【人生哲学】私が「書く」ようになった、きっかけ。(Nさんからのメール)

私が「書く」ことを仕事にしたきっかけ

文章を褒められたことは、一度もなかった。


私は、コピーライターという肩書きで仕事をしているということもあって「子供の頃から文章を書くことが得意」と思われることが少なくない。

ところが実際は、文章書くことは得意でもなんでもなかった。苦手でもないし嫌いでもないが、特に好きなわけでもない。作文で評価されたこともなければ、国語の成績が一番わるかったというのが実際のところである。

なので、大学を卒業して就職活動をする時も、クリエイター系の仕事を志望することはなかった。自分にクリエーターとしての才能(能力)があるとは、全く考えていなかったからだ。あのような仕事をする人は、子供のころから評価を受け、しかるべき才能がある人が進むものだと思っていたからだ。

メル友「Nさんからのメール」

そんな私が「文章を書くこと」について、意識を向けるきっかけになった出来事がある。それはインターネットを始めた、今から大体20年ほど前のことである。

その当時私は、インターネットの掲示板で知り合った人たちとメールで情報交換することを楽しみにしていた(いわゆる『メル友』というやつだ)。日本全国に住んでいる人たちと、自分が好きなことについて情報交換ができる。周囲には共通のテーマで話せる相手がいなくても、インターネットを通せばたくさんの人達と同じ話題でやりとりができる。それに夢中になっていたのだった。

その中に、Nさんという女性がいた。彼女は、大学院で美術を研究していた人だったと記憶している。某作家の作品について情報交換したことがきっかけで、メールを交換するようになったのだった。

四月の上旬だった。彼女から「そちらも桜が咲きましたか?」とメールが届いた。私は帰宅する途中に目にした、桜の蕾がほころび始めた様子を書いて返信した。その文章を読んだNさんから返信が届いた。そこには「前から思っていたけれど、佐藤さんは文章書くのが上手ですね。その場に立っているような気分になりましたと書かれてあった。

新鮮な驚きが、背中を押してくれた。

驚いた。何が驚いたかと言って、文章を褒められたということに驚いた。私は今までに「自分が書いた文章を褒められたこと」などない。学校の先生には、赤ペンでザクサクと修正され「〇〇が書いた作文を見せてもらえ。あんな風に書け!」と注意された記憶くらいしかない。

それなのに、一度も会ったことがない人から、文章について褒められたのだ。おそらく彼女は「なんとなく」書いてくれたのだと思う。他に褒める部分がないから、社交辞令のような感じで書いてくれたのかもしれない。

それでも、仕事もプライベートでもいまひとつ人生に手応えを感じることができていなかった私には「褒めてもらえた!」という感覚が、強烈に新鮮だったのだと思う。自分自身が気がついていなかった可能性(のようなもの)を、見つけてもらえたような気がしたのだったと思う。それは大きな勘違いだったかもしれないけれど、そう、ほんとうに驚いたし、うれしかったのだと思う。

クリエイターとして、歩き始めることに

それから数年後、私は某クリエイターに文章を褒めてもらったことをきっかけに、クリエーターとしての道を進むことになる。30歳を過ぎてから、未知の分野、しかも今まで足を踏み入れたことがない世界へ進んでいく事は、不安の方が大きかった。名指しで依頼を受けて、打ち合わせをしている時でも「本当に自分でいいのか?」と、いう気持ちがまとわりついていた。

そんな時、背中を押してくれたのが、Nさんの「その場に立っているような気分になりました」という言葉だった。よし「自分がその場に立っている、と感じてもらえるような文章」を書こう。才能がないならば、他の人の三倍努力するしかない。経験値が不足している部分は、独学で補っていくしかない。そうやって、乗り越えることができたきっかけは「Nさんの言葉」がきっかけになったのは、間違いのないことだと思う。

人と言葉との出会いが、人生を変えるのならば。

今でも、インターネットに接続する時に、Nさんの言葉を思い出すことがある。あの時の言葉が、私のあたらしい可能性を広げるきっかけになっていたのだということを、20年ほど過ぎ去った今になって実感する。

彼女が、いまどこで何をしているかは、わからない。もう連絡を取る手段はないし、たとえ連絡をとれたとしても、もう何を話せばいいかもわからない。

それでも私にとって、Nさんの言葉との出会いが人生を変化させる「きっかけ」であることは永遠に変わらない。そしてこれからも時折思い出しては、目の前の課題に挑戦していく力になってくれることだろう。

私にとってのインターネットの原風景は、人と言葉との出会いであり、力強く生きていくための希望のようなものを、見つけることができる場所である。これからも、そのような言葉が交わされる場になることを願いつつ、私自身もささやかながら「言葉」を書き続けていこうと思ったのでした。

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