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【バリ島へ行った話(2)】パスポート&ビザ申請

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・パスポートを申請しよう さて、海外旅行への最初の一歩は パスポート取得 することである。今までのパスポートはとっくに失効していたので、改めて県庁に行きパスポートを取得することにした。パスポートには5年と10年の2種類あり、5年だと11.000円、10年だと16.000円の手数料が必要になる(2023年現在)その差5.000円である。 金額差は気になるところだが、5年後に更新の手続きをするのが面倒に感じたので、10年で申請することにした。ちなみに私は、最近ヒゲを伸ばしているのだが、申請窓口に提出する際に 「ヒゲを剃られてしまいますと、入国審査の時にチェックが厳しくなるかもしれません」 ということを指摘された。 なるほどそうか。あまり深く考えていなかったけれども、ヒゲも注意するポイントになるのか。実際のところ、そこまでヒゲにこだわりがあるわけでもないので、10年間ずっとヒゲを伸ばしているかは怪しい。来年そってしまうかもしれない。バリ島で急に「そうだ、ヒゲを剃ろう」となるかもしれない。未来は未確定で未知で、様々な選択肢が存在する。しかしそうは言っても、写真も撮影してしまったし撮り直すのももったいないので、そのまま申請することにした。さて、10年後の私は、どのような顔になっているのだろう? 年齢相応に老け込んでいくことは確実だから「ああ、この頃は若かったなあ」としみじみするのだろうか。 「なんだ、このころのオレ。ヒゲを伸ばして調子にのりやがって」 と自己批判するだろうか。10年後のお楽しみにしておこうと思う。 ・コロナ対策について さて、ここで「コロナ禍」に関する書類にも触れておこう。現在では以下の書類提出は廃止になっているため、 これから出国する人には無用の情報 となるので読み飛ばしていただいて構わない。ただ「当時は、このような感じだったんだぜ」という記録的な意味で書いておこうと思う。 コロナ禍における、インドネシア入国の際に必要だったものは「新型コロナワクチン接種証明書」と「SATUSEHATアプリの登録」の2点。しかし、ちょうど私たちが出国するタイミング(2022年の6月上旬)に、 これらの書類提出が不必要となった。 代理店のスタッフの方にも「まもなく、これらの書類が不必要になるかもしれません」と言われていたので期待していたのだが、 まるで私たちの出国に合わせてくれ

【バリ島へ行った話(1)】出国に向けて、まずは準備から

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先月(2023年6月)バリ島へ行った。私にとって、 はじめてのバリ である。これから、その時の話を書いてみようと思う。結論めいたものを最初に書いてしまうと、今回のバリ旅は 「たぶん一生忘れない」 ものになった。とくに、劇的なドラマがあったわけではないし、読んでいる人に何かしらの感動を与えるようなものでもない。極めて個人的な体験の連続であり、ささやかな時間の積み重ねである。おそらく多くの人たちにとって、有意義な内容ではないかと思う。 では何のために書くのか? それはそう、もちろん「自分」のためである。すこしでも記憶が鮮やかなうちに 記録として残しておきたいという気持ち。 そしてできることなら、だれかと「それ」を共有したい気持ち。とにもかくにも個人的な内容であることを含みおきいただき、お付き合いいただければ幸い。移動中や、仕事相手からの返信待ちで時間を持て余している時など、パラパラと適当にめくっていただきたい。もしかすると、人生の教訓めいたものが、多少は隠れているかもしれなくもない。 ・なぜバリへ? バリ島へ行くことになった。私の提案ではない。妻が旅行先に、バリを提案してきたからである。「バリ」ときいて、あなたはどのようなイメージが頭に浮かぶだろうか? 私は女性が民族衣裳を着て踊っている姿(レゴンダンスという。これは現地で見に行くことができた)程度しか思い浮かばなかった。ガイドブックなどで 「神々の住む島」とか「極上のリゾート地」 というフレーズを目にする度に「どちらかというと自分には縁がない島」とさえ思っていた。 しかし、普段はあまり自分の意見を主張しない妻が 「バリ島へ行ってみたい。大学生の頃から、いつか行ってみたいと思っていたから」 と言われたのならば反対する理由はない。それならばバリへ行こうもはやバリ島一択だ、と計画を立てることにしたのだった。 そのような流れで計画を立て始めたのが、2023年の2月ころ。当時はまだコロナ禍の影響が続き「そろそろ海外旅行も大丈夫そうだけど、まだもう少し先かな」といった気配が残っている時期だった。日本では道を歩く人のほぼ全員がマスクをしており、時折マスクを外している人を見ると「マスクをしていない人がいるな」と、目立ってしまうような状況だった。 ・まずは「旅行代理店」へ行こう 正直迷いはあった。それと同時に 「コロナ禍以降、海外旅行の

【旅の話】バリ島の人は、本を読まない?(Podcast)

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先日、バリ島へ行った時のことをPodcastで配信しました。人生を豊かにするような教訓も、ためになる情報もありませんが、移動の時間などに聞き流してみてください。 【バリ島の人は、本を読まない?】 【芥川龍之介】美しいと思うもの(追憶より)】 ※後半「バリ旅」の話をしています。               ・Podcast【佐藤ゼミ】では、文学作品解説や文豪エピソードなど、文学を楽しむヒントを提供しています。読書を楽しみたい人や、社会人の学び直しなど、気になった人はチャンネル登録お願いします。 ✈︎ ・バリ島に関する記事一覧 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ ✒ 【Youtubeチャンネル】佐藤ゼミ ☑: ブログのTOPへもどる

【海外旅行】WiFiBOXをレンタルして、バリ島へ

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SIMか? レンタルWi-Fiか? 旅先で「スマホ」は必須アイテムである。国内はもちろん海外旅行なら、なおさらである。しかし、そんなスマホも「Wifi」がなければどうにもならない。写真は撮れるが、マップも使えないし検索もできないし、ガイドと連絡もとれない。 今回、バリ島へ旅行に行くにあたって「SIM」にしようか「レンタルWi-Fi」にしようか考えていたところ、外国人の知人から「語学力に自信がないのであれば、レンタルWi-Fiの方が良いと思う」とアドバイスを受けたので、それに従うことにした。 旅行代理店で航空券の相談をしていた際に「レンタルWi-Fi」について質問してみると、見積もりを出してくれた。それによると「500MB/日×6日間レンタルで、6千円前後」というところだった。まあそのくらいかな、と思いつつ、その時は時間がなかったので話を進めず帰宅した。 WiFiBOXに、しよう。 数日後、旅行のガイドブックを見ていたところ「WiFiBOX」の広告が目にとまった。なんとなく気になってサイトを調べてみたところ、 インドネシアの場合「500MB 490円/日」〜「無制限 1.090円/日」 だった。なかなかのお手頃価格。本体の受け取りと返却は成田空港の専用カウンターでできるし、手数料なども必要ない。円安のご時世、必要経費はできるだけ抑えたいところ。一応他社のWiFiレンタルをざっくり調べてみたあと、WiFiBOXをレンタルすることにした。 今回契約したのは「500MB 490円/日」のプランである。宿泊するヴィラにWi-Fiはあるし、移動中に動画を見たり、頻繁に検索することもないと思うので最低限のプランで大丈夫だと考えたからだ。オプションで保証もつけられるのだが、加入していた旅行保険の方でまかなえるようなので、本体のレンタルのみにした。 結果6日間で「2.940円」 となった。うむ、最初の見積もりの半額で済ませることができた。よかったです。 出発「成田空港」で本体受け取り 出発当日。成田空港に到着してまず最初に「WiFiBOX」の受け取りカウンターへ向かった。まだ午前8時過ぎだったためか、カウンターに店員さんの姿はなかった。届いたメールに書かれた手順にしたがってQRコードをかざすと、ガシャンと本体が飛び出てくる。おう、キミが今回の相棒か、と貸出機から引き出してレンタル開始

【スーツケース購入】GRIFFIN LAND FK1212-1(海外旅行)

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海外旅行に行くことになったので、スーツケースを新調することにした。若い頃ならば「デザイン」で選んでいた。多少重かろうが、使い勝手が悪かろうが「自分が気に入ったスーツケースを持ち歩きたい」と息巻いて、デザインで選んでいたと思う。 しかし年齢を重ねた今の私にとって、 優先順位は「軽さ」 である。デザインはシンプルでOK。とりあえず軽くて、それなりの機能があれば大丈夫。スーツケースは消耗品と割り切っているので、お値段もお手頃であることも大切。そんな感じで探して見つけたのが「 グリフィンランド FK1212 (Mサイズ)」というスーツケースだった。セールで7千円台で購入した。 まずは、第一印象から 今回は、 5泊6日の日程だったので、Mサイズ(58L) を選んだ。行き先がインドネシアのバリ島なので、軽装(下着とかTシャツなど)で大丈夫だったため容量的に必要十分と考えたからだ。内装は仕切り板とメッシュポケット、そしてクロスベルトが付属していて使い勝手も良さそう。個人的には文句なし、というのが第一印象だった。 TSAロックも付属(鍵式)している。表面は傷が目立ちにくいエンボス加工。フィルム加工のスーツケースだと数回使っただけで傷がついてボロボロになることがあるので、個人的にはエンボス加工の方が好みである。ちなみに今回も、周囲に傷や汚れはついたものの、特にトラブルや割れなどもなく無事に乗り切ってくれました。 妻が弟から借りてきた、ドンキホーテのスーツケース(Lサイズ)と並べてみた。こうして並べてみると、それなりにサイズ感に違いがあるのがわかる。こちらのスーツケースは妻が使っていたのだが、Lサイズでちょうどよかったらしい。帰国時はお土産なども増えるし、荷物が多めの人はLサイズを検討してみるのもが良いかもしれない。 そして、帰国。 5泊6日の日程を終え特にトラブルもなく、無事に過ごすことができた。帰国時は、お土産などでだいぶスペースに余裕がなく重たくなったのだが、問題なく乗り切ることができた。(ちなみに、帰国時に成田空港から自宅まで宅急便で送ったのだが、140サイズでした) ひとつだけ気になる点をあげるならば、キャスターにストッパーがついていないので、傾斜のあるところに置くと移動してしまう点だろうか。しかし、その点を考慮に入れても十分に「コスバが良い」製品だと私は感じた。「軽くて、お

ニッカウヰスキー 仙台工場 宮城峡蒸溜所を見学した話。

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工場見学を予約する 車で作並温泉へ移動する途中に、ニッカウヰスキーの仙台工場があることは知っていた。看板も目にしていた。いつか行ってみたい、と思いつつも「地元だから行こうと思えばいつでも行ける」と素通りしてはや数十年。先日、知人から「見学ガイドに参加してきた」と聞かされ、なんだか急にうらやましく(?)なり、自分も行ってみることにしたのだった。 見学ガイドは予約が必要である。 ニッカウヰスキーの公式サイト から申し込むことができる。希望の日程と時間帯を入力すれば完了。実に簡単だ。もっと早く申し込めばよかった。などと、ただ申し込みをしただけなのに、すでに達成感があるのはなぜなのだろう? とりあえず満ち足りた気分を大切にしつつ当日を待った。 シャトルバスで移動 今回は電車での移動になる。作並駅が最寄りの駅で、ここから仙台工場へ移動することになる。私が訪問した時は、夏休み期間だったので作並駅から工場まで無料シャトルバスが運行されており、それを利用させてもらった。シャトルバスは補助席が必要なほどの満員状態だった。人気である。 そして満員バスで移動すること数分。ほどなくニッカウヰスキーの仙台工場へ到着した。工場見学をするのはいったい何年ぶりだろう。大人になると仕事以外では「見学」する機会が減ってしまうので、学生気分でたのしくなってくる。受付を済ませ、予約した時間まで敷地内を散歩して過ごすことにした。 山と川に囲まれた、整えられた場所 宮城峡蒸溜所は「峡」という言葉が使われていることからも想像できるように、広瀬川と新川に挟まれ周囲を緑の木々に囲まれた自然豊かな場所にある。敷地内は綺麗に手入れが行き届いていて、凛とした空気が漂っている。工場ではあるが、静寂に満ちているような感覚がある。 私も若い頃は都会に憧れて、人の多いところで盛んに仕事がしたいと考えたものだったが、いまこれくらいの年齢(50代)になると「このような環境で仕事をしてみたかった」と思ったりもする。 もちろん実際に仕事をするとなれば、いろいろと大変だと思う。それでも、もしも20代のころの自分に戻って忠告できるならば「自然がすぐそばにある職場も考えてみたらどうだ?」とアドバイスしてみたい。「ああ、それもいいですよね」とまったく耳を傾けないだろうけれど(彼は、一見物腰が柔らかそうに見えるかもしれないが、かなりの頑固もの

はじめてのキャンプは、【秘密】の気配がした。

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夏の暑い陽射しが降り注いで「夏休み」の気配が近づいてくると、遠くへ出かけたくなります。テントを車に積んで、まだ行ったことのない場所へ。すこしでも遠くの山の中へ。 そんな私の【キャンプ体験】について、noteにエッセイを買いてみました。書き進めているうちに、私のキャンプへの思いは、すべてあの時から始まっていて、そして今も続いていることを再確認しました。 小学4年生の時の「僕」が、キャンプで感じたこと。お時間のある時に、ごらんください。 ☀ はじめてのキャンプは、【秘密】の気配がした。 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter 【関連】 キャンプ日記の記事 一覧 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【文学散歩】太宰治「まなびの家」へ行った時の話

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「太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)」へ行った時の話 前回のコサエルラジオでは、太宰治の 斜陽館 と 疎開の家 へ旅をした時の話をしましたが、もう一つお勧めのスポットがあるので今回追加で紹介してみたいと思います。 青森県弘前市に、太宰治が旧制弘前高等学校に通っていた時に下宿していた家が「 太宰治まなびの家(旧藤田家住宅) 」として保存されています。そこでは、太宰治の勉強部屋が当時のままに保存管理されているので、その当時の雰囲気に触れることができるのですね。 太宰のファンの皆さんならご存知だと思うんですけれども、この時期の太宰治は、 作家の芥川龍之介に傾倒 していました。当時のノートには、太宰本人が書いた芥川龍之介らしい似顔絵や「芥川龍之介 芥川龍之介 芥川龍之介」と、何度も芥川の名前が落書きされているページも見つかっていて、学生時代の太宰にとって芥川龍之介は憧れの存在だったことがわかります。 芥川龍之介には、顎の下に手を当てている有名な「芥川ポーズ」があるのですが、太宰もその格好を真似て写真を撮っています。その写真を撮ったのが、この家だというエピソードもあるので、カメラの前でポーズを決める太宰の様子を想像しながら見学するのも楽しいのではないかと思います。  あこがれた「芥川龍之介」の影響は遠く深く 芥川龍之介は、太宰治が高校1年生の時に自殺をしてしまうのですが、学生時代の若い太宰にとって 「憧れの人が自殺する」という出来事は、相当な衝撃 を与えたという事は想像するに難くありません。ちょうどそのあたりから、太宰は色街に通うなど放蕩生活を送るようになったのも、芥川龍之介の影響があるのかもしれません。 これは個人的な感想なのですけれども、後に太宰治も女性と心中自殺をすることになりますが「自殺」という選択肢が、彼の中に存在するようになったきっかけは、芥川龍之介の影響が少なくないのではないか、と思います。高校生の多感で情熱が溢れていた太宰の学生時代を想像しながら、斜陽館から足を伸ばして訪問してみることをおすすめします。 それにしても、歴史に名を残す文豪ともなると、ノートの落書きなんかも公開され研究対象として様々な人にじっくりと見られてしまうわけです。個人情報保護どころの騒ぎではないですよね。太宰もあの世で赤面しつつ・・・いや、知らないふりをしてやり過ごしているのかもしれま

今回の「高速バスの旅」で役立った、ダイソーアイテム

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高速バスの旅で役立った、ダイソーアイテム 高速バスの旅は長時間の移動を、どれだけ快適に過ごせるかが重要なポイントになります。とはいえ、せっかく旅費を節約したのですから、高価なアイテムなどを購入するのではなく、百均アイテムを活用して乗り切りたい人も多いでしょう。 と、いうわけで、今回の高速バスの旅で使ってみたダイソーの商品を数点紹介してみたいと思います。 (1)耳栓 今回使用してみて、1番効果を感じたのが耳栓でした。音を遮断することで、眠りに集中できる(と、いう表現もおかしいですが)のが大きかったと思います。帰りの便では、前方の席の人がいびきをかく人だったのですが、それも気になりませんでした。 注意点としては、休憩時に車内アナウンスで案内があるのですが、耳栓をしていると聞こえにくい点。自分の場合は「そろそろ休憩の時間かな」と目安をつけて、耳栓を片方外していました。 ちなみに今回購入したダイソーの耳栓は、押しつぶして小さくしてから耳の中に入れてフィットさせるタイプでした。左側が通常の形で、右側が潰した形です。結構潰れますよね。こんなに潰して大丈夫なのか、と心配になりますが、ゆるやかに再生して元の形に戻りました。 そういえば高校生の頃、予備校の自習室で友人が耳栓をして勉強していたんですね。なんとなく気になったので「それって効果あるの?」と質問すると「効果というか、集中できる感じがするよ」と言われたことを多い出しました。数十年経て「集中できる」という意味を、今回のバス旅でようやく体感できたのでした。 (2)アイマスク 子供のころ、新幹線の中などでアイマスクをしてる人を見かけると、なんとなく「かっこいい」と思っていました。たぶん「旅慣れた」雰囲気を感じたのだと思います。今回、自分も旅慣れた感を出そうと思い、ダイソーで見つけて購入してみました。 高速バスの中は、消灯されているのですが、室内灯がぼんやりとついているんですね。特に気になるような明るさではありませんが、アイマスクをすることで光を遮断することができました。 個人的に、睡眠時に室内を暗くするとことは、良質な睡眠をとる時の大切な要素の1つだと思っているので、気になった方は試してみて下さい。ちなみに「旅慣れた感」は、特に出せなかったと思います。 (3)

最終回(高速バスで仙台→金沢への旅 No.17)

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さらば、金沢 21世紀美術館 で、今回の金沢旅の日程は終了となった。私たちはバスに乗り金沢駅へと向かった。冷たい雨が強目の風と共に降り続いていた。帰りの高速バス出発の時間までは、4時間ほど時間が空いていた。4時間と言えばけっこうな時間である。2時間の映画ならば2本見ることができるし、サッカーの試合ならば(延長がない場合)2試合ほど見ることができる。当初は、歩ける範囲を散策してみる予定だったのだが、この雨と風では難しいと判断し、駅ビルで出発までの時間を過ごすことにした。 4時間もあるなんて、意外と持て余すかと思ったのだが、駅ビルでお土産を買ったり雑貨を眺めたり、食事をしたり、荷物を整理などしているうちに時間が過ぎていった。連れは、ギリギリまで会社の人へのお土産を探していた。旅に出るたびに、結構な量のお土産を買っているので「会社の人達も、そんなにお土産を買ってくるの」と聞いてみた。すると「買ってくる人は買ってくるけれども、買ってこない人は買ってこない」とのこと。「ちなみに、一番買ってくる人はだれ?」と聞くと、すこし考えてから「自分かもしれない」と答えていた。まあそうだろうな、と思った。 スマホが、突然不調に そんなことを話しながら、スマートフォンで撮影した写真を整理していると、突然調子が悪くなった。メッセージを送ろうとしても送信されないし、FaceTimeを起動しても使用することができない。全体的に動作がもっさりとして「何かちょっとおかしいな」という気配がした。 高速バスに乗車する時は「申し込み確認のメール」を見せなければいけないから、もしスマホが起動しなくなったら面倒なことになるな、と思った。今はスマホが一台あれば、旅先でも困ることがない。しかしそれは、スマホが故障してしまえば、一気に身動きが出来なくなるということでもある。あと数時間、バスに乗車するまでは動いてくれよ、と思いながら、メッセージを送ったりアプリを立ち上げたりしてみる。やはり動作がおかしい。再起動しても、エラーになって先に進めない。 とりあえずカメラは正常に動作していたので、金沢で最後の記念写真を撮った。駅に設置されていた「ひゃくまんさん」である。 バス乗り場へ移動、そして出発 そうこうしているうちに、高速バスの出発時刻になったので、指定のバス乗り場へ向か

金沢21世紀美術館へ(高速バスで仙台→金沢への旅 No.16)

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旅先での雷雨は、試練にも等しい ひがし茶屋街 のバス停に到着した時点で、かなり強い雨脚になっていた。そして急速に肌寒くなってきた。自分は、移動をする時にできるだけ荷物を持たないようにしている。その時も、荷物はコインロッカーに預けていたので、羽織るものを持っていなかった。まさか、ここまで急変するとは思わなかった、と嘆いてみても誰かが届けてくれるわけでもなし、なんとか最後まで乗り切ろうと思う。 次に向かうは、金沢21世紀美術館。この空模様だと、屋外を歩くのは厳しいが、屋内ならば大丈夫だろうと考えたのだ。しかし、 昨日は入館を諦めるほどの長蛇の列 だった。雨が降ったことで、自分たちと同じように予定を変更して美術館へ行く人も多いのではないだろうか。少々不安を抱えつつも、まずはバスで向かってみることにする。 石浦神社へ参拝する バスを降りる。「令和」とダイナミックな金色の書が目にとまる。引き寄せられるように鳥居をくぐる。石浦神社のご由緒は公式ホームページによると「金沢最古の宮」であるとのこと。ああ、こちらが金沢で一番古いお宮だったのだ。謹んで参拝させていただくことにする。 参拝後、連れが「御朱印をいただきたい」というので、雨の寒さが少々辛くなり始めていた自分は、一足先に道路向かいの美術館へ移動した。雨脚は強まりはしないが、弱まってもいない。残りの時間は、このまま雨になりそうだ。 金沢21世紀美術館 ふたたび 美術館へ到着し、まずはチケット売り場へと向かう。チケットを購入するために並んでいる人は、数人しかいない。よかった。これならスムーズに鑑賞できそうだ。繰り返しになるが、今回の旅はだいぶタイミングがいい。到着早々、白山比咩神社に参拝させていただいたので、そのご利益かな、と都合のいいことを考える。 金沢21世紀美術館 は「21世紀」とあるように、現代アートの美術館である。今年で15周年という新しい施設だ。個人的に「現代アート」の作品は「あたり はずれ」が大きいように感じている。この場合の「あたり はずれ」とは「正解 不正解」の意味でも「芸術的価値の高低」でもなく(そもそも筆者は、現代アートの芸術的な価値を判断できるほどの、感性も知識も持ち合わせていない)「個人的に、ツボにはまるかどうか」ということである。

金沢城から、ひがし茶屋街へ(高速バスで仙台→金沢への旅 No.15)

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金沢城へ 兼六園 の道路を挟んで向かい側に、金沢城がある。まさに「お向かい」という位置なので、観光するには便利である。当初は、兼六園のあとに立ち寄ってみようかと考えていた。ところが、石川門のところで横を歩いていた上品なご婦人が「ここは、無料のところだけでいいわよね」と話しているのが聞こえてきた。その言葉を耳にした途端、自分も無料のところだけでいいかな、と思ってしまった。 結局、無料の区間を軽く散策してから、次の目的地「ひがし茶屋街」へ移動することにした。雨が降らないうちに、もう一度ひがし茶屋街を歩いてみたいと思っていたので、そちらを優先することにした。 円長寺さんで、御輪堂を回す 昨日、 ひがし茶屋街を歩いた時 は、場所によってはまっすぐ歩けないほどの混雑だった。今日は、もう少し空いているような予感がしたので、もう一度行ってみることにしたのだった。結論から書くと、昨日の混雑が嘘のように、歩いている人の姿は半分以下になっていた。いや三分の一かもしれない。これならゆったりと散策できそうだ。 バスを降りて歩いていると、ふと魅了される風情のお寺が目にとまった。円長寺さんだった。昨日はあまりの混雑に気がつかなかったのだ。拝見させていただくことにする。円長寺さんの敷地内には「御輪堂」が建てられている。こちらに設置されている書架(仏教の経典が納められているのだそう)は回転式になっていて、書架を回すとお経を読んだのと同じ効果があるのだそう。 「ゆっくり回してね 写真もOK アップロードもOK」と張り紙があったので、謹んでキュルキュルと回させていただいた。一人では重くずっしりと感じたので、途中から連れと二人で力をこめてゆっくりと回させていただいた。そして「アップロードもOK」のお言葉にしたがって、こちらにアップさせていただいた。ありがとうございました。 本日、ひがし茶屋街へ来なければ、円長寺さんを訪問させていただくことなく、御輪堂を回すことなく、仙台へ帰るところだった。これだけでも、再訪した価値がありました。ありがとうございました。 ひがし茶屋街 ふたたび 円長寺さんを出て、ひがし茶屋街へ向かう。やはり人の姿は、昨日とは桁違いに少なくなっている。昨日は写真を撮ろうとすると、後ろからくる人にぶつかりそうになって恐縮してしまったが

特別名勝 兼六園へ(高速バスで仙台→金沢への旅 No.14)

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文化財指定庭園 特別名勝 兼六園へ 兼六園 は、金沢について調べた時「おすすめの場所」として、ほとんどの観光案内に大きく取り上げられている観光スポットである。しかし今回自分は「兼六園は天気が良ければ行きたいけれど、天気が悪ければどうしようかな」と、考えていた。春の冷たい雨に降られながら庭園を回るのは、ちょっと遠慮したいと感じていたのだった。絵に描いたような軟弱さである。 食事を終えた時点で、小雨が降り始めていた。天気予報では午後から「強めの雨」だったので、少し怪しい様相である。今くらいの雨模様ならば大丈夫そうだけど、これより強くなったならばどうだろう。そんなことを考えながら、しばしバスに揺られ兼六園に到着した。 結論から書いてしまおう。予想以上に、魅了されている自分がいた。自分は日本庭園には詳しくないのだが、それでも「ああ、この方向から見ると様々な要素が見事に配置されている」と素人ながらに感じる風景が、至る所に存在した。雨が降りそうなくらいで、断念しないでよかった。 天気予報通り、兼六園に到着した頃から雨が落ち始めた。春の冷たい雨、というよりは、静けさを感じる雨だった。私たちは、途中で購入してきた100円の傘をさして歩いた。水面にできる波紋が綺麗だった。 日本三名園「偕楽園」の思い出 偕楽園 、 後楽園 、そしてここ 兼六園 を総称して「日本三名園」と呼ぶらしい。自分は小学五年生の時に、偕楽園へ行ったことがある。しかし全くと言っていいほど、その当時の記憶がない。お土産やさんで、ガマの油が売られていて、友人がそれを買っていた記憶だけが、ぼんやりと残っている。わりと小さな容器に入っていて「これ、使ったらすぐになくなりそうだね」「貴重だから、もったいないな」などと話したような気がする。せっかく、偕楽園へ行ったとしても残った記憶が「ガマの油」というのは、我ながら苦笑いするしかないが、小学生ならば仕方がないとも思う。 今回、兼六園にやってきたので、後楽園へ行けば日本三名園すべてを訪問したことになる。後楽園のある岡山へは、まだ一度も行ったことがないので「いつか行ってみたいリスト」に登録しておこうと思う。後楽園へ行くことができたなら、あらためて偕楽園を再訪してガマの油以外の思い出を作ってみたいと思う。 日本最古の「

にし茶屋街から近江町市場へ(高速バスで仙台→金沢への旅 No.13)

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金沢の旅 最終日 旅をする度に思うのだが、旅は実際に現地で過ごす時間よりも、準備をしている時間の方が長い。計画から、宿や移動手段の手配、仕事の調整などなど、だいたい一ヶ月ほどかけてコツコツと準備を進めていくのだが、現地では「あっ」というまに時間が過ぎてしまう。 もちろん準備の時間や、こうやって旅から帰って文章にまとめている時間も、それぞれの楽しさがある。思い出はずっと残るから、旅の時間は一生分の価値があるとも言える。それでも、現地での「時間が過ぎる早さ」には、もう少しなんとかならないのかな、と思ったりする。いや、こんなことを考えたところで、なんとかなるものではないんですけどね。 そんな答えの出ないことを考えているうちに、今回の金沢旅も最終日となった。前日までは、天気にもめぐまれたし、連日10キロ以上徒歩で移動したせいか、いつもは寝付きの悪い自分が夜はぐっすりと眠ることができた。体調もいい。最終日は、早めにチェックアウトして、最後の一日を充実した時間にしていこう。そう思っていたのだが・・・。 にし茶屋街で、おみやげを と、さも何かあったように書いてみたのだが、実際はとくにトラブルもなくスムーズなスタートになった。ホテルで朝食を済ませ、まず最初に向かったのは、初日も訪問した「 にし茶屋街 」である。まだ早い時間帯だったので、歩いている人の姿も少なく、これならゆっくりと買い物ができるように思えた。 ところが、店内に入ると、すでに中は自分たちと同じ観光客で賑わっていた。とりいそぎ自分たちも「 甘納豆かわむら 」さんと「 落雁 諸江屋 」さんを回って、おみやげを購入した。 実は(と、わざわざ強調するほどのことでもないのだが)今まで自分は、甘納豆と落雁があまり得意ではなかった。嫌いではないけれど、自分から進んで食べるお菓子ではなかった。ところが今回、かわむらさんと諸江屋で試食をしたところ、どちらも美味しく感じられたので、調子に乗ってお土産ではなく自分の分まで買ってしまった。 それにしても、落雁の造形(デザイン)は、ほんとうに美しいですね。時間を経て磨き続けてこられた、シンプルだけど重厚で繊細な趣を感じます。機会があれば、くわしく学んでみたい。そう感じました。 近江町市場 ふたたび にし茶屋街を出て、一旦バス

石川四高記念文化交流館(高速バスで仙台→金沢への旅 No.12)

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広坂緑地を散策 ちょうど今くらいの時期が、歩いて散策するには最適の気候である。「石川県は雨の多い地域」と聞いていたのだけど、今回の旅では二日間とも天候に恵まれ気持ちよく過ごすことができた。明日の午後からは「わりと強目の雨」の予報になっている。見上げた空は、気持ちよく晴れ渡っていて、明日から天気が崩れるような気配がしない。このまま予報が外れてくれないだろうか、などと考えながら歩く。 日暮れの光に照らされた芝生が広がる空間を、通路の横を流れる水音を耳にしながら、太陽が沈んで行く西の方を目指して歩いていく。数分ほどで、石川四高記念文化交流館の建物の前に到着した。 石川四高記念文化交流館 ナイトギャラリー 昼に、石川四高記念文化交流館の前を通った時「ナイトギャラリー」が開催されていることを看板を見て知っていた。期間中は21時まで利用することができるのだそう。これはありがたい、と今日の締めくくりに寄らせてもらうことにした。 この建物は、 1891年に旧第四高等中学校本館として建てられたとのこと。 ライトアップされた、 堂々とそして気品のある煉瓦造りの建物を見上げていると、どこか精神が引き締ってくるような感じがする。 この校門を、当時の学生たちは誇りと向上心を持ち胸を張ってって通っていったのだろうか。そんなことを考えながら入口へ進んでいく。 薄暗い建物の中を足音を響かせながら歩いていると、ふと小学校のころの記憶が蘇ってきた。放課後に委員会で遅くなって、生徒が帰ってしまった廊下を歩いた時の記憶。みんなは、怖い、とか、早く帰りたい、と言っていたけれど、当時の僕は怖いよりも嬉しいという気持ちの方が強かった。それはたぶん「生徒が帰ってしまった後に、自分たちだけが学校に残っている」という特別感のような、文化祭の準備で放課後まで残って作業をした時のような高揚した気分を感じていたのだと思う。 あの頃の友人たちは、今頃どこで何をしているだろう。自分は同窓会に参加したこともないし、連絡等も取る方ではないので、当時の友人たちがどうしているのかは全くわからない。みんな、自分と同じだけの時間を過ごし、同じ年齢になっているのだ、と考えるとなんだか不可思議な感じがする。旅情と重なって、いつもよりも感傷的な気分を覚えながら展示物を見て回った。

金沢で、おでん(高速バスで仙台→金沢への旅 No.11)

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おでん若葉で、金沢おでんの夕食 金沢は全国でも有数の「おでんを食べる地域」らしい。ソウルフードと、いうやつだろうか? すこし違うかもしれないが、とにかく「金沢へ行ったなら、おでん」は食べておきたい。と、いうわけで、 ミナペルホネン の近所にある「おでん若葉」へとやってきた。 開店から1時間も経過していない、まだ早い時間だというのに店内のカウンターは、8割方埋まっていた。案内された席に座り、店内を見渡すと地元のお客さんが多いような印象を受けた。とりあえず、目についたものをカウンター越しに注文する。 あ、うまい。金沢に来てから感じていたのだが、こちらの地域の味付けは自分の好みに良く合うような気がする。濃すぎず、薄すぎず、これなら毎日食べても飽きないな、という味付だった。「これ、うまいっすね!」ではなく「あ、うまいねえ」と、しみじみ食事をするような感じ。ちょうどいい塩梅である。 おでん どて焼き 茶めし  どて焼き、も初めて食べた。「もうひと串!」と追加したくなったが、あとで腹が苦しくなるのはわかっていたので我慢した。ひととおり食べてみたいネタを注文したあと、隣のお客が締めに「茶めし」を頼んでいたので、自分たちもそれに倣って頼むことにした。うん、間違いない。ちょうどいい感じの腹具合になった。 こちらの店では、注文すると木の値札を客の前に置いていくシステムになっている。お会計をお願いすると、大将がやってきて値札を勘定し料金を教えてくれる。年季の入った値札と大将の仕草を見ていると、どのくらいの時間、ここでこうやって接客をされてきたのだろう、と思う。なんとなく神妙な面持ちで計算されるのを待ち、告げられた料金を手渡した。 「どちらから、いらしたのですか?」(3回目) 大将に「どちらからいらしたのですか?」と、話しかけられる。ああ、また聞かれたなあ、やはり地元の人とはどこか違っているのだな、と思いつつ、仙台からです、と答える。ああ、仙台は良いところらしいですね、連休は牛タンが売れたみたいですね、とにっこりされる。旅に出て、遠くの街にきて、食事をして、こうして声をかけてもらえると、旅をしてよかったな、としみじみする。また、この店に来られるだろうか。ここで、おでんとどて焼きと茶めしを食べられるだろうか。そん

ミネペルホネン金沢店へ(高速バスで仙台→金沢への旅 No.10)

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金沢21世紀美術館へ・・・そして断念 ホテルに荷物を置いたことで、かなり身軽になった。これならば、まだまだどこまでも歩いて行けそうだ、という気分になる。そして、次に目指すは「21世紀美術館」。一応、クリエイターを名乗っている以上、美術館は押さえておきたいスポットである。 市場もひがし茶屋街 も大混雑だったが、美術館ならそこまで混まないだろう。そう、気軽に考えて向かったのだが……。 甘かった。そう、完全にアマちゃんだった。チケット売り場の前には長蛇の列。ざっと、見積もっても100人を越えるのではないか、という人の列。しかも、展示室の入り口にも順番を待って並んでいる人の姿が見える。さすがに、これは無理だ。並んでいるだけで、残りの時間が終わってしまうかもしれない。明日(旅の最終日)ならもう少し空いているかもしれないから、明日に賭けよう。せっかくなので、庭に設置されていた作品の前で写真を撮ったあと移動することにした。 ミナペルホネン 金沢店へ 21世紀美術館を後にし、バスに乗る。次に向かうは「 ミナペルホネン  金沢店」である。連れがミナペルホネンのファンなので、ここに行きたいと話していたのだった。ちなみに自分は「ミナペルホネン」のことをローマ字読みをして「ミナ パーホネン」と間違って覚えていた。もし私と同じように間違った読み方をしている男性がいたならば、女性の前で知ったかぶりをして恥をかかないように気をつけていただきたい。 店舗へはバス停で降りてから、徒歩で移動する。閑静な住宅街の中を、スマホのマップを見ながら歩いていく。「ほんとうに、こちらで大丈夫なのか?」と思いながらも、マップの矢印が指し示す方向に進んでいくと、あった。一見すると立派なお屋敷だが、門のところに看板が出ている。間違いないここだ。 おじゃまします、と靴を脱いで上がらせてもらう。ほのかに薄暗い気配の室内に、窓から射し込んでくる淡い外の光が、美しくディスプレイされた品をぼんやりと浮かび上がらせている。不思議と居心地がいい。連れは目をキラキラさせながら、感触を確かめるように、そっと品物に手を触れている。乙女心全開になっているようだ。そして、この世界観に囲まれていたならば、そのような気分になることも理解できる。さきほどから、あちらこちらをぐるぐると回っ

オヨヨ書林と、ひらみぱん(高速バスで仙台→金沢への旅 No.9)

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旅先で「古本を買う」ということ 旅先での楽しみのひとつが、古本屋をめぐること、である。ずっと探していた本に、ようやく出会えたよろこび。そして「この本は、旅先で寄った古書店で偶然見つけたんだ」と、旅のエピソード付きで楽しむこともできる。 以前、古書について、 「古書には人の手を渡っている物語があり、それをつないでいこうとする想い(のようなもの)が加わっていく。それが「紙」である限り、時間と共に劣化が進み原型を保つことは困難になる。しかし、そこには新しい物語が加わり豊かさを増していく。( 古書を買う、ということ より)」と、書いたことがある。 多くの人にとっては「ボロボロの古い本」でも、自分にとっては「旅先で見つけた思い出の本」になる。時々手にとって、装丁を眺めながら入手した時のことを思い浮かべつつ「あの店は、まだあそこにあるかな?」などと考えたりもする。それは自分にとって、地味だけど豊かな気配に浸れる楽しい時間のひとつだ。 今回の金沢旅でも、ガイドブックに紹介されていた「オヨヨ書林」へ寄ってみることにしていた。掲載されていた店の写真がいい雰囲気だったので、行ってみたいと思っていたのだ。限られた旅先の時間を、趣味の古本屋めぐりに費やすのは気がひけるのだが、幸いなことに連れが、すぐ近くにある「ひらみぱん」に行ってみたいというので、ちょうどよかったのである。 バスへ乗って「せせらぎ通り」へ ひがし茶屋街からバス通りへ戻り、香林坊で下車。「 せせらぎ通り 」を通って目的地まで歩く。せせらぎ通りの名前は道に沿って流れる 鞍月用水に由来するのだそうだ。さらさらと流れる水音を聞きながら、はじめての町を散策するのは楽しい。金沢は雨の日が多い、と聞いていたのだけど、幸いにして二日連続の晴天に恵まれたこともあり、こうやって気持ちよく歩くことができる。ありがたい。 そんなことを考えながら歩くこと数分。交差点のところに人が立っているのが見えた。あのあたりに何かあるのだろう、と検討をつけて近づいていくと「ひらみぱん」があった。店内で食べるために順番待ちをしている人が数人いたので、自分たちはパンを買ってどこかで食べよう、ということになった。店内は、こじんまりとしたスペースだったので、パン選びは連れに任せることにして、自分は「オヨヨ書林