないような。 【関連】 夏目漱石に関する記事一覧 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。ぜひご視聴ください。そして何か気になる作品がありましたら、チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ」

夏目漱石【それから】を読む「精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なっている。」 

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今回は「それから(夏目漱石)」から、主人公の代助と平岡が会話をしている場面を紹介します。代助は仕事をせずに、実家から仕送りを受けて生活をしている「高等遊民」です。そんな代助に平岡は「なぜ働かないのか?」と質問します。代助は近代化と経済を発展させることに邁進している当時の社会を批評しつつ、このように説明していきます。 こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なっている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。 (それから 夏目漱石より) 当時の日本は西欧にならい急速な近代化をおしすすめていました。当然ながら、そこには「ゆがみ」が生じるわけですが「考えられない程疲労」している国民は、思考を止めて目の前のことを考えるだけで精一杯です。このような状況は、精神と身体を不幸にし、道徳も敗退していくだろう。だから、自分は「働かない」のだ、と代助は主張していきます。 世の中が「ゆがみ」や「矛盾」を抱えながら動いていくと、それはやがて「道徳」の崩壊を引き起こすだろう。代助の言葉を通して語られる、漱石の文明批評は現代社会が抱えている状況を予測していたかのような、深い考察が感じられます。 代助は自分の意見を口にしたあと、その場に同席していた平岡の妻(三千代)にこう問いかけていきます。 「三千代さん。どうです、私の考は。随分呑気で宜いでしょう。賛成しませんか」 「何だか厭世の様な呑気の様な妙なのね。私よく分らないわ。けれども、少し胡麻化していらっしゃる様よ」 (それから 夏目漱石より) 三千代は、代助の中にどこか「胡麻化して」いるものを感じています。代助は何を胡麻化しているのか、それは何を引き起こしていくのか。この続きは「それから」を読んでみてください。 【佐藤ゼミ】夏目漱石【それから】を読む 【関連】 夏目漱石「三四郎」を読む 夏目漱石に関する記事一覧 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

文学作品を、もっと楽しむ方法【夏目漱石 三四郎編】

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夏目漱石の作品は明治から大正に書かれています。文学作品は「その作品が書かれた時代」を背景に執筆されていますから「当時の時代背景を踏まえて読む」ことで、作品のもつ「おもしろさ」を見つけることができると思うのです。 たとえば、夏目漱石の「三四郎」には、このような場面があります。 「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。 (夏目漱石 三四郎) こちらは、主人公の三四郎が熊本から上京する電車の中で相席になった男と、会話をする場面です。「男」は三四郎に対して「あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。(同)」と、日本が自慢できるのは富士山くらいだ。日本は発展するどころか滅びるだろう、といった発言をします。 現代を生きる私たちがこの一節を読んだとしても、そこまで強い印象は受けないかもしれません。「滅びるね」のような露悪的な発言や、軽口を叩く人って時々いるよね、といった程度で流してしまうかもしれません。 日本が見落としているもの。これから、見落としてしまうもの。 この作品が書かれた明治という時代を考えてみましょう。欧米諸国の制度や文化にならい「近代国家」を目指して急速に変化をしていた激動の時代。作品の中に「明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している。(同)」と書かれているように、現代の私たちが想像している以上の速さで近代化が進んでいたことが想像できます。そして、1904年(明治37年)には日露戦争がありました。 このような時代背景の中、三四郎は1908年(明治41年)に朝日新聞に連載されます。登場人物が口にする「滅びるね」という台詞の印象が変化したのではないでしょうか? 作者の夏目漱石は『日本が見落としているもの』を見抜き、作品の中で批評していたことが感じられます。 時代を越えた、俯瞰的な文明批評 三四郎は青春小説であり、男女の恋愛についてかかれた物語です。しかし、その背後にある作者の文明批評の視点に目を向けると、時代を越えた俯瞰的な批評が存在することに気がつきます。漱石は現代の私たちが直面している問題を、

【文豪エピソード】志賀直哉が夏目漱石と面会した時のことを、芥川龍之介が書く。

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志賀直哉が、はじめて夏目漱石と面会した時の様子を「芥川龍之介」が書いた作品があります。 文豪と文豪の面会の様子を文豪が書く。 かなり豪華なラインナップですね。それでは紹介してみたいと思います。 先輩の志賀直哉君がある日先生をはじめて訪ねまして、例の書齋に通された。先生は机の側の座布團に嚴然と座り、さあ何處からでもやつて來いと言はぬ許りに構へ、禪坊主が座禪の時のやうに落着いてゐるので志賀君どこへもとりつく島がなく默然と先生の前に控へたが、膝頭がガタガタとふるへ出して益々心細くなつて來た頃一匹の蠅が飛んで來て先生の鼻の横つちよに留まつた。先生はその蠅を追ふために手をあげたら、志賀君も救はれたのですが、先生は嚴然としたまゝ頭を横に一つ強くふつてその蠅を追つた……ので志賀君はいよいよ困つてしまつたといふ話がありますが其時の志賀君の震ひ方がよ程強かつたものと見え、志賀君が歸つた後で先生の奥さんが先生に『あの方は心臟病か何かでせう』と言つたといふことです。 (芥川龍之介「志賀君と先生」より) 志賀直哉も夏目漱石と面会するとなると、かなり緊張していたようです。しかし漱石先生は、僧侶が坐禅をしている時のように落ち着いて座布団の上に座っている。あまりの緊張感に膝が震えるほどに緊張する志賀直哉。漱石先生の前に出るだけでも緊張するのにこの状況では、確かに膝も震えてしまうでしょう。私などは意識が遠のいて真っ白になるか、逆に取り乱して突拍子もない発言や行動をしてしまうかもしれません。 そんな時、ちょうどいいタイミングで漱石の鼻に蝿が。これは絶好のネタになりそう。これをきっかけに会話が生まれるか、と思いきや蝿を手で払うどころか、顔を横に振っただけで澄ましている漱石先生。まったく状況が変化せず、志賀直哉は困ってしまった、というエピソードです。 そして、このエピソードを書いた芥川龍之介。芥川は自分が初めて漱石を訪問した時のことを思い出しつつ、ニヤニヤしながら作品を仕上げたのではないでしょうか。二人の文豪の様子を、もう一人の文豪がニヤニヤしながら原稿用紙に書いていく。その状況を想像すると、志賀直哉には申し訳ありませんが、どこかほのぼのとした気分になってきます。 ちなみに漱石は、このころはまだ新進作家だった志賀直哉を高く評価していて、朝日新聞の連載小説に抜擢しています(残念ながら、この時の話は

【夏目漱石】夏目君が会議に出ると、何となく賑やかになった。(「朝日」の頃より)

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夏目漱石、というとどのようなイメージが浮かびますか? いつも難しそうな顔をして、会議の席などではつまらなそうに座っている。そして何も言わずに時間がくると一番最初に席を立ってしまう。好きな人とは親しく話すけれど、不特定多数の人がいる場では必要以上に交流をとろうとしない。 私は、そんなイメージを抱いて いました。 ところが実際の漱石先生は、意外にフレンドリーな雰囲気で会議に参加していたようです。今回は、漱石が朝日新聞の編集会議に参加している様子を解説した文章を紹介してみたいと思います。 その頃の夏目君は小説を書いてゐるばかりで、社へはあまり出て来なかつた。一週に一回、水曜日の編輯会議には必ず出て来たが、会議の席ではにこにこと笑ひながら人の言ふ事を聞いてゐるばかりで、自分はあまり何もいはなかった。言へば必ず思ひがけぬ警句を、すまして言ふので、その度毎に皆は笑つた。だから物数はいはぬが、夏目君が会議に出ると、何となく賑やかになった。(「朝日」の頃 杉村楚人冠より) 夏目漱石は、朝日新聞の社員でした。とはいえ毎日出社するわけではなく、作家としての契約で時々会議に出席する以外は自宅で執筆をする、いわば「在宅勤務」といった契約でした。今回紹介した文章は、漱石が朝日新聞の編集会議に参加している様子なのですが「にこにこと笑いながら人の話に耳を傾けている」「言葉数は少ないが、巧みな言葉を口にするのでそれを聞いた参加者は笑った」と、いうような様子が書かれています。 しかめっつらどころか笑顔を浮かべつつ、辛辣な言葉ではなく巧みな言葉で場を和ませる。どうやら私が想像していたものとは異なり 「知的で穏やかに、そして紳士的にふるまう」 雰囲気で会議に参加した様子が伺われます。 食事に誘うと、必ず参加する漱石先生 さらにこの文章の後に 「会議のあとに食事に誘うと必ず来てくれて、難しい話をするわけではなく世間話をしていた」 という描写も続くので、仕事の後の人付き合いも良好。どうやら、私が想像していた様子とは真逆だったようです。 もちろん「仕事」に対しては真摯にかつ忖度なく「はっきりと自分の意見を言う」ため、その様子が誤解されて伝わっていたようだ、と作者は考察しています。確かに、漱石先生は相手が どんなに偉い人でも「ダメなものはダメだ」ときっぱり評価 を下しそうです。同時に相手が新人で社会的に

【夏目漱石】創作家としての先生は晩成の人である。(松山から熊本 山本信博より)

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若手の人たちが活躍している様子を見ると、頼もしくも、またうらやましく感じるものです。そして年齢を重ねてしまった自分の姿と比較して「ああ、もうオレはだいぶ歳をとってしまった。あのように活躍することもないだろう」などと、いじけた気分になる時もあるでしょう。今回は、そんなことを考えてしまう人へ紹介したい一文があります。 創作家としての先生は晩成の人である。年少名を成し易き今日の文壇では、確に晩成の部に入る可き人である、そして此晩成が即ち先生の強味であると思ふ。修養蘊蓄に年月を費して、内容がはち切れる迄充実した所で、其蘊蓄を傾けた者が即ち先生の作物である。(松山から熊本 山本信博より) これは夏目漱石の生徒だった山本信博氏が、漱石について書いた一文です。漱石が「吾輩は猫である」を発表したのが、39歳の時。明治・大正時代の平均年齢は44歳前後ということですから「遅咲きの作家」といえるでしょう。 しかし山本氏によると 「晩成が即ち先生の強味」 ということになります。漱石の作品は、年齢を重ねて溢れるばかりに充実した知見を土台に産み出されたものである。一朝一夕につくられたものではない。だからあのような素晴らしい作品となったのだ。そのように説明していきます。 人生を100年、と考えるなら これは、私たちにも必要な視点だと考えます。私たちはとかく「若くして評価を受けたい」と望んでしまうものでしょう。20代、いやできれば10代で評価され衆目を集めたい。世の中に自分の居場所を作っていきたい。そのように願う気持ちがあると思います。 しかし「人生100年」と考えるならば、50代が折り返しになります。極端に考えてみるならば、前半の50年を知識の形成と体得することに費やし、後半の50年で「はちきれるように充実した」それを原動力に活動していくこともできそうです。なによりも「もう自分には無理だ」と、何もせずに過ごしてしまった時間。それは、10年後、20年後の自分から見れば 「どうしてあの時、もっと頑張らなかったのだろう」と情けない気分 になるでしょう。 夏目漱石は圧倒的な天才であり、あのような仕事は誰しも成し遂げられるものではありません。しかし、ささやかながら世の中に役立つことは、50年もあれば実行していけそうです。「自分は晩成だから」と焦らず修養を続け繰り返していく。自分を信じて挑戦を