東大寺へ行こう。初めての奈良旅(5)

東大寺へ行こう

まだ9時を少し回ったばかりだというのに、東大寺の南大門へと続く道は多くの観光客で賑わっていた。海外からの団体客と思われるグループ、家族旅行、ひとり旅、様々な人達が連なって歩いていく。先ほどまでの落ち着いた雰囲気から一変して「日本を代表する観光地としての奈良」を体感する。

東大寺南大門へ

そしてたくさんの人達と一緒に進んでいく先にあるのは、東大寺南大門。ここには日本史の教科書にも登場する、あの仁王像がある。そう「金剛力士像」である。

阿吽の呼吸で、宇宙を完成させる

東大寺仁王像

「迫力」とは、この像のためにある言葉なのではないか。そう感じるほどに、力強く堂々とした姿。学校の資料集の写真ではわからない大きさと存在感に、思わず笑顔になってしまう。この場合の笑顔とは、楽しいからではなく、呆気にとられて思わず破顔してしまった、というニュアンスである。僕の横に立ち、写真を撮影していた白髪の外国人観光客と、一瞬目が合った。お互いに、にっこりとする。たぶん、あの方も自分と同じ感覚になったのかもしれない。すごいね、と言葉は交わさなかったけれど、気持ちを共有できたような気分になれた。

ちなみに仁王像は「山口県で伐採された木材が、約1年程で搬送され、古文書の記述通り、ほぼ70日間で二体同時進行で、造像されたことも証明された。(東大寺ホームページより)」とのこと。70日間というのも短期間に感じるけど、二体同時進行ということは、当時の現場はさぞ活気があったのではないだろうか。「これは、そっちじゃない。こっちのそこに使うんだよ!」「こっちのそこって、どっちですか!」とかね。それとも、設計図を見ながら粛々と作業が進められたのだろうか。そんなことを想像しながら、南大門を後にし大仏殿へと向かう。

大仏殿で「奈良の大仏」へ参拝する。


「奈良の大仏」と耳にすると思い出すことがある。小学六年生の社会の授業の時の話である。担任の先生が「奈良の大仏の大きさを体感しよう」ということで、教室の壁にスライドで大仏の顔を実物大で写してくれたのだった。残念ながら当時の機材は性能があまり良くなく「なんだか、よくわかりません」という結果になってしまった事を覚えている。大仏は残念だったが、生徒のことを考えて色々と工夫をしてくれる、とても良い先生だった。小中高を通して「恩師」と呼べる先生は、このA先生だけかもしれない。と、少しノスタルジックな気分を漂わせつつ、仏像の前へと進む。

それにしても、大きい。もしかすると、この「大きさ」が最大のコンセプトだったではないだろうか。「像高 14.98m」ということは、マンションの階数だと4〜5階といったところだろうか? たぶん、この高さが重要だったのだろうと思う。もしかすると14.98mという微妙な数値にも意味があるのかもしれない。いつか機会があれば、くわしく学んでみたいと思いました。

数百年前の仕事に、憧れと感動と気持ちをいただく

東大寺大仏殿の門


そして、この大仏殿にて記憶に強く残ったのは建物の大きさだった。大仏像の高さが、台座も含めるとかなりの高さになるわけで、それをさらに上回る大きさが必要になるわけである。しかし、ただ大きな建物を作れば良いというわけではなく、しかるべき意匠もほどこさなければいけない。色々な意味で「命を注ぎ込む」ような作業だったのだろうな、と想像する。

ましてや、作業が行われたのは近代ではなく数百年も昔の時代なのだから。僕たち現代人も、まだまだ限界は先にあることを肝に命じて仕事に取り組んでいきたい。未来を生きる人たちに「いい仕事だ!」と感嘆してもらえるような、いやせめて関心を持ってもらえるような仕事をしていきたい、としみじみ思いました。


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