2017年10月27日金曜日

はじめての奈良旅(7)志賀直哉 旧居へ

志賀直哉旧居へ


ほとんどの人が覚えていないと思うのだが、二つ前の投稿に「今回、行ってみたい場所がある」と書いた。もったいぶっていたわりには、すでに、この記事のタイトルでバレてしまっているけれど、つまりそこが、今から向かおうとしている「志賀直哉 旧居」である。

初めて読んだ志賀直哉の作品は、中学生の時に読んだ「小説の神様」だった。ぐいぐいと作品の世界に引き込まれ、中学生ながら「他の作家とは、どこか違う魅力」を感じたことを覚えている。高校生の時、国語の資料集で志賀直哉が宮城県石巻で生まれたということを知った。宮城県出身の自分としては「小説の神様と呼ばれる文豪が生まれたのは、宮城県だったのだ」と、さらに思い入れのある作家の一人になっていた。

そんなわけで、今回の奈良旅を計画している時に眺めていたガイドブックの中に「志賀直哉旧居」という文字を見つけた時、自分の中では「たとえ東大寺や興福寺に行けなくても、ここには行きたい」という最優先事項のひとつになったのだった。そして、今回の旅も3日目。いよいよそこへ向かう。


ささやきの小径を通って、高畑町へ


春日大社から志賀直哉旧居へは徒歩で移動する。春日大社の境内から「ささやきの小道」と呼ばれる小径へ入る。参拝客で賑わう境内とは正反対に、この道を歩いている人の姿はない。あまりにも静かで穏やかなので「この道で大丈夫なのか?」と思いながら進んでいくと「志賀直哉旧居」と書かれた案内板があった。安心して足を先に進めていく。

ちょっとした里山を歩いているような雰囲気の道。木漏れ日が射し込み、高畑町へ向かって少し下り坂になっているこの道を、志賀直哉も歩いたのだという。何を考え、どんなことを話しながら歩いたのだろう。そんなことを想像しながら、道に覆いかぶさるようにして生い茂っている木の下を10分ほど歩き、小さな橋を渡ると閑静な住宅街の横に出た。そこから、だいたいこのあたりだろう、と検討をつけて先に進んでいくと案内が立っている建物の前に到着した。






門をくぐり入場券を買い求める。受付の方に写真を撮っていいかと尋ねると、どうぞという声が返ってきたので、連れにスマートフォン渡して玄関の前で写真を撮ってもらう。普段はあまり自分から写真を撮ってもらおうとは考えないのだけれども、このような文学に関係する場所に来ると、修学旅行気分のようなワクワクした気分になって、写真を撮ってもらいたくなる。

ニヤニヤしながら写真に納まったあと、玄関の左手にあるやや急な階段を上っていく。開放感のある和室の窓の近くへ寄り、下の庭を見下ろしてみる。受付でもらったチラシによると、ここは客間だったようだ。ここを訪れた客も、こうやって庭を眺めたのだろうか。いやあ先生、みごとなお庭ですね、などと会話を弾ませたのだろうか。




そして、今回一番見てみたかったのが、その隣の部屋である。そうこの部屋で志賀直哉は「暗夜行路」を完成させたのだそうだ。窓から外の光がやわらかく射してくる清々しい雰囲気の和室。ここで、筆を走らせ推敲し、あの作品を完成させたのか。部屋の真ん中に置かれた文机を眺めながら、執筆している文豪の姿を想像してみる。そこには静かで端正な気配が残っているような気がした。




下の階に降り、建物の中をぐるりと回る。ひとつひとつの部屋、そして隅々にまで家主の気が配られているのを感じる。コルクが床に敷かれた子供部屋には、子供が子供らしく生活できるような気配りが感じられるし、夫人の部屋からは趣味のよい気品と過ごしやすさを。もはや、たくさんの人が歩いて擦れたサンルームの床さえも美しく見えてくる。

自分だけが良いと感じるのではなく、ここに住む家族、集う人達、すべての人のために丁寧に作られた家屋。豊かな感性を表現しながらも、押し付けがましくない心配りのある設計。このような場所をデザインすることができた志賀直哉は、どれだけの豊かな感性と体験を持っていたのだろう。

しかし、志賀直哉は1938年に東京へ移住することになる。もしかするとそれは「理想の住居」に住み心身が満たされることで、創作への感性が鈍ることを嫌ったからではないか。不満や不自由さが新しい自分を育てていくきっかけになるように、「満たされることは、作家にとっては良いこととはいえない」と考えたからではないか。ふと、そんなことを想像してみたりもした。




庭を通り玄関へ向かいながら、この旅、何度目かの、ここに来ることができてよかった、を繰り返した。またいつの日か、ここに来てみたい。そんな場所が増えていくのは嬉しいことだし、旅を続ける理由のひとつなのかもしれなくもない。

はじめての奈良旅(8)ならまち散策