小布施観光。歩く観るそして栗 秋の長野を巡る旅(6)
長野3日目。宿で朝食を済ませてから(おいしかった)向かったのは小布施。ここは、ことりっぷという旅の本を見て、無性に気になり今回の日程に組み込むことにした。
小布施といえば栗。そして、北斎。その程度の知識と情報のみで、現地へ向かう。昨晩宿泊した渋温泉からは、車で約40分といったところ。普通の地方の道路を淡々と走っていくと、ある区域に入った瞬間に空気が変わるのを感じた。街全体のトーンというか、雰囲気が全然異なっている。「何かありそう」なわくわく感。そうか。ここが小布施なのか。
町営「森の駐車場」に車をとめる。出口で駐車料金を支払って(前金制だった)外に出る。当日の小布施の空は、薄曇りといった感じ。暑くもなければ寒くもない。歩いて観光するには、ちょうどいい気候だ。
ガイドブックにある、おすすめルートを参考に、ぐるりと町の中を歩いてみる。まず最初に感じたのは、街全体がひとつのコンセプトで「しっかりと作り込んである」ということ。ただ「観光に力を入れています」というのではなく「観光してもらうために、それにふさわしい街並を徹底的に作りこんでいる」という印象を受けた。
建物の外観はもちろんのこと、道路の幅や通路の角度まで計算しているのでは? と感じてしまうほど(もちろんこれは、僕の個人的な印象だけど)きっちりと世界観を作っていて、それを自然に醸し出しているという、ものすごくコンセプチュアルな町作りをしているのではないかなと感じた。そんなわけで「ただぶらりと歩いているだけ」でも、なかなか楽しい。あそこも見たい、こちらの方には何があるのだろう? と、町のすみずみまで歩き回ってみたくなる。
ものすごい数の観光客(大型バスが次々と駐車スペースへ入っては出ていく)の流れに乗りながら「北斎館」へ。
僕は、旅に出た時は、そこの町にある美術館に入るようにしているのだけど、今回もその流れとして「では、北斎館に行ってみるかな」という感じだった。ところが実際に中に入って作品を観てみると、想像以上におもしろかった。特に「屋台展示室」に展示されていた天井画の迫力には、圧倒されてしまった。実際に、この屋台は町の中をねり歩いていたのだろうか? そしてその姿を、当時の方達はどのような気分で眺めていたのだろうか?
たぶんきっと、それはすごく豊かな時間だったような気がする。年に一度のお祭りをずっと楽しみにしていて、その日のために準備をしたり仲間を誘ったり、約束したり、それが中止になったり、あれもしたりこれもしたりして、この屋台が通っていく姿を高揚した表情で誇らしげに眺める。そんな様子を想像しているだけで、すごく楽しい。この屋台の前で、どのようなできごとがあって、どのようなことが刻まれていたのかを考えているだけで「今日は、これを観ることができてよかった」という気分になる。
すでに満足した気分のまま、限られた時間を楽しむために「日本のあかり博物館」へ向かう。ここもおもしろかった。とにかく「あかりに関するものは、何でもいいから集めよう。とにかく、どんなものでもいいから持ってこい!」というような気迫(?)にも似たようなものを感じた。折しも、震災の時に体験した停電の日々を思い出し、その時の恐怖と押しつぶされそうな闇と、あかりが灯った時の開放感を思い出して、静かな気持ちで「あかり」を研究し開発してきた当時の人たちのことを考えたりした。ほんとうに「あかり」はいい。それにしても、あのオレンジ色を眺めているだけで、落ち着いた気分になっていくのは、なぜなのだろう?
そんな風にして、あちらこちらを歩き回って、感じたり考えたりしてつかれた頭と身体には、甘いものが必要である。
小布施といえば栗。食べましたよ、栗。うまい。僕は、ふだんそんなに栗を好んで食べるわけではないのだけど、どちらかというとケーキの中でもモンブランは選ばない方なのだけど、小布施の栗はうまかった。気がついたら黙々と食べてしまい、おかわりを・・・しませんでしたけどね。
昨日、宿の食事でいただいた栗ごはんも甘くてやさしくて絶品だったけれど、やはり小布施といえば栗だ。本当は他のものも試してみたいけれど、いかんせん胃袋はひとつ。満足したところで、時間も限られているし、次の目的地へ移動することにする。
善光寺へお参り 秋の長野を巡る旅(7)へ
秋の長野を巡る旅(2)大王わさび農場へ
秋の長野を巡る旅(3)安曇野ちひろ美術館
秋の長野を巡る旅(4)上高地へ行く(1)
秋の長野を巡る旅(4の2)上高地へ行く&歩く(2)
秋の長野を巡る旅(4の3) 上高地へ行く&歩く&食べる(3)
秋の長野を巡る旅(5)渋温泉で湯巡りに挑戦
小布施といえば栗。そして、北斎。その程度の知識と情報のみで、現地へ向かう。昨晩宿泊した渋温泉からは、車で約40分といったところ。普通の地方の道路を淡々と走っていくと、ある区域に入った瞬間に空気が変わるのを感じた。街全体のトーンというか、雰囲気が全然異なっている。「何かありそう」なわくわく感。そうか。ここが小布施なのか。
町営「森の駐車場」に車をとめる。出口で駐車料金を支払って(前金制だった)外に出る。当日の小布施の空は、薄曇りといった感じ。暑くもなければ寒くもない。歩いて観光するには、ちょうどいい気候だ。
ガイドブックにある、おすすめルートを参考に、ぐるりと町の中を歩いてみる。まず最初に感じたのは、街全体がひとつのコンセプトで「しっかりと作り込んである」ということ。ただ「観光に力を入れています」というのではなく「観光してもらうために、それにふさわしい街並を徹底的に作りこんでいる」という印象を受けた。
建物の外観はもちろんのこと、道路の幅や通路の角度まで計算しているのでは? と感じてしまうほど(もちろんこれは、僕の個人的な印象だけど)きっちりと世界観を作っていて、それを自然に醸し出しているという、ものすごくコンセプチュアルな町作りをしているのではないかなと感じた。そんなわけで「ただぶらりと歩いているだけ」でも、なかなか楽しい。あそこも見たい、こちらの方には何があるのだろう? と、町のすみずみまで歩き回ってみたくなる。
ものすごい数の観光客(大型バスが次々と駐車スペースへ入っては出ていく)の流れに乗りながら「北斎館」へ。
僕は、旅に出た時は、そこの町にある美術館に入るようにしているのだけど、今回もその流れとして「では、北斎館に行ってみるかな」という感じだった。ところが実際に中に入って作品を観てみると、想像以上におもしろかった。特に「屋台展示室」に展示されていた天井画の迫力には、圧倒されてしまった。実際に、この屋台は町の中をねり歩いていたのだろうか? そしてその姿を、当時の方達はどのような気分で眺めていたのだろうか?
たぶんきっと、それはすごく豊かな時間だったような気がする。年に一度のお祭りをずっと楽しみにしていて、その日のために準備をしたり仲間を誘ったり、約束したり、それが中止になったり、あれもしたりこれもしたりして、この屋台が通っていく姿を高揚した表情で誇らしげに眺める。そんな様子を想像しているだけで、すごく楽しい。この屋台の前で、どのようなできごとがあって、どのようなことが刻まれていたのかを考えているだけで「今日は、これを観ることができてよかった」という気分になる。
すでに満足した気分のまま、限られた時間を楽しむために「日本のあかり博物館」へ向かう。ここもおもしろかった。とにかく「あかりに関するものは、何でもいいから集めよう。とにかく、どんなものでもいいから持ってこい!」というような気迫(?)にも似たようなものを感じた。折しも、震災の時に体験した停電の日々を思い出し、その時の恐怖と押しつぶされそうな闇と、あかりが灯った時の開放感を思い出して、静かな気持ちで「あかり」を研究し開発してきた当時の人たちのことを考えたりした。ほんとうに「あかり」はいい。それにしても、あのオレンジ色を眺めているだけで、落ち着いた気分になっていくのは、なぜなのだろう?
そんな風にして、あちらこちらを歩き回って、感じたり考えたりしてつかれた頭と身体には、甘いものが必要である。
小布施といえば栗。食べましたよ、栗。うまい。僕は、ふだんそんなに栗を好んで食べるわけではないのだけど、どちらかというとケーキの中でもモンブランは選ばない方なのだけど、小布施の栗はうまかった。気がついたら黙々と食べてしまい、おかわりを・・・しませんでしたけどね。
昨日、宿の食事でいただいた栗ごはんも甘くてやさしくて絶品だったけれど、やはり小布施といえば栗だ。本当は他のものも試してみたいけれど、いかんせん胃袋はひとつ。満足したところで、時間も限られているし、次の目的地へ移動することにする。
善光寺へお参り 秋の長野を巡る旅(7)へ
秋の長野をめぐる旅 目次
秋の長野を巡る旅(1)仙台から出発秋の長野を巡る旅(2)大王わさび農場へ
秋の長野を巡る旅(3)安曇野ちひろ美術館
秋の長野を巡る旅(4)上高地へ行く(1)
秋の長野を巡る旅(4の2)上高地へ行く&歩く(2)
秋の長野を巡る旅(4の3) 上高地へ行く&歩く&食べる(3)
秋の長野を巡る旅(5)渋温泉で湯巡りに挑戦