投稿

ラベル(読書)が付いた投稿を表示しています

「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」風姿花伝より

イメージ
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず(風姿花伝)」 こちらは風姿花伝の中にある一文です。 「秘密にするならば花となり人を魅了する。秘密にせずに公開してしまうと、花ではなくなる」 このような解釈になるかと思います。 私が初めてこの一文を目にしたのは、高校生の時だったと思います。古文の資料の中にあったと思うのですが、初めてこの一文を見た時は「なるほどそうか」と。秘密は公開してしまうと力が失われていくものなのだ。一子相伝というけれど、やすやすと公開してはいけないのだな、と考えたことを覚えています。 先日、風姿花伝を読み返したところ、この一文のあとに、このような文章が続いていることに気がつきました。 しかれば秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。 (風姿花伝) 「秘事」と聞くと、とんでもなく 貴重な秘訣であり期待してしま けれども、実際には「たいしたことない」ものなのである。だからこそ 「秘密にしておく」ことそのものに意味があるのだ。 そのように解釈できると思います。 成功者しか知らない『秘密』があるのでは? 確かに、これは私自身にも 思い当たる体験 があります。私は「独立起業」した時、成功している経営者の人に会うたびに「うまくいく秘訣を教えてください」というようなことを質問したものです。この質問の背後に 「成功するには、その人たちしか知らない『秘密』があるのではないか」 という考えがあったからです。 ところが、私の質問に返ってくる言葉は「真面目にやること」というような 「普通のこと」 ばかりだったのですね。まさに「させることにてもなきものなり。」という感じです。当時に私は、そのような返事を耳にする度に 「たしかに、真面目が大切なことはわかる、でも本当の秘密は別にあるに違いないし、簡単に教えてはもらえないのだろう」 と感じていたものです。 しかし、実際のところ「真面目にやること」こそが「秘訣」であり本質なのです。経営者のみなさんは「秘訣を隠していた」わけではないのです。なので「 たいしたことないな」と思われるくらいならば、秘密にしておいた方がいい。そして、本当に理解できる人や、ここぞというタイミングに伝えた方がいい。 まさに、風姿花伝に書かれていたことを、実感したのでした。 そじて実際に、これから私が起業する若手のみなさんに質問されたとしても「真面目

間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。【走れメロス 太宰治より】

イメージ
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。(走れメロス 太宰治より)」 太宰治「走れメロス」の一場面。 主人公メロスは、王様とセリヌンティウスとの約束を守るために町に帰ろうとしています。しかし残り時間がわずかで、間に合わないかもしれない。そこで「もう間に合わないから、走るのを止めてほしい。せめて自分の命だけでも大切にしてほしい」と訴えかけてきた、セリヌンティウスの弟子に向かってメロスが口にした言葉です。 次々に襲いかかってくる困難を乗り越え 「私は信頼されている。」 と自分に言い聞かせながら走り続けるメロス。本作品の見どころのひとつだと想います。 「信じるもののために」走る!? 走れメロスは、中学生の国語の教科書に収録されているので、そこで目にした方も多いかと思います。おそらく学校の授業では 「友情」「約束」「弱さを乗り越える」 というようなキーワードで、解説を受けたのではないかと思います。定期テストで「メロスの性格を表している部分を書き抜きなさい」というような問題を解いた人もいるかもしれません。 しかしながら、大人になり小賢しい知識を手に入れてしまうと「走れメロス」を、素直に読めなくなっている自分にも気がついたりします。 以前、別の記事で解説しましたが「走れメロス」は、 太宰治と檀一雄とのエピソード がモデルになっている のではないか、とされています。現実のエピソードに重ねて「メロス= 太宰」とするならば、太宰は人質になっていた友人「セリヌンティウス =檀一雄」のところへ 戻ってきませんでした。 太宰は「走らず」に将棋を指し、檀一雄も、友情を信じて待っていることはなく、太宰のところ怒って乗り込んで行きます。 実際には物語とは真逆のことが起きていた わけですね。 「現実」と「理想」の世界 おそらく「走れメロス」は、太宰治の理想の世界なのでしょう。それは現実とは正反対の世界であり「現実の自分にはできなかったこと」を表現しているのでしょう。そのようなことを考えながら読んでみると 「私は信頼されている。(理想)」は「私は信頼されたい(現実)」の裏返しであり「 信じられている(理想)」は「信じられたい(現実)」なのでしょう。 そのよ

あした勝てなければ、あさって勝つ。【夏目漱石 坊っちゃんより】

イメージ
困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。(坊ちゃん 四)  こちらは、夏目漱石「坊っちゃん」の一場面です。主人公の「坊っちゃん」は、四国の中学校に数学の教師として赴任するのですが、そこで生徒からいたずらを受けるんですね。ところが生徒たちは、自分たちのいたずらを認めようとしない。知らないふりをしている。その様子に腹を立てた主人公が、生徒に正面からぶつかっていく場面です。 正直が勝つ。明日勝てなければ、あさって勝つ。自分が「正直」と信じることに対して、まっすぐに進んでいく。そんな主人公の様子が感じられて応援したくなってきますし、 リズム感とスピード感のある文体 に乗せられながら、読んでいると妙に元気が出てくる。個人的に「坊っちゃん」の名場面のひとつだと考えています。 漱石の実体験から  「坊っちゃん」は、夏目漱石が松山で教師をしていたときの体験が反映されている、とされています。漱石にとって、松山での生活はあまり心地よいものではなかったようで、正岡子規に宛てた手紙の中でも 「貴君の生まれ故郷ながら余り人気のよき処では御座なく候」 などと書いてもいます。  当時は学歴によって給料が決まっていたため、東京帝国大学出身の漱石は、校長先生よりも高い給料をもらっていました。江戸っ子の漱石と地元の人達との間には、すこし距離ができてしまったのかもしれません。くわしいことはわかりませんが、どこか漱石の考える「正直さ」と少しだけ違った「何か」があったのかもしれません。そのように、 慣れない土地で生活をしている若き「漱石先生」の様子を想像しながら読む のも、また違った発見があるかもしれません。 「坊っちゃん」は勝てたのか? 作品の中には、赤シャツ、野だいこ、など「正直さ」から外れたような人物が登場します。そして「正直さ」を持った人たちが、辛い立場に追いやられていきます。その様子を見た主人公は、彼らと正面から対立していくことになります 。はたして「坊っちゃん」は勝てたのか?   正直さを貫いた先には、どのような場面が待っているのか? その結末は、ぜひ作品を読んで確かめてみてください。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 「夏

私の記憶は、どれほどの「勘違い」で構成されているのか?

イメージ
「白井道也は文学者である」 こちらは、 夏目漱石「野分」の冒頭である。 私が初めてこの冒頭文を知ったのは、予備校生の時だった。現代文のテスト対策として、有名な文学作品の冒頭文を覚えていた時に、この一文を目にしたのだった。 大学生になった私は「野分」を読んでみることにした。予備校生の時に暗記した冒頭文を思い浮かべながら、ページをめくった。違和感をもった。 「あれ? 白井道也は文学者だったのか? 数学者だと思っていた!」 そう私は 「白井道也は文学者である」を「白井道也は数学者である」と勘違いして覚えていた のだった。なぜ数学者だと思ったのか? それはわからない。「白井道也」という名前が、なんとなく数学者っぽいと感じて(個人のイメージです)そのように覚えてしまったのだと思う。そしてそれを全く疑わずに、数年間過ごしてきたわけである。 私の「記憶」が勘違いで、構成されているのなら この件では、実際に「野分」を読むことで、自分の思い込みと勘違いに気がつけたため、記憶を修正することができた。しかし、このように確認することができないまま 「勘違いしたまま」で今日まで過ごしてきた事柄は、おそらく私が想像しているよりも膨大な量 になるのだろう。 人生は「記憶」で構成されている 。つまりそれが思い込みでも勘違いでも、自分の中で「それが真実の記憶」としているのであれば、 それが「私の人生」ということになる。 いったい、私の人生の何%が勘違いで構成されてるのだろうか。文学者を数学者と勘違いするのもなかなかだが、それ以上のとんでもない間違いが多々存在するような気がする。確認した途端に、今までの自分を支えてきた何かが揺らいでしまうような、そんな根本部分に接触するものもあるかもしれない。 そんなことを考えると切ないような気分にもなる。 黄昏時の風景が頭の中に広がるような気分 にもなる。それと同時に、まぁでも それが私の人生なのだから と考えたりもする。他者に迷惑を与えているのならば、申し訳ないが個人的な体験としては、 まちがいさえも自分自身だと思ってみる。 それはともかく「白井道也は文学者である」。数学者でも芸術家でもない。この点においては明確な勘違いなので修正できてよかったと思う。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwi

「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」【夏目漱石 門 より】

イメージ
自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。 (門 夏目漱石) こちらは、夏目漱石の「門」の一場面です。主人公(宗助)は「親友の妻を奪って結婚してしまった」という過去を持っています。その罪の意識を抱えながら、逃れるようにして生活をしてきたのですが、その「罪」は過去からずっと追いかけてくる。どうあがいても逃げることができない。そのような状況で苦しんでいるわけです。そこで宗助は、その解決のきっかけを宗教に求めます。寺に参禅して、悟りを得ようとするんですね。 今回紹介したのは、宗助10日ほど寺で過ごしたあと、現在の自分の状況を考察している場面です。この 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」を私なりに解釈 してみますと、目の前の問題を乗り越えようとする時には、 最初の「門」は自分自身の力でこじ開けなければいけない。最初から他者にすがるのではなく「自力」で精進することが肝要 なのだ。また同時に、 精進するならば「やがて、自力で開けられるものなのだ」 と。そのような意味なのではないかと私は解釈しています。  伸びる生徒 伸びにくい生徒 私は教育の仕事に20年以上取り組んできました。そして、実際に多くの生徒を指導してきて感じることなのですが、目の前の壁を越えて「伸びていく生徒」と「伸びにくい生徒」には、共通点があるのですね。 伸びていく生徒は「壁」があったとすると「まずは自力で一生懸命努力をする」のです。先生から与えられた課題を、自分なりに試行錯誤して地道な時間を積み重ね、なんとか乗り越えようとする。その後 「自分なりに頑張ったのですが、なかなかうまくいかないので教えてください」 と相談にくるのです。 私たちは生徒の状況を見ながら「この部分を見落としているから、ここをこのように修正した方いいですよ」「ここを演習すれば、もっとスムーズに進みますよ」と新しい課題を与えます。生徒はわかりました、と素直に取り組んで試行錯誤して、また質問にやってきます。その地道な繰り返しの中で、本当に活用できる実力を磨いていくのですね。 伸びにくい生徒は、課題に少し手をつけた段階で質問にきます。そして 「他の方法はないですか?」 と質問してきます。しかし別のアドバイスをもらったと

鶴は飛んでも寐ても鶴なり、豚は吠ても呻つても豚なり【夏目漱石 愚見数則より】

イメージ
「鶴は飛んでも寐ても鶴なり、豚は吠ても呻つても豚なり」 これは夏目漱石の「愚見数則」の一文です。この作品は 漱石28歳の時に、当時の学生に向けて書いたもの で、20代の若き漱石先生が、人生哲学といいますか処世術といいますか、そのようなものを学生に向けて激を飛ばしている。頭の中に浮かんでくる言葉を叩きつけてくるかのような勢いと熱意を感じる作品です。 私が「愚見数則」を初めて読んだのは、今から15年以上前のことだと思います。 当時の私は、独立起業して試行錯誤の時間が続いていました。なかなかうまくいかない、そして先が見えない作業の連続の中に、ごちゃまぜになりながら生きていた時期でした。 「鶴にはなれない」かも、しれないが。 そのような時に、何かの資料だったか、書籍だったかに添付されていた「愚見数則」を見つけ流し読みをしているうちに、当時の私の目の中に飛び込んできたのが、この 「鶴は飛んでも寐ても鶴なり、豚は吠ても呻つても豚なり」 の一文でした。 その当時の私は、実力不足や得手不得手など「自分ができること」を直視する時間が続いていたので「オレはやっぱり豚だ。どんなに鶴に憧れても、鶴にはなれないのだ」と感じていたので、この一文が突き刺さってきたのだと思います。 「オレは鶴にはなれないかもしれないが、そうだとしても豚は豚なりに生きていこう。空を見上げる気持ちは忘れないでいこう」 と。 そして「漱石は28歳で、このような教養と思考力と文章を書いた。すでに自分は28歳を過ぎている。 天才と凡才の違いというものは、これほどまでに大きいのか 」などと考えながら、目の前の作業を繰り返していたことを覚えています。 人生を100年と考えるのなら。 もしも皆さんが10代の学生であるならば「愚見数則」を読んで、皆さんの 頭の中に漱石の言葉を取り込んでおく ことをおすすめします。漱石先生は「こんなのは読まなくてもいい」とうそぶくかもしれませんが、読んでおくことに越したことありません。すこし難しいと感じる部分もあるかもしれませんが、分かる部分から目を通しておくだけでも意味があります。 10代以外のみなさんも 「自分の中にある10代」の頃を思い出して 、読んでみることも楽しいと思います。 漱石先生は49歳で亡くなってしまいましたが、現代を生きる私たちは100歳まで生きるかもしれません。これから第2第3

「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」(小説 太宰治より)

イメージ
今回は、 太宰治と壇一雄のエピソードを紹介 してみたいと思います。太宰治は仕事をするために熱海温泉に逗留していました。ところが滞在しているうちに資金がなくなってしまい、帰れなくなってしまったんですね。そこで、太宰の妻に頼まれた壇は、渡されたお金を持って、熱海に太宰を迎えに行くことになります。 壇が太宰の宿へ行ってみると、机の上に置いてある原稿用紙には 何も書かれている様子がない 。さらに、壇からお金を受け取った太宰はすぐに外出し、高級料理屋に行って 飲み食いをして散財します 。そしてそのまま、迎えに行ったはずの壇もずるずると、太宰と一緒に熱海で遊んでしまうのです。太宰も太宰ですが、壇も壇ですよね。太宰を連れ帰ってくる役目のはずが、一緒になって散財してさらに支払いの額を増やしてしまったわけです。 友人を残したまま、将棋を指す太宰・・・。 さて、このままでは宿代などが払えない。そこで太宰は 「明日、いや、あさっては帰ってくる。君、ここで待っていてくれないか?(小説太宰治 壇一雄より)」 と、壇を熱海に残して金策のために東京に戻ることになります。ところが、待てど暮らせど太宰から連絡はない。宿の主人の監視は厳しくなる。しびれを切らした壇は、催促にやってきた料理屋の主人と一緒に東京に戻ることになります。 東京に戻った壇は、井伏鱒二の家に向かいます。すると 太宰はそこで、井伏と将棋を指していた んですね。激怒する壇。怪訝そうな顔で様子をうかがう井伏。どうやら太宰は、まだ井伏に相談していない様子です。料理屋の主人の説明で状況を理解した井伏は、とりあえずその場をおさめようとします。そして、井伏が席を立った時、太宰は壇に向かってこのような台詞を口にします。 「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」  そりゃあ、待つ身が辛いに決まっている! と私(筆者)なら断言します。ものごとには限度がある、仏の顔も3度までだ! などとよくわからないことを口走ることでしょう。そして、この人と一緒にいると自分の身も滅ぼしてしまいかねない、と即刻距離を取ることを決意すると思います。さすがに呆れてしまいますよね?  ところが、 井伏鱒二は集めた金を持って壇と熱海へ行き、現地で借金の清算をします。 そして共同浴場の湯につかりながら 「なーに、あの男は僕に大きな口をきけた義理じゃないんだよ(同)」 とつぶやく

【名言】「日本より頭の中のほうが広いでしょう」夏目漱石 三四郎【名作文学を読む】

イメージ
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」夏目漱石【三四郎】 今回紹介するのは、夏目漱石の三四郎の一場面です。三四郎には、広田先生という登場人物が出てくるのですが、この広田先生と主人公の三四郎が電車の中で会話をしている場面です。  「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。 「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」(夏目漱石 三四郎より) 「日本より頭の中の方が広いでしょう」この一文が、とても印象的な場面ですね。私たちは日々の生活をしていると、自覚しているよりも速い速度で思考が狭くなっていきます。 考えるのが面倒になり、今自分が理解できる範囲で世界を切り取ってしまいます。 そのような時に、広田先生の「日本より頭の中の方が広いでしょう」という言葉を読んでみると、確かにそうだなと。精神世界といいますか、発想や想像力などは、現実的な制約がないわけですから、どこまでも広げていくことができる。そのようなことを、ぼんやりと空を見上げるようにして考えてみると、 少し視点が高くなるといいますか、背中を押してもらえる ようなそんな気分になってきます。   三四郎の「時代背景」から では、もう少し、 三四郎が書かれた時代背景などを考察しながら、もう少しこの場面を掘り下げて 考えてみたいと思います。三四郎は、1908年に朝日新聞に連載されました。日露戦争が1904年ですから、戦後の変動期であり西洋の文化や情報が怒涛のごとく押し寄せてきていた時代ですね。 世の中が、意識的無意識的に、 一つの方向に向かって進んでいこうとしている。 強烈な勢いで日本が変容している。そのような時代の中で、夏目漱石は「とらわれちゃだめだ。」と広田先生に言わせています。つまり作品を通して、 日本の現状と社会が進んでいる方向性に批評を行っている わけです。 作品の中でも、 「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。(夏目漱石「三四郎」より) と、 痛烈な批評を行っています。「滅びるね」これはおそらく、漱石自身の考

【文学】「サヨナラ」ダケガ人生ダ(勧酒 井伏鱒二訳)より

イメージ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ みなさんも、どこかでこの一文を目にしたことがあると思います。とても有名な一文ですよね。こちらは 作家の井伏鱒二が、唐の詩人「于武陵」の「勧酒」を翻訳 したものです。原文は五言絶句なのですが、その最後の一文(結句)になります。 【勧酒】于武陵  勧 君 金 屈 卮 満 酌 不 須 辞 花 発 多 風 雨  人 生 足 別 離  【書き下し】  君に勧む金屈巵  満酌辞するを須ひず  花発きて風雨多し  人生別離足る 井伏鱒二は結句の 「人生別離足る」を「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」 と翻訳 したわけです。私は専門家ではないのですが、私なりに直訳してみますと 「人生別離足る = 人生は別れに満ちている」 と、そのような感じになると思います。確かに人生は別れに満ちている。しかし、それ以上でもそれ以下でもない。そんな印象になってしまいます。 ところが、井伏鱒二の「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」を読みますと、原文からさらに大きく世界観が広がって、この短い文章の中に 「人生を表すエッセンスが凝縮されている」 ような印象 を受けてしまいます。 私が、この一文を目にしたのは、確か高校生の時だったと思います。大学生だったかもしれませんが、大体その辺りですね。その時の私は 「もしも人生というやつを、一つの文章で表すとするならば、これではないか?」 と感じて、とても心が動いたといいますか、非常に感動した記憶があります。 言葉の選び方。世界観の広げ方。様々な点から、作家の凄みを感じる翻訳 だと私は感じています。 40代の私が、感じたこと 高校生だった私も、現在では40代になりまして、あらためてこの一文を読んでみると様々なことが頭に浮かんでくることを感じます。 「サヨナラ」ダケガ人生ダ 出会いがあれば、別れは必然。せめて、 一つ一つの出会を大切にしていこう、 とか。そうだ、さよならだけが人生なのだ。と、静かな気持ちで今までの人生を眺めているといいますか、諦めというよりは、 出会いと別れに執着せずに、その時を楽しんでいこう、 となどあたかも悟ったかのような気分を噛み締めてみたりもします。そして改めて「井伏鱒二の凄み」を感じたのでした。 (補足) 井伏鱒二訳「勧酒」は「厄除け詩集」に収録されています。個人的には「 画本・厄除け詩集 」がおすすめです。とても深みのある世界

【読書】「あなたは本当に真面目なんですか」夏目漱石「こころ」より

イメージ
「あなたは本当に真面目なんですか」 今回は、夏目漱石の「こころ」という作品の中から、ある場面を抜き出して皆さんに紹介してみたいと思います。 この 「こころ」という作品には「私と先生」という人物が登場します。 「私」は、「先生」に対して「先生は、何かを隠しているのではないか?」と、感じています。そして、その隠していること教えてほしい、教えてもらうことによって人生の教訓にしていきたいと考えています。そして「先生に、ぜひ教えて欲しい」と頼むのですね。 しかし、先生は「あなたに教えることではない」と教えてくれません。それでも「私」は諦めることはできなくて、なんとか教えてもらえませんか、と懇願していきます。今回紹介するのは「私」が「先生」に「隠していることを、教えてほしい」と、頼んでいる部分を抜き出して紹介してみたいと思います。 「ただ真面目なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」 「私の過去を訐いてもですか」 訐くという言葉が、突然恐ろしい響きをもって、私の耳を打った。私は今私の前に坐っているのが、一人の罪人であって、不断から尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は蒼かった。 「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」(夏目漱石「こころ」三十一より抜粋) 「先生」が「私」に向かって「これから私はあなたに自分の過去を話そうとしている。私の秘密を話そうとしている。それを受け取るあなたは、本当に真面目なんですか」と話しかけています。 「真面目」という言葉が読んでいる私達にもまっすぐに響いてくる。「先生」が何かを真剣に伝えようと決断した雰囲気が伝わってくる 素晴らしい場面だと思います。 小さな好奇心が「過去も現在も未来」も脅かしてしまう 私達には 「誰かの秘密や、過去」を知りたいという欲求 がありますよね。好奇心といいますか、そのような感情があると思います。そして実際に、皆さんが今まさに手にとっている、小さなスマートフォンが一台あるだけで、調べたいと思っ

【読書】「とかくに人の世は住みにくい。」【草枕 夏目漱石】

イメージ
今回の【コサエルラジオ】で、紹介するのは「草枕」夏目漱石です。実際に作品を手にするきっかけにしていただけたら幸い。 山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい 夏目漱石「草枕」より 【内容】  草枕「冒頭部分」の解説 110年以上前から「人と人 人と社会」の関係は変化していない? 草枕はコンセプチュアルな作品 何年も繰り返し楽しめる作品 【コサエルラジオ】「とかくに人の世は住みにくい。」【草枕 夏目漱石】 ※コサエルラジオは、 Apple Podcast   Amazon Music   Stand.fm で配信中(内容は全て同じ&無料でご視聴いただけます) 「夏目漱石」に関する記事

【読書の記憶】四十年間、ずっと探していた本。

イメージ
小学一年生 図書館で出会った本 小学一年生の時、図書館で借りて読んだ本があった。それは、奇妙で不可思議で、今までに目にしたことのないような言葉が並んでいて、わからないところも多かった。それでも、どこか惹かれる部分がある。 もっとこのような世界を探検してみたい気がする。 そんな雰囲気のある小説だった。 「もう少ししたら、また借りて読んでみよう」 小学校一年生の僕は、そう考えて本を閉じた。しかし、転校などで環境が変わったこともあり、その本を借りて読むこともなく小学生は中学生となり、社会人になっていた。 題名も、作者名も思い出せない もちろん「あの本」のことを忘れていたわけではない。折々に 「あの本をもう一度読み返してみたい」 と思っていた。しかし、本の題名も作者名も何一つ思い出せない。唯一頭に残っている情報が、 1 SFであること 2 宇宙が舞台であること 3 ロボット犬が登場すること(表紙に描かれていた?) 4 最後の場面で、登場人物の2人が結婚式らしきものあげること これだけだったため、どうにも探しようがなかったのだった。図書館に行き、小学生向けの本棚を眺める時などに「もしかしたら、ふいに目に飛び込んでこないだろうか」などと、神がかり的な奇跡を期待する程度で、あまりの情報の少なさに探すことすらできないまま数十年が過ぎていたのだった。 もちろん、インターネットが登場してからは「本を探すサイト」を覗いてみたり、質問を書き込んでみたりもした。しかし、自分が提供する情報が少なすぎるのと、曖昧な部分が多すぎるため、 何も反応を得られることはなかった。 当然である。 これが「最後のチャンス」の気配がする。 数ヶ月前のことである。何がきっかけだったか忘れてしまったが「本を探したい人」を募集しているサイトを見つけた。活発に情報交換がなされている雰囲気があったので、依頼してみることにした。「依頼が殺到しているため、掲載されるのは数ヶ月後」とのことだったが、 数十年も待ったのだから数ヶ月待つなんてどうってことない。 むしろ、自分の曖昧な情報を掲載してもらえたら幸運だ、あまり期待し過ぎないようにしよう……。程度のスタンスで待つことにした。 数ヶ月後、管理者から「ご依頼の情報を掲載します」と連絡が来た。ああよかった、この程度の情報でも掲載してもら

【文学散歩】太宰治「まなびの家」へ行った時の話

イメージ
「太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)」へ行った時の話 前回のコサエルラジオでは、太宰治の 斜陽館 と 疎開の家 へ旅をした時の話をしましたが、もう一つお勧めのスポットがあるので今回追加で紹介してみたいと思います。 青森県弘前市に、太宰治が旧制弘前高等学校に通っていた時に下宿していた家が「 太宰治まなびの家(旧藤田家住宅) 」として保存されています。そこでは、太宰治の勉強部屋が当時のままに保存管理されているので、その当時の雰囲気に触れることができるのですね。 太宰のファンの皆さんならご存知だと思うんですけれども、この時期の太宰治は、 作家の芥川龍之介に傾倒 していました。当時のノートには、太宰本人が書いた芥川龍之介らしい似顔絵や「芥川龍之介 芥川龍之介 芥川龍之介」と、何度も芥川の名前が落書きされているページも見つかっていて、学生時代の太宰にとって芥川龍之介は憧れの存在だったことがわかります。 芥川龍之介には、顎の下に手を当てている有名な「芥川ポーズ」があるのですが、太宰もその格好を真似て写真を撮っています。その写真を撮ったのが、この家だというエピソードもあるので、カメラの前でポーズを決める太宰の様子を想像しながら見学するのも楽しいのではないかと思います。  あこがれた「芥川龍之介」の影響は遠く深く 芥川龍之介は、太宰治が高校1年生の時に自殺をしてしまうのですが、学生時代の若い太宰にとって 「憧れの人が自殺する」という出来事は、相当な衝撃 を与えたという事は想像するに難くありません。ちょうどそのあたりから、太宰は色街に通うなど放蕩生活を送るようになったのも、芥川龍之介の影響があるのかもしれません。 これは個人的な感想なのですけれども、後に太宰治も女性と心中自殺をすることになりますが「自殺」という選択肢が、彼の中に存在するようになったきっかけは、芥川龍之介の影響が少なくないのではないか、と思います。高校生の多感で情熱が溢れていた太宰の学生時代を想像しながら、斜陽館から足を伸ばして訪問してみることをおすすめします。 それにしても、歴史に名を残す文豪ともなると、ノートの落書きなんかも公開され研究対象として様々な人にじっくりと見られてしまうわけです。個人情報保護どころの騒ぎではないですよね。太宰もあの世で赤面しつつ・・・いや、知らないふりをしてやり過ごしているのかもしれま

【読解力】小説を読めば、読解力が身につきますか?

イメージ
小説を読めば、読解力が身につきますか? 生徒さんから、よくいただく質問の1つが 「小説を読めば、読解力が身につきますか?」 というものですね。そのような質問を受けた時に、私がどのように答えたかといいますと「たしかに小説を読めば、読解力が身につくとは思います。しかし、 純粋に読解力を身に付けたいのであれば、別の勉強方法を試した方がいい と思いますよ」と答えていたのですね。小説を読んで読解力を身につけるのは、いわゆる「コスパが悪い」というやつだと思うからです。 どうして、このような答えをするかとというと、おそらく質問してくる皆さんが考える「読解力」とは、 文章の中からポイントをつかむ、整理する、分析する、というような能力 のことを「読解力」と定義していると思うのです。しかし、このようなスキルは、小説を読んでもなかなか身に付きにくいんじゃないか、というのが私の考えなのですね。 夏目漱石の「坊っちゃん」を読んでみる たとえば「夏目漱石の坊っちゃん」という作品がありますよね。この小説は 「東京生まれの主人公が、松山に行く。そこで喧嘩をして東京に帰ってくる話」 という説明しても決して間違っていないし、ポイントも抑えている。 ところが、小説を読むという行為は、このようなあらすじを抜き出して説明できる能力だけではないと思うのですね。物語を楽しみながら、赤シャツとか、野だいこみたいな人って、いまでもいるよなあ、とか、 登場人物の視点を通して「体験」 していく。そして、漱石はどうしてこの作品を書いたのだろう、などと 思考を広げたり 、自分は「坊っちゃん」を、このような読み方をした、と 周囲の人と言葉を交わしていく 。 そのような時間が「小説を読む」ということ であり、みなさんが求めている「読解力」とは少し異なるのではないか、と私は考えているからです。 どうすれば「読解力」が身につくのか? そのようなわけで、もしもみなさんが、ここで説明したような「読解力」を身に付けたいのであれば、別の方法を模索してみた方がよいかもしれない。そして 「どうすれば、読解力が身につくだろう?」 と考えてみることが、考える力を養い読解力を身につけることができる一歩だと思うわけです。 この内容を「ラジオ」で聞く ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter

【文学解説】友情(武者小路実篤)あらすじ解説

イメージ
 親友と同じ女性を好きになってしまった。「恋」か「友情」か? その選択の先には何が待っているのか? 今回は武者小路実篤「友情」のあらすじを解説します。恋をしている人も、これからする人も、過去の恋愛に思いをはせる人も、読書を楽しむきっかけにしていただければ幸い。 友情(武者小路実篤)あらすじ解説 ✏関連 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」 ✂関連: 文章力講座に関する記事一覧

【名言】火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。【文豪・夏目漱石の手紙】

イメージ
夏目漱石の手紙より 「あせっては不可ません。頭を悪くしては不可ません。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げることを知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。」 これは、 夏目漱石が門下生である「芥川龍之介 久米正雄」に宛てた手紙の一文です。 この当時、漱石は時代を代表する作家。のちに文豪になる芥川は大学を卒業したばかりの新人作家。血気盛んに文壇に足を踏みいれようとしている芥川にとって、師匠である漱石先生の 「あせっては不可ません」という言葉は、深く心に染み渡ったであろう ことは、想像に難くありません。 私(佐藤)が起業した時の話 実際に私(佐藤)も、若い時はせっかちで、考えたことをすぐに行動に移したくて、でも結果につながらなくて、ほんとうに焦りました。周りの同世代の人たちが、家庭を持ち安定した居場所を手にし始めている中、何ももっていない自分の姿を見ると 「これでいいのか?」「もっと別の道があるのではないか?」 と、夜も眠れず、昼間に居眠りをしながら考えたものです。 そんな時に、この漱石先生の言葉を思い出して 「うんうん死ぬまで押すのだ」 と、自分を奮い立たせていたことを思い出します。私は、才能がありませんから、芥川のような世界を驚かせるような仕事はできませんが、それでも「うんうん」やってこれたのは、この言葉を知っていたからだと思うのです。 未来をつくる 起業家・社会人・学生のみなさんへ これから新しい挑戦をする若手の起業家、社会人、学生のみなさんにも、この漱石の言葉を覚えておいていただきたいと思います。19年前の私がそうだったように、 いつかどこかで心を奮い立たせる力 になると思うからです。 人生は何かを成し遂げるには短すぎます。しかし、それでも私たちは「何か」を作り続けなければいけません。 「一瞬の記憶」ではなく、少しでも遠くまで届くものを作っていきたい。 そう願い、志す人には、きっと必要な言葉だと思うからです。 漱石はこの手紙を書いた数ヶ月後に亡くなってしまいます。 49歳あまりにも早すぎる最期でした。しかし、100年以上も経過した今、この現代でも読み継がれる「言葉」となって生き続けています。あらためて漱石先生のすごさを実感したのでした。 関連 「人生哲学」に関する記事 「夏目漱石」に関す

夏目漱石「こころ」あらすじ解説

イメージ
はじめての文学入門 夏目漱石「こころ」あらすじ解説 今までに、たくさんの人から「こころ」の感想を聞いてきました。「こんなに長い小説を読んだのは初めてです」「さいごまで、夢中になって読みました!」というような感想を耳にする反面「挑戦してみたけれど、難しくて挫折してしまった」「長いので、なかなか手が伸びない」という感想も受けてきました。 個人的に「こころ」は 「読んでおきたい文学作品のひとつ」 だと考えているので、読まずに過ごしてしまうのは「もったいない」と考えてきました。そこで今回は、音声で「こころ」のあらすじを解説してみることにしました。 一度、録音を始めてみると、予定以上に長くなってしまったため「前・後編」の2つに分けて編集してみました。 前編は「上 先生と私 中 両親と私」 までのあらすじ解説。 後編は「下 先生の遺書」 のあらすじ解説になります。 これから読む人はもちろん、もう一度読み返して見たい人も、ぜひご視聴ください。作品を楽しむきっかけになれば、幸い。 「こころ」あらすじ 「上 先生と私 中 両親と私」 「こころ」あらすじ 「下 先生の遺書」 ✏関連 「読書」に関する記事 「夏目漱石」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」 ✂関連: 文章力講座に関する記事一覧

モモ(ミヒャエル・エンデ)あらすじ解説動画

イメージ
児童文学の名著 モモ(ミヒャエル・エンデ著) あらすじ解説動画を公開中 です。子供の頃に読んで、もう一度読み返したいと考えている人も、はじめて読む人も、お子さんと一緒に読んでみようと考えている人も、ぜひご覧ください。読書を楽しむ「きっかけ」にしていただけたら、さいわいです。 ・内容「モモ(第2部)までのあらすじ解説」「表紙(岩波文庫 ハードカバー版)を読み解いてみる」他 21分50秒の動画です。あとですぐに確認できるように「チャンネル登録」もお忘れなく。チャンネル登録(無料)はこちら→ 「 佐藤ゼミ 」 ✏関連 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」 ✂関連: 文章力講座に関する記事一覧

銀河鉄道の夜(宮澤賢治)あらすじ解説動画を公開中

イメージ
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」解説動画を公開しました。 前半は「銀河鉄道の夜のあらすじ」を解説。後半は「物語を楽しむヒント」 を解説しています。  内容:  ・登場人物の解説  ・銀河鉄道の夜は、3つの場面で構成されている  1)最初の場面のあらすじ解説  2)銀河の場面のあらすじ解説  3)最後の場面のあらすじ解説  ・「牛乳」をキーワードに「銀河鉄道の夜」を読み込んでみる  ・銀河鉄道の夜は「幻想世界(ファンタジー)」の話ではない?? ・作者・宮沢賢治が「表現したかったこと」を想像してみる 他  ひさしぶりに文学作品を読んでみたい社会人の方も、人生について考えてみたい人も、子供にちょっと解説してみたいお父さんも、読書を楽しむきっかけにしてもらえたら幸いです。 ✏関連 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」 ✂関連: 文章力講座に関する記事一覧

起業家・経営者向け「成功するための読書術」2つのポイント解説

イメージ
起業家の教え「成功するための読書術」2つのポイント 今回は 「成長したいなら本を読もう 」というテーマで書いてみたいと思います。 私は独立起業して今年で19年目を迎えようとしていますが、もし誰かに 「続ける秘訣」について質問 されたとしたら 「読書の習慣です」と即答する と思います。 そのくらい「本を読む習慣」は私の発想や判断の根源になってると思います。そこで今回は、私がどのように本を読んできたか? という内容で皆さんに解説してみたいと思います。これから独立起業を目指す人から、経営者、スキルアップを目指す社会人や学生のみなさんに、参考にしてもらえればと思います。 ポイント1「ひとつのテーマを徹底的に掘り下げていく」 私が「読書習慣」について説明する時に、説明するポイントが2つあります。最初のポイントが 「ひとつのテーマを徹底的に掘り下げていく」 ということですね。 例えば「マーケティング」の勉強をしようと考えて書店へ行ったとします。そこで私の場合ですとマーケティングの棚のところに行って、関心を持った本を3〜5冊ほどまとめて購入してきます。 そして、自宅に戻ってから一気に目を通して「この作者は面白いな」とか「わかりやすい」「この人の教え方だと頭に入ってくる」などと自分なりに考察して、その中から 「気になった作者」を一冊選ぶ のです。 読書をする時も 「相性」が重要 だと思います。学校の授業でも「この先生に教えてもらいたい」という先生に教えてもらいたいですよね。本にしても同様で、 この作者に教えてもらいたい、という相性のようなものがある と思うのです。まずはそのような作者(本)を一冊選ぶということが、私の場合は重要でした。 一定の情報量が蓄積するまで、読み込んでいく 一冊選ぶことができたのなら、そこから本格的なスタートになります。どうするかと言いますと、次に書店に行った時などに 「その作者の本」をできるだけ入手 します。そして一気に読み進めていくようにしています。「大切なポイント」は繰り返されますし、複数の本を読み込むことで作者のテーマや考え方などが、わかるようになってきます。 そのような時間を積み重ね、 一定の情報が溜まってきたところで、次のステップ に入ります。次のステップは何かというと、本の巻末にその作者が参考にした書籍や、オススメの本が掲載されていますよね