諏訪大社へ参拝 長野への旅(5)
信濃國一之宮 諏訪大社へ参拝
上高地からバスに揺られ沢渡バスターミナルへ到着。この時点で時計の針は午後3時に近づこうとしていた。実はここからもう一カ所「諏訪大社」へ参拝したいと考えていた。数年前に長野へやってきた時にも参拝したのだが、その時は時間に限りがあって慌ただしくなってしまったので、もう一度時間に余裕がある時に参拝したいと思っていたからだ。しかし、ここから諏訪大社まではカーナビの表示で約1時間。もし松本市周辺で渋滞に巻き込まれたらアウトである。が、しかし、こうなったらたとえ数分でも参拝したいと思い、上高地の余韻もそこそこに出発することにしたのだった。
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。
信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。(諏訪大社ホームページより)
ホームページにもあるように、諏訪大社は由緒正しき歴史のある神社である。なにしろ「国内にある最も古い神社の一つ」というわけで、このことを連れに教えたところ「すごい!」と素直に感動していた。「すると、伊勢神宮や出雲大社よりも古いということ?」などとさらに突っ込んだ質問をされるかと身構えていたところ、特に質問はされなかった。もしも同じようなことが気になった方は、ぜひ調べてみていただきたい。
それにしても、便利な世の中である。わざわざ書物を紐解かずとも、手元のスマホで検索すれば「神社の歴史」のような項目でも、瞬時に詳細な情報が表示される。この調子で行くと、これから10年後はどのような世の中になっているのだろう。おそらく情報検索の世界はとんでもなく進化していることだろう。
しかし実際に現地に立ってみないと、境内の木々の大きさ壮大さ。土の色。柱の気配。周囲に漂う厳かだけど、どこか親しみやすい雰囲気。そのようなものを体感することはできない。これからは「情報収拾を重視」「体感することを重視」の二極化に進んでいくのかもしれない。などと考えながら車を走らせる。
それにしても、便利な世の中である。わざわざ書物を紐解かずとも、手元のスマホで検索すれば「神社の歴史」のような項目でも、瞬時に詳細な情報が表示される。この調子で行くと、これから10年後はどのような世の中になっているのだろう。おそらく情報検索の世界はとんでもなく進化していることだろう。
しかし実際に現地に立ってみないと、境内の木々の大きさ壮大さ。土の色。柱の気配。周囲に漂う厳かだけど、どこか親しみやすい雰囲気。そのようなものを体感することはできない。これからは「情報収拾を重視」「体感することを重視」の二極化に進んでいくのかもしれない。などと考えながら車を走らせる。
車は順調に進み、沢渡から諏訪大社に到着
そして幸運なことに、ところどころ流れが悪いところはあったものの、おどろくほどスムーズに諏訪大社の上社へ到着することができた。もしかすると神様のご加護かもしれない、と心の中で感謝して駐車場に車をとめる。移動中の慌ただしい気分を落ち着けるために、車内で深呼吸をしてから参拝に向かった。
前回参拝させていただいた時は正式参拝を申し込んだのだけれど、今回は時間の都合で申し込むことができなかった。その分、許される時間の範囲で境内をぐるりと回る。木々や建物を見上げると、すーっと時間の感覚がゆるやかになり、曖昧になってくる。どれほど多くの人たちが、ここをこうやって歩いたのだろう、と想像する。豊かなり。
上社から下社へ移動
無事、諏訪大社の上社を参拝し終えた段階で、残り時間は40分を切っていた。自分としては上社を参拝できたことでかなり満足していた。ところが連れは下社へも参拝したいと言い出した。と、いうより「参拝するものだと思っていた」というようなことを言う。なるほど、よし、それならば行こう。かなりギリギリの時間になりそうだけど、行くだけ行ってみよう。到着した時には社務所は閉まっているかもしれないが、迷っている時間がもったいない。と、ふたたび神様のご加護を祈りつつ車を走らせたのだった。上社は「ずしり」下社は「ほんわか」
ちなみに個人的な感覚として、諏訪大社の上社は荘厳でずしりとした気配を感じたのに対して、下社はどことなく親しみやすいというか温かさのような気配を感じたような気がした。太陽の陽の具合かもしれない。御朱印の受付をして下さった神職の方が、やさしい雰囲気の方だったのでそう感じたのかもしれない。どちらにせよ、上社と下社を同時に参拝できたことで、そのような体験ができたことも、結果的に貴重でうれしいできごとのひとつとなったのでした。(長野への旅 つづく)