【バリ島へ行った話(8)】滝に打たれて、浄化されたい。(ムルカット体験)

バリで、滝に打たれたい。

妻が「滝に打たれたい」という。
バリでは寺院などで水を浴びて浄化する「沐浴」という習慣があるのだが、滝に打たれて浄化する「ムルカット」を観光客でも体験することができるらしい。

実際のところ、内容をよくわかっていなかった私は「ああ、いいよ」と返事をした。今までの人生で滝に打たれたことはなかったので良い経験になりそうだし、初めての滝行がバリというのも、趣深い体験になると思ったからだ。なによりも、女性(妻)に「〇〇を体験してみたい」と言われたのなら(たとえ、内容がよく理解できていなかったとしても)「ああ、いいよ」と答えるのが、男性(夫)としての適切な振る舞いであろう。その方が、きっと世界はうまく回る、はずで、ある。

そのようにして「ああ、いいよ」と参加した、バリ島での「ムルカット体験」だが、実際には伝統に則った貴重な体験をすることができ、充実した時間を過ごすことができたので、これから感想を記してみたいと思う。

伝統的な「ムルカット」体験

今回の「ムルカット体験」は「ダリ・ハティ・バリ」という、バリのツアー業者さんにガイドお願いした。先導してくださるワヤンさんは、聖職者の資格をお持ちということで、伝統的な作法に則った体験ができるということだった。私は「滝へ行って、手順を教えてもらい、滝に打たれる」という簡単なイメージで参加していたのだが、滝に向かう途中から伝統的な手順を踏まえて体験することができるということだった。にわかに気が引き締まってくる。

宿泊しているヴィラから車で移動すること、1時間30分あまり。バリのまっすぐな陽射しと新緑に包まれた渓谷の間に、今回ムルカットを体験する「スバトゥの滝」がある。まずは参道への入口で二体の神様にお供えをしてから、滝へとつづく階段を降りていく。私たちの他に、滝を目指す人たちは数名ほど。他の観光地とは異なり静かで落ち着いた、そしてバリらしい熱気がほのかに感じられる場所である。



遠くて、どこか懐かしい場所

階段を降りていると、日本の里山をトレッキングしているような気分になった。週末に、近場の山をぐるりと散歩している時のような気分というのだろうか。確かにここは、日本から飛行機にのって5.000km以上も離れた場所だというのに、どこか日本にいる時のような感覚になるのが不思議だ。しかしもちろん、ここはバリだし、私たちの他に道を歩いている人たちは地元の人、もしくは海外からの観光客である。日本人は、私たちだけだ。

そんなことを考えながら階段を降りていくと、途中に祠や祈りを捧げる祭壇があり、順番に祈りを捧げていくことになる。「これをこうして、そして次に、こうして・・・」と用意していただいたお供えを使い、手順を教えていただきながら祈りを捧げていく。このような表現は適切ではないかもしれないが、こうやって伝統的な作法を体験できる時間はとても楽しい。ひとつひとつの仕草に意味があって、手順があって、こうやって信仰の場が続き守られていくのだろう、と考えながら手を合わせていく。

私たちは観光客であり、いわば異教者であるわけで、手を合わせながら「軽い気持ちで参加してすみません。よろしくお願いします」と申し訳ないような「お邪魔します」と、そろそろと様子を伺いながら先に進んでいく。やがて下の方に滝が見えてきた。あそこが今回の目的地「スバトゥの滝」だ。


はじめてのムルカットは、想像以上に……。

ムルカットは「男性は上半身裸で可」といわれていたので、着替えのスペースで服を脱いで準備をする。「そういえば、外で服を脱ぐのは何年ぶりだろう」などと考える。もう10年以上も、海やプールで泳いだ記憶がない。実にひさしぶりだ。こうやって、外に出て太陽の光と風を全身に浴びると、学生のころのプールの時間が頭に浮かんだ。泳ぐのは子供のころから得意で、小学校のころは水泳記録会の選手にも選ばれたりしたけれど、今はもうあの頃の3分の1も泳げないだろうな、と思う。一緒に練習した友人達の顔が思い浮かんで、なんだかちょっと懐かしい気分になる。

そんなノスタルジックな気分に浸りつつ、導かれるままに滝壺へと近づいていく。山から流れてくる水は清らかに冷えていて「えっ、ちょっと冷たくないか?」と感じたのだが、みんなとくに躊躇する様子もなく腰のあたりにまで水につかっていく。ワヤンさんから「まずこの姿勢で1分くらいこうして、次にこうして」と、ムルカットの手順を教えていただく。ただ滝に打たれるのではなく、ここにも手順があるのだった。そして「まず見本を」と実演してもらう。

外で見ている限りでは「ちょっと水量が多いけれど、なんとか耐えられそうだ」という印象だった。1分程度なら大丈夫そうだな、とこの段階ではそう考えていた。ところが、である。いや、ほんとうに、ところが、である。聞くと見るとでは、大違い。そして、見ると体験するとでは、全く違うのが世の常。「では、どうぞ」と、うながされるままに入った滝は、想像の3倍くらいの圧力であった。

まず下を向いて上から滝に打たれるのだが、思っていた以上の水圧で一瞬呼吸ができなくなってしまった。あれ、思ったよりもキツイぞ、と思いながら、呼吸呼吸と、鼻ではなく口で息をする。水泳の背泳ぎスタートの時に、仰向けで水の中を泳ぐ時の感じ。口から息を、プハーッ、と吸って吐く。間違っても鼻から息を吸ってはいけない。プハーッ、ゼハーッ、と滝に頭を押されながら呼吸をする。

もう少し、爽快感とか浄化される感じとか、そんなものを感じるのか、と想像していたのだが甘かった。水は冷たいし水圧はあるしで「そろそろ1分かな? でもちょっと早いかな」程度のことしか考えられなかった。個人的な感覚だと「40秒くらい」だと感じていたのだが、横で見ていた妻によると「ほどよく1分くらいだった」らしいので、体感時間よりも長かったようだった。


邪念なく、まっすぐに向き合うべし

私の次に妻が入る。妻は大きな声を出して騒ぐようなことはなく、おおむねおとなしく振る舞う性格なのだが、さてムルカットではどんな感じだろう。もしかして普段とは異なった反応をするのでは、と期待していたのだが、いつも通りおとなしく素直に滝に打たれていた。あとから話を聞いてみると「水量がすごくて、息ができなくて、最初ちょっとパニックになった」と言っていたので、外見から心情は読み取れないものだ、となんとなくしみじみとした。

ちなみに、ここでムルカットしていると、水が白く濁ったりする場合があるそうだ。心身からの悪いものが流れ出て水を濁らせるということなのだろう。実際に、妻は水が白く濁っていたらしく、ワヤンさんに背中を押されていた。浄化にすこしだけ時間がかかったのかもしれない。その結果、だいぶすっきりしたらしく清々しい表情で無事戻ってきた。極度の冷え性だというのに「最初は水が冷たかったけど、後半は平気になった」とニコニコしていたのが印象的だった。ヴィラに戻ってからプールで泳いだ時も、私は「冷たい」と数分であがったのだが、妻は「たのしい」としばらく泳いでいたので、妻は「水の神様」からご加護(?)をいただけたのかもしれない。

私のように「水が冷たい。そろそろいいだろうか? いやもう少しか?」などと邪念が多い人間には、いまひとつパワーをいただけないのかもしれない。なにごとも、素直にまっすぐ向き合うことが大切なのだ、ということを今回の教訓とした。ありがとうございます。(つづく

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