【北海道旅 2日目(3)】坂の街で異国情緒に浸る【教会と八幡坂と旧函館区公会堂】
函館山を背に、海を眺め続ける。
函館山山麓には、複数の教会が隣接している。カトリック本町教会、函館聖ヨハネ教会、函館ハリストス正教会と、宗派の違う協会が、これほど近くに隣接しているのは全国でも珍しいそうだ。それらが、空へと続くまっすぐな坂の上にあるというシチュエーションは、函館の街並みに神秘性とエキゾチックさを与え、観光客である私たちを魅了してくれる風景となっている。それぞれの文化と宗教と一緒に外国からやってきた人々が、函館の丘の上に教会を建てていく。そしてそれは長い時間を越え、今でも函館山を背に太陽の光を浴び海を眺めている。そんな時間の積み重ねや、当時の人々の志を想像していると、日常の時間軸から乖離し過去と現在の中間点を浮遊しているような気分になる。石畳の坂を踏みしめながら、そんなことを考える。
今回は、大三坂を上った先にある、カトリック元町教会を拝見させていただいた。ここは横浜と長崎の教会と並んで国内で最も古い歴史を持ち、江戸時代以降の日本へのカトリック布教史の中で最も古い起源を持つ教会なのだそう。一般の人にも門が開かれていたので、中に進み聖堂を拝観させていただくことにした。
カトリック元町教会は、1867年に仮聖堂が建てられてから、2度の大火による消失と再建を経て現在に至ったとのこと。そのような背景を想いながら、ローマ教皇ベネディクト15世から寄贈された祭壇を聖堂の後方から眺めていると、このような私でも神聖な心持ちに満たされてくる。守るべきものを守り続けた人たちの志に、ほんの少しだけ触れられたような気分になる。
そういえば昨日の夜、函館山で夜景を見た帰り道、さほど遠くない場所から鐘の音が聞こえてきた。あれは教会からの鐘の音だったのだろうか。それとも全く別のところから響いてきたのだろうか。そんなことを考えながら門を出た。
八幡坂から、旧函館区公会堂への道
教会を出て右手にまっすぐ進んでいくと、その先に多くの人たちが集まって写真を撮っている姿が見えた。何を撮影しているのだろう? 何か有名人でも来ているのだろうか、と思いながら近づいていくと然にあらず。みなさん、坂の写真を撮っているのだった。 そう、ここが八幡坂。函館に関するガイドブックや写真を見ると、絶対と言ってもいいほどここの写真が使われているのを目にする、有名な観光スポットの1つだ。確かに坂の上に立って海の方を見下ろしてみると、まっすぐに進む道と、その先の交差点を行き来する車と人の様子が「絵」になる景色だった。ここは映画のロケ地にもなっているそうなので、機会があれば見てみたいと思う。そして今日のこの日を思い出したいと思う。
八幡坂で写真を撮り、次の目的地へ向かって歩く。今回の北海道の旅の中で、私が個人的に気に入った道が、この教会から旧函館区公会堂へ向かって続いていく石畳の坂道である。空が広く和洋折衷の建物が左右に続く。右側のほうに顔を向けると遠くに青い海が広がっている。道幅も坂の傾斜もほどよく、軽やかに足が前に進んでいく。
八幡坂で写真を撮り、次の目的地へ向かって歩く。今回の北海道の旅の中で、私が個人的に気に入った道が、この教会から旧函館区公会堂へ向かって続いていく石畳の坂道である。空が広く和洋折衷の建物が左右に続く。右側のほうに顔を向けると遠くに青い海が広がっている。道幅も坂の傾斜もほどよく、軽やかに足が前に進んでいく。
私たちが歩いた時は、心地よい春の光と風がそよいでいたので、非常に気持ちの良い時間を過ごすことができた。
もしも近くにこのような道があったならば、きっと繰り返し散歩すると思う。そして季節ごとの景色を確認しながら、そんな時間を楽しむと思う。
なぜそこまで気に入ったのか? というと具体的に説明することができないのだが(つまるところ、気になる、というのはささやかな事象の組み合わせだと思う)私のここまでの文章を読み、何か気になる部分を感じてくださる方がいらっしゃるならば、この道はきっと気にいると思う。必然的にほとんどの方が通ることになると思うけれども、足を運んでいただきたい道です。
旧函館区公会堂 おすすめのスポット2+3
そんなことを考えながら歩いていると、坂の突き当たりに到着する。そこから右に迂回し先に進んで行くと、左手にイエローとブルーグレーの独特のカラーリングをした建物の姿が目に飛び込んでくる。そう、ここが旧函館区公会堂である。 まず最初に入館料を求めに行くと、料金がお得になる共通入館券を勧められた。単独の入館料だと個人(大人)で300円なのだが、2館、3館、4館と、セットで購入することによって割引になる券が発売されている。私たちは時間の都合で2館の共通券(500円)を買い求めたが、時間に余裕がある方は4館の券が840円でお得だと思う。また函館に来ることがあれば、4館の共通券を入手しようと思う。
チケットを購入し館内に入り、まず最初に目についたのが「コナンのスタンプラリー」である。もうすでに私たちは規定のスタンプを集めてステッカーと交換してしまったのだが、一応残りも押せるところは押しておこうと列に並んでスタンプを押した。ほのかな達成感を感じる。スタンプラリーなかなか面白い。
スタンプを押してから旧函館区公会堂内を見て回るわけだが、個人的にお勧めしたいポイントが2つある。ひとつめが「ジャーニーズシアター(小食堂)で解説ムービーを見る」ことである。
スタンプを押してから旧函館区公会堂内を見て回るわけだが、個人的にお勧めしたいポイントが2つある。ひとつめが「ジャーニーズシアター(小食堂)で解説ムービーを見る」ことである。
こちらでは「公会堂の建設から現代までの歴史」を約6分間の映像で、わかりやすく学ぶことができる。個人的には、建設費用の寄付金を募った際に、当時の金額で数千円しか集まらず困っていたところ、相馬哲平氏がそのほとんどの費用を寄付したというエピソードが印象に残った。その資金をもと、建設に携わった多くの人たちの思いが組み合わさり、この公会堂が存在するわけである。当時の人たちの志の高さが感じられるムービーなので、最初に立ち寄ることをおすすめしたい。
次に見ておきたいのが、2階へ向かう階段付近の部屋に設置されているムービーである。こちらでは「保存修理工事の映像記録」を見ることができる。事前に、この修理工事の映像を見てから館内を歩くと、その背後にある様々な技術や費やされた時間が想像できるので、よろしいかと思う。ちなみに私たちは、一通り見学を終えてからこのムービーを見たので、もう一度確認のために一周したくなった位である。最初に見ておくことをお勧めしたい。
先ほど2つと書いたのだが、やはりもう一つ追加しておきたい。大食堂後方の廊下に、太陽の光が差し込むと、レトロなそして上品な雰囲気が楽しめるので歩いておきたい。こちらの窓ガラスに使用されているのは、昔ながらの波打ちガラスなので、それらが醸し出す雰囲気が独特の景色をつくりあげているのではないかと思う。
先ほど2つと書いたのだが、やはりもう一つ追加しておきたい。大食堂後方の廊下に、太陽の光が差し込むと、レトロなそして上品な雰囲気が楽しめるので歩いておきたい。こちらの窓ガラスに使用されているのは、昔ながらの波打ちガラスなので、それらが醸し出す雰囲気が独特の景色をつくりあげているのではないかと思う。
私は個人的にこの波打ガラスが好きだ。妻も同様のようで、歴史のある建物を訪問した際に波打ちガラスが残っているのを見ると、あ、ガラスが、と近寄って眺めている。もうすでに失われてしまった、祖父母の家のガラスを思い出しているのかもしれない。レトロな雰囲気が好みの方は、廊下とガラスにも注目してみてください。
芥川龍之介「函館区公会堂」で講演をする
さて、先ほど1つ追加して3つにしたのだが、さらにもう1つ追加しておきたい。それなら最初から4つにしておけばよかったのだが、予定は未定である。私はいつも、ぼんやりとしたイメージだけで書き始めるので、途中で変更になることが多々ある。そんな時は、最初から書き直す方がスムーズなのだが、これはエッセイなのでこのような途中の流れも記しておきたい。
実は、先ほど旧函館区公会堂のパンフレットに記載されている情報を見ていて気がついたのだが、この旧函館区公会堂では、芥川龍之介が講演をしていたのである。この部分をすっかり見落としていた。
つまりここを訪れるという事は、芥川龍之介の聖地参拝ということになるわけである。私の「推し」は、あちらではなく、こちらなのだ。事前に情報を調べておかない旅だと、このようなことが起きる。これから行かれる方で、日本文学や芥川龍之介に興味がある方は、ここにも思いを馳せ、私の分も見学していただきたい。
ちなみにこの旧函館区公会堂の大広間は、一般の人でも貸し出し(有料)が可能なのだそう。つまり、私たちのような人間でも、利用申請すれば利用ができるのである。将来、私が皆さんの前で「記念講演」するようなことがあるのならば、ここで講演してみたいものだと思う。いやその前に、記念講演できるような「何かを成し遂げ」なければいけない。そちらが先だ。しっかりやろうと思う。
ちょうど私たちが大広間を見学しているときに、タキシードを着た外国人の方がいらっしゃった。ここでは衣装のレンタルもやっていて、明治時代の雰囲気を感じられる衣装をレンタルすることができるそうだ。外国人の方がタキシードを着て大広間を歩いている姿を見ると、時間が逆戻りしたような気分になった。
興味がある方は楽しんでみてはいかがでしょうか。ちなみに私はタキシードを着用したことがない。結婚式は神社の神前式で和装(袴)だった。いつか着る機会があるかと思ったが、着ないままこの年齢になったので、たぶんもうその機会はないのかもしれない。(つづく)