投稿

ラベル(回想)が付いた投稿を表示しています

NORTH MARINE DRIVE → 45R

イメージ
meeting → NORTH MARINE DRIVE高校一年生の時、僕はレストランでアルバイトをしていた。秋の気配が深まってきたある日、そこで働いていた一つ上の先輩が、気になるジャケットを着てきた。かっこいい、というのとも違う。かわいい、というのも少し違う。その中間というのだろうか。とにかく、当時の僕には「何か気になる」雰囲気の服に見えたのだった。
僕は先輩に「かっこいいジャケットですね」と言った。先輩は、まあね、というような表情をした。あまり多くを説明する人ではなかった。「それ、どこで売ってるんですか?」と僕は聞いた。先輩は、お店の名前と場所を教えてくれた。
それは、North marine drive というブランドだった。
North marine drive の「白の長袖Tシャツ」 翌月アルバイト代が出た僕は、教えてもらったショップへ行ってみることにした。予想通り、そこに並んでいた服は高校生のアルバイト代で気軽に手が出せる金額ではなかった。まして先輩が着ていたようなジャケットを買うには、まだまだ労働が必要だった。
その中から、自分にも買えそうなカットソーを一枚見つけることができた(当時はカットソーではなく、長袖Tシャツと呼んでいた。長袖という段階でTシャツではないだろうと、違和感を覚えつつもそう呼んでいた記憶がある)。デザインも雰囲気も良かったし、この一着で今月のアルバイト代が半分以上吹き飛んでしまうけれども、迷わず買うことにした。
数日後、そのカットソーを着てバイトへ行った。先輩は、すぐに僕のカットソーに気がついて、それいいじゃん、と言ってくれた。それだけでもう、このカットソーを買った甲斐があったと思ったものだった。
そして、45Rへ 先日書店で、デザイナーの井上保美さんの本を見つけた。手にとって眺めているうちに、ここに書いたことを思い出した。オフィシャルwebを見てみると、今の僕にも着こなせそうなラインナップが並んでいた。うん、やっぱりいいな、と思った。45Rを着てみたくなった。服が着てみたくて、わくわくするなんて、本当に久しぶりだと思った。
たぶん僕は、45Rの服の先に高校生の頃の自分の姿を見たのだと思う。それはノスタルジックな気分ではなく、あのころ好きだったことを、今でも好きでいられる自分を再認識したのだと思う。


服の選びかた、にも色々ある。流行を追うことも、コン…

船舶免許 更新。

イメージ
先日更新した、新しい船舶免許が届いた。先の震災以降、操船していないから、完全なる「ペーパー船長」である。おそらく、またしばらくは船に乗らないような気がするけれど、そうかといって更新せずに失効するのはもったいないので、とりあえず更新しておくことにした。

船舶免許の更新は5年ごとで、今回が3回目だから、免許を取ったのは今からかれこれ15年ほど前のことになる。15年というと、当時生まれた子供は今や中学3年生になっているわけだ。ハイハイして歩いていた赤ちゃんが、進路を決めて受験勉強をしているのだ。そして数年後には世の中に出ていくわけである。
彼らと自分の15年間を比較してみると、その差の大きさに驚いてしまう。ほんとうにおそろしいほどの成長速度だ。大人になってからも、あのくらいの速度と密度で成長できるといいんですけどね。いやはや。
次の更新は、また5年後。その時自分は何を考え、何に取り組んでいるのだろう。もしかしたら外国の海で、ゆったりとクルージングを楽しんでいるかもしれない。一カ月くらい休暇をとって、世界中の海を回っているかもしれない。ここに、このようなことを書いたとしても、5年後に覚えている人は誰もいないと思うので、あえて大きなことを書いてみた。5年後の自分に期待したい。

ジェントルマンジェームスの謎

イメージ
SEIYUで見つけた「ジェントルマン ジェームス」のラベルがかっこいい。実にクールだ。ここに描かれている男性が「ジェームス氏」なのだろうか? 彼は一体何をしているのだろう。最初は腕の構えからストリートボクシングをしているのかと考えた。大切なプライド(女性?)を巡って「よし、それならここでひとつ勝負をしようじゃないか。負けた方が潔く身をひく。それでいいな?」と決闘をして、そのあとビールで互いの健闘を讃え合うというストーリー。

が、そうなってくると足元に置いてあるバケツ(らしきもの)が不明である。一緒に飲んでいた連れは「仕事のあとに、身体を拭いてからビールを飲むジェームス氏」ではないかという。「早くビールを飲みたいけど、きちんと身体を清めてから飲む。それがジェントルマンジェームスである」とのこと。なんとなく説得力がある。バケツがあることにも理由がつく。しかしそれなら、人前で上半身裸で身体を拭くという行為はジェントルマンなのか? という考えも浮かぶ。もしかすると物陰に隠れて拭いていたのかもしれないが、この堂々とした表情から推測するに隠れているようにも見えない。さらに良く見ると、腹のあたりは若干メタボ気味ではあるが、二の腕の辺りはしっかりと鍛え上げられているようにも見える。むしろ己の身体を誇示しているように見えてくる。

さらにさらに目を凝らしてみると、足元にあるのはバケツではなく鞄のようにも見える。靴もブーツのように見えるので、炭坑で作業をしていたジェームス氏が仲間のために戦っている場面なのかもしれない。劣悪な作業環境の改善を訴えてストライキを行った際に、理不尽な暴力で押さえつけようとする会社側に対して、仲間のために己の身体だけで敵と対峙するジェームス氏の様子を描いたのかもしれない。うむ、これならジェントルマンの冠にふさわしいのではないか。

ここまで考えてみて、真実が知りたくなったのでさらっと検索してみたのだけど、特に有力な情報を見つけることができなかった。もう少しきっちりと調べればわかるのかもしれないけれど、知らない方が良いこともあるかもしれないのでこの辺りで止めておくことにする。ちなみにビールはとてもおいしかったです。ずしりとくる自分好みの味でした。

観葉植物 1年後

イメージ
昨年の今頃から育て始めた観葉植物が、すくすくと大きくなり、風が吹くと倒れそうなくらいにまで成長した。「ほっといても子は育つ」ってやつです。逞しいです。

ちなみに、昨年の今頃はこんな感じでした。

仙台市天文台へ行く。

イメージ
仙台市天文台で「100万人のキャンドルナイト」のイベントが行われたので行ってきた。
当日の天文台では、時間ごとに様々なイベントが行われていて、家族連れや恋人達、友達連れでにぎわっていた。ちびっこ達が、知的好奇心を満載にして、色々なものに夢中になっている様子を見るのは、なかなか良いものだ。僕も子供ができたのなら、こうやって連れてきてあげようと思ったりする(まだ結婚すら、していませんけどね・笑)


そんなイベントの中で、自分が参加したのは「天体観望会」だ。これは施設の望遠鏡を使って、その時に観測することができるものを見る事ができるという内容だ。僕は、子供のころから「望遠鏡」が欲しくて、家族に「望遠鏡が欲しい」と折々にねだっていたのだけど、その願いは叶わず大人になってしまったという思い出があるので、こうやって大きな望遠鏡を目の当たりにできるというだけでも、わくわくしてくる訳である。
しかし、それにしても、なぜあんなに望遠鏡が欲しかったのだろう? と自問自答してみる。そこで、子供の頃に家においてあった天体観測の絵本を見て、星に興味をもったからだ、ということを思い出した。あの絵本の名前は何だったろう? そんなことを考えながら、あいまいに検索をしてみると・・・あった! あっさりと見つけてしまった。その絵本とはこれだ。




【送料無料】星座を見つけよう


とりあえず「黄色の表紙」ということだけは確実に覚えていたので、写真を見た瞬間に「まさにこれだ!」とうれしくなった。2人の子供が会話をしながら、星座の解説をしてくれるのだけど、そのイラストの雰囲気が好きで何度も眺めていたことを思い出す。そして今回、作者H.A.レイ氏というドイツ生まれの絵本作家だということも知った。どうやら子供ながらに、異国の雰囲気を感じて楽しんでいたのかもしれない。


さて話を戻そう。「天体観望会」についてだ。このイベントでは、スタッフの方が、その日観測できる天体を解説しながら見せてくれるのだけど、今回見せてもらった中で個人的に心に突き刺さったのが「土星」だった。なぜそんなに突き刺さったのかは、自分でもわからない。ただ「本当に土星は存在するのだ」とか「今、僕たちが見ている土星の映像は、今よりも過去の時間に土星から発せられた光なのだ」とか、そんなことを色々と考えてしまったからだと思う。もちろん、あの「輪」が魅力的だということもあると思…

深夜の連続ツイート 蛍が飛んでいた日。

イメージ
僕がまだ高校生だったころには、仙台市郊外の方へでかけていくと、蛍を見ることができた。夜中にバイクに乗り、海の方へ向かって20分ほど走る。すれ違う車はほとんどない。自動販売機もない。すごく静かだ。用水路の前にバイクを止めて地面に座り、しばらくの間、静かにして空を見上げている。
(つづく)3分もすると小さな明かりが、ふっ、と草の中に灯り始める。ひとつ灯ると、それを合図にするかのように、ふわふわと、たくさんの明かりが集まり始める。昔の人は「蛍の光を集めて本を読んだ」という話を聞いたことがあるけれど、確かに本を読む事だってできるかもしれない。
(つづく)いつからだろうか。気が付いた時には、その場所に蛍は飛ばなくなっていた。今では水さえも流れてはいない。すべて、どこかへ消え去ってしまった。今日、蝉の声を聞いたり、七夕飾りが準備されている様子を見ているうちに、その頃の映像が頭に浮かんだ。それは、あまりにも力強い風景だった。
(つづく)只今、午前2時過ぎ。これで深夜の連続ツイート終わり。今日から七夕祭りが始まる。ここ数年、七夕飾りを見に行ったことはないのだけど、今年は少しだけでも行ってみようかなと、考えている。考えているだけ、で終わってしまいそうですけれどね。
サトウのtwitter こちら >>

寝る前に、考えたこと。

イメージ
震災の後から、昔のことを思い出して考える時間が多くなったように思う。それは良いことなのか、悪いことなのかは、わからない。ただ、もともと自分は昔のことを思い返して、考える方ではなかったので、思考の方向性に何らかのズレが生じているのではないかと、感じていた。
先日、このことについて、twitterに連続で書き込みながら考えてみたので、こちらにまとめて記録しておくことにする。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1:08am 寝る直前になると、過去の出来事が頭に浮かぶようになった。それは例えば「あの人と会う時は、いつも雨……と、いうよりも突風だったな」とか「真っ赤なキャリーバックが、良く似合ってたな」とか、そんな断片的な映像なのだけど、不思議なほど鮮やかに思い浮かぶようになった。
1:14am (つづき)そしていつも感じることは、いかに自分が「一部分しか見ない」で、ものごとを判断してきたか、ということだ。見えない、というよりも、見ようとしない事で、どれだけ多くのものを損なってきたのか。何かを学んだつもりで、結局、同じことを繰り返してきただけではないのか。
1:20am (つづき)今は、午前1時過ぎ。そろそろ寝ようと思う。不思議なもので、朝目が覚めると、夜に考えたことは綺麗さっぱりと消えてしまっている。よし、今日はアレをやろう。次はソレだ。と、いつもの思考に戻っている。脳の仕組みがそうなっているのか、自分が楽観的なだけなのかはわからない。
1:28am (つづき)そして、これで深夜の連続ツイート終わり。昨日は、大きな揺れが少なかった。明日は、もっと揺れないといいなと思う。松島で生まれたペンギンの赤ちゃんが、すくすくと育てばいいいな、と思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この文章を書いた日の夜、とても色鮮やかな夢を見た。 目の前を走っている軽自動車の色が、今まで見たことがないような不思議な色彩で、グリーンのようなイエローのような形容しがたいトーンをしていて、目が覚めてからも「とにかく、凄い色だったな」と、しばらくぼんやりとしていたくらいだった。
直接は関係ないとは思うけれど、こんなにも色が意識に残る夢を見たのは、初めてかもしれないので、合わせて記録しておきたいと思う。

4.7 現実の世界が動く音。

イメージ
4月7日午後11時32分。
宮城県沖を震源地とした余震が起きた。宮城で震度6強 M7.4。地球にもてあそばれるかのように、体が左右に大きく揺らされる。家全体が、波打っているように感じる。嫌な音が聞こえる。いろいろな音が混じり合った、頭の奥に突き刺さるような音が聞こえる。「またか」と思う。また、3月11日に逆戻りするのか、と思う。 その日の夜(正確には次の日の深夜)。twitterに、以下の文章を書いた。特に、内容のある文章ではない。でも、近い将来、自分自身にとって何かの意味をもたらしてくれるような文章かもしれない、とも感じたので、こちらにも転載し「記録」しておくことにする。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・4月8日 3:03 今回の地震で、五つある本棚のうち、二つが崩壊した。前回の地震で限界だったんだな。長い間、おつかれさん。本の山を壁際に押しやって、外を眺めている。停電で、市内の空が暗くなっている。緊急車輌のサイレンの音。なんだか、少し寒い。今日は眠れそうにないから、考えごとでもしようかと思ってる。 ・4月8日 3:18 そして次々に届く、安否を知らせるメール。しばしの安堵。冷えたお茶を飲む。新しいサイレンの音が聞こえる。原付が走り抜ける音も。さっきよりも、風が強くなってきた気がするので、そろそろ部屋に戻ろうと思う。 ・4月8日 4:31 只今、午前4時30分。完全に眠るタイミングを外したので、このまま朝まで起きていようかと、考えている。新聞配達と思われる、バイクが走り去る音が聞こえる。それは微かだけど、とても頼もしい音のように感じる。現実の世界が確実に動いているのだ、という証拠のように感じられる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 実は(と、あらためて強調するほどの事ではないけれど)1回目と2回目の文章の間に途中まで書いたものの、なんとなく違和感を感じて削除してしまった文章がある。 それは、外に出た時に感じた、風の臭いに関する文章で「なにか、ふしぎな臭いがする。海の臭いのような気もする」と、いうような内容のものだ。途中まで書き進めた段階で「海の臭い」という表現に違和感をもってしまい、そうかといって他に適切な言葉を思いつかなかったので、削除してしまった。 2回目…

もしも、18歳に戻れたのなら。

イメージ
自分の唯一の自慢といえば「体が頑丈にできている」ということ。今までに、大きな病気もしたことはないし、入院するようなケガをしたことも、ない。せいぜい、部活動で足を痛めて、2〜3回通院したとか、その程度のものだ。
そんな自分でも、年に1度くらいのペースで、体調を崩すことがある。腹が痛いとか、偏頭痛が、ということではなく、「なんだか、体がズシーンと重い」感じになり「ベットに横になっていても、腕を上げるのさえ、おっくうだ」というような、状態になる。上から、重たい鉄の固まりのようなものに、ぎゅーっ、と押さえ込まれているような、体の周りを360度、冷たい鉄で囲まれたような、感じになる。その時は、全く身動きができなくなる。ただじっと、それが通り過ぎていくのを、横になって待つしかない。目を閉じて、眠り続けるしかない。 そして、今日が、ちょうど「それ」の日だった。最初は、夏バテかな、と軽く考えていたのだけど、どうにも体が動かなくなり、何も考えられなくなってしまったので、思い切って3時間ほど、横になって休むことにした。幸いなことに、今日は、夕方のミーティングまで、予定がない。休める時に休む。これも仕事のひとつだ、と考えることにして、よっこらせとベットの上に横になる。 特に眠かった訳ではないので、カーテンを開けて、窓から見える空を眺めていた。真っ青な空と、白い雲が流れていた。窓は閉め切っていたので、外の音は聞こえなかった。とても静かで、いい午後だと思った。じっと、そんな風景を眺めているうちに、ふと、高校生の頃に、学校を休んで(サボッて)空を眺めていた時のことを、思い出した。確か、あの時も、こんな感じの空だったなと思った。同じような季節の同じような時間に、こうやって空を見ていたよな、と思った。 もしも、18歳の頃に戻れたのなら、 と自分に問いかけてみる。自分は、何をするだろう? 答えはすぐに思い浮かんだ。戻ったとしても、同じことをやるだろうし、そもそも戻りたいとも思わない。18歳は一回でいいし、あの18歳が、自分にとってのベストだったような、気がする。 もちろん、18歳の頃の自分が、すばらしい人生だったとか、後悔のない人生だったという訳ではない。あれもすれば良かった、これはこのようにすれば良かった、ということは、たくさんある。思い出しただけで、消しさってしまいたくなるような、記憶も(わりと、たくさ…

ぼくが、涙もろくなった理由。

イメージ
昨日は、誕生日だった。
と、いっても、目が覚めた瞬間に「ああ、そうか。今日からオレは世界平和のために生きよう」と、劇的に人生観が変わるわけでもなく、盛大な催しがあるわけでもなく、仙台の街で、ひとりの男(←独身)が、静かに年齢をカウントしただけのことなのだが、やはりそれでも、何かと考えることがある一日だった。

就寝まぎわに、ある女性からメールが届いた。 誕生日のお祝いのメールだ。いわゆるデコメールと、いうのだろうか?色々なアイコンが貼付けてあって、いかにも女性らしいメールだな、と思った。
わすれないうちに、とりいそぎ、お礼の返信をしようと思った瞬間に、ふと気がついた。「あれ? この人は、どうやって自分の誕生日を知ったのだろう?」教えた記憶はないんだけどな。
正確に言うならば「7月の末が誕生日なんだ」と、いうような話はした。でも具体的な日時は言わなかったし、聞かれなかったので、そこで話は終了となった。別に教える必要もないし、知ってもらうこともないし、ただ社交辞令というか「今年は真夏日が続くから、たいへんだよね」とか「じゃあ、今度食事でもしようよ」のように、話のつなぎとして話題になっただけのこと。よくあることだ。 でも、彼女は、どこかで調べて、メールを送ってくれたのだろう。もちろん、調べようと思えば、いくらだって調べることができる世の中だ。ちょっと検索すれば、かなりの個人情報を入手することだって、できる。知人に聞けば、数秒でわかる。
でも。と、思った。わざわざ、こうやって調べてくれて、誕生日に間に合わせて、メールを送ってくれたんだな、と思った時に、案外無頓着な感じの人に見えたけど、実は気が利く人だったんだな、とか、彼女の誕生日の時にも、忘れないでメールを送らないといけないな、でも女性に誕生日を聞くのは、なかなか大変だよな、などと一瞬にして様々なことを考えながら、メールを返信した。

メールを送信したあとで、また気がついた。よくよく考えてみれば、以前の自分なら、このようなことは考えなかっただろう、と思った。誕生日のメールが届いて、ありがとう、と返信して、それで終わり。今回のように、送ってくれた相手のことや、手間などに意識を向けることは、まずなかっただろう。
たぶんこれは、自分自身が年齢を重ねて、それなりの経験をしてきて「何かをするには、それなりの手間と時間と、労力がかかるものなんだ」と、いう…

おとなになった、瞬間。

イメージ
今月号のpenは「ヌードは、美しい」だった。そう、そのままつまり「一冊、まるごとヌード特集」である。
書店で見かけた際に、手にとって、パラパラとめくってみたのだが、おもむろに「む、これは確かに美しい」とか「なかなか、こんな風には撮れないものだよな」と、周りの目を気にせずに、見入ってしまっている自分がいた。
そして、そんな自分に気がついた瞬間「自分も大人になったんだな」と、感じてしまった。ヌード特集の雑誌を立ち読みして、おとなになった、もなにもないかもしれないけれど、直接的&間接的に、そう思ってしまったのだから、これは仕方がない。平日の午後に、書店で雑誌を見ていた時に、自分が「おとなになったな」と感じた。そして、その雑誌は「ヌード特集」だった、というわけだ。
そういえば、と考えてみる。自分が「おとなになった」と感じたのは、いつごろだったのだろう。すこしずつ、時間軸をさかのぼって考えてみたところ「16歳の時に、原付の免許」を取った時に、そう感じたということに気がついた。

自分は7月の夏生まれ。誕生日になるのを待ちわびて、飛ぶように試験場に行き、免許を取ったものだった。試験を受けて、電光掲示板に自分の番号が表示された時は、ふるえるくらい嬉しかった。そして、ピカピカの免許証をもらった瞬間に、自分が大人になったように感じたものだった。16歳の夏。奇しくも、まさに今、この時期のできごとだ。
たぶん僕は「これで、自分の行きたい場所へ、行きたい時間に、自分の意志で、どこへでも行ける」ということに、「おとな」っぽさを、感じていたのだと思う。うちの父親は、かなりの出不精で、めんどうくさがりなので、家族をどこかに連れて行くという考えそのものが、希薄な人だった。でも、子供だけでは行けない場所も、たくさんある訳で、早く父親(=大人)の力を借りずに、自分の力だけでどこか遠くへ行きたいと、ずっと考えていた。それを現実として、実感できたのが『原付の免許を手にする』ということ、だったのだと思う。原付の免許証が、実際に手にして、目で確かめることのできる「おとなの象徴」だったのだと思う。
その後、レストランで皿洗いのバイトをして、貯金したお金で教習所に通い、自動二輪の免許も取ったのだけど、その時も「うれしかった」けれど、おおきな気持ちの変化はなかった。車の免許を取った時も、普段バイクで街の中を走り回っていたから、…

カロリーメイト

イメージ
ドラッグストアへ行ったところ、ロゴマークがピンク色のカロリーメイトを見つけた。どうやら新製品らしい。ピンクということは、イチゴ味か? それともピーチか? と、想像しつつ、手にとってみると・・・「メイプル味」だった。
なるほど、そうか。確かに、カロリーメイトには、メイプルが合いそうだよな、でも、イチゴかピーチというのも、ちょっと試してみたかったよな、意外と合う・・・いや、合わないかなあ? などと頭の中で考えながら、チーズとポテトとメイプルを、ひとつずつ買ってみる。
考えてみると、カロリーメイトは、自分が小学生の頃から販売されていた商品だから、実に25年以上ものロングセラー商品ということになる。王選手が、缶タイプのカロリーメイトをグイグイと飲んでいるCMが、印象的だったことを覚えている。実際に、自動販売機で220円だったか、240円だったか(さすがに記憶が曖昧だ)で売られているのを見て「ジュースが、一本200円か!(じっさいは、ジュースではないのだけど)」「どんな人が飲むんだろう?」「きっと、金持ちの人だよ」「オレ、この前飲んでいた人を見たぞ」「うそつけー!」と、盛り上がっていた記憶がある。
当時の、缶ジュースは一本100円だったので(100円といえば、小学生にはちょっとした値段だ・笑)2倍もするカロリーメイトは、いわば「あこがれ」のような存在に見えた。王選手が飲んでいるくらいだから、何かきっと秘密があるのかもしれない、ホームランを打つ秘密は、あの黄色の飲み物にあるのかもしれない、と勝手に想像していたのだと思う。
さて、話を戻して、肝心の「カロリーメイト メイプル味」だが、なかなか美味しかった。イメージ通りの味、という感じだ。でもやはり、イチゴかピーチを試してみたい、と、ピンク色のロゴマークを見ながら考えました。

秋の日は、つるべ落とし。

イメージ
河川敷の横の道を、車で通ったところ、帰宅途中の高校生が、自転車を止めて携帯電話で夕焼けを撮影していた。思わずつられて、同じ方向を見ると、高い秋の空に、綺麗な夕焼けが広がっていた。

まだまだ日中は、暑くて半袖でも大丈夫だけど、夕方の5時を過ぎると、あっという間に日が落ちて涼しくなってしまう。秋の日は、つるべ落としとは、よく言ったもので、本当にあっというまに「すとん」と、日が暮れていく。その格差に、必要以上に物悲しい気分になる。

秋の日に夕焼けを見ていると、小学校の頃を思い出す。母親に留守番を頼まれた日のこと。友人に釣りに誘われた自分は、弟に「一人でも(留守番は)大丈夫だよな?」と聞いて、自転車で釣りに出掛けてしまった。よくは覚えていないのだが、小学生の足で20分くらいの距離の池に出掛けたと思う。
夢中になって釣りをしているうちに、、あっと言う間に陽が落ち、あたりが真っ暗になってしまった。自転車のライトを付け、友人達と「そっちは、あぶないぞ!」「みんなで、ライトを同じ方向に向けろ!」などと、ふざけながら、おっかなびっくり家に向かった。こんなに遅くなってしまって(その時は、時計を持っていなかったので、真夜中の様に感じていたのだと思う)親に怒られるだろうな、もう釣りには行けないだろうな・・・などと、思いつつ玄関のドアを開けると、そこには自分の帰りを待ちわびていた母親の姿があった。
ひとしきり怒られて、注意をされて、思わず「でも、弟が一人でも大丈夫だ、と言ったから出掛けたんだ」と、こぼしてしまった。すると、その言葉を聞いた弟がポツリ「でも、本当は、一人では嫌だった・・・」。ますます、怒られる結果となった。
あの時から大分時間が過ぎてしまったけれど、こういう記憶はいつまでも鮮明に残るものなんだな、と帰宅途中の高校生達の横を過ぎながら、考えました。

蛍を見ていた時のこと。

イメージ
このブログの、タイトル画像を変更してみた。数年前なら、画像ひとつ差し替えるのも、結構めんどうだったものだけど、今では、ほぼワンクリックで変更できる。あの当時、費やしてしまった膨大な時間は、いったいなんだったのかと、思う瞬間だ。
今回の写真は、仙台市郊外で撮影してきたものだ。仙台市も、100万人都市とはいうものの、30分も郊外に向けて車を走らせれば、このような田園風景を見ることができる。もちろん、すぐ横の道を、たくさんの車がビュンビュンと、走り抜けてはいるのだけど。

自分が、まだ10代だったころ、この辺りにも「蛍」が飛んでいた。「蛍が見られるよ」と、口実をつくり、女の子をバイクの後ろに乗せて、夜遅くにやってきたものだった。
バイクのエンジンを止めて、しばらくそこで、じっとしていると、それまで息をひそめていた蛍達が、ふわーっ、という感じで、周りからゆっくりと真っ暗な闇の中を舞い始める。光を点滅させる。そばで眺めている、自分達の服の上にとまって、しばらく灯りをともしてくれるのも、いる。それは、とても気持ちがいい瞬間で、夏を思わせる、心地よい風景だった。
それからわずか数年後、道路は舗装され、交通量も各段に増えた。もちろん、この周辺で蛍を見ることもなくなった。「蛍は、綺麗な水にしか住むことができない」と、いう言葉を、子供のころ、何かの本で読んだことがあるけれど、これは本当だったんだなと、体験から学んだできごとでした。

※追加の写真 今回の記事に掲載している写真は、一見すると「普通の雲」の写真ですが、拡大してみると、左上の方に・・・これは? ・・・いえ、飛行機です。

初秋になると、考えること。

イメージ
関東の方は、まだまだ暑いだろうし、半袖でも十分に過ごせることでしょう。でも、自分の地元仙台は、朝晩は長袖でないと、少し肌寒く感じる季節になってきた。すっかりと、初秋を思わせる空気になった。
自分は、この季節(夏から秋へと移り変わる時期)が、一年の中で、一番好きだ。部屋の窓から、そよそよと風が流れ込んできて、静かで落ち着いた空気の中で本を読んでいたりすると、何か新しいアイデアやヒントが浮かんでくるような気がする。気がするだけで、実際には何も浮かんでこないですけどね。
そして、この時期になると、なぜかいつも、予備校に通っていた時のことを思い出す。未来に対して、ばくぜんとしているけど、力強い希望があって、不安があって、仲間がいて。自習室にいくと、必ず3〜4人は友人がいて(もしくは、友人の荷物があって)遊び相手には、事欠かなかった。自分の周りの人達は、なぜかみんな親切で、思いやりがあって、にこにこと笑う人達ばかりだった。

その中に、A君(仮名)という、ものすごく努力家で、しゃれが効いている人がいて、いつ自習室に行っても、ウォークマンを聞きながら、同じ姿勢で勉強を続けている人がいた。彼が、怒っている姿を見たこともなかったし、悪口を言っているのを聞いた事も、なかった。今、考えてみると、A君のような控えめで、自己主張は少ないけれど、確実にそこに座っていてくれる人がいたからこそ、あのような仲間が保てたのかもしれないなと、この年齢になって感じることがある。
と、いうようなことが、一気に思い出されるのが、この「夏から秋へ」の時期だ。みんな、年齢をかさねて、どのような生き方をしているのか? 今となっては、全くその様子はわからないけれど、元気で自分らしく、がんばっているのだろうと思う。すくなくとも、一番「いいかげん」な人生を送っているのが、自分だろう。それを考えると、別の意味で、ちょっとせつなくなったりする(笑)

※写真は、智恵子抄でも有名な「阿武隈川」の写真。秋の、傾きかけた太陽の光が、とても心地よい午後でした。

プレイステーション 1

イメージ
先日、ブックオフに立ち寄った時、ゲームコーナーで「リッジレーサ−5」のソフトが、数百円で販売されているのを見つけた。とても懐かしく、休みの暇な時間にでも、やってみようかなと(数百円だし)買って帰ってきた。
自分は、リッジレーサー1の世代で、当時は大学生だったこともあり、徹底的にこのゲームをやりこんだものだった。バイト先の人と「どちらが先に、ゴキブリカーを抜けるか?」を競いあったり、身内でコンマ数秒のタイム差をしのぎ合ったりしながら、かなりの時間を費やした記憶がある。
そういえば、ちょうどそのころ、セガの「バーチャファイター」も流行っていて、ゲームセンターに行くと、深夜遅くまで、対戦している人達で賑わっていたものだった。次から次へと、対戦相手が乱入してきて、後ろで見ているギャラリーも、ずるい手を使っている相手にはブーイングを浴びせたりと「たかが対戦格闘ゲーム」なのに、異常なまでに盛り上がっていた。それこそ、負けると、店内の壁を叩いたり、ゴミ箱を蹴ったりなどと、まるで「ゲームに負ける=人生最大の屈辱」のような人も普通にいた。よく考えると危ない世界だけど、自分がその中に入っている時は、違和感がないというのが「こういう世界」というものだ(笑)
もう、10年以上、ゲームセンターにも行っていないし、ゲームそのものもやらなくなったけれど、今、あらためて思い出してみると、なんだかのんびりとした時代だったな、と感じたりする。その当時は、ものすごく荒々しくて、それなりに揉まれていたような気がしたけど、缶コーヒーを飲みながら、ゲームの内容について、何時間も語り合えるなんて、平和以外のなにものでもないだろう。15年ぶりに、リッジ5で遊びながらそんなことを考えました。