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深夜の連続ツイート「iOSをアップデートした日」

iOSをアップデートしていたら、思いのほか時間がかかってしまった。そしてふと、三月は今日で終わりだということに気がつく。高校生くらいの時は「一ヶ月あれば、たいていのことはできる」と感じていたけれど、最近は「あっ」というまに過ぎてしまう。

それでも最近は「時間が過ぎる」ことに、以前ほど怖さを感じなくなってきた。それはたぶん今の自分には「挑戦したいこと」が、あるからだと思う。作ってみたいものが、いくつかあるからだと思う。

「今、気になる人、もの、ことがら」があれば、時間が過ぎていくことは怖くない。

その先には、新しい出会いや、再会、そして、作り上げた時の喜びの瞬間が待っているからだと思う。たぶん、きっと、そうだと思う。窓の外は強い風が吹いている。まだまだ冷たいけれど、どこか春が近いことを感じさせてくれる風だ。

ツイッター https://twitter.com/sa_ttaka
帰宅。ずっと締め切っていたので、外よりも部屋の中の方が暑い。少しだけエアコンをつけて温度を下げてから、窓を開けた。すぐ近くの道を歩いていく、男女の楽しげな話し声が聞こえてくる。夏だね。

そしてあと40分くらいで、7月が終わる。7月は一年の中で一番好きな月だから、もう少し7月のままでいてほしいと思ったりもする。来年の7月は、どこで何をしているだろう。少なくとも、こことは違う場所にいるような気がします。

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ある職人さんとの会話。

昨日、あのようなことをツイートしたからか、朝一である方から電話があった。「連絡がとれなかったけれど、どうしていたんですか?」と聞くと、病気で数ヶ月ほど入院していたとのこと。退院して仕事を再開したばかりだったらしい。

(つづき)入院中はずっと本を読んでいたそうだ。とりわけ太宰の作品に深く共感して色々と考えを巡らせていたそうだ。作品を読みながら、自分の心や生きるということに向き合っていたそうだ。「今年の5月に、斜陽館へ行ってきたんですよ」と話すと、ああそうなんですか、と驚いていた。

(つづき)その方は職人さんなのだけど「今てがけている作品が完成したら、写真を撮って送るので見て欲しい」と言ってくださった。もちろんです、ぜひ今度一緒に仕事をしましょうと答えた。ずっと長く残るような作品を作りましょう、と答えた。実現できるように願いをこめて、ここに記しておく。

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もう一回、やってみよう。

ここ最近、微調整の作業が続いた。実際のところ調整前のものと比較しても、その差に気がつく人は少ないだろう。むしろ誰も気がつかないかもしれない。もうこのくらいでいいじゃないか、と、いやここまでやったのだからもう一息、を繰り返しながら時間を費やしていく。

それでもやはり、自分自身が納得いかないと、どこか落ち着かないし後悔するのが嫌なので手を加えてしまう。そして、うーん、まあ今日はここまでかな、とモヤモヤしながら後片付けをする。寝る準備をする。

今日は風が強い。明日、いや今日も少し寒くなるみたいだ。もう寒いのは嫌だけれど、この寒さの先には春が待っていると思うと、色々とがんばれそうな気がしてこなくもなくもなくもない。

いただきますごちそうさま。

先日行った店で、カウンターに70代くらいの品の良い女性がひとりで座っていた。少し遅れて、同世代の男性が店に入ってきた。女性は入口の近くにいた男性の方を見て笑顔で手を振った。男性も手を振った。並んで座った。

(つづき)二人は夫婦だったのかもしれない。恋人だったのかもしれない。20年ぶりくらいに、一緒に食事をする約束をしてこの店で待ち合わせていたのかもしれない。店内が混み合っていたから「ここが空いてますよ」と教えてあげていたのかもしれない。最後のは、ちょっと厳しいかもしれない。

(つづき)夫婦でも恋人でも友人でも、長い人生の中で一緒に食事ができる時間は短いのだから、笑顔で挨拶をして、並んで座って、これおいしいぜちょっと食ってみろよ、などと言ったりしながら食事をしたい。ここいいね、またこようぜ、ごちそうさま、と気持ちよく店をあとにしたい。

(つづき)いただきます、と、ごちそうさま、を笑顔で言うことができたのなら、たぶん結構幸せに過ごせるかもしれない。静かに並んで食事をしているお二人を見て、そんなことを考えました。

シガー・ロスとテレビと服の裾。

深夜1時40分。シガー・ロスを聴きながら一人で机に向かっていたら、誰かと少し話がしたくなった。テレビを見たり服の裾をひっぱったりしながら、何度も話した事を話したい。飲めないビールを飲んで、もっと飲みたいからコンビニへ買い出しに行こうとか言ったりしたい。
(つづき)でも実際に、今誰かが側にいたとしても、特に何も話さないし、テレビを見たりもしないだろう。ビールも飲まないしコンビニへも行かない。コーヒーは飲む。シガー・ロスは聴かない。と思う。服の裾はひっぱるかもしれない。
(つづき)と、いうようなことを書いてみたら、だいぶ気が済んだので、もう少し作業を続けようと思う。不思議と、今晩はほとんど眠くないので、予定よりも少し先の方まで作業を進めていこうと考えている。そうこんな風にして、独身男性の週末の夜は更けていくのである。静かなり。

まだ、高校生だったころ。

まだ高校生だったころ。ある女子に「悲しくもないのに、時々ふと涙が出る時がある」と言われたことがあった。その時自分は「あ、そうなんだ」と軽く聞き流していたけれど、一人で何時間もパソコンのモニタを眺めて作業をしていると、そんな気分になる時がある。
(つづき)時折、大通りの方を車が走り抜ける音が聞こえる。自転車のブレーキの音も。確かに世界には自分以外にもたくさんの人がいて、まだ起きて活動をしているわけだけれど、それでもなんだろう?「今、自分はひとりなのだ」と実感した時、そんな気分になる時がある。
(つづき)あの時自分は、彼女に何と答えればよかったのだろうか。それはわからない。彼女自身も、さほど意味なく口にした言葉かもしれない。どちらにしても、もう「それ」を確認することは、永遠にできなくなってしまった。
(つづき)只今午前1時39分。これで深夜の連続ツイートおわり。今日は強い風が吹くらしいから、少し早めに行動した方がいいかもしれないな。

ナチュラルアイスコーヒー

窓際の机で作業をしていたところ、窓に面している身体の右側がすっかりと冷えてしまった。寒波だ。コンビニで買ってきたホットコーヒーも、すでにナチュラルアイスコーヒーになった。使い捨てのカイロは"それ"が当たっている部分だけ妙に温かい。ひどく冷える。寒波だ。

(つづき)昨日、仕事で会った方は正月休みに秋田へ行ったそうだ。観光客も少なく、空も澄んでいてとても良かったと話してくれた。そういえば、ここ数ヶ月旅をしていない。いくつか予定はあったのだが、全部中止になってしまった。タイミングが合わない時というのは、こんなものだ。

(つづき)どんなに素晴らしい計画でも、タイミングが悪ければ成立しない。告白の台詞を何回練習しても、相手が風邪をひいていて早く帰りたい時には、話さえも聞いてもらえないように。そして逆もまた真なり。

(つづき)あと少しだけ書いたら、今日は終わりにしよう。続きは明日にしよう、とか。じゃがりこを食べようか、太りそうだから止めようか。などと、考えているうちに午前2時を過ぎた。そしてまもなく3時になる。真冬の夜はしんしんと深まりその濃さを増していく。静かなり。

20億分の1

太陽が放射した光のうち、地球に届くのは20億分の1なのだそう。そしてあと50億年も光り続けるそうだ。20億とか50億とか、宇宙の本を読んでいるとスケールが桁違いで、イメージがどんどん広がっていく気がして楽しい。頭の中がぐらぐらしてくるぜ。
地球は太陽系のひとつで、太陽系は銀河系のひとつだ。そして宇宙にはたくさんの銀河が存在している。自分が広いと感じているこの世界は宇宙の中で見ると、ほんの点にも満たない空間なのだ。初めて「それ」を理解した人は、どのような気分になっただろう?

宇宙のことを考えながら、昨日立ち寄った書店の店員さんが、どことなく恥ずかしそうにサンタの帽子を被って接客していた様子を思い出す。外はすっかり雪で白くなった。気温がみるみる下がっていく。静かなり。

旅情をそそられてしまう、ということ。

深夜にコツコツとひとりで作業をしていた。あとひと息なのだけど、なかなか先に進まなくて同じところをぐるぐると逡巡していたら、ふと「どこかもっと遠くへ行こう」という台詞が喉の奥から捻り出てきた。そうか、これが旅情をそそられるってやつなのかな、と思った。

集中が途切れたので、おもむろに、本でも読んで軌道修正をしようと考えた。床の上に積んである本に手を伸ばしたところ、志賀直哉の文庫本が手に触れた。「城の崎にて」を読むことにした。名作である。一気に読んだ。そして水を飲んだ。うまい。

読み終わったあと「なんかこう、よくはわからないけれど、正直に生きていこう」と思った。なぜそう思ったのかはわからないけれど、そう思った。普段そんなことを考えることはないので、記録としてここに書いてみた。書いてみたら気が済んだので、また作業に戻ることにする。おわり

ひたすら遠くまで移動すること。

お伊勢参りのお土産に「赤福」をいただいた。うまい。伊勢神宮へは学生の時に一度だけ行ったことがある。夜行電車を乗り継いで、ひたすら移動するという絵に描いたような貧乏旅行だった。懐かしいぜ。

あの頃は、0泊3日などの日程で、電車の中や道端のベンチなどで仮眠をしながら旅をしていた。今考えると、とんでもないエネルギーだな、としみじみ思う。計画もなしに好奇心に従って行動して、見た目はボロボロ目だけはギラギラ、だったような気がする。

最近でこそ、旅先で「そこでしか食べられないもの」を探して食べたりするようになったけれど、学生のころはコンビニでパンを買ったり、マクドナルドでハンバーガーを食べたりしていた。「旅先でも、いつもと同じものを食べるのがいいんだ」と、わかるようなわからないような理屈で、そんなものを食べていた。

たぶん、その時の自分は「ただ、ひたすら遠くまで移動すること」が楽しかったのだと思う。手持ちの侘しい費用をかき集めて、できるだけ遠くへ少しでも長い時間、移動していたかったのだと思う。目の前の風景が早足に過ぎ去っていく様子を、ひたすら眺めているのが楽しかったのだと思う。

そして今でも自分は、同じように旅を繰り返している。学生の頃よりも、ささやかながら豊かになった資金をかき集めて、オンボロの車にカメラや本を積み込んで移動を繰り返している。ずっと旅をしていられたら、とも思うけれど本当にそうなったら旅が嫌になるのかな?

9月中旬午前4時の冷たい空気。

ようやく予定の制作がおわり、時刻は午前4時過ぎ。椅子から立ち上がり、おもむろに窓を開けてみると、おどろくほど冷たい空気が部屋の中に流れ込んできた。それはもう9月の半ばなのだから当然の冷たさなのだけれど、今年はもう少し夏のままでもよかったんだけど、とひとりでぼんやり考えていた。

(つづき)そしてもう15年くらい前に、母が「(子供達は)私達が過ごしたような時間を体験できるのだろうか」と、テレビを見ながらふと口にしたことを思い出した。何の番組を見ていたのかは忘れてしまった。そのあとに何を話したかも覚えてはいない。たぶん本人もすっかり忘れてしまっているだろう。

(つづき)そんなことを思い出しながら、昼に買った「じゃがりこ」を食べようかと手に取って、さすがにこの時間にそれはないだろう、と机の上にもどして手持ちぶさたになったので連続ツイートしてみた。気が済んだのでもう寝ようと思う。本日の仙台市の天気予報は晴れ。秋日和の一日になりそうだね。

水の匂い。

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ふと「水に匂いはあるのだろうか?」と気になって調べてみた。どうやら純水に匂いはない(人には感じられない?)そうだ。つまり僕が水の匂いだと感じているものは、水に混じったあらゆる物質の匂いだということだ。風とか土とか空気とか、そんなものが混じった匂いということだ。 

そんなことを調べながら、コツコツと修正作業をしているうちに午前1時。今年はどうやら空梅雨の予想らしいね。

思考のスピード

思考のスピードにキーボードを叩く手(指?)の速度が追いつかなくて、早くもっと早く動け、ともどかしく感じる時間はあっという間に過ぎ去った。何かが降りてくるタイミングは、いつだって一瞬だ。そして今はもう何も残っていない。気配さえも残っていない。

(つづき)文章を書いている間、頭の左後ろあたりに、以前ある人と車の中で話した時の映像が浮かんでいた。僕は(車を運転していたから)前を向いていたのだけど、助手席で話を聞いているその人の視線が真っ直ぐ自分に向けられているのがわかっていた。夜で車内は暗かったけれど、それがはっきりとわかっていた。

(つづき)その時、自分が何を話していたかはすっかり忘れてしまった。どんな音楽を聴いていたかも忘れてしまった。ただ、はっきりと覚えているのは「その人が、自分の方に身体を向けて話を聞いてくれていた」ということだけだ。

(つづき)なぜ今、そのことを思い出したのかはわからない。意味があることなのかもしれないし、全く関係のないことなのかもしれない。そして昨日から、面白いことが始まりそうな予感がしている。だから今、意味もなくわくわくしている。只今の時間は午前3時過ぎ。最近、時間が過ぎるのが早いんだ。

昨晩、漱石の「思い出す事など」を読んでいた。

やがて粥を許された。その旨さはただの記憶となって冷やかに残っているだけだから実感としては今思い出せないが、こんな旨いものが世にあるかと疑いつつ舌を鳴らしたのは確かである。(夏目漱石 思い出す事など)
昨晩寝る前に、漱石の「思い出す事など」を読んでいた。とくにこれが読みたかった訳ではないのだが、なんとなく近くにあったので読んでいた。そして、先程の部分が目にとまり「明日は粥を食おう」と思っていたのだが、朝になったらすっかり忘れていて普通にパンを食べた。つまりそういうことだ。
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一人旅のホテル。

それにしても、旅先でホテルの部屋に着いた時の「あの安堵感」は何なのだろう。初めて入る部屋で自分の他には誰もいないのに「ただいま」と思わず口にしたくなってしまう。自分は独身だから妻も子供もいないけど、家族ってこんな感じなのかなと思ったりもする。

(つづき)キャリーバックを部屋の隅に置いて、風呂にはいる。それからベットの上に横になって、本を読んだり音楽を聴いたりする。一緒に旅をした人のことを思い出したり、明日の予定などを考える。酒は飲まないので、ティーバックでお茶を飲んだり、ホテルのインフォメーションを読んだりもする。

(つづき)テレビは見ない。瞑想や腕立て伏せなどもしない。廊下を誰かが歩いている音を聞いたりしているうちに、なんとなく寝る。自分はそんな感じなのだけど、他の人はどうしているのだろう?昨晩、隣の部屋からゴンゴンと聞き慣れない音が聞こえてきて、ふと気になったので、ここに記してみた。

奈良美智「ちいさな星通信」

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奈良美智さんの著書「ちいさな星通信」の中にある「なんたって、僕は一人じゃないんだから……だからこそ、制作に向かう時は安心して一人になるのだ。」という文章が、グサリときた。そうだそうだ、と思った。何かを作る時は、いつだって一人だ。誰かと話をしながら文章は書けないから(書ける人もいるかもしれないけど)、
深夜にコツコツと作業をしていると「あ、俺は今一人なんだな」と思うこともある。世界中の人達が寝静まっているのに、自分だけがポツンと起きているような感覚になる。奈良さんのような世界的なアーティストになると、その孤独感は桁違いだろう。きっと。その深さは想像することすらできない。
だからこそ、奈良さんが言う「安心して一人になるのだ」という言葉には、グワーッときた。「これくらいで、うずくまってたら笑われちまうぜ」という気分になった。つまり、そういうことだ。さて昼飯(菓子パン1個+コーヒー)おわり。やるぜ。
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予備校生だったころ。

受験生の時、試験の帰りに駅で財布を落としてしまったことがある。後にも先にも財布を落としたのは、それが最初で最後だから、慣れないホテル暮らしのせいで、よほど疲れていたのだろう。そして、その時拾って警察に届けてくれた人が、偶然にも同じ予備校に通っている生徒だった。後日挨拶に行って互いの健闘を誓った。

予備校生の頃の友人は「一生の友人になる」と誰かが言っていたけれど、確かにそうかもしれない。みんなとは、もうずっと会っていないし連絡先も知らないけれど、ちょっと苦しい時や折れそうな時に思い出すのは、その頃の友人のことが多いからね。

みんな、今どこで何をしているのだろう。どんな仕事をしているのだろう。それが、どのような場所であったとしても、元気で過ごしていてくれれば嬉しいのだけど。センター試験のニュースを見ているうちに、ふとそんなことを思い出しました。

一生懸命に書いた文章が、届く場所。

一生懸命に書いた文章が必ず伝わるという訳ではないけれど、一生懸命に書かなかった文章が誰かの心を動かすということもないだろう。僕たちの時間には限りがあるし、本当に伝えられるチャンスは、いつだって一回しかない。そして多くの場合「それ」に気がつくのは、すっかり通り過ぎてしまったあとなのだ。すべてが変化してしまってから、ようやく失ったことに気がつくのだ。だから「伝わらなかった」ことを嘆くよりも、伝えようとした自分の勇気(のようなものを誇ろう)ってことです。それは自分が思っているよりも、ずっとずっとすごいこと、だと思うからです。

少し前にtwitterに上の文章を書いた。そしてつい先日、このことを実感するできごとがあった。
僕は、ある人に「自分のベスト」を尽くした言葉と文章で自分の考えを伝えた。ところが、その人の誤解を解くことはできず、ただ冷たい文章が返ってきただけだった。僕が知りたかったことは、そこには何も書かれていなかった。

ところが、その時の自分は不思議と冷静でいられた。
「自分のベスト」を尽くした言葉で文章を書き、それを読んでもらっても駄目なら、それはそれで仕方がない。僕には、できるだけ正直に、いじわるをすることなく、自分の考えを伝えた確信(のようなもの)があったし、これで駄目なら「もう、この人とは縁がなかったのだ」と思える気がしたからだ。

そう思った直後、その様子を見透かしたかのように、別の方からあたたかいメールが届いた。しかも2人連続で届いた。何か「見えない歯車」がカシャンとはまったような気がした。「それで間違っていないよ」と言われているかのようだった。これは不思議な体験だった。

いつも自分の考えが正しいわけではない。間違っていることの方が多いだろう。それを痛感しているからこそ、僕たちは「どこかに、完全なものがあるかもしれない」と思い逡巡してしまったりもする。そしてそれを見つけることができずに、深い困惑の中に戻ってしまうこともある。

それでも「その時の自分のベスト」を出すことができたのなら、それでいいのだと思う。それで駄目なら仕方がない。それよりも「逃げずに、精一杯考え抜く」ことが大切なのだと思う。そして「不完全でもいいから、それを言葉にして、精一杯相手に伝えようと試みる」ことが大切なのだと思う。

たとえ誤解されても、自分の言葉が「相手に対する思いやり」から発した言葉ならば、き…

僕が、一人旅をする理由。

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ひとり旅の時に「ここに、あの人がいてくれたのなら」と頭に浮かんだ人が本命の相手なのです。と、どこかで読んだ一文を思い出した。
つまりそれは、旅は人を素直にさせる、ってことなのかもしれない。
などと考えながら、ガラガラの駐車場で缶コーヒーを飲んで休憩していたところ、自分の車のすぐ横に一台の白い車が駐車してきた。こんなに広いスペースなのに、なぜわざわざ車を横付けするんだろう、と思い隣の車の様子を伺ってみると、白髪の初老の男性が一人で運転席に座っているのが見えた。 どうやら、この人もひとり旅らしい。そして、誰もいない場所にやってきて寂しくなってきたところ、ふいに自分の車が目に止まり、思わず横に止めてしまったのかもしれない。それにしても、別の人がこの状況を見たら「仲の良い二人が、車を並べて駐車しているように見えるよなあ」と考えて、なんだかおかしくなりました。実際は、全然知らない人、なんですけどね。