【東北温泉旅 2泊3日(3)】東鳴子温泉「旅館大沼」へ宿泊
鳴子温泉駅からバスで移動
バスは定刻通りにやってきた。正確に書くと「鳴子温泉駅」が始発なので、私たちが駅前に到着した時にはすでにバスが停留所で待機していた。暖房の効いた車内には、私たち夫婦の他には誰も乗っていない。まだ発車までは時間があったので、それまでに誰か乗ってくるだろう、と考えていたのだが、最後まで乗車してくる人の姿はなく、私たち2人だけを乗せたバスは定刻通りに出発した。
バスは渋滞することも雪による遅延もなく、スムーズに目的地へと到着した。料金を支払い外へ出ると、寒さが身体にささってきた。急いでマフラーを首に巻きなおし腕時計を確認する。予定のチェックインまでには、まだ時間があるが周囲に寒さを凌げそうな場所も、カフェなども見当たらない。仕方がないのでこのまま旅館へ向かいチェックインの時間までロビーで待たせてもらえないか聞いてみることにした。
今回の宿泊地は「東鳴子温泉 旅館大沼」である。20年前に購入した「日本の秘湯(日本秘湯を守る会)」の書籍に掲載されている宿だったので、一度行ってみたいと思っていたこと。そして、ちょうど私たちの予算に合った部屋が開いていたことが、こちらを選んだ理由である。
ちなみに「日本の秘湯」に掲載されている宿は、それぞれに趣があって私の個人的な趣味に合うところが多いので、長く参考にさせてもらっている。書籍を購入した際に「ここに掲載されている温泉に、いくつ行けるだろう」と楽しみにしていたのだが、実際に訪問できたのはわずかばかりである。
人生は想像以上に短く、時間は駆け足で走り抜けていく。この書籍を購入した20年前の私に「いつか行こう、と考えていると、いつまでも行けずに終わってしまうぞ」と諭してやりたい。しかし当時の私にそんなことを言っても「ああ、そうですよね」と軽く流してしまうと思う。それもまた人生なのだろう。
今宵の宿泊地「旅館 大沼」へ
そんなことを考えつつ、バス停から旅館へ向かう。まっすぐな道を歩いて行くと「旅館 大沼」という看板と「日本秘湯を守る会」の提灯が見えてきた。
玄関の引き戸を開け、受付にいらした女性の方に「本日予約をしたものですが、早く到着してしまって…」と声をかけると、大丈夫です、と快く対応していただけた。旅をしていて、ほっとする瞬間のひとつが、宿のチェックインがスムーズだった時である。よし、これでもう今日は大丈夫だ、という気分になる。
手続き後、宿の中を一緒に回って説明していただいてから部屋まで案内してもらった。部屋の中は私たちが早めにチェックインするのを予期していたかのように、すでに暖房がついていて暖かく、綺麗に掃除がされてあった。
私たち夫婦は二人とも背が高い方なので「大きいサイズの浴衣がいいですよね?」と交換していただけた。最近はホテルに泊まることが多かったので、こうやって部屋まで案内していただき宿の方とお話をする時間が新鮮に感じる。そして、このような時間も旅の醍醐味のひとつなのだと思う。年齢を重ねてくると、そう感じるようになった。
貸切風呂を「はしご」する
ひとまず荷物を片付け、お茶を飲んでから、温泉にはいろうということになった。大沼さんは、貸し切り風呂がとても充実していて、7つの内湯のうち4つまで借り切り可能なのである。しかも追加料金なしで、空いてれば自由に利用してもいい、ということだった。それではさっそく、と貸切風呂の「陽の湯」と「隠の湯」にむかうことにする。
階段を4階まで上がると、廊下の奥に扉が見えた。「陽の湯」と「隠の湯」は名前の通り対になり並んで設置されていた。両方とも空いていたので、まずは「陽の湯」にはいることにする。外の光がさしこんでくる開放的な空間。浴室にはほんのりと温泉のやわらかな匂いが漂っていて心地よい。
昼間に温泉にはいれるだけでも贅沢なのに、貸切という開放的な気分で湯船につかれるという多幸感。しばし無言で湯に身体を投げ出していると、窓の外を陸羽東線が走り抜けていく様子が見えた。ああ、午後も運休せずに走っているのだな、と安心した気持ちになる。
適温の湯に身体を浮かせていると、頭の中が空になってくる。そして以前訪問した温泉の記憶がぼんやりと蘇ってくる。ああ、あそこも気持ちよかった、ここもよかった、また行ってみたいな、と取り留めのない断片が浮かんできて旅情を誘う。
しばし温まってから「せっかくだから、隣の『隠の湯』へも行ってみよう」となった。はしご酒ならぬ、はしご温泉だ。とりあえず様子を見てくるから、と私だけが風呂からあがり浴衣を着て隣の「隠の湯」の様子を伺う。人の気配もなく、他に人がやってくる様子もないので妻を呼びに戻る。
すぐ隣の湯船に移動するだけなのだが、急いで身体を拭いて浴衣を着て移動して、すぐに浴衣を脱いで湯船にはいる。せわしないが、これもまた面白い。そして贅沢な遊びだと思う。
貸切風呂を堪能し部屋にもどる。そうだ、鳴子温泉で買った「栗団子」を食べよう、ということになり、お茶をいれて団子を食べる。うまい。やっぱり鳴子に来たら栗団子だよ、とひさしぶりの味を堪能する。若い頃だったら一気に2個は食べられたけど、今では1個で十分だな、と思いながら食べる。すでにこの段階で心身ともに満足していたのだが、まだまだお楽しみは続いていく。次はいよいよ「庭園貸切露天風呂 母里の湯」への移動である。
雪景色の「庭園貸切露天風呂 母里の湯」へ
「庭園貸切露天風呂 母里の湯」へは宿から、車の送迎で移動することになる。駅の近くにある細い山道を車で上がっていくと、門で仕切られた入り口の前に到着する。外から中の様子は伺えない。この先には、どのような景色が広がっているのだろう、という期待感。そして、心地よい緊張感。門が開き、中に案内される。冷たい冬の空気に背中を丸めながら、うながされるまま先に進む。
露天風呂は、雪景色に囲まれた静寂と解放の空間だった。今この周辺には、私たちしかいない。つまり、この場も景色も湯もすべて私たちのために用意された時間と空間なのだ。数日前から降り出した雪は、この時間を演出するためだったのかもしれない。そんな偶然にも感謝する。
太陽の光が傾いていき、オレンジ色のランプの光が湯煙に映えていく。ふと「お殿様」は、このような風呂を楽しんだのではないか、と想像する。贅沢というものは、形に残らないこのような時間にこそ、ふさわしいのだと思う。
貸切時間は30分。予約申し込みをした時は「30分は短いけれど、それでも雰囲気を楽しむには充分かな」と考えていた。しかし、実際に現地で過ごす30分はため息をつくほどに短い。しかし同時に、この切なさが良いのかもしれないな、とも思う。そして「また別の季節に訪問したい」と再訪を決めたのだった。
それからもうひとつ、旅館大沼さんの「料理」は絶品だったことを付け加えておきたい。素材を生かした塩梅と調理が絶妙で、この料理を食べるだけでも大沼さんに宿泊した甲斐があった、と感じるほどだった。私は、普段はあまり「量」を食べないのだが、今回はおいしさにひきこまれて、ご飯をおかわりしたくらいである。食事の準備をしてくださった宿の方も、適度に様子を見にきて声をかけてくださり、とても心地よい時間を過ごせた。
東鳴子温泉は、宮城県ということで「日帰り温泉」で済ませてしまっていた。しかしこれからは、地元周辺の温泉を丁寧に巡って「気軽に何回も足を運べる宿」を探してみたいと思う。今回は、そんなことを確認する旅になりました。(最終日へつづく)
・東北温泉旅 最終日「旅は家に着くまでが旅である」