【仕事】人前で話すのが苦手(最終回)「慣れることはない、と考えよう」
結局のところ「慣れるしかない」?
「話し方のコツ」というような書籍や記事を読んでいると「結局は、慣れるしかない。失敗を恐れずに経験を積んでいこう!」書いてあることが多いと思います。「習うより慣れろ」という言葉がありますが、理論を学ぶだけでなく実践し経験を積むことを通して、学び身につくことはたくさんあります。重要です。
しかし「本当に人前で話すのが苦手な人」の場合、かなり実践経験を積んだとしても「なかなか慣れないのでは?」というのが、私の体験を通した結論です。
私(佐藤)は20年経験しても「慣れなかった」
私は20年以上の間、仕事を通して多くの人の前で話をしてきました。小学生から大学生、社会人まで、時には苦手な飛行機に乗って移動を繰り返したりしながら、単純に考えて数千時間以上ほど講義をしてきたので、一般の方からすると「かなりの経験値」を積んできたように見えると思います。
しかし私は「慣れる」という感覚になったことはありませんでした。会場に向かう時は毎回「やっぱり、慣れないなあ」と感じながら、案内して下さるスタッフの方の背中を眺めながら廊下を歩いていきます。ドアを開けて、みなさんの視線がこちらに集中した時は、なるべく目を合わせないように俯き加減で、やや足を早めて前に立ちます。おそらくたぶんこれからも「慣れる」ことはないかと思います。
緊張感をたのしむ「工夫」をしよう
私は、人前に立って注目を浴びる仕事よりも裏方に回って色々と考える方が向いている性格だと思います。一人で地味に本を読んだり、気のおけない仲間数人と静かに時間を過ごせば、それで十分楽しく充実していると感じます。休みの日などは、人里離れた山へ行ってひとりで登って一人で頂上へいって、ひとりで「おお!いいながめだ」と呟いて帰ってきたりします。
そんな私と同じように「人前に立つのが苦手」な人は、回数を重ねても慣れることができない自分に直面して焦ってしまうと思います。書籍などで解説されているノウハウは「回数を重ねることで、慣れることができる人向け」が中心です。私や、あなたのように「慣れることができない人」には、しっくりこなくて「ああ、こんなに勉強して経験を積んでも慣れない。やっぱり自分には無理だ」と苦手意識が増えてしまう人も少なくないでしょう。
なので「頑張って経験を積めば、そのうち慣れるだろう」と考えるのではなく、最初から「私はたぶん、人前で話すことに慣れることはないだろう」と考え「緊張感がピークになっても、最後まで話ができるような準備と工夫」&「緊張感を楽しむ工夫」を積み重ねていくことが「人前で話すことが、本当に苦手な人」には大切だと私は考えています。
ちいさな一歩でも、私には大きな収穫
たとえば、今回説明したように「今回は、挨拶だけはしっかりやろう」と、小さな課題を意識して確実にクリアしていく。人前で話すのが得意な人からすれば「そんなのすぐにできるでしょう!」と言われそうなことでも「私にとっては、ちいさいけれど大きな一歩」と積み重ねていくことが、挑戦を長く続けられるコツだと思います。少なくとも、私自身はそうでした。
そして、ここは太文字で強調しておきたいのですが、そのような小さな課題をクリアしていくと「話をしていて、楽しいと感じる瞬間」は確実に増えていきます。それはほんの一瞬で、すぐにいつもの自分に戻ってしまうかもしれませんが(笑)その瞬間は必ずやってきます。
私が話す言葉に、受講生のみなさんが大きくうなづいたり、笑ったり、拍手をしてくれたり。初対面のはずなのに「ああ、なんだか同じ感覚を共有できているような気がする」と感じる瞬間。
そして講義が終わった後に、受講生のみなさんと名刺交換をしながら交わした言葉。10年以上経過した今でも、私はその時に交わした言葉は鮮明に覚えていますし、これからも忘れる事はないと思います。そして、そのような経験があるから、様々なプレッシャーや緊張感を乗り越え、苦手な飛行機に乗ってでも次の会場に向かえるのだと思います。
10年後のあなたが、今を振り返った時に感じること
このような記事を読んで真面目にがんばっているみなさんのところにも、そんな瞬間は絶対にやってきます。「あなたの話を聞けてよかった!」「もっと、色々と教えていただくことはできますか?」そのような言葉が返ってくる場面が、未来に準備されています。
そして今から、10年、20年と時間が過ぎた時「ああ、あの時、緊張して手が震えて、準備した内容が一瞬で吹き飛びそうになったけれど・・・楽しかったなあ!」と振り返る時がやってくるでしょう。今でも話す時は緊張するけれど、最近ではどうにか「自分らしい話し方」ができるようになったなあ、としみじみと噛みしめていることでしょう。
どうして、そのようなことがわかるのか?
それは、私(佐藤)自身が、そのような体験を実際に積み重ねてきたからです。(おわり)