【文学散歩】太宰治「まなびの家」へ行った時の話

太宰治「まなびの家(弘前市)」へ行った時の話

「太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)」へ行った時の話

前回のコサエルラジオでは、太宰治の斜陽館疎開の家へ旅をした時の話をしましたが、もう一つお勧めのスポットがあるので今回追加で紹介してみたいと思います。

青森県弘前市に、太宰治が旧制弘前高等学校に通っていた時に下宿していた家が「太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)」として保存されています。そこでは、太宰治の勉強部屋が当時のままに保存管理されているので、その当時の雰囲気に触れることができるのですね。

太宰のファンの皆さんならご存知だと思うんですけれども、この時期の太宰治は、作家の芥川龍之介に傾倒していました。当時のノートには、太宰本人が書いた芥川龍之介らしい似顔絵や「芥川龍之介 芥川龍之介 芥川龍之介」と、何度も芥川の名前が落書きされているページも見つかっていて、学生時代の太宰にとって芥川龍之介は憧れの存在だったことがわかります。

芥川龍之介には、顎の下に手を当てている有名な「芥川ポーズ」があるのですが、太宰もその格好を真似て写真を撮っています。その写真を撮ったのが、この家だというエピソードもあるので、カメラの前でポーズを決める太宰の様子を想像しながら見学するのも楽しいのではないかと思います。 

あこがれた「芥川龍之介」の影響は遠く深く

芥川龍之介は、太宰治が高校1年生の時に自殺をしてしまうのですが、学生時代の若い太宰にとって「憧れの人が自殺する」という出来事は、相当な衝撃を与えたという事は想像するに難くありません。ちょうどそのあたりから、太宰は色街に通うなど放蕩生活を送るようになったのも、芥川龍之介の影響があるのかもしれません。

これは個人的な感想なのですけれども、後に太宰治も女性と心中自殺をすることになりますが「自殺」という選択肢が、彼の中に存在するようになったきっかけは、芥川龍之介の影響が少なくないのではないか、と思います。高校生の多感で情熱が溢れていた太宰の学生時代を想像しながら、斜陽館から足を伸ばして訪問してみることをおすすめします。

それにしても、歴史に名を残す文豪ともなると、ノートの落書きなんかも公開され研究対象として様々な人にじっくりと見られてしまうわけです。個人情報保護どころの騒ぎではないですよね。太宰もあの世で赤面しつつ・・・いや、知らないふりをしてやり過ごしているのかもしれません。

【コサエルラジオ】太宰治「まなびの家」へ行った時の話



Youtube版「太宰治『まなびの家』へ行った時の話」


参考:







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