夏目漱石の小説執筆術「人工的インスピレーション」とは?
文章を書く時に 「何かよいアイディアはないか? インスピレーションがひらめく方法はないかな?」 などと考えてしまうことがありますよね。そこで今回は、文豪・夏目漱石が「人工的感興」の中で、インスピレーションについて語った部分がありますので紹介したいと思います。 世にインスピレーシヨンが起らねば筆が執れぬといはれて居るが、インスピレーシヨンは必ずしも待つて、出てくるとは限らない。 (中略) 其意味は気が乗らなければ書けぬといふ事は、事実に相違ない。それは事実には相違ないが、併し気が乗るのを待つてゐなければ書けぬといふのは嘘であらうと思ふ。言ひ換へると、自分が気が乗らなければ、自ら気が乗るやう仕向けるといふことが必要ではあるまいかと思ふ。いはゞ人工的インスピレーシヨンとでもいふものを作り出すやう力めなければなるまいと思ふ。 (中略) 併し人工的インスピレーシヨンの出来し方はどうしたらよいかといふは問題である。これはわからないと答へるより仕方がない。唯自分はどうしてインスピレーシヨンを作るかといふ事だけは語られる。 (中略) そこで自分が小説を作らうと思ふ時は、何でも有り合せの小説を五枚なり十枚なり読んで見る。十枚で気が乗らなければ十五枚読む。そしてこんどは其中に書いてあることに関聯して、種々の暗示を得る。斯ういふことがあるが、自分ならば、これを斯うして見たいとか、これを敷衍して見たいとか、さまざまの思想が湧いてくる。それから暫くすると書いて見たくなる。それをだんだん重ねて行くと、だんだん興が乗ってくる。 夏目漱石「人工的感興」より 一部抜粋 インスピレーションは、ただ待っていれば良いものではないのだ。気持ちが乗らなければ インスピレーションが生まれるように仕向けていく努力 が必要になってくる。それを漱石は「人工的インスピレーション」と名付けているんですね。 そして「人工的インスピレーション」を起こすにはどうしたら良いかと、小説を書こうとするならば、適当な小説を5枚、10枚と読んでみる。それで駄目なら15枚読む。読みながら、その中に書いてあることについて、 色々と考察していくうちにアイデアや「書こうという気分」が高まってくる。 そうなれば適当なところで筆を取る、ということなんですね。漱石が執筆に向けてインスピレーションを高めていく様子がわかって、面白いですよね。