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松島 2013.7

震災後、通行止めになっていた「松島パノラマ線」が、今年の春に再開(通行可能)になったというのを知って、先日ひさしぶりに走りに行ってみた。 特に荒れているところもなく、気持ちよく「西行戻しの松公園」まで到着。車を止めて、白衣観音堂前の展望台まで歩く。今年の宮城は7月下旬を過ぎても梅雨が開けなくて、涼しい気候が続いているのだけど、しっとりとした気持ちのいい松島の風景を見ることができた。

仏像購入。

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「自分への誕生日プレゼント」と称して、仏像のフィギュアを購入した。いい出来である。しみじみ。 今回購入したのは、海洋堂さんの「リボルテックタケヤ・広目天(木彫版)」だ。以前から「これはよさそうだ。いつか買ってみようかな」と思っていたのだけど、なかなか機会がなかったので、今年の誕生日をきっかけに思い立った、というわけである。 さっそく関節をコキコキと動かしてポーズを考えてみたり「この角度で写真を撮ると、なかなかリアルだ」などと、色々と楽しんでいる。すばらしい造形美だ。このフィギュアが、奥の間に飾ってあったならば、祖母などは思わず手を合わせてしまうかもしれない(笑) 自分は以前から、十二神将や四天王の造形美に魅力を感じていて、博物館などに展示されている仏像を眺めるのが好きだった。ずらりと並んでいる様子を見るにつけ「これが自分の家に並んでいたら、すごい迫力だろうな」と思っていたので、今回の広目天購入は(フィギュアとはいえ)その目標に一歩近づいたことになる。残り三体だ。コンプリート・・・できるのか? どうかな。もう一体購入してしまうと「ここまできたら、全部・・・」となりそうなので、ここで止めておいたほうがいいかもしれない。

2013.7.27

本日の仙台市は雨。 わりと大粒の雨が、傘を叩いていきます。

ラシーン マフラー交換

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それは今から10日ほども前のことだった。佐渡の旅を終え、宮城へもどる道中。ラシーンの排気音が大きくなったような感じがした。車を停車して路肩に寄せ、下をのぞきこみマフラー周辺に手をかざしてみると、やはりそうだ。排気が手に当たる感触がある。これは家に帰ったなら、修理が必要だな。まだ補修用のパテが残っていたはずだから・・・と、その時はその程度のことだと思っていた。 往復数百キロの走行を終え、無事帰宅。自宅の駐車所に辿り着くころには「あからさまに異常な排気音」になっていた。が、時刻はすでに午前1時過ぎ。暗いし旅から帰ったばかりの疲労もあって、その日はすぐに寝てしまうことにした。 翌日。いつものようにラシーンの下に潜り込んでマフラー周辺を探ってみる。「おや。なんだかガタガタして・・・外れた!」そう。マフラーとパイプの接合部分から、ぽっきりと折れてしまったのである。見るも無惨。脱力。「たかがマフラーの接合部分が折れただけだろう? 古い車にはよくあることだよ」と、古い車が好きな人は言うかもしれないけれど、目の前でぽっきりいってしまうと、かなりダメージがあるものだ。あやうく心も折れそうになった(笑) とはいっても、このままにしておくわけにはいかないので、知り合いに電話をして見てもらうことにした。結論から言うと、マフラーとセンターパイプを「そっくり交換」ということになった。中古部品を探してもらって「なんとかお願いします」と、修理を依頼する。 その後「ネジが一体化してしまっているので、焼き切らなければいけない」などと、古い車だけに、すんなりといかないできごとが続く。なんだかんだあれだ、それだ、と頑張ってもらって、なんとか無事に交換作業は終了した。作業の経過状況を聞く度に「もしかしたら、このまま廃車になるのでは?」などと思ったりもしたのだけど、うまいこと予算内で収めてもらえて一安心。胸をなでおろす。ラシーンに乗っている方で、これからも長く乗りたい方は足回りとマフラー周辺のチェックは大切になるかと思います。「鉄は熱いうちに打て」ってことです。気軽に相談できる、腕のいい工場を見つけておくことも重要ですね。 最初は「費用をかけて修理をするよりも、買い替えた方がいいかもしれない」とも言われて、一瞬悩んだものの、修理を終えたラシーンに乗っていると「修理してよかった

haco28. matoi 公開しました。

matoi (short ver.) : haco28. オフィシャル →  http://haco-28.blogspot.jp

佐渡への旅(最終回)

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大野亀 を後にして、 二ツ亀海水浴場 へ向かう。海開きを前にした海水浴場は、自分が訪れた時間が夕刻だったということもあって、どことなく物悲しいような雰囲気を漂わせていた。あと数日もすれば、夏をまちわびた子供達の歓声で賑わうのだろうけど、今はまだ静かなままだ。 二ツ亀海水浴場は引き潮の時だけ、奥の島への道が表れ渡れるようになるのだけど(写真の中央部分の道が、島までつながっていく)自分が到着した時は、潮が満ちていて島へは渡れなかった。なので、海と陸の境目ギリギリまで行って海水に手を浸してきた。ちなみにここは「 日本の海水浴場100選 」に選ばれているとのこと。目の前に堂々と横たわる山。引き潮の時にだけ表れる道。そして、見る角度で色を変えていく透き通る美しい海水。たしかに、選ばれるにふさわしい海水浴場だと思った。朝一番でここにやってきて、夕方まで風景が変化して行く様子を眺めていたい。ゆったりと時間をかけて、海を楽しみたい。そんな風に感じる場所でした。 海水浴場から駐車場へ戻る途中にキャンプ場があった。そこにはバイクが一台と一人用のテントが一張設置されていた。夜に向かって、少しずつ強くなってきた風がテントの屋根をしきりに叩いている。出発の時に宿のおかみさんが「今日は大雨警報が出ていますよ」と言っていたから、もしかすると今晩はテント泊にはちょっとせつない夜になるかもしれない。それでも・・・そう、テントの旅には無性に惹かれる「何か」があるんですよね。地面の上に直接寝転んで眠る感覚とか、感触とか、あれとかそれとか。今年の夏は、ひさしぶりにテント泊をしてみたい。そんなことを考えながら車に戻り、今夜の宿へと向かいました。 宿の料理もおいしく、清潔な部屋でのんびりと過ごしているうちに一夜が明けた。どうして旅の夜は足早に過ぎていくのだろう。日常の「くだらない」時間を貯金して、旅の日に活用できたのならと毎回思う。実際には、そんなことはできるわけはないのだけど、わりと本気で思う。 愛想の良い宿のおかみさんに見送られながら、帰りは 内海府海岸 周りで両津港を目指す。「宿から両津港へは、だいたい1時間くらい」と聞いていたので、あせらずのんびりと走ることにする。 目の前に表れてくる海岸はどれも美しかったから、何度も車を止めて眺めていたくなる欲求を抑えるのが大変だった。

大野亀から二ツ亀海水浴場へ 佐渡への旅(4)

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さらに北上を続けること約1時間。 今回の目的地のひとつである「大野亀」に到着した。大野亀は、初めて佐渡のパンフレットを見た時に「ここへは絶対に行こう」と即座に決めた場所。なので雨が降ろうが風が吹こうが、とにかく現地へ行ってみようと考えていた。 ちょうど、大野亀へ向かう坂道を車で登っている時、待ち構えたようにゲリラ豪雨に襲われてしまった。ワイパーを最速にしても前が見えない。視界が悪いので時折やってくる対向車にもひやひや。それでもなんとか大野亀前の駐車場へまでは辿りついたのだけど、あいにくの曇天。雨で視界不良。駐車場には自分の車以外は車が止まっていない状況だった。本来ならば、ここであきらめて移動するのだろうけれど、なにせフェリーに乗ってレンタカーを借りて、ようやくここまでやってきたのだ。そうそうあきらめてはいけない。少し様子を見ることにして、車の中で仮眠をとりながら待機してみることにした。 昨晩の睡眠不足と早起きのせいで、15分くらいだったろうか。それとも30分は過ぎていただろうか、ついうとうととしてしまった。ふと目を開けてみると空が白くなっている。いや、それだけではない。大野亀の上の方に日が射しているじゃないか。急いでカメラを持って車の外へ出る。あんなに激しく降っていた雨が止まっている。すごいぞ。頑張ってねばったかいがあったじゃないか。…いや実際は、車の中で寝ていただけですけどね。 これがその時の写真。写真の左上の方が大野亀の山頂付近になる。ついさきほどまで、ゲリラ豪雨に打ちのめされたいただけに、この風景には静かな感動があった。雨が止むのを待ちかねていたトンボ達が、一斉に初夏の空を舞い始める。鳥の声も聞こえる。足元からは微かな波の音も。日本にも、まだまだこのような風景があるのだ。 周囲が明るくなったことで大野亀山頂へ続く登山道も良く見えてきた。登山好きとしては、登りたい欲求が沸き上がってきたけれど、また雨に打たれると大変だし、時間にも限りがあるのでしみじみと眺めて満足することにした。これから佐渡に行かれる方は、時間に余裕をもって、ぜひ自分のかわりに大野亀山頂へ登っていただきたい。あとは頼む。 大野亀を背にして東側の方を見る。 右手奥にふたつ並んで見えるのが、これから向かう二ツ亀だ。振り返ると大野亀の勇姿。奥に目を移すと二ツ亀

外海府海岸を車でドライブ 佐渡へいく(3)

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尖閣湾を後にして、外海府海岸をレンタカーで北上していく。 海岸沿いの平坦な道をのんびりと・・・と思っていたのだが、実際はさにあらず。地図の「地形」のタグをクリックするとおわかりいただけると思うのだが、佐渡には1.172mの金北山を始めとして、わりと標高のある山々がそびえたっているのである。なので、海岸沿いの道を走るとそこそこきつめの勾配の道を登ったり下ったりを繰り返すことになる。道路自体はちゃんと整備されていて走りやすかったけれど、Rがキツめで若干対向車が見えにくいところもあるし、時折大型バスやトラックともすれ違うので、慣れていない方は時間にゆとりをもって計画を立てた方がいいかもしれません。 大きな地図で見る もちろん、海岸沿いの道が登ったり下ったりの連続だからといって、佐渡の印象がマイナスになるか、というとそういうわけではありません。むしろ「海もあるし山もあるし川もあるし!」と「ここにお爺ちゃんが住んでいたら、夏休みの旅に飛んでくるぜ」と思うような魅力的な場所だと思います。午前中に裏の山に登ったら、午後からは海に入って汗を流す、なんてこともできるのである。数日前に「山と海ならば、どちらに住んでみたいか?」というような話をしたばかりだったのだけど、まさに佐渡ならばこの両方を満たしてくれるというわけです。 参考に、こちらの写真を見ていただきたい。これは海岸沿いの急勾配の道をぐーっと登って、カーブから下の方をのぞきこんで見た時に撮影した写真なのだけど、山と海と田んぼと砂浜が美しく調和していることを確認いただけると思います。 海のすぐそばに田があるというのが、いいですね。こんなに海の近くに田があったならば、米が塩辛くならないのだろうか、などと思ってしまいます(ならないですよね・笑) 当日は梅雨前線の影響で、ワイパーをフル回転させても前が見えないくらいの大雨が降っていたかと思えば、数十分後には太陽の光が射し込んできたりと、不安定な空模様が続いていたのだけど、雨が止み次の瞬間目の前に広がった風景は、信仰心が薄い自分のような人間にも「神様からのプレゼントかな」と思うような素晴らしいものだった。雨上がりで色を濃くした緑と、少し霧がかかった山並み、そして光を反射させた水面が組み合ってできた風景は、眠気覚ましのコーヒーを飲みながら車で高速を何時間も

尖閣湾を遊覧船で観光 佐渡へいく(2)

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佐渡の北方面を走行 初日「両津港→二見港→外海府海岸」 佐渡は周囲265kmの島。東京23区の約1.5倍の大きさなのだそうだ。そう「島」といっても、かなりの大きさなので、一周するにはそれなりの時間が必要となる。今回の日程(佐渡には一泊のみ)では、すべてのポイントを観光しながら一周するにはやや厳しい距離と時間なので、今回は観光案内などを参考にして佐渡の北方面を半周「両津港→二見港→外海府海岸→(ここで一泊)→内海府海岸→両津港」という海岸沿いを走るルートにした。 大きな地図で見る 両津港から二見港へ 両津港でレンタカーを借りて出発したのが、12時30分ころ。そこから二見港方面を目指し国道350号を走行していく。道路の左右にはホームセンターなどのチェーン店が並んでいるので、まるで地元の郊外を走っているような感覚になる。当たり前だが普通の道路である。まあ、島だからといって道路に何か特別な仕掛けがあるわけではないので当然といえば当然なのだが、期待値が高まっているため「何か」を求めてしまう。 道路沿いのコンビニでガリガリ君を買ったとしても「おっ、佐渡のガリガリ君はちょっと違うぜ」なんてことが起こらないかな、と無駄に期待してしまうわけだ。もちろんガリガリ君はガリガリ君だし、レッドブルはレッドブルである。 せめて 「佐渡」ナンバーが導入されれば「佐渡を走っている気分」が高まるんじゃないかな、などと思いながら約40分ほど走行。もうすぐ外海府海岸方面に到着する、というあたりでガイドブックで紹介されていた「味彩」という店で昼食&休憩をした。 佐渡米を食べて、トキ 保護募金を 佐渡では「佐渡米(佐渡産コシヒカリ)」を食べることができる。店内に貼られていたポスターには「米の売り上げの一部を佐渡市トキ保護募金に寄付しています」とある。つまり、自分たちが「佐渡米」を食べると、ささやかながらトキ保護募金に参加しているということになるわけだ。 そう考えると、さらに美味しさが増すような気がする。もちろん実際にうまい。通販でも購入できるらしいので、気になる方は試してみてください。 尖閣湾で 海中透視船へ 食事を済ませたら再出発。尖閣湾を目指す。ここでは海中透視船に乗って、尖閣湾と水中を同時に楽しむことができる。ついさきほどフェリーに2時間以上乗ったばかりだというのに、遊覧船

佐渡へいく(1)フェリーで移動

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フェリーに乗って佐渡へいこう 一泊二日の旅 数年前から「一度行ってみたい」と思っていた佐渡へ7月の3連休を活用して行ってきた。 佐渡へ行く(渡る)には、海路を移動しなければならないわけで、一般的には 佐渡汽船 の「フェリー」か「ジェットフォイル」 を利用することとなる。フェリーの場合は片道2時間30分。ジェットフォイルの場合は1時間。時間が限られている観光客としては、移動の時間は短い方がありがたいわけだけど、フェリーは片道2.440円(2等)・ジェットフォイルは片道6.340円と運賃にしかるべき差が生じている(2013年現在)。 最初は「行きはジェットフォイルで時間を節約して、帰りはのんびりフェリーで」とも考えたのだけど、フェリーに乗るのは初めてだし船内を色々と見て回ったりするのも楽しいかな、とも思い(なにより安いし)往復フェリーにすることにした。 3連休ということもあり、客室はかなりにぎわいを見せていた。足を伸ばして座る(2等客室は、じゅうたんの上に直接座る)ことはできるものの、横になるには若干窮屈な感じだったので、荷物を置いたあとは早々に外に出てデッキ周辺などをうろうろと移動して過ごすことにした。 おいかけてくる、ウミネコと共に 乗船客は、老夫婦から3~4歳くらいの小さな子供を連れた家族連れまで老若男女、幅広い客層だった。ここにいる全員が(目的は異なっても)佐渡を目指して、移動をしているのだ、それぞれに理由を抱えドラマを持ってフェリーに乗っているのだ、と思うとなんとなく不可思議な気分になる。ちなみに自分は観光だ。ただひたすら遊びに行くのだ。 そんなことを考えながら、フェリーの横を並走しながら飛んで行くウミネコに餌(かっぱえびせん。売店で販売している)をあげている人、大きなカメラを抱えて盛んに写真を撮影している人、椅子に座って微動だにせずに小説を読んでいる人、出航早々毛布にくるまって眠っている人達と一緒に日本海を進んでいく。 最初は「たぶん時間を持て余すだろう。狭い船室でひたすら忍耐することになるのかもな」などと勝手に想像していたのだけど、実際は日本海の美しい空と海を眺めながら、のんびりと船旅を楽しむことができた。「初めてのフェリー」という新鮮さも加わって、外に設置されているベンチに座ったり、屋上へ上が

フチ子さん。

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「がんばれ! 俺が行くまで、手をはなすんじゃないぞ!」

水の匂い。

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ふと「水に匂いはあるのだろうか?」と気になって調べてみた。どうやら純水に匂いはない(人には感じられない?)そうだ。つまり僕が水の匂いだと感じているものは、水に混じったあらゆる物質の匂いだということだ。風とか土とか空気とか、そんなものが混じった匂いということだ。  そんなことを調べながら、コツコツと修正作業をしているうちに午前1時。今年はどうやら空梅雨の予想らしいね。

haco28. rustle 公開しました。

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haco28. rustle 公開しました。 haco28.のオフィシャルページは こちら >>>

マウスを買い替える。

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使っていたマウスが故障したので、新しく買い替えることにした。最初はデザイン重視で色々と見ていたのだけど、最終的には「消耗品だから価格重視でいいか」という気分になり、今回はLogicoolのワイヤレスマウスにした。実売価格で1000円前後といったところ。安い。 早速MacBook Airに接続してみる。問題なし。特にソフトの設定もなくただUSB端子を本体に差し込むだけ。説明書によると「最大12ヶ月の電池寿命」とあるのだが、実際はどのくらい持つのだろう。前のワイヤレスマウスは10ヶ月くらいで電池交換をしていたけれど、今回のマウスはもう少し長く持つのだろうか。 せっかくなので、なんとなくLogicoolのwebを見てみたのだけど、ここはスイス発祥のメーカーだったんですね。会社沿革によると「当時としては珍しかったマウス事業を開始しました。その後Logitechは世界をリードするコンピューターマウスメーカーとなり(以下略)」とある。なるほど。そのような情報を手にしてから改めてマウスを見てみると、どことなくスイスの雰囲気が・・・と思えてくるのがおかしい。単純ですね(笑)

一瞬(その2)

久しぶりに着たシャツのポケットに百円玉が二枚入っていた。なんとなく得した気分だ。…そして、消える(笑)

思考のスピード

思考のスピードにキーボードを叩く手(指?)の速度が追いつかなくて、早くもっと早く動け、ともどかしく感じる時間はあっという間に過ぎ去った。何かが降りてくるタイミングは、いつだって一瞬だ。そして今はもう何も残っていない。気配さえも残っていない。 (つづき)文章を書いている間、頭の左後ろあたりに、以前ある人と車の中で話した時の映像が浮かんでいた。僕は(車を運転していたから)前を向いていたのだけど、助手席で話を聞いているその人の視線が真っ直ぐ自分に向けられているのがわかっていた。夜で車内は暗かったけれど、それがはっきりとわかっていた。 (つづき)その時、自分が何を話していたかはすっかり忘れてしまった。どんな音楽を聴いていたかも忘れてしまった。ただ、はっきりと覚えているのは「その人が、自分の方に身体を向けて話を聞いてくれていた」ということだけだ。 (つづき)なぜ今、そのことを思い出したのかはわからない。意味があることなのかもしれないし、全く関係のないことなのかもしれない。そして昨日から、面白いことが始まりそうな予感がしている。だから今、意味もなくわくわくしている。只今の時間は午前3時過ぎ。最近、時間が過ぎるのが早いんだ。

2013.5.20

さあさあ、よく見て。一瞬だよ(笑)

太宰と三島の会話。

太宰治は三島由紀夫に「ぼくは、太宰さんの文学はきらいなんです」と言われた時に「そんなこといったって、ここに来ているんだからやっぱり好きなんだよなあ」と答えたという。自分はこの話がわりと好きで、ちょっとした人間関係などで心が折れそう(たまにそんな時がある)な時に思い出したりする。 するとわりと乗り切れるので、よければみなさんも試してみていただきたい。表情は神妙さを保ちつつ心の中で「そんなこといったって、ここに来ているんだから」とニヤニヤ(?)するのがコツである。本日も晴天なり。

もうひとつの世界、から1年。

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「もうひとつの世界」を制作してから、まもなく一年が過ぎようとしています。 あらためて、この作品は「自分ひとりで作ったのではなく、たくさんの人と一緒に作ったのだ」ということを実感します。 当初は「一年過ぎたら、公開を終了しようかな」とも考えていたのですが、まだしばらくは公開を続けようと考えています。まだ読んだことがない方は、どうぞご覧になってみてください。 もうひとつの世界 [2011.3.11 - 2012.4.30]

回れ 回れ!

休日の午後

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カメラは重いから車の中に置いていこう、 という日に限って印象的な景色に出会ったりするような、 そんな休日の午後。 ベンチに座っている僕の目の前を、真新しいピンクのシューズを履いたジョガーがものすごい勢いで走り抜けて行った。こんなに道幅は広いのに、あの人はどうしてこんなにギリギリを駆け抜けたんだろう、などと考えているうちに太陽が傾いてきた。

旅先で考えたこと。

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一人旅の時は自分と対話しながら過ごすから、ずっと考えていた答えが見つかったりする。二人旅の時は、相手の振る舞いや言葉の中に自分にはないものを見つけて楽しくなる。どちらも必要だ。けれど、若い時は一人旅をするべきなのかもしれない。若くなく(?)てもそうかもしれない。 遠くに見える山の頂上は、まだ雪に覆われていた。すぐ近くの細い道を、自転車に乗った小学生が話しながら過ぎて行った。厚い雲が急ぎ足で近づいてくるから、まもなく雨が降ってくるのかもしれない。少し風が強くなってきた。 雨になるかと思いきや、陽が射してきた。今日はいい旅だ。

2013年 桜(6)

宮城県北部の桜は、今がちょうど満開でした。 2013.1.23撮影 宮城県

2013年 桜(5)

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そして、シダレザクラは今が盛りだ。 2013.4.22撮影 宮城県仙台市

2013年 桜(4)

仙台の桜は、今が盛りです。 2013.1.20撮影 宮城県仙台市

昨晩、漱石の「思い出す事など」を読んでいた。

やがて粥を許された。その旨さはただの記憶となって冷やかに残っているだけだから実感としては今思い出せないが、こんな旨いものが世にあるかと疑いつつ舌を鳴らしたのは確かである。(夏目漱石 思い出す事など) 昨晩寝る前に、漱石の「思い出す事など」を読んでいた。とくにこれが読みたかった訳ではないのだが、なんとなく近くにあったので読んでいた。そして、先程の部分が目にとまり「明日は粥を食おう」と思っていたのだが、朝になったらすっかり忘れていて普通にパンを食べた。つまりそういうことだ。 twitter >>

観葉植物 1年後

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昨年の今頃から育て始めた観葉植物が、すくすくと大きくなり、風が吹くと倒れそうなくらいにまで成長した。「ほっといても子は育つ」ってやつです。逞しいです。 ちなみに、昨年の今頃はこんな感じでした。

仙台市博物館 若冲が来てくれました。

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仙台市博物館の特別展「若冲が来てくれました」へ行ってきた。本展覧会は、東日本大震災復興支援として、プライス夫妻の善意によって開催されるものだそうだ。貴重な個人コレクションを一度に見ることができるということで、とても楽しみにしていた。 今回は、個人的にツボにくる作品が目白押しだったのだけど、その中でも思わず数分ほど立ち止まって鑑賞してしまったのが「雪中松に兎・梅に 鴉図屏風」 という作品。黒く彩色した背景に白を散らした作品なのだけど「こんな作品が見てみたかった」と思うほど、自分の好みに一致した作品だった。平日の午後おそくの時間帯でお客さんが少なかったので、作品の前に立ってたっぷりと鑑賞することができた。これだけでも、今回ここに来た価値があるというものだ。 さて、色々な作品を鑑賞して心の栄養を吸収したあと、今回のメインである若冲の作品と対面だ。若冲の作品について、色々と書いてみたいことはあるのだけど、本企画展は仙台が最初の地域で、これから岩手、福島と巡っていくところなので、お楽しみを奪わないように詳細な感想は控えたいことにする。が、それでもやはり触れておきたいのが、若冲の大作である 「鳥獣花木図屏風」。本作品は 8万6千個ものマス目に色を埋めるという、気の遠くなるような制作過程を経て完成させられた作品なのだそうだ。目の前に立った瞬間に「ぐわっ」とくるものすごいパワーを感じた。さらに近寄って見てみると若冲の作品制作に対する情熱のようなものを感じて、わくわくが止まらなかった。こんな作品を自分も作ってみたい(作れないけれど)と、自分も何かを表現したくなるようなエネルギーを分けてもらったような感じがした。美しい、と感じる作品はたくさんあるけれど、楽しい、と感じる作品は少ないような気がする。 「鳥獣花木図屏風」は、 美しくて楽しくてワクワクする作品だった。間近で(なんと、この作品は ガラスケース越しではなく、直接鑑賞することができた!)じっくりと見ることができて本当によかった。平日の夕方で、ちょうどお客さんが少ない時間帯だったので、自分のペースで贅沢に鑑賞して楽しい時間を過ごすことができました。   若冲が来てくれましたオフィシャルページはこちら

2013.3.17

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実家から車で五分ほど海へ向かって走った場所です。ここは、海岸近くの普通の住宅街でした。海水浴のシーズンには、多くの人で賑わったものです。僕も学生の頃に、バイクでよく走りにきました。(宮城県仙台市) 宮城県名取市の漁港。震災時のラジオで、アナウンサーが泣きながら、この地域の被害状況を伝えていたことが頭に浮かびました。たくさんの人が車でやってきて海を眺め、静かに立ち去っていきます。(宮城県名取市) 人が誰も住んでいない街があるのだ、ということ。(宮城県名取市閖上)

一人旅のホテル。

それにしても、旅先でホテルの部屋に着いた時の「あの安堵感」は何なのだろう。初めて入る部屋で自分の他には誰もいないのに「ただいま」と思わず口にしたくなってしまう。自分は独身だから妻も子供もいないけど、家族ってこんな感じなのかなと思ったりもする。 (つづき)キャリーバックを部屋の隅に置いて、風呂にはいる。それからベットの上に横になって、本を読んだり音楽を聴いたりする。一緒に旅をした人のことを思い出したり、明日の予定などを考える。酒は飲まないので、ティーバックでお茶を飲んだり、ホテルのインフォメーションを読んだりもする。 (つづき)テレビは見ない。瞑想や腕立て伏せなどもしない。廊下を誰かが歩いている音を聞いたりしているうちに、なんとなく寝る。自分はそんな感じなのだけど、他の人はどうしているのだろう?昨晩、隣の部屋からゴンゴンと聞き慣れない音が聞こえてきて、ふと気になったので、ここに記してみた。

kazahana(予告PV): haco28.

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hac028.「kazahana」の予告(PV)を公開しました。 オフィシャルページは、 こちら

ラシーン 14万km

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ラシーンの走行距離が14万キロに到達した。 14万キロと文字にするのは簡単だけれど、一朝一夕で走れる距離ではないわけだし、少し歴史(のようなもの)を感じたりもする。 現段階で気になっている点は、エンジンとATF周辺からのオイルにじみ。先日ディーラーで点検してもらったところ「この状態なら、定期的にメンテナンスをしながら、様子を見てください」ということだったのだけど、それでもやはり遠乗りをする時はついつい気になってしまう。時間がある時などは、ついつい無駄にボンネットを開けて中をエンジンルームを覗き込んでみたりしてしまう。 他にも、マフラーに穴が空いているので補修剤で塞いでいるのだけど、これがあとどのくらいまで持つのか、とか、リアのフェンダー部分の錆が広がらないように定期的に錆び止めをしなければいけない、とか、部分部分で気になる点はあるものの、先日ある中古車の雑誌に「まだまだ根強い人気のある車」ということでラシーンが掲載されていたのを見てから、ますます愛着が湧いてきたので(笑)できるだけ メンテナンスをしながら、乗れるところまで大切にしていこうと思っている。 以前、乗っていたスカイラインは15万キロで廃車にしたけれど、このラシーンはどこまで行けるだろう。

音楽プロジェクト haco28.

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私(サトウ)の音楽プロジェクト「haco28.」の曲を公開致 しました(全3曲)。 周りに人がいない場所で、ひっそり(?)と、耳を澄ませるように して、流れる雲を目で追っていただくのが「正しい聴き方」かと思 います。ヘッドフォンなど着用していただくと、さらに「よろしい 」かと思います。 こちら http://haco-28.blogspot.jp

奈良美智「ちいさな星通信」

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奈良美智さんの著書「ちいさな星通信」の中にある「なんたって、僕は一人じゃないんだから……だからこそ、制作に向かう時は安心して一人になるのだ。」という文章が、グサリときた。そうだそうだ、と思った。何かを作る時は、いつだって一人だ。誰かと話をしながら文章は書けないから(書ける人もいるかもしれないけど)、 深夜にコツコツと作業をしていると「あ、俺は今一人なんだな」と思うこともある。世界中の人達が寝静まっているのに、自分だけがポツンと起きているような感覚になる。奈良さんのような世界的なアーティストになると、その孤独感は桁違いだろう。きっと。その深さは想像することすらできない。 だからこそ、奈良さんが言う「安心して一人になるのだ」という言葉には、グワーッときた。「これくらいで、うずくまってたら笑われちまうぜ」という気分になった。つまり、そういうことだ。さて昼飯(菓子パン1個+コーヒー)おわり。やるぜ。 twitter こちら>>>

予備校生だったころ。

受験生の時、試験の帰りに駅で財布を落としてしまったことがある。後にも先にも財布を落としたのは、それが最初で最後だから、 慣れないホテル暮らしのせいで、よほど疲れていたのだろう。そして、その時拾って警察に届けてくれた人が、偶然にも同じ予備校に通っている生徒だった。後日挨拶に行って互いの健闘を誓った。 予備校生の頃の友人は「一生の友人になる」と誰かが言っていたけれど、確かにそうかもしれない。みんなとは、もうずっと会っていないし連絡先も知らないけれど、ちょっと苦しい時や折れそうな時に思い出すのは、その頃の友人のことが多いからね。 みんな、今どこで何をしているのだろう。どんな仕事をしているのだろう。それが、どのような場所であったとしても、元気で過ごしていてくれれば嬉しいのだけど。 センター試験のニュースを見ているうちに、ふとそんなことを思い出しました。

佐々木マキ ぼくがとぶ

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先日知人と、子供の頃に読んで思い出に残っている絵本、の話をした。自分の思い出の絵本は「ささき まき ぼくがとぶ」なのですが、また復刊されないかな? と思い、ついさきほど調べてみたところ、なんと今年の2月に復刊されることがわかった。すごいタイミングだ!こんな偶然ってあるんだな。表紙もかっこいいぞ。ちなみに、この作品の中に、主人公の少年が家の中で飛行機のパーツを組み立てている場面があるのだけど、道具やゴミでごちゃごちゃした部屋の中の様子がかっこよくて、子供のころの僕は何度も繰り返し眺めていたものです。「いつか、こんな部屋で自分も飛行機を作ってみたい」と思っていたものです。 まだ読んだことがない方はオススメです。子供の頃を思い出したいあなたも、自分の子供に読んであげたいあなたも、ぜひどうぞ。 関連:佐藤の本棚「 ぼくがとぶ 佐々木マキ 」    

大崎八幡神社 どんと祭り 2013

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大崎八幡神社のどんと祭りへ行ってきた。ホームページの情報によると、どんと祭りの正式名称は「松焚祭(まつたきまつり)」で「三百年の歴史を有す、全国でも最大級の正月送りの行事」なのだそうだ。境内の一角に正月飾りなどが持ち寄られ、それらを盛大に焚き上げる神事で、その火にあたると「心身が清められ、一年間無病息災・家内安全の加護が得られる」という言い伝えがあるとのこと。 ちなみに今回「どんと祭り」についてwebで調べていたところ「どんと祭り」というのは宮城県を中心に呼ばれる祭りの呼称だということを初めて知った。そうだったのか。と、いうことは他の県の方に「どんと祭り」と言っても通じない場合があるわけですね。気をつけよう。 当日は記録的な大雪だったので「この雪では、延期になるのではないか?」と心配もしていたのだけど、祭りは予定通りに行われ、雪を軽々と吹き飛ばすかのような煌々とした炎と煙が空に向かって舞い上がっていた。「この火の熱を、身体の悪いところをあてるといいんだよ」と言われたので、円陣の最前列に行って前と背中に熱を、たっぷりと当ててきた。火の勢いがものすごいので、最前列に立つと「かなり熱かった」のだけど、この熱さを我慢するとご利益がありそうな気がしたので(実際に、そうだというわけではありません。個人的に、そう思っただけです)少しだけ辛抱して火にあたってきた。これで今年は無病息災だ。 炎に清めていただいたあとは、御社殿へ移動して新年の挨拶をする。ガラガラと鈴の音が鳴り響き、静かに祈りを込める参拝者の上に粉雪が静かに舞い降りてくる。参拝を終えた人達の表情は、みんなどこかすっきりしているように見える。「これで今年も大丈夫だ」というような自信がみなぎっているようにも見える。自分も列に並び、手を合わせて、今年一年間の目標を祈願してきた。お守りを買おうかと思ったのだけど、初詣の際に塩竈神社でいただいてきたので、今回は見送った。そのかわりに「おみくじ」を引いてみたのだが「恋愛」のところに「愛を押し付けないように」というような文言が書かれていて、思わず苦笑いをしてしまった。今年は愛の押し付けに気をつけよう。小出しにしよう。いや、これは違うか。まあ「普通の愛」でいこう。 参拝を終えたあとは、出店を楽しむのがお祭りの醍醐味だ。まずは縁起物の「甘酒」を飲んで温まってから、出店をのぞい

一生懸命に書いた文章が、届く場所。

一生懸命に書いた文章が必ず伝わるという訳ではないけれど、一生懸命に書かなかった文章が誰かの心を動かすということもないだろう。   僕たちの時間には限りがあるし、本当に伝えられるチャンスは、いつだって一回しかない。そして多くの場合「それ」に気がつくのは、すっかり通り過ぎてしまったあとなのだ。すべてが変化してしまってから、ようやく失ったことに気がつくのだ。   だから「伝わらなかった」ことを嘆くよりも、伝えようとした自分の勇気(のようなものを誇ろう)ってことです。それは自分が思っているよりも、ずっとずっとすごいこと、だと思うからです。 少し前にtwitterに上の文章を書いた。そしてつい先日、このことを実感するできごとがあった。 僕は、ある人に「自分のベスト」を尽くした言葉と文章で自分の考えを伝えた。ところが、その人の誤解を解くことはできず、ただ冷たい文章が返ってきただけだった。僕が知りたかったことは、そこには何も書かれていなかった。 ところが、その時の自分は不思議と冷静でいられた。 「自分のベスト」を尽くした言葉で文章を書き、それを読んでもらっても駄目なら、それはそれで仕方がない。僕には、できるだけ正直に、いじわるをすることなく、自分の考えを伝えた確信(のようなもの)があったし、これで駄目なら 「もう、この人とは縁がなかったのだ」と思える気がしたからだ。 そう思った直後、その様子を見透かしたかのように、別の方からあたたかいメールが届いた。しかも2人連続で届いた。何か「見えない歯車」がカシャンとはまったような気がした。「それで間違っていないよ」と言われているかのようだった。これは不思議な体験だった。 いつも自分の考えが正しいわけではない。間違っていることの方が多いだろう。それを痛感しているからこそ、僕たちは「どこかに、完全なものがあるかもしれない」と思い逡巡してしまったりもする。そしてそれを見つけることができずに、深い困惑の中に戻ってしまうこともある。 それでも「その時の自分のベスト」を出すことができたのなら、それでいいのだと思う。それで駄目なら仕方がない。それよりも「逃げずに、精一杯考え抜く」ことが大切なのだと思う。そして「不完全でもいいから、それを言葉にして、精一杯相手に伝えようと試みる」ことが大切なのだと思う。 たとえ誤解さ

効果的な読書の方法とは?( その4)読んだ本の内容を手書きでメモせよ

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・前回のつづき 「読みたいと思った時に、できるだけ早く最後まで読む。読み終わったら、すぐに目次を活用して全体像を確認&補完。もう少し『読み込みたい本』の場合は、ノートに手書きでポイントを書き出してみる。そして、時間をあけずにメモを何度か読み返す。それを積み重ねていくと蓄積した情報がつながって『何かがわかる』瞬間がくる」 と、いうところまで解説してきました。このようにまとめてみると、我ながら非常にあっけない内容のように思えなくもないですが、4回に分けて書くような内容だったのかな、とも思いますが、まあ、つまりそういうことです。 さらに付け加えるならば、自分の場合は「これはすごく面白い。自分の中に新しい視点ができた」と感じた本は 「2年後」くらいに読み返してみる ようにしています。なぜそんなことをするかというと、年数を経てから読み返すと、 一度目は見逃していた(もしくは理解できずに素通りしていた)部分が理解できるようになったり、軽く読んでいた部分が実は深い内容だったことを発見する場合が多いから です。 「なんだ、ずっと探していた答えは、この本に書いてあるじゃないか」 ということも少なくありません。なぜそのようなことが起きるのかという理由は、なかなか面白いところなので、じっくり説明していきたいところですが、さらに4回分くらいの解説が必要になりそうなので、また機会があれば書いてみたいと思います。今回は「そういうことがある」と思っていただければ大丈夫です。 ちなみに、2年後に読み返す際に、当時まとめたノートなどを一緒に読むこともあるのですが、自分で書いた文章にも関わらず、予想以上にわかりにくいことが多いものです。「たしかに、ここは重要だ」と感じるところもありますが逆に「なぜ、ここが気になったんだろう」と疑問に思う部分もあります。 いかに人間の興味や関心というものは、その時の精神状態や環境に左右されるのだな 、と思いますけれど、当時の自分の状況などを思い返して、しんみりしてみたりもしますけれど、このように当時の自分の思考を分析してみるのも楽しみのひとつかと思います。 さて、最後に、ちょっと偉そうな言い方になりますが、いわゆる一般的な「読書法」の目的は 「いかに効率よく情報を収集&整理していくか」 という部分にあるのではないかと感じています。読んだ本の