「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」【夏目漱石 門 より】

夏目漱石「門」より 「たたいても駄目だ。独りで開けて入れ」


自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。 (門 夏目漱石)


こちらは、夏目漱石の「門」の一場面です。主人公(宗助)は「親友の妻を奪って結婚してしまった」という過去を持っています。その罪の意識を抱えながら、逃れるようにして生活をしてきたのですが、その「罪」は過去からずっと追いかけてくる。どうあがいても逃げることができない。そのような状況で苦しんでいるわけです。そこで宗助は、その解決のきっかけを宗教に求めます。寺に参禅して、悟りを得ようとするんですね。

今回紹介したのは、宗助10日ほど寺で過ごしたあと、現在の自分の状況を考察している場面です。この「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」を私なりに解釈してみますと、目の前の問題を乗り越えようとする時には、最初の「門」は自分自身の力でこじ開けなければいけない。最初から他者にすがるのではなく「自力」で精進することが肝要なのだ。また同時に、精進するならば「やがて、自力で開けられるものなのだ」と。そのような意味なのではないかと私は解釈しています。 

伸びる生徒 伸びにくい生徒

私は教育の仕事に20年以上取り組んできました。そして、実際に多くの生徒を指導してきて感じることなのですが、目の前の壁を越えて「伸びていく生徒」と「伸びにくい生徒」には、共通点があるのですね。

伸びていく生徒は「壁」があったとすると「まずは自力で一生懸命努力をする」のです。先生から与えられた課題を、自分なりに試行錯誤して地道な時間を積み重ね、なんとか乗り越えようとする。その後「自分なりに頑張ったのですが、なかなかうまくいかないので教えてください」と相談にくるのです。

私たちは生徒の状況を見ながら「この部分を見落としているから、ここをこのように修正した方いいですよ」「ここを演習すれば、もっとスムーズに進みますよ」と新しい課題を与えます。生徒はわかりました、と素直に取り組んで試行錯誤して、また質問にやってきます。その地道な繰り返しの中で、本当に活用できる実力を磨いていくのですね。


伸びにくい生徒は、課題に少し手をつけた段階で質問にきます。そして「他の方法はないですか?」と質問してきます。しかし別のアドバイスをもらったとしても、少し手を動かしただけで止めてしまい「やってみたけど、だめでした。もっといい方法はありませんか?」と質問を繰り返します。そして「一ヶ月で偏差値が10上がる方法」というようなテクニックを探して、結局何も身に付かないで終わってしまうわけですね。

叩いて押してみたら、必ずどこかが強くなっている

「腹筋を割りたい」と思ってトレーニングをしたとしても、1日では割れないように「ひとつ上に進む力」を養うには、しかるべき時間が必要です。目の前の「門」が厳しく重いものだったとしても、うんうんと一生懸命押してみる時間は必要なのです。

その過程の中で筋力がついたり足腰が丈夫になったりと、予想していた以外の部分が成長するかもしれません。もしくは「自分の現状」を客観的に把握して、ようやくスタートに立てる。具体的な課題を見つけることができるわけです。「テクニック」が力を発揮し、背中を押してくれるのはそこからです。

「押すのではなく、引くのか!」


現代は手元のスマホで調べれば、一瞬で「情報」が手に入ります。膨大な情報に触れていると「自分にもすぐにできそう」な気分になります。私のように年齢を重ねてしまうと「めんどうくさい」とか「若い人に任せればいい」などというように、自力を発揮する前に他力に依存してしまったりもします。

叩いてみることで「思ったより痛かった」などと体験する。時には「押すのではなく、引くのだった!」と、自分の思い込みを笑う。恥をかいたりする。そんな時間が最近減ってしまっていることを、つくづく感じたのでした。

ちなみに、主人公の宗助は「開ける」ことができたのか? そこからどうなったのか? この続きは「門」を読んでみてください。


【Youtube版】「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」


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