【Youtube 佐藤ゼミ】夏目家の「福猫」(夏目鏡子 漱石の思い出より) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 1月 15, 2024 夏目漱石の小説といえば「吾輩は猫である」を思い浮かべる人も多いかと思います。そして実際に夏目家では「猫」が飼われていました。今回の【佐藤ゼミ】では「夏目鏡子 漱石の思い出」より、夏目家で飼われていた「猫」についてのエピソードを紹介します。 ☺このブログの「目次」へ☝筆者:佐藤隆弘のプロフィール ✍︎:佐藤への仕事の依頼&問い合わせ ✒【Youtubeチャンネル】佐藤ゼミ☑:ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、文学作品を通して「考えるヒント」を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。☈佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ」 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
私とハトの七日間決戦 アイテムは100均のみ! - 6月 05, 2018 ハトがベランダにやってきた。 それは5月のゴールデンウィークが終わり、10日ほど過ぎた時のことだった。 「ハトがベランダに居る!」 連れがスマホで撮影した写真を送ってきた。その時は「ふうん、このあたりにもハトがいるんだ。今まであまり見かけなかったけどな」程度にしか思っていなかった。たまたま移動の途中に、少しベランダで休憩していると考えていたのだった。 それから数日後。私もベランダに鳩がとまっているのを発見した。しかも相手(ハト)は身動きもせずに、部屋の中をじっと覗き込んでいる。あきらかに こちらを「観察」 している。私は野生の動物が放つ鋭い視線に、一瞬戸惑ってしまった。まるで鳩がこの家の持ち主で、私が侵入者のようにさえ思えてきた。野生の凄みに恐怖を感じてしまう。 気を取り直して、窓の近くに立つ。鳩は逃げない。少し身体を揺らした程度だ。まさか、飛びかかってこないよな、とおそるおそる慎重に窓を開けると、鳩は向かいの電柱へ飛び移った。そして、また こちらをじっ、と見ている。 互いの空間でバチバチと火花が飛び散っているような気さえする。しかし飛びかかってくる様子もないし、まして相手は空中にいるのだからこちらからはどうすることもできない。とりあえずその日は、ベランダの掃除をして様子を見ることにした。 パートナーを連れて、鳩が再訪する 翌日は土曜日だった。私は部屋の中で作業をしていた。ベランダのあたりでごそごそと音がした。鳩の鳴き声も聞こえる。もしや、と思いベランダを覗きこんでみると、いた! 鳩だ! しかも パートナーの鳩と一緒だ! 私は窓に近づいて開けようとした。窓に手をかけた段階で、鳩は近くの電信柱の上に飛んで行き、そこからこちらの様子を伺っている。なんとなく不安を感じたが、とりあえずしばらくはこないだろうと考え、窓を閉めて 机に戻って作業を再開した。一時間ほど時間が過ぎてからキッチンへ行きコーヒーを淹れたり、周囲を掃除したりしていた。席をはずしていたのは3〜40分程度だと思う。ベランダの方からガサゴソという音が聞こえてきた。 まさか? と思ってベランダに行ってみると、 先程の鳩がベランダに戻ってるではないか! 私は窓を開けた。鳩はまた二羽でそそくさと電信柱に戻っていった。「これは、ちょっと休憩にきたという感じではないな」... Read more »
ダイソーで「グロー球(FG-1E)」を購入する。 - 5月 22, 2023 ダイソーで「グロー球」を探す 玄関の蛍光灯がつかなくなったので、新しい蛍光灯に交換した。が、しかしスイッチを入れても蛍光灯がつかない。どうやらこれは 「アレ(グロー球というらしい)」 かな、という予感がしたので、こちらも交換してみることにした。 ちなみに「グロー球って何?」とChatGPTに質問してみたところ、 「グロー球」とは、直訳すると「光る球」や「発光球」という意味です。この用語は、主に照明やディスプレイなどの分野で使用されることがあります。 例えば、蛍光灯やネオンサインなどの光源は、内部にガスが封入された「グロー球」を使用しています。この球体の中でガスが電気放電を起こし、発光することで光が生じます。また、一部のLED照明製品でも「グロー球」という用語が使用されることがあります。 という回答が返ってきた。とにかく、 グロー球がないと蛍光灯がつかない のである。現在家には「グロー球」の在庫はないので、電気屋さんへ行くか、それともアマゾンかな、と考えていたところ 「ダイソーでも買えるよ」 という情報を目にした。ダイソーで電球が売られているのは知っていたが、グロー球も販売していたらしい。 さっそく買ってきた。 なんと3個セットで110円(税込) だった。こんなに安くて大丈夫なのか? と一瞬思ったのだが、パッケージにも「FG-1E」の表記があるし、110円(税込)だから失敗したら、別のところで買い直せばいいと思い購入することにした。 左が今回購入してきたダイソー製のもので、右が今回交換したグロー球である。ちなみに古いやつは TOSHIBA製 だった。新しいグロー球をセットしてスイッチを入れると・・・ついた! やはりこれが原因だったようである。まだ2つ残っていたので、ついでにキッチンのグロー球も交換しておくことにした。 そんなわけで、 ダイソーにもグロー球は販売していて、しかも3個で110円(税込)だった という報告でした。一応、アマゾンではどのくらいの価格で販売されているのか調べてみたところ「2個セットで300円前後」から購入できるようだった。気になった人は、こちらも合わせて確認していただきたい。 Amazonで「グロー球(点灯管)」を探す 現場からは以上です。 【関連】 ・ ダイソー「ミリウォッチ」を購入する ・ ダイソーで買った腕時計(ミリウォッチ)の電池を... Read more »
裾上げしたジーンズの裾を、自分で加工してみる。 - 2月 19, 2019 裾上げデニムに、アタリをつけるには? ジーンズをリジッドから育てるのは楽しい。時間と手間もかかるけれど、そうやって共に過ごしてきたジーンズには「人生の相棒」と呼びたくなるほどの、大切な一着になったりする。 それと同時に、私は 古着のジーンズも好きだ。 古着屋をめぐりながら「おっ、これはかっこいいな」と、いい感じに色落ちしたジーンズを見つけた時は、 お宝を掘り出した時 のような気分になる。 しかし、古着のジーンズの場合はレングスが合わない、という問題がある。短いものは諦めるしかないが、長すぎるものも困る。 古着のジーンズの裾を切ると「とんでもなく、かっこわるく」 なるからである。まるで別人になったかのような変貌を遂げることも、少なくない。裾上げはしたい。しかしそれで台無しになる可能性もある。古着でジーンズを購入する時の悩みのひとつである。 裾上げしたばかりの、のっぺりデニム 先月、ひさしぶりに古着で気になるジーンズを見つけて購入した。以前の持ち主は、裾上げをせずに裾を捲って履いていたらしく、そのまま履いているとズルズルと地面を引きずってしまう。最近は歳をとったせいなのか、 裾はきっちりとした長さで履きたい と感じるようになった。そこで「かっこわるくなる」のを承知で裾上げをしてみた状態が、こちらである。 いかがだろうか。 この、のっぺり感 。清潔感あふれる、生真面目な青年のような表情になって帰ってきた。このまま履くのは、なんとなくムズムズする感じがするので、自分で手を加えてみることにする。 水で濡らし、乾かして縮ませる。 ジーンズは洗えば縮む。コインランドリーの乾燥機に回して急速に乾燥させれば、さらに縮みやすくなる。と、いうわけで裾を濡らして乾かしてみることで表情をつけていくことにする。 まずは自宅にあった、観葉植物に水をあげる水差しを使い、裾だけをたっぷりと湿らせる。別に水差しを使わなくてもいいのだが、なんとなく丁寧に作業している感じを出すために使ってみた。意外と便利だったので、お持ちの方は試していただきたい。 裾に「うねり(パッカリング)」が発生。 このような感じで、適当に。しかし、しっかりと芯まで湿らせてから乾かすことにする。本当ならドライヤーを使って、乾か... Read more »
「ほんとうのさいわいは一体何だろう。」銀河鉄道の夜(宮沢賢治)より - 12月 02, 2020 今回は「銀河鉄道の夜」の一場面を紹介してみたいと思います。列車の中でジョバンニとカンパネルラが2人で会話をしている場面です。 「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」 「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。 「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。 「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。 「僕たちしっかりやろうねえ。」(九、ジョバンニの切符より) ジョバンニは、みんなの幸せのためになら、なんだってやる、とカンパネルラに話します。それを聞いてうなずくカンパネルラ。でもジョバンニには 「 ほんとうのさいわい」とは、何なんだろう、と疑問が浮かんでくる んですね。 「ほんとうのさいわい」について考えを巡らせていく、ジョバンニとカンパネルラ。そしてこれからも一緒に進んでいこう、と約束をする2人。 2人の気持ちがつながっている様子 が表現されている、静かで美しい場面の1つだと思います。 「ほんとうのさいわい」とは何だろう? ジョバンニは「ほんとうのさいわい」と問いかけ、カンパネルラは「わからない」と答える。確かに私たちも 「ほんとうのさいわい」と質問されると、答えられない自分 に気がつきます。 私たちは「幸せになりたい」と思って生活していますよね。もっと自分らしく生きたいとか、恋人が欲しいとか、働きやすい仕事を探したいとか、様々なことを思い浮かべながら「これが実現すれば、幸せになれる」と考え、そこに向かって進んでいこうとします。 ところが実際に「それ」が実現したとしても、 今度は別の新しい悩みが生まれてくる ものです。たとえば恋人ができたとしても、一緒に時間を過ごしてみると価値観の異なる部分が目についてイライラする。自分の考えは理解してもらえているのか? 別のことを考えているのではないか? もしかして浮気をしているのではないか? などと相手が理解できなくて悩む。口論になる時もある。 私にとっては幸せでも、相手にとっては幸せではない時もある。 すべての人にとって「ほんとうのさいわい」とは何なのだろう? それは存在するのだろう... Read more »