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夏目漱石の小説執筆術「人工的インスピレーション」とは?

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文章を書く時に 「何かよいアイディアはないか? インスピレーションがひらめく方法はないかな?」 などと考えてしまうことがありますよね。そこで今回は、文豪・夏目漱石が「人工的感興」の中で、インスピレーションについて語った部分がありますので紹介したいと思います。 世にインスピレーシヨンが起らねば筆が執れぬといはれて居るが、インスピレーシヨンは必ずしも待つて、出てくるとは限らない。 (中略) 其意味は気が乗らなければ書けぬといふ事は、事実に相違ない。それは事実には相違ないが、併し気が乗るのを待つてゐなければ書けぬといふのは嘘であらうと思ふ。言ひ換へると、自分が気が乗らなければ、自ら気が乗るやう仕向けるといふことが必要ではあるまいかと思ふ。いはゞ人工的インスピレーシヨンとでもいふものを作り出すやう力めなければなるまいと思ふ。 (中略) 併し人工的インスピレーシヨンの出来し方はどうしたらよいかといふは問題である。これはわからないと答へるより仕方がない。唯自分はどうしてインスピレーシヨンを作るかといふ事だけは語られる。 (中略) そこで自分が小説を作らうと思ふ時は、何でも有り合せの小説を五枚なり十枚なり読んで見る。十枚で気が乗らなければ十五枚読む。そしてこんどは其中に書いてあることに関聯して、種々の暗示を得る。斯ういふことがあるが、自分ならば、これを斯うして見たいとか、これを敷衍して見たいとか、さまざまの思想が湧いてくる。それから暫くすると書いて見たくなる。それをだんだん重ねて行くと、だんだん興が乗ってくる。 夏目漱石「人工的感興」より 一部抜粋 インスピレーションは、ただ待っていれば良いものではないのだ。気持ちが乗らなければ インスピレーションが生まれるように仕向けていく努力 が必要になってくる。それを漱石は「人工的インスピレーション」と名付けているんですね。 そして「人工的インスピレーション」を起こすにはどうしたら良いかと、小説を書こうとするならば、適当な小説を5枚、10枚と読んでみる。それで駄目なら15枚読む。読みながら、その中に書いてあることについて、 色々と考察していくうちにアイデアや「書こうという気分」が高まってくる。 そうなれば適当なところで筆を取る、ということなんですね。漱石が執筆に向けてインスピレーションを高めていく様子がわかって、面白いですよね。...

【文章力を磨け】学校の成績だけで、才能を決めてはいけない。

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「文章を書くのが苦手です。国語の成績も悪かったし、才能がないんですよね……」 という相談を受けることがあります。この質問に対しまして、私自身の経験を踏まえて少しお話ししてみたいと思います。 まず最初にお話ししておきたい事は、 私(佐藤)は 国語の成績が5教科の中で1番悪かった ということです。5段階評価で、一番よくて4だったと思います。小学校語5・6年生の時の担任の先生に添削してもらった時には「佐藤、お前の文章はよくないよ。面白くない」と厳しめに指導された経験もあります。 クラスメイトに作文が得意なT君という生徒がいたのですが「Tの作文を読んでみろ。こういう文章がいいんだ」などと言われました。そこで私も書き直してみるんですけど、自分では「なかなかよく書けたな」という部分があっても「ここが全然ダメだ」と、 赤ペンで全部削除されてしまう んですね。そんな体験があったので「自分は文章を書くのが苦手なんだ」と子供の頃から思っていました。 今でこそ、クリエイターと呼ばれる仕事をしていますが、当時はそんな感じで「自分にはクリエイター方面の才能はない」と思っていたので、 就職する時も全く別の方向 へ進みました。 そもそもそちらの方向へ進もうとさえ思わなかったのです。 ところが私の場合は、私が書いたキャッチフレーズがちょっとした賞をいただいて 「自分にも少し、何かを書く力があるのかな」 と思うきっかけがあったんですね。そして、雑誌の取材を受けた時に、ライターさんから 「佐藤さんは、広告とかキャッチフレーズを書く才能がありますね。コピーライターとしてやっていけると思いますよ」 などと盛り上げていただいて「自分にもできるのかな」と。そんな感じで、少しずつ仕事として文章を書くようになったのが、30歳過ぎてからなのです。決して早くないし、若手のころからバリバリに評価を受けていたというわけではないのです。 私と同じように、学校の成績が良くなかったから、とか「お前の文書は良くない」と言われてなってトラウマのようになっている人もいると思います。しかしそれはあくまでも 学校の先生の視点からの指導であり、教科書の範囲での評価 なので「表現する力」を正しく評価してるわけではないと思います。あくまでも「あるカテゴリーの中」での評価です。 これから文章力を磨いていきたいとか、何かを表現していく力を磨いてい...

【文学】読み返すのが怖い、読み返す自信がない。(山本周五郎)

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じつのところ、私は自分の書いたものを読み返したことはない。どんな短い一編にも、それぞれに愛着はあるが、客観的に成功したと思えるものは一編もなく、むしろ読み返すのが怖い、読み返す自信がない、と言うのが本音だろうかと思う。 すべては「これから」 山本周五郎より こちらは作家・山本周五郎 すべては「これから」の一節です。「 縦ノ木は残った 」「 赤ひげ診療譚 」など多くの名作を生み出し、様々な文学賞の候補になるものの、それらを辞退(直木賞を辞退した唯一の作家です)。そのような作家の 「読み返す自信がない」 という一節には、自身の文学世界を追求し貫いた深いこだわりと、思索の様子を垣間見れるような気がします。 「自信」を待っていては、いつまでも始まらない 私は今までに、多くの方たちの文章を見せていただく機会に恵まれました。そのように、真面目に勉強をされている方たちは 「まだ自分には実力がない。挑戦する自信がない」 と口にされることが多いものです。 しかし、 自分が納得できるような「自信」が身につくまでには、おそらく10年20年以上の時間が必要となるでしょう。 様々な文学作品などに親しみ「名文」に触れてきた人であれば、その凄みが実感できますから、なおさらです。 山本周五郎のような名作を生み出し続けた作家であったとしても「読み返す自信がない」としているわけですから(もちろん、この「自信」というレベルが私たちが考えているそれとは、大きく異なりますが) 自分が納得する自信が身につくのを待っていては、いつまで経ってもたどり着けない ことになります。 その時にしか「表現できない」ものが、ある。 もしも今皆さんが 「何かに挑戦したいと思っているけれど、自信がないからできない」 と感じているのであれば、この山本周五郎の言葉を思い出し 「自信がないのは当然なんだ。恥をかくことで学び、成長できることがあるはずだ」 と、挑戦していくことを最優先事項にしてみるのも、いいのではないかと思います。 今自分ができるベストを尽くす。それは、10年後の自分からすれば「レベルの低いもの」になるでしょう。それを消してしまいたくなる衝動も感じるでしょう。実際に私も、10年前の私の文章や言葉が掲載されている書籍などは「なかったこと」にしたくなります。あれは自分ではない、と嘯いてみたくもなります。...

【文学】「サヨナラ」ダケガ人生ダ(勧酒 井伏鱒二訳)より

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「サヨナラ」ダケガ人生ダ みなさんも、どこかでこの一文を目にしたことがあると思います。とても有名な一文ですよね。こちらは 作家の井伏鱒二が、唐の詩人「于武陵」の「勧酒」を翻訳 したものです。原文は五言絶句なのですが、その最後の一文(結句)になります。 【勧酒】于武陵  勧 君 金 屈 卮 満 酌 不 須 辞 花 発 多 風 雨  人 生 足 別 離  【書き下し】  君に勧む金屈巵  満酌辞するを須ひず  花発きて風雨多し  人生別離足る 井伏鱒二は結句の 「人生別離足る」を「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」 と翻訳 したわけです。私は専門家ではないのですが、私なりに直訳してみますと 「人生別離足る = 人生は別れに満ちている」 と、そのような感じになると思います。確かに人生は別れに満ちている。しかし、それ以上でもそれ以下でもない。そんな印象になってしまいます。 ところが、井伏鱒二の「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」を読みますと、原文からさらに大きく世界観が広がって、この短い文章の中に 「人生を表すエッセンスが凝縮されている」 ような印象 を受けてしまいます。 私が、この一文を目にしたのは、確か高校生の時だったと思います。大学生だったかもしれませんが、大体その辺りですね。その時の私は 「もしも人生というやつを、一つの文章で表すとするならば、これではないか?」 と感じて、とても心が動いたといいますか、非常に感動した記憶があります。 言葉の選び方。世界観の広げ方。様々な点から、作家の凄みを感じる翻訳 だと私は感じています。 40代の私が、感じたこと 高校生だった私も、現在では40代になりまして、あらためてこの一文を読んでみると様々なことが頭に浮かんでくることを感じます。 「サヨナラ」ダケガ人生ダ 出会いがあれば、別れは必然。せめて、 一つ一つの出会を大切にしていこう、 とか。そうだ、さよならだけが人生なのだ。と、静かな気持ちで今までの人生を眺めているといいますか、諦めというよりは、 出会いと別れに執着せずに、その時を楽しんでいこう、 となどあたかも悟ったかのような気分を噛み締めてみたりもします。そして改めて「井伏鱒二の凄み」を感じたのでした。 (補足) 井伏鱒二訳「勧酒」は「厄除け詩集」に収録されています。個...

【文章】相手にあわせて、言葉を選ぶ(夏目漱石の手紙より)

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夏目漱石、小学6年生への質問に答える 「こころ」の読者から、漱石のところに質問の手紙が届きました。その質問に対して、漱石が書いた手紙が、こちら。 あの「心」という小説のなかにある先生という人はもう死んでしまひました 名前はありますがあなたが覚えても役に立たない人です あなたは小学の六年でよくあんなものをよみますね あれは小供がよんでためになるものじやありませんからおよしなさい あなたは私の住所を誰に聞きましたか ( 夏目漱石から、松尾寛一への手紙) 質問したのは、小学6年生の少年。その質問に対して漱石先生は、小学生でもわかるような言葉で丁寧に語りかけています。そして、私の住所は誰に聞きましたか、などと、やさしいですよね。とても優しく、 相手に合わせて言葉を選び文章書いている ことが伝わってきます。 私はこの手紙を、漱石の特別展だったか何かで目にしたのですが、読んでいると心が温かくなって「言葉を通した、心のやりとり」を見せてもらったような気がして、嬉しくなったことを覚えています。 自分が理解している言葉 = 相手が理解できる言葉 ではない 私たちは文章を書く時に 「自分が理解している言葉は、相手も理解しているだろう」 と無意識に考えてしまいがちです。また、カタカナ言葉や難しい言葉を使ったりして、すこし 格好よく見せよう 、とも考えてしまいがちです。 その結果、読み手は「言葉を理解する」ことに意識が向いてしまい、肝心の内容理解が浅くなってしまったりします。「この人の文章は、難しいから・・・」と、流されてしまうことも少なくないと思うのです。 言葉を選ぶ時は 「読み手に合わせ、わかりやすく納得してもらえるような。そして、リズムよく読んでもらえる言葉を選ぶ気配り」 といいますか、思考が必要だと思うのです。漱石先生の手紙を読むと、ほんとうにそう思います。 言葉だけで「コミニュケーション」する時間が増えているからこそ 夏目漱石は、東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業して、ロンドンに留学。帰国してからは東大の先生をする、という、 最高に頭が良い先生ですから、難解な言葉や専門用語で文章を組み立てることもできるわけです。 しかし、この手紙のように、小学6年生の質問には、相手に合わせた文章を書く。短い手紙の背後にある「やさしさ」のようなものを感じますよね。 最近は「リモートワーク」などと...

【人生哲学】私が「書く」ようになった、きっかけ。(Nさんからのメール)

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文章を褒められたことは、一度もなかった。 私は、コピーライターという肩書きで仕事をしているということもあって 「子供の頃から文章を書くことが得意」 と思われることが少なくない。 ところが実際は、 文章書くことは得意でもなんでもなかった。 苦手でもないし嫌いでもないが、特に好きなわけでもない。作文で評価されたこともなければ、 国語の成績が一番わるかった というのが実際のところである。 なので、大学を卒業して就職活動をする時も、クリエイター系の仕事を志望することはなかった。自分にクリエーターとしての才能(能力)があるとは、全く考えていなかったからだ。あのような仕事をする人は、子供のころから評価を受け、 しかるべき才能がある人が進むものだ と思っていたからだ。 メル友「Nさんからのメール」 そんな私が 「文章を書くこと」 について、意識を向けるきっかけになった出来事がある。それはインターネットを始めた、今から大体20年ほど前のことである。 その当時私は、インターネットの掲示板で知り合った人たちと メールで情報交換することを楽しみにしていた (いわゆる『メル友』というやつだ)。日本全国に住んでいる人たちと、自分が好きなことについて情報交換ができる。周囲には共通のテーマで話せる相手がいなくても、インターネットを通せばたくさんの人達と同じ話題でやりとりができる。それに夢中になっていたのだった。 その中に、Nさんという女性がいた。彼女は、大学院で美術を研究していた人だったと記憶している。某作家の作品について情報交換したことがきっかけで、メールを交換するようになったのだった。 四月の上旬だった。彼女から 「そちらも桜が咲きましたか?」 とメールが届いた。私は帰宅する途中に目にした、桜の蕾がほころび始めた様子を書いて返信した。その文章を読んだNさんから返信が届いた。そこには 「前から思っていたけれど、佐藤さんは文章書くのが上手ですね。 その場に立っているような気分になりました 」 と書かれてあった。 新鮮な驚きが、背中を押してくれた。 驚いた。何が驚いたかと言って、文章を褒められたということに驚いた。私は今までに「自分が書いた文章を褒められたこと」などない。学校の先生には、赤ペンでザクサクと修正され 「〇〇が書いた作文を見せてもらえ。あんな風に書け!」 と...

【名言】火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。【文豪・夏目漱石の手紙】

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夏目漱石の手紙より 「あせっては不可ません。頭を悪くしては不可ません。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げることを知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。」 これは、 夏目漱石が門下生である「芥川龍之介 久米正雄」に宛てた手紙の一文です。 この当時、漱石は時代を代表する作家。のちに文豪になる芥川は大学を卒業したばかりの新人作家。血気盛んに文壇に足を踏みいれようとしている芥川にとって、師匠である漱石先生の 「あせっては不可ません」という言葉は、深く心に染み渡ったであろう ことは、想像に難くありません。 私(佐藤)が起業した時の話 実際に私(佐藤)も、若い時はせっかちで、考えたことをすぐに行動に移したくて、でも結果につながらなくて、ほんとうに焦りました。周りの同世代の人たちが、家庭を持ち安定した居場所を手にし始めている中、何ももっていない自分の姿を見ると 「これでいいのか?」「もっと別の道があるのではないか?」 と、夜も眠れず、昼間に居眠りをしながら考えたものです。 そんな時に、この漱石先生の言葉を思い出して 「うんうん死ぬまで押すのだ」 と、自分を奮い立たせていたことを思い出します。私は、才能がありませんから、芥川のような世界を驚かせるような仕事はできませんが、それでも「うんうん」やってこれたのは、この言葉を知っていたからだと思うのです。 未来をつくる 起業家・社会人・学生のみなさんへ これから新しい挑戦をする若手の起業家、社会人、学生のみなさんにも、この漱石の言葉を覚えておいていただきたいと思います。19年前の私がそうだったように、 いつかどこかで心を奮い立たせる力 になると思うからです。 人生は何かを成し遂げるには短すぎます。しかし、それでも私たちは「何か」を作り続けなければいけません。 「一瞬の記憶」ではなく、少しでも遠くまで届くものを作っていきたい。 そう願い、志す人には、きっと必要な言葉だと思うからです。 漱石はこの手紙を書いた数ヶ月後に亡くなってしまいます。 49歳あまりにも早すぎる最期でした。しかし、100年以上も経過した今、この現代でも読み継がれる「言葉」となって生き続けています。あらためて漱石先生のすごさを実感したのでした。 関連 「人生哲学」に関する記事 「夏目漱石」に関す...

【わかりやすい文章の書き方】文章力とは? 3つの要素から考察する

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文章力とは? 文章力を上げるには? 「文章力を磨きたい!」 今、あなたはそんな風に考えていると思います。しかし 「では、その『文章力』とはどのようなものですか? 具体的に説明してください」 と聞かれたのならば、答えられる人は多くないでしょう。たぶん、ほとんどの人は「それは、あの、その・・・」と説明を試みつつも「いじわるな人だな」と考えると思うのです。 質問する前に、まずは自分の意見を提示すべき! と、いうわけで、今回は 「私(佐藤)が考える『文章力』の定義」 について考察してみたいと思います。普段、なんとなく使っている「文章力」という言葉について一緒に考えていただけると幸いです。 文章力 = 3つの要素を使いこなせる力 私が考える「文章力」とは、大きくとらえて次の「3つの要素を使いこなした文章を書ける力」です。 1)リズムのある文章 2)余韻のある文章 3)目的のある文章 ひとつひとつ解説していきましょう。 1)リズムのある文章 私は20年以上「教育」の仕事に携わってきました。この仕事では 「難しいことを、わかりやすく説明する」 ことが大切です。生徒に余計な負担を与えずに「内容を理解することに集中」してもらうためにも、私は「リズムよくスムーズに流れていく」文章(解説)になるように心がけてきました。 人が集中できる時間は短いもの。さらに高校生のように、学校へ行って部活で体力を使って、そこからさらに勉強、ともなれば眠気との戦いになるのは当然のこと。そこで「リズムよく説明」することで、なんとか集中力を保ってもらい 「気がついたら、説明が終わっていた」 というような文章(説明)を目指していた流れから 「リズムのある文章」を意識 するようになっていました。 実際のところ「著名な書き手の文章」であれば、多少リズムが乱れて読みにくい文章であったとしても、最後まで読み続けようとするでしょう。しかし、私たちのような 「無名の一般人」の場合は「リズムが悪い(読みにくい)= 読むのを中止」 となる場合が多いもの。 論理を展開する順番、ひらがなと漢字のバランス、改行のタイミング、適切な語彙の選択など様々な角度から考察し、読者にストレスを与えず 「心地よく読み進めていける、リズムのある文章」 を書ける力(=文章力)を身につけていきたいものです。 2)余韻のある文章 =読後感 休日返上で...

【佐藤の文章講座】アイデアは一瞬で消え去る。手書きメモのススメ

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メモのススメ アイデアの多くは、 日常生活のふとしたタイミングに突然訪れる。 Macの前に座って「さあ、書くぞ!」という時に、都合よく思いつくということはありません。そして大抵の場合、道を歩いている時、車を運転している時、風呂に入っている時、など、突拍子もない時に思いついたりします。 そして「よし、これはおもしろそうだ!」と考え、あとであらためて考察してみようと考えていると、 ものの数分くらいで綺麗さっぱりと忘れてしまいます。 「あれは何だったかな?」と、ひらめいたアイデアを思い出そうとしている時の喪失感といいますか、もったいない(実際は、たいしたアイデアではない場合も多いのですが)気分でいっぱいになります。みなさんも同じような体験があるのではないでしょうか? だから「メモ」する そのような「もったいない感」を覚えなくてもいいように、私の場合は 「メモ」を小まめにとる ようにしています。移動中ならば、安全な場所に立ち止まるまで、忘れないように何度も頭の中で繰り返します。手帳に書き留めると、ほっと安心します。それでも、タイミングがあわなくて、メモをするのがすこし遅れたりするだけで、あっというまに消え去ることもあります。 どうしてこんなに忘れやすいのだろう 、と自分の記憶力の弱さにあきれてしまうことは、しょっちゅうです。 そして不思議なもので、私の場合、 メモをしてしまうと(メモをした瞬間?)内容を忘れてしまいます。 安心するからなのか、全くきれいさっぱりと意識から消えてしまいます。1年前の手帳を読み返してみた時に「これはどうやって発想したのだろう」とか「なんでこんなこと思いついたんだろう」と考えることがよくあります。 昔は、あまりにも覚えていないことが多いので、自分はどこかに欠陥があるのではないか、とさえも思いました。しかし最近では、そんな風に「覚えていない」ことで、 手帳を読み返した時に新鮮な気持ちで接することができる ため、 新しいアイディアへの発展とか、別の要素得組み合わせることで、思っていたよりも良いものになったりする場合があるので、これでいいのかな、と考えてもいます。その分、 メモをする時にしっかりと書いておけばいい と思っています。 メモは手書きか? スマホか? ちなみに、 メモは手書きの方が良い ような気がします。他の所でも解説しているので詳細は省きます...

【佐藤の文章力講座】情報収集の方法とは?

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【佐藤の文章力講座】情報収集の方法とは? 前回の記事 で 「ひらめきは、情報と経験量に比例する」 ということを書きました。おそらくみなさんの頭の中には「では、 どうやって情報を集めていけばいいのですか? 」という質問が浮かんでいると思います。 すこし厳しめの回答になりますが 「どうやって情報を集めれば」というような質問をするようでは成長が望めない 、ということになるのではないかと思います。まるで呼吸をするように意識することなく、すべての事象から「アイデアの種」を拾い続けていく、ということだからです。 日常のできごとに「アンテナ」を立て続ける 実際に、私の周囲の「アイデアがひらめく人たち」は、 日常生活のほとんどを情報収集にあてアンテナを立てている のですね。生活していると、様々な情報(できごと)に遭遇しますが、それらの中に「興味をひくものはないか?」と常に意識を向けています。 たとえば、知人のデザイナーと一緒に移動していたとします。すれ違った人が「ちょっと変わったデザインのTシャツ」を着ていたので「さっきのTシャツ見ました?」と話しかけると「見ました。キャラクターが履いていた靴の色がかわいいヤツですよね」のような答えが返ってきます。 私は「ちょっと変わったTシャツ」というレベル でしか見ていませんが、 デザイナーは細やかな部分まで観察し情報収集 しています。そして「あのTシャツのブランド、私も好きなんです」とブランド名を教えてくれたりもします。次回に会った時に、そのTシャツを着ていて「あっ!それは!」「いいでしょ?」と、話題を作ってくれたりもします。 目が出ない「アイデアの種」の方が多い もちろん、そのような「アンテナ」を立てて集めた情報が、すぐに仕事に活かせるわけではありません 。ほとんどの情報が普段は「眠っている」状態 ですし、活用したとしても「不採用」になる確率の方が圧倒的に多くなります。 そして実際のところ 「ひとつの情報が、そのまま大きなアイデアになる」 ということは、ほとんどありません。きっかけになることはありますが、そこは出発点で試行錯誤が始まり、あれだこれだ、修正だ、変更依頼だ、などと雑多な作業を積み重ねた先に「いいアイデアですね」とまとまることが多いのです。そうやって拾った種を「どのように育てていくか」が力のみせどころです。 だからこそ「情報収集す...

【佐藤の文章力講座】ひらめきは、空から降りてはこない

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「ひらめき」は、どこからやってくるのか? 「どうすれば『ひらめく』のですか?」 「アイデアを考えるコツを教えてください」 こちらも定期的に受ける質問のひとつです。おそらく、このような質問をする方の「潜在的な意識」として 「よいアイデアは、空から降ってくるように『ひらめく』 = 無の状態から瞬時に生まれてくる」 と考えているように思います。 とても残念なことなのですが、黙って 待っていても「ひらめき」は降りてきません。 アイデアを捻り出すための方法は存在しますが、あくまでも 「無から有」を産み出すものではなく、脳内の情報を整理し明確化するための手順 である、と私は個人的に考えています。 「でも、あの人は良いアイデアを次々に産み出しているように見えるけど」 そのような疑問が浮かんでくるのも当然です。でも、ここで一度「ひらめく人」と「ひらめかない人」の違いを比較してみてください。おそらくそこに、明確な違いとして確認できるもの。それは 「情報と経験」の差 だと思うのです。 「ひらめき」は情報量と経験値に比例する 様々なところで繰り返していますが、これが私が「ひらめき」に関しての考えです。もちろん純粋に「ひらめく」能力を保有している人もいるでしょう。しかし、それは全体の数%程度。そして、そのような能力を持っている人たちほど 「情報量と経験値」を積み重ねていく努力を惜しみません。 差が開き続けるわけです。 ある一定のレベル(ここでは、仕事として活用できるレベルと定義します)であれば「情報量と経験値」を積み重ねれば到達することができる。3年必要な人もいれば、5年かかる人もいるかもしれない。10年の人もいるでしょう。その人の経験値と、いわゆる「センス」と呼ばれる先天的なものにより、その差は異なるでしょう。 しかし一度「そこ」まで達することができれば、様々な分野で活用することができます。周囲の人たちから「あの人の『ひらめき』は、すごい」と思われるでしょう。その時、たぶんあなたは「 ただ、目の前の仕事に一生懸命に取り組んだだけ」 と感じている自分に気がつくのではないかと思うのです。 まずは「空から降りてくる」ことを期待するのではなく、地道な「情報と経験」を積み重ねていく。その先に「ひらめき(と、周囲からは思えるような)」アイデアが生まれてくるのではないか? 今、私はそんな風に考えていま...

【文章力向上講座】文章には「適切な速度」がある。

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文章には「適切な速度」がある 文章には「適切な速度」がある と、私は考えています。早く読めるもの、読み込むのに時間がかかるもの、この2つですね。どちらが良い悪いではなく、目的や情報に合わせて使い分けていく必要があるわけです。 簡単に比較してみると、 ・早く読める文章 = 情報量が少な目の文章 読みやすく一般的には好まれるが、情報量が少ないため、長期には読まれにくい内容。 ・読む速度が遅くなる文章 = 情報の密度が高い文章 。 密度が高いため読む速度は落ちる。資料としての価値。長期にわたって読まれやすい内容。 このような違いがあると思います。最近の傾向としては「 短く簡潔な文章 =速度が速い文章が」好まれる ように感じています。ちょっとした時間にスマホを覗いて、時間を潰す。次々に表示される記事を読んでいくものの、読み終わった後に「何を読んだか覚えていない」というような 「消費を前提とした文章」 とでもいいましょうか。 これからは、ますます 「早く読める文章」を好む人の割合が増えていく でしょう。そして、そのような文章が書ける人が、重宝されるでしょう。そして、こちらのタイプの文章を書けるようになりたい、と考える人も多くなるでしょうから、文章術のアドバイスは「 早く読める文章の書き方」 が中心になっていくことでしょう。 深みを求める読者層は、一定数存在する しかし同時に、 より深い情報を好み、考察していく事を好む人たちが、一定数存在 することも忘れてはいけません。 「密度のある文章(資料)=時間が必要な文章」を読み込むことで、理解度を高め広げていく面白さを知っている人たちも確実にいるのです。 そのような人達に向けた文章を準備しておくことで、他とは違った「つながり」や「広がり」がはじまる可能性があります。そしてなによりも、そのような文章を提供できる人には、 一定の読者数がつく可能性が あります。別の記事にも書きましたが、今後の方向性として 「人数の多さを目的とした文章 →  少人数でも深い『つながり』がうまれる文章」 を目指すのであれば、このスタイルの文章を目指すということも、おもしろい選択のひとつだと感じます。 「わかりやすく、密度が高い文章」を目指せ もちろん「時間が必要な文章」といっても、それに甘んじていてはいけません。可能な限り速度を早める工夫を行いつつも、...

【文章力向上講座】表現技法を甘く考えてはいけない(上級者向け)

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「表現技法」を、軽く考えてはいけない 私は様々なところで 「まずは基本が大切」 という解説をしてきました。文章が苦手な人は、すぐに使えそうな「表現技法のテクニック」を学ぼうとします。しかしそれは土台ができていないのに、表面だけを飾り立てるようなもの。表面の錆だけを落としても、すぐに下から新しい錆が浮かび上がってくるように、根本から鍛えていかなければ意味がない。そのようなことを、解説してきました。 しかし、ここで誤解をしていただきたくないので、あらためて強調しておきますが、 ・「基本 = むずかしい」 ・「表現技法 = かんたん」 と、いうことではありません。むしろ逆の意味であると、私は考えています。 ・「基本 = むずかしい」 ・「表現技法 = もっとむずかしい」 と、いうことですね。「基本をしっかりと身につければ、表現力(技法)は自然と身につく」というわけではありません。実際は 「かなり難しい」ので、軽く考えてはいけない ということですね。 基本は「膨大な時間と演習」の積み重ね 基本を身につけることは「むずかしい」ことです。しかるべき時間と演習を積み重ね「身体に染み込ませるまで」ひたすら繰り返していく必要があります。「1万時間の法則」というようなフレーズを目にすることがありますが、そのくらいの 時間を投資する必要があるのが「基本」だと私は考えています。 しかし、別の視点で考えるならば「1万時間の演習」を積み重ねることができるのなら 「基本を身につけることができる」 と、いえるかもしれません(もちろん、それ以上の時間が必要な人もいると思いますが、あくまでも仮説として)。 さらに上を目指すには「センス」が必要になる しかしそこに 「表現技法」という、自分の個性を輝かせるための「プラスアルファ」 を磨いていくには、努力だけでは越えられない「なにか」が存在すると感じています。全力を注いで取り組んでも、そこにたどり着けるかわからない。いわゆる 「センス」というような、先天的な才能が必要かもしれない。 もっている人は越えられるし、不足している人は足踏みを続けるかもしれない。 非常に曖昧な領域といいますか 「やってみなければ、わからない」 という部分が多いと思うのです。さきほど、 ・「基本 = むずかしい」 ・「表現技法 = もっとむずかしい」 と解説したのは 「表現技法...

【佐藤の文章力向上講座】共感される文章の書き方(2つのポイント)

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共感される文章の書き方(2つのポイント) 「読み手に共感してもらえる文章が書きたい」 これもよく質問される項目のひとつです。しかし、ただ 単に一生懸命に書いていたとしても「共感される文章」には仕上がらない もの。今回は、共感される文章を書く時に、チェックしておきたい2つのポイントを解説します。 1)「書きたいこと」ではなく「読みたいこと」 共感する、ということは 「相手と自分の間に共通点がある」 ということ。共通点が多かったり、深かったりすることで「共感」が生まれるということですね。逆に考えるならば「自分が書いている文章に、 相手が読みたいと感じていること」が存在しなければ、そもそも共感が発生しない と、いうことになります。 どんなにすばらしい表現技法を駆使して書いた文章でも、その中に相手が「読みたい情報」が存在しなければ共感以前に、読んでもらえません。自己満足で押し付けの文章で終わってしまいます。 今、あなたが「書こうとしていること」は、読み手(相手)の中にも存在する情報なのか。 知りたいと感じている情報なのか。この視点を持ちながら考えていく必要があるのです。 2)共有できる「一定の情報量」は存在するか 「相手と自分に共通点」が存在するならば、そこには「共感の種」が存在するといえるでしょう。もしそれを見つけることができるならば 「 共感の種」の量を増やし、より多くの接点を増やしていく 必要があります。 たとえば初対面の人と話す時に「出身地が同じ」ということがわかれば、心の距離が近くなります。そして、他に共通点がなければ「同じですね」で終わってしまいますが、細かな情報を確認しあうことで 「自分と同じ価値観を持っている人」という認識 が生まれ、より会話を楽しみたくなるでしょう。 文章もこれと同じです。 深い共感を生み出すには「一定の情報量」が必要 になります。密度を深め、回数を重ねることで「それ」をつなげていく必要があるのです。一度ですべてが完結する、ということはまずありません。 「相手が読みたいこと」+「一定の情報量」=共感の土台 どのようにすれば1)2)の部分を深めていけるのか? そこを考えていくのが力の見せ所。表面的なテクニックは、表面的な共感(のような雰囲気)で終わります。土台を作っていく準備と土台が必要なのだ、意識を変化させていくことが大切なのです。 関連:...

これからの時代に必要なこと「文章力&話す力」を磨こう

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未来の働き方「文章力&話す力」を磨こう  私は、今までに講師として「授業」を数千時間以上行ってきたので、教室で受講生に向き合って解説をすることは、それなりに経験があります。緊張やプレッシャーを感じることはありますが 「なんとかなるだろう」 という気持ちで乗り切ることができます。 なので、Youtubeを始めた時にも「なんとかなるだろう」と「話すこと」に関しては、そこまで気にとめることはありませんでした。いや、もちろん自分の声や話し方は、好きではないのですが 「ある程度、理解しやすい話し方はできるだろう」 と、思い込んでいた のです。 自分は「トーク力」が不足している・・・。 しかし、Youtubeのように 「音声のみでの解説」 となると、また違った難しさがあると感じました。現場ですと、身振りや全体の雰囲気などで補い「伝える」ことができます。ちょっとした話の脱線や、受講生からの質問を拾って広げていくこともできます。そして、私が得意なのは「そのような部分」だったと思います。  ところが「録音している」と考えると余計なことは話せませんし、間合いの取り方も変わってきます。自分の口癖が気になったり「あー」とか「えー」というような部分も、ひどく耳障りに感じます。なによりも 受講生の顔が見えないので、イメージしながら話していく しかありません。 そのように迷いつつ録音した内容は「わかりにくい」し、いまひとつテンポもよくありません。あらためて自分の解説を確認することで 「オレの授業って、全然ダメだ・・・」 と実感することができました。今更ですが・・・。 修正点が見つかる = 伸び代がある しかし 「修正点がみつかる」ということは「改善できる」ということ です 。 改善することができるということは「伸び代がある」 ということ、と考えました。そこで、毎回録音する度に、 ・「今回は、早口で話してみよう」 ・「すこし雑談を増やしてみよう」 ・「導入部分に〇〇を加えてみよう」 などと、 小さな変化を試してみること にしました。もちろん、すぐに結果が出るような作業ではありません。しかし、小さくても何かしらの課題を持って作業をした方がメリハリになるので、そんな風にして「自分自身を指導する」つもりで、続けてみることにしたのです。 今までは 「台本」のようなものを準備せず...

「わかりやすい!」文章の書き方【5つのポイント】

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「文章を書くのが苦手」と感じている人へ 「文章が苦手。がんばって書き直しても、全然よくならない…」 「私は文章の才能がないので…。もっと国語の勉強をがんばっておけばよかった」 今、あなたはそのように考えているかもしれません。なぜそのようなことがわかるかというと、実際に同じような質問を受講生のみなさんに聞かれるからです。 しかし、まだあきらめるのは早い。たとえばあなたが「 志賀直哉のような、簡潔で的確な描写の文章が書きたい! 」というのであれば「才能」というものが必要になると思います。努力だけでは越えられない壁があるでしょう。 でも「わかりやすい文章ですね! 参考になりました」などと仕事やプライベートで言われるような 「わかりやすい文章」を書きたいのならば 「しかるべき技術」 を身につけることで書けるようになる 、と私は考えています。努力と地道な実戦でスキルアップが可能だと、多くの受講生を見てきて、そう実感しています。 私自身が「文章の力」で、ここまで進んできた 私は25年以上、教育の世界に携わってきました。単純に考えて数千枚以上の文章を添削し、数千時間(数万時間?)ほど、 現場で直接アドバイスを行ってきました 。この数値は、おそらく世の中に存在する「文章指導の先生」の中でも多い方だと思います。 それらの実戦経験で見つけてきた内容を「 伝わる文章講座 」というサイトに公開したのが、今から約16年ほど前のこと。取材を受けて書籍に掲載していただいたり、図書館の広報誌に掲載していただくなど、みなさんのおかげで想像していたよりも多くの方に活用していただくことができました。 そして私自身も、教育の世界から「コピーライター」という肩書きで、文字通り北海道から沖縄まで、様々な企業のキャッチフレーズの制作から文章のアドバイスまで、活動の場を広げていくことができたのです。 そう 「文章の力」を活用 することで。 「起業家・経営者」そして、スキルアップを目指す人へ 先日「今年で起業してから19年目になる」といった記事を書きました。書き終えてから、ふと 「自分の基本の部分を見直す時期」 なのかもしれない、と考えました。自分の基本といえば、それは間違いなく「文章の書き方」です。 そこで起業した当時を振り返りながら「文章の書き方」について考えてみたいと考えました。とくに基本の部分にもどっ...