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啄木新婚の家へ行く。【盛岡と文学をめぐる旅】

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盛岡市の観光案内を眺めていて、ふと目がとまった。そこには「 啄木新婚の家 」という文字。なんとなく、ざわざわとした気分になる。なぜそんな気分になったのかと考えてみるに「新婚」という言葉が、そうさせるのではないかと思い至った。 まずは「福田パン」へ 時間的に、行ってみようか迷ったのだが、せっかく「ざわざわ」とした気分になったことだし立ち寄ってみることにした。ちなみに、今回は近くにある「福田パン」に立ち寄ってパンを買ってから向かうことにした。先にパンを買っておいて、どこか良さそうなところで食べようという計画である。ところが、である。店内はパンを買い求める客で長蛇の列ができていた。いったい、どのくらい並ぶのだろうかと時計を見ていたところ、パンを受け取るまでに45分ほど経過していた。 大人気である。連休中ということで、普段よりも混雑していたと思われるが、パンを購入するのに45分も並んだのは人生初の経験であった。並んでいる時は「あと、どのくらい並ぶのだろう」と限られた観光時間が気になってハラハラしていたのだが、そんな風にしてようやくパンを手にした時には、妙な達成感があった。おそらく脳内では快楽物質が軽く放出されていたと思われる。並んでも手に入れたいという人間の心理を体感できたような気がしたのだった。しかし、食べるのは一瞬である・・・。うまいけど、一瞬である・・・。 さて、福田パンのことでだいぶ行数を費やしてしまった。もしかすると啄木新婚の家よりも、無意識では福田パンのことを書きたかったのかもしれない。まあ、寄り道するのも旅の醍醐味のひとつである。話を元にもどそう。 啄木新婚の家へ行く 市内の通りを歩き、ひょい、と左折すると、そこに表れたのが「啄木新婚の家」だった。入口の看板によると「(結婚式に)啄木は遂に姿を見せなかった。」とある。これは知っていた。啄木というと純朴な印象がある方が多いと思うのだが、実際は・・・というのは、以前に本で読んだことがある。 しかしその後に続く「啄木一家がここに在ること3週間」ということは知らなかった。わずか3週間で引っ越してしまったのだそう。これは「住んだ」というよりは「しばし滞在した」という表現の方が近いような気がするが、まあそんな野暮なことは言わずに(書いていますが)中に進んでいくことにする。

太宰治まなびの家 (旧藤田家住宅)へ行く。

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私の人生は、運が60%。才能が5%。 10月の連休に、旅に出ることにした。 初日、まず最初に向かったのは「 太宰治まなびの家 (旧藤田家住宅)」だ。昨年訪問した「 斜陽館 」と「 太宰治疎開の家 」にひきつづき、一度行ってみたいと思っていた場所である。斜陽館も、疎開の家も、そして、学びの家も、高校生の時に太宰の作品を読んでから「行ってみたいものだ」と思いつつ、なかなか行けなかったのだが、一度タイミングが合えば、このようにとんとん拍子で訪問できるわけである。まさに、人生とはタイミングと運である。 ちなみに私の人生は、60%が「運」であると思う。のこりの20%が「偶然」で、さいごの20%が「才能」だと思う。いや才能なんて「5%」くらいかもしれない。ほとんど運と偶然に支えられてきた。年齢を重ねるごとに、そう実感するようになってきた。 太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)へ さて。 太宰治まなびの家は、太宰が官立弘前高等学校に在学していた三年間、下宿していた場所である。カーナビを頼りに指示された方向へと進んでいくと、静かな住宅街のなかに「それ」はあった。 斜陽館の時には、案内の看板などが増えていくにしたがって「おお、いよいよ斜陽館が・・・。あの角を曲がったあたりに・・・」と、気分が高揚したものだったが、まなびの家の場合は周辺が住宅街だったこともあり「あれ、ここかな?」というような感じだった。もしかして、あまり見るところはないのかな、というのが第一印象だった。 「学生の頃の太宰」を感じる部屋 しかし、安心していただきたい。当時のままに保存されているという太宰の部屋は、大正時代の面影がそのままに残っている「ああ、まさに、ここだ」というような空間だった。当日は小雨が降っていたのだが、その淡い光量もよかったのかもしれない。いかにも静かで、落ち着いてして、そしてどこか湿っぽい雰囲気が「学生の頃の太宰」を、連想させるような印象を醸し出していた。 太宰は、この部屋で何を見て、何を考え、そして何をしようと思っていたのだろう。芥川に憧れた青年は、自分が文豪と呼ばれる人物になることを想像していただろうか。もちろん、そんなことも考えてはいただろうけれど、それよりは恋愛のことが思考の中心になっていたのではないだろうか

太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」へ 太宰をめぐる青森への旅(2)

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太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」へ 太宰治疎開の家 (旧津島家新座敷)は、斜陽館の混雑ぶりとは対照的に静かで落ち着いた場所だった。ここには40分ほど滞在したのだけど、僕達の前に一組。後に一組。わずか、それだけしか訪問する人がいなかった。 ところが、そう、ところが太宰が好きな人にとっては、この場所は 絶対に外せない場所 である。パンフレットによると「新座敷は、文壇登場後の太宰の居宅として唯一現存する邸宅である。」とあるように、ここは実際に太宰が滞在して執筆した場所に触れることができる、数少ない貴重な場所なのだ。 ここは「パンドラの箱」が執筆された家 太宰はここに、昭和20年7月末から昭和21年11月まで滞在した。この間に、仙台出身の自分には思い入れのある「パンドラの匣」も執筆されたとのこと。あの、 「やっとるか。」 「やっとるぞ。」   「がんばれよ。」 「ようし来た。」 (パンドラの匣より) が執筆されたのが、まさにこの場所だと考えると頬がゆるんでくるような気がする。この天井を見上げて「ふうむ」とペンを走らせていた様子を想像していると、 太宰が実際にこの世界に存在していたのだ ということを体感できたような気がする。 と、いかにも色々なことを知っているような素振りで書いているけれども、実は僕自身ここに来るまで、この事実を知らなかった。 現地でいただいたパンフレットを見て知った のである。 いやはや、ここに立ち寄って良かった。「ちょっと疲れたし、斜陽館は見たし宿へ行ってゆっくりするか」と、くだらないことを考えなくて良かった。やはり旅先では「よし、時間があるからここにも行ってみよう」と、足を伸ばすことが大切である。意外とそんな風にして立ち寄った場所で出会ったできごとが、目的地よりも大きな収穫を得る事ができるのも少なくないものである。 さらに幸運なことに、僕達が訪問した時には他に訪問客がいなかったため、店長さん(と、いう表現でよいのだろうか?)から解説をしていただくことができた。 「作品のこの部分に書かれているのが、この部屋です」 「え? あれって、この部屋だったのですか?」と、作品世界と現実の世界とがリンクしていく。それは、実際に現地を訪問したから体感できる素

太宰治の生家「斜陽館」へ行く 太宰治をめぐる青森への旅(1)

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「斜陽館」へは、行くことができなかった。 今年の5月の連休は、4日間ほどかけて青森方面に旅してきた。色々な場所へ行って色々なものを見てきたのだけれども、僕にとって今回の旅のハイライトは「 斜陽館 」を訪問できたことだった。 今までにも青森へは何回か旅をしてきたけれど、 なぜか斜陽館へは行くことができなかった 。時間的に厳しくなって予定を変更したり、吹雪と大雪で道路が通行できなくなってしまったりなど、など。とにかく様々な理由で訪問することができなかったのである。 ここまで縁がないということは、もしかすると、このまま永遠に訪問できないのではないか? なにかしら見えない力が働いて拒絶されているのではないか。とまあ、そのようなことを冗談まじりに考えつつも、意外と本気で「今度こそ! いやもしかすると今回もまた何かトラブルが起きて…」などと考えつつ、仙台から出発したのであった。 そして「斜陽館」へ向かう 斜陽館へは旅の二日目に向かう予定だった。弘前から岩木山神社へ向かい参拝後、白神の森を歩いてから、最後に金木町へ向かう計画だった。少々タイトなスケジュールではあったけれどもトラブルや渋滞などがなければ、スムーズに到着する予定だったのだが… … 。 と、さも何かトラブルがあったかのような書き方をしてしまったのですが、実際はほぼ予定通りに金木町に到着することができた。順調に進む時というのは、まあこんなものである。駄目な時は、どうあがいても駄目なのだが、うまくいく時はさらさらと流れていくのである。 写真で何度も見た、あの「斜陽館」と対面。 カーナビと看板の案内を確認しながら、斜陽館に車で近づいていく。(直進。次の交差点を右です。まもなく目的地付近です) 進行方向の右手に、写真で見た「あの建物」があった。おう、やったぜ。とりあえず、ここにこうやって到着できたというだけでも、今回の旅は成功だったと思えるほど嬉しかった。 仙台市から斜陽館まで、車で約370km。さほど遠くはないが、近くもない。とにもかくにもとうとう来たぜ。おそらくこの時の僕の顔には、かなりの達成感が漂っていたに違いない。 駐車場の前に立っていた係員が近づいてくる。「駐車場が満車だから、そこの銀行の前に止めてくれ。大丈夫だから」と

がんばることば。

「やっとるか。」 「やっとるぞ。」 「がんばれよ。」 「よし来た。」 パンドラの匣 太宰治より がんばらなくてはいけない時に「よしきた」と口にすると、あと少しだけ頑張れる気がする。よしきた。

読書ブログ「つまり、佐藤の本棚」はじめました。

今月から「つまり、佐藤の本棚」という新しいブログを始めました。 こちらのブログでは、私(佐藤)の記憶の中にある本棚の中から一冊ずつ選んで、その本にまつわるエピソードを書いていこうと考えています。 http://hondana.wordproject21.com 現在の目標は今年1年間休まずに更新すること。月1~2冊のペースで更新していけば、なんとか1年間は継続できるかな、と思っているのですが実際はどうなることでしょう(笑)ひとまず、来年のこの時期までに、最低12冊。目標24冊でがんばってみようかと思っているわけです。 http://hondana.wordproject21.com

千葉家曲がり家から続き石へ 遠野物語をめぐる旅(2)

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遠野物語をめぐる旅 千葉家曲がり家へ 今回の遠野めぐりは、市内観光共通券(1.050円)を購入して、市内の施設を回ってみることにした。漠然と「遠野を回る」と言ってもイメージがつかめないので、共通券が使える施設を回りつつ、その周辺の観光地にも立ち寄ってみようというわけだ。 そんな訳でまず最初に向かったのが「 千葉家曲がり家 」。遠野市のwebによると「 曲り家の最盛期に建てられ保存状態も良く、上層農民の最高級の曲り家として典型的なものといわれます。「日本十大民家」の一つに数えられます。」とある。「日本十大民家」ときたならば古民家好きの自分にとって、まず最初に押さえておきたい場所だ。 駐車場に到着して見上げた丘の上に、悠然と構えた千葉家の姿が目に飛び込んでくる。すでにこの段階で「見に来てよかった」と思ってしまうほどの存在感があった。「上層農民の最高級の曲り家として典型的なもの(遠野市HPより)」とあるように「資産家」の雰囲気が漂っている。きっと昔の人達も、この場所から丘を見上げるようにして「千葉さんのお宅は立派だねー」と話していたに違いない(←イメージ)。そんなことを想像しながら入口で共通券を購入して、家につづくやや急な坂を上がっていく。 それにしても、古民家を見るとふしぎと心が落ち着いてくるのはなぜなのだろう? 実際に古民家に住んだこともないし、近所に古民家があったわけでもないのに「なつかしい」という気分になってくる。子供のころ「このような場所で遊んだことがあるような気分」にさえなってくる。 そんな不可思議なノスタルジック気分に浸りながら、見事な茅葺きの屋根を眺め写真を撮り展示物に目を凝らし土の感触を楽しんだあとは、早々に次の場所へと移動をしなければいけないのが観光客のつらいところ。次に向かうのは「続石」だ。 遠野物語に登場した、続石に対面する 続石は遠野物語の中にも登場する石 。「さて遠野の町と猿ヶ石川を隔つる向山という山より、綾織村の続石とて珍しき岩のある所の少し上の山に入り、両人別れ別れになり、鳥御前一人はまた少し山を登りしに、あたかも秋の空の日影、西の山の端より四五間ばかりなる時刻なり。ふと大なる岩の陰に赭き顔の男と女とが立ちて何か話をして居るに出逢いたり。(遠野物語)」の「続石とて珍しき岩」

種山高原でキャンプ 遠野をめぐる旅(1)

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遠野をめぐる旅へ 出発の日 現在自分は宮城県仙台市に住んでいる。そして今回の目的地である遠野市は、お隣の岩手県にある。そう「お隣の県」なのである。仙台から遠野までは高速道路を使って片道約2時間30分。高速を使わなくても3時間ちょっとで行ける距離。少し無理をすれば日帰りでも帰ってくることができる距離なのだけど、この「ちょっと頑張れば行ける距離」というのが逆に踏ん切りがつかないものである。高校生の時に遠野物語を読んでから「いつか絶対に行く」と決めてはや幾年。ようやく今回遠野へ出発することになった。 思い入れが深い場所ということで、計画を立てている段階から張り切ってしまい、遠野物語を読み返したり図書館で資料を借りてきて調べてみたりと、出発前から無駄に情熱を燃やしてしまっていた。さらに、初めて遠野物語を読んだ高校生の時のことを思い出したりして、I君は良いお父さんになっていそうだけど、N君はどうだろう。学生のころはちょっとナーバスですぐに落ち込むところがあったけれど、案外大きな会社でバリバリ働いているかもしれないな。と当時の友人達のことを思い出して懐かしい気分に浸ってしまったりもした。もしもこの文章を当時の友人達が見ていたのなら、ぜひ声をかけてみていただきたい。久しぶりに会おうぜ。 星座の森でキャンプ さて、今回の遠野をめぐる旅の日程は、9月の連休を利用した一泊二日。一日目は遠野の近くにある「種山高原」周辺を散策して、そこにある「 星座の森 」でキャンプ。二日目は朝一番で遠野に向かうという内容だ。 なぜ「種山高原」でキャンプをするかというと「種山ヶ原は宮澤賢治作品のモチーフになった場所だからだよ」というのは表向きの理由で、ほんとうのところは、旅の日程を決めたのが10日ほど前だったのでめぼしい宿がほとんど埋まっていて、やけくそ(?)で遠野周辺のキャンプ場を探し偶然に見つけたのが、ここだったというのが真実である。 見つけてから改めて調べてみると、遠野までは車で40分程度のところだから地理的にもちょうどよい。そしてなによりもフリーサイトは「一人200円」という格安設定が魅力的だった。いや、実はこれが最大の決めてといえば決めてだったということは内緒である。なにせガソリン代と高速代だけで1万円札がひらひらっと吹っ飛んでいくので、燃費の悪いオンボ

太宰と三島の会話。

太宰治は三島由紀夫に「ぼくは、太宰さんの文学はきらいなんです」と言われた時に「そんなこといったって、ここに来ているんだからやっぱり好きなんだよなあ」と答えたという。自分はこの話がわりと好きで、ちょっとした人間関係などで心が折れそう(たまにそんな時がある)な時に思い出したりする。 するとわりと乗り切れるので、よければみなさんも試してみていただきたい。表情は神妙さを保ちつつ心の中で「そんなこといったって、ここに来ているんだから」とニヤニヤ(?)するのがコツである。本日も晴天なり。

佐々木マキ ぼくがとぶ

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先日知人と、子供の頃に読んで思い出に残っている絵本、の話をした。自分の思い出の絵本は「ささき まき ぼくがとぶ」なのですが、また復刊されないかな? と思い、ついさきほど調べてみたところ、なんと今年の2月に復刊されることがわかった。すごいタイミングだ!こんな偶然ってあるんだな。表紙もかっこいいぞ。ちなみに、この作品の中に、主人公の少年が家の中で飛行機のパーツを組み立てている場面があるのだけど、道具やゴミでごちゃごちゃした部屋の中の様子がかっこよくて、子供のころの僕は何度も繰り返し眺めていたものです。「いつか、こんな部屋で自分も飛行機を作ってみたい」と思っていたものです。 まだ読んだことがない方はオススメです。子供の頃を思い出したいあなたも、自分の子供に読んであげたいあなたも、ぜひどうぞ。 関連:佐藤の本棚「 ぼくがとぶ 佐々木マキ 」    

効果的な読書の方法とは?( その4)読んだ本の内容を手書きでメモせよ

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・前回のつづき 「読みたいと思った時に、できるだけ早く最後まで読む。読み終わったら、すぐに目次を活用して全体像を確認&補完。もう少し『読み込みたい本』の場合は、ノートに手書きでポイントを書き出してみる。そして、時間をあけずにメモを何度か読み返す。それを積み重ねていくと蓄積した情報がつながって『何かがわかる』瞬間がくる」 と、いうところまで解説してきました。このようにまとめてみると、我ながら非常にあっけない内容のように思えなくもないですが、4回に分けて書くような内容だったのかな、とも思いますが、まあ、つまりそういうことです。 さらに付け加えるならば、自分の場合は「これはすごく面白い。自分の中に新しい視点ができた」と感じた本は 「2年後」くらいに読み返してみる ようにしています。なぜそんなことをするかというと、年数を経てから読み返すと、 一度目は見逃していた(もしくは理解できずに素通りしていた)部分が理解できるようになったり、軽く読んでいた部分が実は深い内容だったことを発見する場合が多いから です。 「なんだ、ずっと探していた答えは、この本に書いてあるじゃないか」 ということも少なくありません。なぜそのようなことが起きるのかという理由は、なかなか面白いところなので、じっくり説明していきたいところですが、さらに4回分くらいの解説が必要になりそうなので、また機会があれば書いてみたいと思います。今回は「そういうことがある」と思っていただければ大丈夫です。 ちなみに、2年後に読み返す際に、当時まとめたノートなどを一緒に読むこともあるのですが、自分で書いた文章にも関わらず、予想以上にわかりにくいことが多いものです。「たしかに、ここは重要だ」と感じるところもありますが逆に「なぜ、ここが気になったんだろう」と疑問に思う部分もあります。 いかに人間の興味や関心というものは、その時の精神状態や環境に左右されるのだな 、と思いますけれど、当時の自分の状況などを思い返して、しんみりしてみたりもしますけれど、このように当時の自分の思考を分析してみるのも楽しみのひとつかと思います。 さて、最後に、ちょっと偉そうな言い方になりますが、いわゆる一般的な「読書法」の目的は 「いかに効率よく情報を収集&整理していくか」 という部分にあるのではないかと感じています。読んだ本の

効果的な読書の方法とは? (その3)読んだ内容を効率よく覚えるコツ

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・前回の続き さて、気がつくと「その3」まで続いてしまいましたが、さすがに今回でまとめていきたいと思います。思っているだけで、実際はどうなるかわかりませんが、今の段階ですでに「その4」への気配を感じておりますが、まずは3でまとめる方向で書き始めてみたいと思います。それから、ここの記事から目にされた方は「とりあえず、 その1 から読んだ方がいいかもしれませんよ」と、一応お伝えしておきます。 さて(←2回目)何か本を読もうとする時は 「読みたいと思った時に、できるだけ早く最後まで読み通す。読む前に目次に目を通して全体像を把握すると効果的」 という流れをお話ししました。ここで注意していただきたい点は、自分はいわゆる 速読を進めているわけではない ということです。 つまり 「早く読むことが目的」ではなく「途中で読むのを止めるくらいなら、多少読み飛ばしてでも最後まで読んだ方がいい」 ということです。あくまでも「速読ではなく、速読に似た形式になってしまった」ということです。そんな微妙な違いを強調しなくても、と思われるかもしれませんが、微妙な違いでも積み重ねると、大きな違いになりますので、あらためてここで確認させていただきました。 「同じように見える表現でもコンセプトが異なれば、それは異なった表現である」 ということですね。そこから生まれ、発生していくものは別の方向へ進む(可能性がある)と、いうことです。 さて(←3回目)本題に戻しますが、有名なエビングハウスの忘却曲線などを見ますと、すでに記憶した1時間後くらいから急速に記憶の質が低下していくというデータがありまして、学生の頃に初めてこのデータを知った時は「こんな急速に? それはおおげさなのではないか?」と感じましたけれども、実際に進学塾で講師をしてきた自分の経験と照らし合わせてみますと、ここまで極端ではないにしても 記憶の質と量は急速に損なわれていくものだ と感じています。 むしろ 「損なわれたことに、気がついていない」だけで、多くの人がこのデータのように、吸収した(つもり)の情報を、わずか数時間で大量に失っているのだ と思います。気がついていないだけなんですね。 そのように考えますと「勉強する意欲が失せる」といいますか「読んだそばから忘れるのなら、せっかく本を読んだって、ねえ」という気分にもな

効果的な読書の方法とは?(その2)読む前に目次を読む

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・前回のつづき 「読みたいと思っている本を、読みたい時に、一気に最後まで読む」 というルールを設定したところ、読みかけ本の在庫が一掃されて、いい循環が始まったという話をしました。 前回の文章を読んだ方の中には「そんな読み飛ばしただけでは、内容も頭に入ってこないだろうし、無駄なことをしているだけ」と感じている方も多いかもしれない。実は、自分もそう思っていた。 「めくっている時間だって、バカにならない」 とさえ、思っていたわけです。 ところが実際に試してみると 「思っていたよりも、情報を吸収できている」 ということに気がついたわけです。 おそらく自己分析してみるに、今までは「一字一句たりとも読み落したくない」ではないですが、理解できなければ先に進まない、というような意識で読んでいたわけですけれど、その方法だと自分のレベルの理解力の場合、 かなり立ち止まりながら読むことになる→ 途中で集中力が落ちる→ 読むのを止める。 という悪循環の原因になっていたわけです。それ以前に 理解力&記憶力には限界があるわけで、どんなに丁寧に読んでいる(つもり)でも読み落しは生じる ので「止まるくらいなら飛ばして、先に進む」この方法が合っていたのだと思います。 以前、あるパソコンソフトの初心者セミナーに参加した人から聞いた話なのですが、まず最初に 「おおまかな全体像を掴んで、簡単な処理を最初から最後までスムーズに作業ができるようになる」 ことを学ぶべきなのに「ここの線を消すにはどうしたら?」などと、細かな(つまり部分的なテクニック)に関する質問ばかりして先に進めない人がいたそうです。たしかに、その気持ちはわかりますね。 気になるものは気になる。それは仕方ない。でも、 まずは最後まで一通り流れを学んだ後から細かな部分を補足して行く方が、結局理解度も高まるわけだし、それが基本を学ぶということ だよなあ、と思ったわけです。まずは、細かいところはわからないままでも、全体像を把握することを優先する。そうじゃないと「今、自分が学んでいることは、どこの部分でどんな役割をするのか」がわかりませんから、基本の柱が立ちません。 初心者の場合は、特にこれが大切になってくるよなと思ったのです。そして、読書も同じだと思ったのです。最後まで通してみてから、細かい部分を補完していった方が理解度も習

効果的な読書の方法とは? (その1)流し読みでOK 最後まで読むことが大切

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仕事関係の方から「どのような本を読めばいいですか?」「忙しいのに、いつそんなに本を読んでいるのですか?」と、いうような質問を定期的に受けます。 そんな時は 「読まなければならない本、ではなく、その時に読みたいと思った本を読む」「読み始めたら、最後まで一気に読む」 の2つを答えるようにしています。 これは最近自分が体感していることなのだけど、年齢を重ねるごとに「集中力&持続力」が格段に弱くなっていることを実感することが多くなりました。中学生~高校生くらいの時は新書だと2~3時間程度で一気に読み終わり「ああ、もう読み終わってしまった」という感じだったのだけど、最近では気がつくと新書を3〜4日くらいかけて、ようやく読み終わるというようになってしまっていたのです。しかも読み終わるのはまだ良い方で、最初の数ページだけをパラパラとめくり「続きは後で読もう」と、数日は横においておくのだけれども、そのうち書店で新しい本を買ってしまい読みかけの本は棚の隅の方へ、を繰り返すようになってしまっていたのです。これでは 「本を読むのが好き」というよりも「本を買うのが好き」 という感じです。買った段階で満足してしまっているのですね。 そこで自分に設定したルールのひとつが 「読み始めたら、できる限りその日のうちに最後まで読む。とにかく読み終えることを重視する」 ということなのです。購入した時点が「その本を読みたいという感情のピーク」なわけで、そこからは急速に下降していくわけなので「興味の感情が高いレベルを維持しているうちに、最後まで読んでしまおう」と思ったわけです。勢いを重視する、ってことです。だからこそ「読まなければならない本、ではなく、読みたい本」である必要があるわけですね。 ただ、この方法だと今度は 「最後まで読まなければいけない、という苦痛」 が生じるので、楽しいはずの読書が宿題が終わらなければ遊びに行ってはいけません、と同じになってしまうので、さらにひとつ 「今の自分が興味がない、今ひとつ理解できない、と感じた部分は流し読みをしてもよい」 というルールを設定しておきました。そもそも興味がない部分や理解できない部分は、時間をかけて読んだとしても「今の自分には残らない」場合が多いので、本当に必要な部分以外は、さっさと飛ばし読みをすることにしたわけです。本を読むのが

柳田國男の遠野物語を読む。

青空文庫にて、柳田國男の遠野物語が公開されていたので、さっそく読んでみた。自分が、初めて遠野物語を読んだのは大学生の時だった。その時は「とりあえず読んでおかなければいけない本の一冊」ということで、単行本を購入して通読してみたものの(その当時の自分にとっては)とりわけ引っかかるところもなく、さらっと読み終えてしまったという記憶しかなかった。 そのような記憶があったので、今回も「とりあえずiphoneにダウンロードしておいて、時間のある時にでも読んでみよう」というような感覚だった。ところが、である。そう、この書き出しで読者のみなさんも、おおかた察しがついていると思うけれど、そうです。その通りです。すごく「おもしろい」のです。 まず、序の「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広のみ。(遠野物語より)」という一文が奮っている。引き込まれる。「まだまだこの日本には、お宝がたくさん眠っている。それを掘り起こすのは読者の君たちだ。後を頼む」と、いうような作者の興奮というか、志の高さが伝わってくるようだ。そうだ、自分たちはもっと「このような話」を掘り起こさなくてはいけないのだ、今自分がやりたいと思っていたことのひとつが、これなのではないか、と序文から作者に共感してしまったわけです。 3月11日の震災のあと、津波で流され失われた風景を目の当たりにする度に「この辺りには、どのような建物があっただろう」「ここには、確か・・・」と自分の微かな記憶を辿ることを繰り返し続けてきた。もう、100%同じ風景が蘇ることはない。ものごとに100%はない、とはいうけれど「あの風景が、ここに戻る事は100%ない」のだ。悲しいけれど、これが現実なのだ。そして、これから生まれ、この場所で育っていく人達の記憶の中には、全く新しく作り直された街並みのみが残ることになる。2011年3月を境にして「それまでの街並みを見たことがある人」と「見たことがない人」とに、真っ二つに別れるわけである。 そんな時に「今は、こんなに広くて走りやすい道だけれど、以前は車がすれ違うのも困難な位の細い道でバスが通る時には・・・」とか「夏になると、このあたりにやぐらが組まれて町内の人が踊るのだけど、その時に飾られ