石川四高記念文化交流館(高速バスで仙台→金沢への旅 No.12)
広坂緑地を散策
ちょうど今くらいの時期が、歩いて散策するには最適の気候である。「石川県は雨の多い地域」と聞いていたのだけど、今回の旅では二日間とも天候に恵まれ気持ちよく過ごすことができた。明日の午後からは「わりと強目の雨」の予報になっている。見上げた空は、気持ちよく晴れ渡っていて、明日から天気が崩れるような気配がしない。このまま予報が外れてくれないだろうか、などと考えながら歩く。
日暮れの光に照らされた芝生が広がる空間を、通路の横を流れる水音を耳にしながら、太陽が沈んで行く西の方を目指して歩いていく。数分ほどで、石川四高記念文化交流館の建物の前に到着した。
石川四高記念文化交流館 ナイトギャラリー
昼に、石川四高記念文化交流館の前を通った時「ナイトギャラリー」が開催されていることを看板を見て知っていた。期間中は21時まで利用することができるのだそう。これはありがたい、と今日の締めくくりに寄らせてもらうことにした。
この建物は、1891年に旧第四高等中学校本館として建てられたとのこと。ライトアップされた、堂々とそして気品のある煉瓦造りの建物を見上げていると、どこか精神が引き締ってくるような感じがする。この校門を、当時の学生たちは誇りと向上心を持ち胸を張ってって通っていったのだろうか。そんなことを考えながら入口へ進んでいく。
薄暗い建物の中を足音を響かせながら歩いていると、ふと小学校のころの記憶が蘇ってきた。放課後に委員会で遅くなって、生徒が帰ってしまった廊下を歩いた時の記憶。みんなは、怖い、とか、早く帰りたい、と言っていたけれど、当時の僕は怖いよりも嬉しいという気持ちの方が強かった。それはたぶん「生徒が帰ってしまった後に、自分たちだけが学校に残っている」という特別感のような、文化祭の準備で放課後まで残って作業をした時のような高揚した気分を感じていたのだと思う。
あの頃の友人たちは、今頃どこで何をしているだろう。自分は同窓会に参加したこともないし、連絡等も取る方ではないので、当時の友人たちがどうしているのかは全くわからない。みんな、自分と同じだけの時間を過ごし、同じ年齢になっているのだ、と考えるとなんだか不可思議な感じがする。旅情と重なって、いつもよりも感傷的な気分を覚えながら展示物を見て回った。
そんなことを考えながら、ぐるりと展示物を見て回る。気がつくと思っていた以上に時間が過ぎていた。そろそろ移動しよう。でもまた、いつの日か、ここにくる事があるような気がする。そんな予感(のようなもの)を感じながら、校門を通って外に出た。(つづく)
薄暗い建物の中を足音を響かせながら歩いていると、ふと小学校のころの記憶が蘇ってきた。放課後に委員会で遅くなって、生徒が帰ってしまった廊下を歩いた時の記憶。みんなは、怖い、とか、早く帰りたい、と言っていたけれど、当時の僕は怖いよりも嬉しいという気持ちの方が強かった。それはたぶん「生徒が帰ってしまった後に、自分たちだけが学校に残っている」という特別感のような、文化祭の準備で放課後まで残って作業をした時のような高揚した気分を感じていたのだと思う。
あの頃の友人たちは、今頃どこで何をしているだろう。自分は同窓会に参加したこともないし、連絡等も取る方ではないので、当時の友人たちがどうしているのかは全くわからない。みんな、自分と同じだけの時間を過ごし、同じ年齢になっているのだ、と考えるとなんだか不可思議な感じがする。旅情と重なって、いつもよりも感傷的な気分を覚えながら展示物を見て回った。
重要文化財の建物で、講義をするならば
さらにこの施設は「多目的利用室」として申請すると、教室を講座や展示などで活用できるらしい。重要文化財の教室で、自分ならば何の講義をするだろう。やはり「近代文学館」もあることだし、日本文学に関する講義だろうか。それとも高校生向けの、仕事論や人生論がいいだろうか。どちらにしても、ここで講義をすることができたのなら、色々な意味で良い時間を過ごせそうだ。そんなことを考えながら、ぐるりと展示物を見て回る。気がつくと思っていた以上に時間が過ぎていた。そろそろ移動しよう。でもまた、いつの日か、ここにくる事があるような気がする。そんな予感(のようなもの)を感じながら、校門を通って外に出た。(つづく)