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【文学】太宰治「女生徒」を読む

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女生徒 太宰治 を読む 今回は、太宰治の「女生徒」を紹介したいと思います。「女生徒」は、タイトル通り 「10代の女子生徒」が主人公 です。父親は亡くなってしまい、姉も嫁いでしまったため、母親と二人暮らし。主人公が朝、目を覚ます場面から作品が始まります。 朝は、いつでも自信がない。寝巻のままで鏡台のまえに坐る。眼鏡をかけないで、鏡を覗くと、顔が、少しぼやけて、しっとり見える。自分の顔の中で一ばん眼鏡が厭なのだけれど、他の人には、わからない眼鏡のよさも、ある。(女生徒より) 主人公は、目の前の様子やできごとに対して、色々と思いを巡らせていく。それを目の前の人に語りかけていくような、一人語りのスタイルで物語は進んでいきます。 今「物語が進んでいく」という書き方をしましたが、 何か特別な物語が展開されるわけではありません。 主人公が「朝起きて、学校へ行き、帰宅して、夜寝る」までの1日が、淡々と静かに語られていきます。たとえば、電車の中ですれ違った人たちを見て、 みんな、いやだ。眼が、どろんと濁っている。覇気が無い。(同) 周囲の人間に対する不快感で、頭の中を一杯にしたかと思うと、 ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの。(同) 授業中に窓から見える花を眺めながら、人間のよいところを考えてみる。そして、 私は、たしかに、いけなくなった。くだらなくなった。いけない、いけない。弱い、弱い。だしぬけに、大きな声が、ワッと出そうになった。(同) 自分自身を批評して落ち込んだかと思うと、帰宅の途中に夕焼けを眺めながら、 「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました。(中略)それから、いまほど木の葉や草が透明に、美しく見えたこともありません。そっと草に、さわってみました。 美しく生きたいと思います。(同) 風景の美しさを全身に感じ取り「美しく生きたい」と考えてみる。実に忙しく、そして右から左へと感情のスイッチが切り替わっていく。その様子が、主人公の言葉を通して、流れるように読者に語りかけてきます。まるで目の前で、ほんとうに「女生徒」が語りかけてくるような文体で言葉が紡がれていきます。  「女生徒」は、ある女

【中原中也】一人でカーニバルをやってた男

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詩人 中原中也と聞いて連想すること 「中原中也」と聞くと、黒い帽子を被り少年のようなまっすぐな瞳をしている、あの有名な写真が頭に浮かぶ人も多いと思います。「詩人」という言葉がぴったりの、繊細で物静かな雰囲気が漂っている人物という印象を受けますよね。 ところが実際の中原中也は、少々気難しいといいますか、酒を飲んでは人に絡んでしまうような一面があったようです。 そのような酒の席における自分の状況を、親友に宛てた手紙の中で説明している文章があります。 昨夜は失礼しました。其の後、自分は途中から後が 悪いと思ひました。といひますわけは、僕には時々自分が一人でゐて感じたり考へたりする時のやうに、そのまゝを表でも喋舌ってしまいたい、謂ばカーニバル的気持が起ります。(以下略)【中原中也 安原喜弘氏宛ての手紙より】 自分が一人の時に考えていることを、そのまま口に出してしまう。そして、相手の反応が気になってしつこく絡んでしまう。それを中原は「カーニバル的気持ち」と説明しているのですね。そして、この手紙はこのような一文で結ばれます。 一人でカーニバルをやってた男  中也 【同】 カーニバルはたくさんの人が集まって行われるものであって、 一人でカーニバルはできません よね。しかし中原は、たった一人でカーニバル状態になって熱狂している。周囲の人々がそこに参加する事は無い。むしろ、どんどん距離をとって離れていく。 そのような状況を、中原自身も自覚していたのだろうな、と。翌朝になって手紙を書きながら反省しているのだろう。そのような状況を想像してみると、せつない寂しさが漂ってきます。そして「一人でカーニバルをやってた男」という最後のフレーズに、中原らしい言葉の響きを感じたりもします。  詩人が見ていた世界と、現実の世界とのはざまで 中原中也には、酒の席での様々なエピソードが残されています。太宰治が絡まれた話も有名ですよね。そのようなエピソードを知りつつあらためて、中原中也の作品を見ていると、そこに大きなギャップが存在していることを感じます。詩人 中原が見ていた、または追求している世界と、現実の世界とのギャップ。 それは、私たちが想像するよりも大きなものだったのかもしれません。 そんなことを考えながら、天才詩人の作品をひとりで読んでいると、遠くの方から

文豪のラブレター(太宰治)編

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【4回目】文豪のラブレター「太宰治 」編   【文豪のラブレター】シリーズも4回目。今回は、太宰治が、ある女性に宛てた手紙を紹介します。あの太宰治は、いったいどのようなラブレターを書いていたのか? ファンならずとも気になりますよね・・・。 拝復 いつも思つてゐます。ナンテ、へんだけど、でも、いつも思つてゐました。正直に言はうと思ひます。(太田静子宛ての手紙より) こちらは、 太宰治が太田静子に宛てた手紙の冒頭です 。この時太宰は結婚していたので、いわゆる「愛人(正確には、この段階では男女の関係にはなっていませんが)」へ宛てたラブレターということになります。 太宰の作品を読んでいると「直接、自分に語りかけている」かのような「他の人には言えないけど、あなたにだけは話しておきたい」と、いうような気分になる時がありますが、この手紙も「目の前で、静かに語りかけてくれているような」気持ちになる、太宰らしい文章だと思います。 「いつも思っています」「いつも思っていました」「正直に言おうと思います」 冒頭で「思う」という言葉が、三度連続で続きます。太宰は意図的にこのような書き方をしたのではない、と「思い」ますが、読んでいると本当に自分のことを「思って」くれているのだな、と感じる文章だと思うのですが、みなさんはどう感じましたか? 一ばんいいひととして、ひつそり命がけで生きてゐて下さい  コヒシイ この手紙は、太宰の周辺の出来事が綴られたあと「コヒシイ」という言葉で結ばれます。最後に「コヒシイ」と気持ちを伝える。色々な意味で「太宰らしい」魅力が詰まった手紙だと思います。興味がある方は、ぜひ研究(?)してみてください。 太宰治疎開の家 この手紙を書いていた時の太宰は、戦時中のために実家の青森へ疎開していました。現在でも太宰が疎開していた家が 「太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)」 として、青森県の五所川原市に保存されています。 私も数年前に「太宰治疎開の家」を訪問したことがあるのですが、実際に太宰が執筆していた書斎で「あの作品は、ここで書かれたのか」と当時の様子を想像する時間は、ほんとうに楽しいひとときでした。 「太宰治疎開の家」を訪問した時の記事はこちら 「太宰治疎開の家」は、 斜陽館 からでも徒歩で移動できる場所にあるので、興味がある方は足

【読書】生命のリアルさは「堀内誠一の絵本」に教えてもらった。

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こわかった、絵本。 子どもの頃に読んでいた絵本の中に 「こわくて、ちょっと苦手な」 ものがあった。 多くの絵本が、うれしくなったり、さびしくなったり、ふしぎになったり、と「ここちよく」してくれるものだったのに、その絵本は「人間の体内のこと、血がめぐっている様子」が描かれていて、こども(幼稚園のころ)の私には「こわい」と感じたのだった。そして、こわいけれど、なぜか時々見たくなる。 それが「堀内誠一」さんの絵本だった。 生命のリアルさ、を教えてもらった絵本 先日、堀内さんの「ねびえ」を読み返す機会があった。「さすがに子供ではないのだから、もうこわくはないだろう」と思いつつ読んでみると、なかなかのインパクトだった。すこし「こわい」ような気もした。いや、もうすこし正確に書くと、こわいというよりは 「生命のリアルさ」を感じた のだった。 自分の身体の中で、このように血が流れウイルスと戦い、生命を維持している。そんな様子がリアルに感じられる作品だった。そして、このような「生命のリアルさ」を、こどものころの私は 「把握できない広く深い世界 = こわい」と感じたのではないかと思う。 大人になってから、堀内誠一氏は絵本作家としてだけではなく、グラフィックデザイナーとしても活躍されていたことを知った。そして、堀内氏がデザインしたロゴが掲載されていた雑誌を知らずに愛読していた。こどもの頃だけではなく、大人になってからも堀内氏の作品を眺め続けていたのだった。 子供のころに出会った作品は、自覚している以上に「ものごとの見方」に影響を与える。 私は「生命のリアルさ」を考えるきっかけを、堀内先生の絵本に教えてもらった のだと思う。「ねびえ」「ちのはなし」「めのはなし」そして「こすずめのぼうけん」などなど、こどもはもちろん、おとなのみなさんにも、ぜひおすすめしてみたい。リアルで、たのしいですよ。 【佐藤ゼミ】生命のリアルさは「絵本」に教えてもらった。 〰関連 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【文学】芥川賞の季節になるといつも太宰治を思ひ出す。(佐藤春夫)

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「芥川賞」と聞くと、思い出すこと 本日は、芥川賞の発表がありますね。どのような作品が受賞するのか、毎回楽しみにしてる方もいらっしゃると思います。芥川賞の選考委員を務めていた佐藤春雄は、 芥川賞の季節になるといつも太宰治を思ひ出す。彼が執念深く賞を貰ひたがつたのが忘れられないからである。(稀有の文才 佐藤春夫) と書いていますが、私も個人的に「芥川賞」と聞くと太宰治のエピソードが頭に浮かびます。 芥川龍之介に、あこがれた太宰 別の所でも書いていますけれども、太宰治は芥川龍之介が憧れの存在でした。「芥川龍之介」と何度も書いている学生の頃のノートや、芥川龍之介の真似をしてポーズをとっている写真も残っています。 そのような憧れの存在の名前がついた文学賞ですから、太宰治が熱望したのも当然のことかと思います。そして、どうしても芥川賞が欲しかった太宰は、佐藤春夫に「私に、芥川賞をください」と手紙を送ります。 そのうちの一通は4メートル以上もあったそう。 手紙には、自分がどれだけ芥川賞を欲しているか、必要なのか。受賞できるかどうかで今後の人生が決まる、というような内容が切々と書かれています。 残念ながら、太宰は芥川賞を受賞することができなかったのですが、もしも太宰が受賞していたらどうなっていたでしょう。 そして、あの世で太宰は、芥川賞の発表をどのような気分で眺めているでしょうか。無関心を装いつつ、しっかりと聞き耳はたてているような気がします。 「津軽」は出版の当時読まないで近年になつて――去年の暮だつたか今年のはじめだつたか中谷孝雄から本を借りて読んで、非常に感心した。あの作品には彼の欠点は全く目立たなくてその長所ばかりが現はれてゐるやうに思はれる。(稀有の文才 佐藤春夫) 週末には、ひさしぶりに「 津軽 」を読み返してみよう。津軽を読むのは、大寒の今くらいの時期がちょうどいいような気がする。そんなことを考えました。 【佐藤ゼミ】芥川賞の季節になると・・・。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 「太宰治」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【読書術】 良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。(デカルト)

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「モーパサンは馬鹿ニ違ナイ。」 今からかれこれ10年以上前のことなのですが、地元の文学館で開かれた「夏目漱石展」で漱石の蔵書を見たことがありました。漱石は本を読みながら、余白に書き込みをする習慣があったのですが、その時展示されていた蔵書には漱石の筆跡で 「モーパサンは馬鹿ニ違ナイ。」 と書き込まれていたのでした。 批評というよりは、モーパッサンに喧嘩を売っているかのような漱石先生。よほど気に入らなかったのでしょうか。貴重な書籍に、そのようなことを書き込んでしまう漱石先生の様子を想像すると、どこか滑稽にも見えてその資料見ながら思わず笑ってしまったことを覚えています。 哲学者のデカルト曰く、  良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。 (ルネ・デカルト 方法序説より)   という一文があるのですが、まさに漱石先生は、 読書をしながら作者と会話をしていたのではないか と想像します。そして「馬鹿ニ違ナイ」と考えていたことを、そのまま書き込んでしまったのではないかと思うのです。 作者と会話をする「読書」 私もこの漱石先生の書き込みを見てから、読書をする時はペンを持って、 アンダーラインを引いたり、自分の考えを書き込んだりしながら読んでみる ようにしてみました。この方法ですと、読書のスピードは格段に遅くなるのですが、その分じっくりと読み込んだ気分になりますし、作者と会話しているかのような気分にもなります。 さらに、数年後に同じ本を読み返した時、 当時の自分の考えなどを思い出したり して「当時のオレは、こんなことを考えていたのか?」などと、懐かしいような恥ずかしいような気分になるのも、なかなか面白いものです。 皆さんも「しっかりと読み込んでみたい」と感じる本と出会えた時は、漱石先生のように書き込みながら読み込んでみると、何か新しい発見があるかもしれません。試してみてください。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【読書】決して読まないのに多くの本を所有したがるのは……【ヘンリー・ピーチャムの言葉】より

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子供のころは「本屋さん」に、なりたかった。 皆さんは、子供の頃になりたかった職業は何でしたか?  小学生の頃の私は 「本屋さんになりたい」 と思っていました。なぜそう思ったかというと、近所に小さな本屋さんがあったのですが、そこへ行くと店主らしき人がいつもカウンターの横にある椅子に座って本を読んでいたのですね。 その頃の私は 「もっと本が読みたい。好きなだけ本を買いたい!」 と熱烈に思っていたのですが、小学生のこづかいでは月に一冊買うのがやっと。当時の私は、店内にある本は全部お店の人のだと思っていたので、本をたくさん持っていていいなあ、うらやましい。大人になったら、このような仕事がしたい、と思っていたわけです。 読まない本が、山積みになっていく。 社会人になると、少しだけお金に余裕が出てきました。私は週末になると帰宅時に書店に寄り、気になる本を数冊買って帰るのが習慣になりました。書店に並んでいる表紙を眺めながら 「土曜の夜にはこれを読もう」などと考えながら本を選ぶ時間は楽しいもの です。しかも、数冊くらいならば購入できる余裕もあります。私は選んだ本を抱えながら、ほくほくした気分で家に向かうのでした。 ところが、本を買ったはいいけれど、実際にはなかなか読む時間がないんですね。気がつくと、私の部屋には 未読の本が山積みになっていました。 その当時は実家にいたので、親からは床が抜けるからなんとかしなさいと怒られる。それでも本を買う事は止められず、未読の本が壁になっていく。しまいには、同じ本を2冊買ってしまう。そんな時間が続いていたんですね。 趣味「読書」ではなく「本を買うこと」!? そして、ある時私は「もしかして自分は、読書が好きなのではなく、本を買うことが好きなのではないか?」と気がつきました。趣味は「読書」ではなく「本を買うこと」ではないのか? ヘンリー・ピーチャムの著作の中に、 決して読まないのに多くの本を所有したがるのは、 寝ている間も蝋燭をつけておきたがる子供のようなものだ (ヘンリー・ピーチャム「完全なるジェントルマン」より) という一文があるのですが、まさにこれだ、と。自分は「蝋燭をつけておきたい子供」だ。買うことで満足してしまっている。 読みもせず、部屋に帰って山積みにした段階で目的を達した気分 になっている。まさにこの状況になってしま

「ネタ」の情報源は、過去の記憶にあり。

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私の「情報収拾」の方法とは? 私の講義を受講した生徒の皆さんから 「よくネタが続きますね。どうやって探すのですか」とか「先生は忙しそうに見えるのに、どのようにして勉強しているのですか」 と質問を受けることがあります。 おそらく、このような質問される人は「何か特別な勉強方法」や「情報収集の仕方」があるのではないか、と考えていると思うのですが、 残念ながら特別なことをしているわけではありません 。 ネタが尽きるか、私の寿命が尽きるか。 例えば「読書」に関する話題でしたら、 子供の頃からずっと読んでいた本を順番に紹介しているだけ なのです。昔の記憶をたどり、そこに今自分が何を考えているかを考察し付け加えたりしたことを、書いたり話してるだけなんですね。 子供のころから40年以上もコツコツと本を読んできたわけですから、当分の間は「ネタ」は尽きないでしょう。そしてネタが尽きる前に、私の寿命の方が尽きてしまう可能性も否定できません(笑)  【スタインベック】の言葉 スタインベック【ジョン・スタインベック(1902-1968)】というアメリカの作家がいますが、この作家の言葉を借りるのであれば、 「天才とは、蝶を追っていつの間にか山頂に登っている少年である」 といった感じでしょうか。もちろん私は天才でもないし、山頂まで登ったわけではありませんが 「子供の頃に夢中になっていた世界をずっと追いかけていたら、それなりに積み重なっていた」 ということだと思います。そして 誰しも「そのような分野」がある と思うのです。ただ忘れてしまっているだけだと思うのですね。 もしも皆さんが、これから情報発信をしようと考えているならば「あたらしく勉強して身につけたことを発信する」という方向だけではなく、 「今まで自分が積み重ねてきたものを整理して表現してみる」 という方向も、楽しいのではないかと思います。そのような作業を繰り返していくことで、新しいヒントが見つかるし、より奥深いものができるのではないかと思うのです。 【ラジオ版】「ネタ」の情報源は、過去の記憶にあり。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

文豪のラブレター(斎藤茂吉)編

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文豪のラブレター(斎藤茂吉)編 【文豪のラブレター 3回目】1回目と2回目では、芥川龍之介と夏目漱石のラブレターを紹介しました。それぞれ、意外性がありつつも「まっすぐな気持ち」が伝わってくる、心温まる手紙でした。そして、今回ご紹介するのは斉藤茂吉のラブレターです。 ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいえない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理してはいけないと思います。玉を大切にするやうにしたいのです。ふさ子さん。なぜそんなにいいのですか。(永井ふさ子宛の手紙より) こちらは、斎藤茂吉が永井ふさ子に宛てて書いた手紙です。この時、斉藤茂吉は52歳。お相手の永井ふさ子は24歳。「なぜこんなに」「なぜそんなに」と畳み掛けながら、若い女性を相手に身も心も魅了されている様子が伝わってきます。芥川龍之介や夏目漱石とは違った角度からの「まっすぐ」な気持ちが表現されている、印象的なラブレターだと思います。斎藤先生、さすがです…。 それにしても、このような手紙をもらった永井さんは、どのような返信をしたのでしょうか。気の利いた返信で、さらりとかわしたのでしょうか。手紙が資料として残っているということは、大切に保管していたのだと思いますが、このあと二人がどのような会話をしたのか気になります。ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。 ☝(補足) 余談ですが、私は数年前に斎藤茂吉の出身地である山形県の「聴禽書屋」を訪問したことがあります。茂吉はここに戦後2年間ほど滞在したそうですが「聴禽書屋」という名称(聴禽=小鳥のさえずりを聴く)が、しっくりとくる和風建築の静かな趣のある場所でした。山形には「斎藤茂吉記念館」や生家などもありますが、興味がある方は「聴禽書屋」へも足を伸ばされることをおすすめします。 ☝(関連) ・ 文豪のラブレター(芥川龍之介)編 ・ 文豪のラブレター(夏目漱石)編 ・ 文豪のラブレター(太宰治)編 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。

「究極の愛のかたち」とは? 春琴抄「谷崎潤一郎」を読む

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「究極の愛」とは? 春琴抄「谷崎潤一郎」を読む 春琴抄を初めて読んだのは、高校生の時だったと思う。何かの書評に 「これぞ究極の愛のかたち」 というようなフレーズで紹介されていて、「究極の愛とは、どのようなものなのだろう?」と気になった私は、受験勉強の合間に読んでみることにしたのだった。 (春琴抄のあらすじ:春琴は顔にひどい火傷を負ってしまう。それを見ないようにするために、佐助は自分の目を針で刺して失明する) お師匠様お師匠様私にはお師匠様のお変りなされたお姿は見えませぬ今も見えておりますのは三十年来眼の底に沁みついたあのなつかしいお顔ばかりでござります(谷崎潤一郎 春琴抄より) 佐助の記憶の中には「なつかしいお顔」が永遠に存在する。これからどのようなことが起きたとしても、どんなに時間が過ぎたとしても「なつかしいお顔」のままである。それは佐助にとって「究極のよろこび」かもしれない。これが耽美派の世界なのか(耽美派:美を最上の価値とし、官能・享楽的な傾向を持つ作風)と。 そして「自分が同じ状況になったとしたならば、どうするだろう?」と考えてみた。視力を失う勇気はない。しかし、いざ、となれば……いや、やっぱりできない。では「視力を失いました」と嘘をつくのはどうだろう? 嘘をついたままで、今まで通りに世話をしていく。いや、もしも嘘がバレてしまった時は、さらに最悪の状況に追い込まれるだろう。しかし、どちらにしても佐助のような行動はできないな……。そんなことを考えたのだった。 自分には「できない」からこそ。 先日、春琴抄を読み返した。ここに書いたようなことをもう一度考えてみた。改めて、自分には佐助のような行動はできない、と思った。同時に、逆に自分が「春琴」の立場だったならば、「そんなことは、絶対やめるように」と言うだろう。春琴のように、 「よくも決心してくれました嬉しゅう思うぞえ(春琴抄より)」 といえるようなメンタリティは、今の自分にはない。いや、嬉しいと思う気持ちは湧き上がるかもしれないが、それも一瞬で「なんてことを、させてしまったのだ」と後悔に押しつぶされるだろう。自分を責め続けてしまうだろう。そして佐助を遠ざけてしまうかもしれない。 かくて佐助は晩年に及び嗣子も妻妾もなく門弟達に看護されつつ明治四十年十月十四日光誉春琴恵照禅定尼の祥月命日に八十

「心まで所有する事は誰にも出来ない。」夏目漱石「それから」を読む

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「僕は三千代さんを愛している」 「他の妻を愛する権利が君にあるか」 「仕方がない。三千代さんは公然君の所有だ。けれども物件じゃない人間だから、心まで所有する事は誰にも出来ない。」(夏目漱石「それから」より) 「それから」の主人公・代助は、友人である平岡の妻(三千代)を好きだったんですね。2人が結婚したあとも、ずっと心の中に三千代の姿があった。ところが、数年ぶりに再会した平岡と三千代は、仕事も家庭もうまくいってないように見えた。 そこで代助は、三千代に自分の気持ちを打ち明け、三千代も代助の気持ちを受け入れます。お互いの気持ちを確認した代助は、平岡に会いに行き、二人の関係を報告に行く。その時の会話の場面です。 「愛する権利」 「心まで所有する事は誰にも出来ない。」 この場面を境に、代助の人生には大きな変化が始まっていきます。「それから」の中でも、緊迫感のある名場面のひとつだと思います。 平岡への「共感」 私が初めて「それから」を読んだのは大学生の時でした。その時は「平岡は、もう三千代にに愛されていないのだから、潔く諦めた方が良いのではないか。夫の権利を振り回して、なんだかみっともない感じがする」と感じたことを覚えています。 しかし今回「それから」を読み返してみたところ、平岡の気持ちに共感している自分もいました。結婚するという事は、 覚悟や決意を決め実際に行動に移し、一緒に過ごしてきた時間 が存在するわけです。 確かに「心」は大切です。すべてはそこから発して、そこに戻ってくる。しかし「心」だけですべてを切り取るのも不自然だ。「夫の権利」という立場から、代助に対峙していく平岡の気持ちもわかるような気がしたわけです。そしてこれが、年齢を重ねながら小説を読んで行くおもしろさのひとつではないか、としみじみと感じたのでした。 明治から現代の私たちへ 夏目漱石の「それから」は、明治42年(1909年)に書かれた作品です。すでに100年以上の時間が経過しています。しかし今読み返してみても、 まるで現代の世の中を予見したかのようなテーマが扱われている ことに気がつきます。 自我(エゴ)、個人主義、社会との関わり、様々な視点から発見や考察ができる名作です。気になった人は、読んでみていただきたいと思い今回紹介してみました。 【佐藤ゼミ】夏目漱石「それから」を読む

雨ニモマケズ【宮澤賢治】を読む 

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雨ニモマケズ【宮澤賢治】を読む 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 宮澤賢治「雨ニモマケズ」より こちらは「雨ニモマケズ」の冒頭部分です。みなさんも、どこかで目にされた記憶があるかと思います。とても有名な作品ですね。 この作品は、 宮沢賢治が亡くなる2年前 (1931年)に書かれたものです。弟の清六氏が遺品を整理している際に、手帳に書き込んであった「雨ニモマケズ」を発見。原稿用紙ではなく手帳に書き込まれていたことから、作品として制作したというよりも、自分のために書かれた作品という色合いが強いのではないか、と私は考えています。 この作品を書いていた頃の宮沢賢治は、石灰の販売の仕事で上京中に病状が悪化。病に倒れた中での執筆でした。 「理想に向かって進んでいきたい」と考える気持ちと、世間の厳しさに向かい合い身動きができず倒れてしまった現実とのはざま。 サウイフモノニ ワタシハナリタイ 宮澤賢治「雨ニモマケズ」より という、最後の一文からも「このような人間になりたかったけれども、なれなかったなあ」というような、賢治の切ない思いが響いてくるような気がします。 人間「宮澤賢治」の姿 私は小学生の頃に、この作品の冒頭部分を暗唱させられた記憶があります。その時の授業では 「見習うべき理想の人間像 = 宮沢賢治」 という感じの解説を受けたような記憶が、おぼろげに残っています。 しかし実際は、宮沢賢治本人が「このような人生を送ることができた」というわけではなく、 理想と現実との葛藤の中から「このような人間になりたいものだ」という希望や祈りが込められた のがこの作品だと思うのです。 「ほんとうのさいわい」とは何だろう? そのように自分自身に問いかけ進んでいこうと試みる。精神はどこまでも高く伸びていくけれども、現実の世界はなかなか近づいてこない。その狭間を行ききし戻りつつ言葉をつむいでいく。 このようなことを考えながら「雨ニモマケズ」を読んでみると、学校の授業で教えてもらった解釈とは異なった、宮澤賢治像が浮かび上がってくるような気がするのでした。 【Youtube版】雨ニモマケズを読む 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 ☝筆者

「ほんとうのさいわいは一体何だろう。」銀河鉄道の夜(宮沢賢治)より

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今回は「銀河鉄道の夜」の一場面を紹介してみたいと思います。列車の中でジョバンニとカンパネルラが2人で会話をしている場面です。 「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」 「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。 「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。 「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。 「僕たちしっかりやろうねえ。」(九、ジョバンニの切符より) ジョバンニは、みんなの幸せのためになら、なんだってやる、とカンパネルラに話します。それを聞いてうなずくカンパネルラ。でもジョバンニには 「 ほんとうのさいわい」とは、何なんだろう、と疑問が浮かんでくる んですね。 「ほんとうのさいわい」について考えを巡らせていく、ジョバンニとカンパネルラ。そしてこれからも一緒に進んでいこう、と約束をする2人。 2人の気持ちがつながっている様子 が表現されている、静かで美しい場面の1つだと思います。 「ほんとうのさいわい」とは何だろう? ジョバンニは「ほんとうのさいわい」と問いかけ、カンパネルラは「わからない」と答える。確かに私たちも 「ほんとうのさいわい」と質問されると、答えられない自分 に気がつきます。 私たちは「幸せになりたい」と思って生活していますよね。もっと自分らしく生きたいとか、恋人が欲しいとか、働きやすい仕事を探したいとか、様々なことを思い浮かべながら「これが実現すれば、幸せになれる」と考え、そこに向かって進んでいこうとします。 ところが実際に「それ」が実現したとしても、 今度は別の新しい悩みが生まれてくる ものです。たとえば恋人ができたとしても、一緒に時間を過ごしてみると価値観の異なる部分が目についてイライラする。自分の考えは理解してもらえているのか? 別のことを考えているのではないか? もしかして浮気をしているのではないか? などと相手が理解できなくて悩む。口論になる時もある。 私にとっては幸せでも、相手にとっては幸せではない時もある。 すべての人にとって「ほんとうのさいわい」とは何なのだろう? それは存在するのだろう

【思い出】私の子供時代の記憶には「釣りキチ三平」の姿があった。

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小学生の時の話。自宅に「釣りキチ三平」というマンガ本があった。父親が買ってきたものだった。それは他の漫画本とは「どこか違った」気配が感じられた。リアルでスピード感があって、ぐいぐい引き込まれていく感じ。私はすっかり夢中になった。 三平のようにまっすぐに、一平じいさんのように、やさしく深く。魚紳さんのように、賢く自由に。 そしていつの日か自分も三平のように、色々な場所で様々な魚を釣ってみたい。そんな憧れを持ちながら、美しい風景が広がるページを何度も繰り返し読んでいた。小学生の私は「釣りキチ三平」の登場人物に「理想の姿」を重ねていたのかもしれない。 私は少しずつ釣り道具を手に入れ、自転車に乗って釣りへでかけた。車の免許を取ってからは、トランクに釣り道具を詰め込み、地図を片手に「あたらしい場所」を求めて走りまわった。勢い余って、船舶の免許も取った。水を見れば覗き込まずにはいられないし、そこに魚が泳いでる姿を見つけたならば、糸を垂れたくて仕方がなかった。 そして実際に竿に仕掛けを組んで水の中に放り込む時、頭の中にはいつも「釣りキチ三平」のシーンが思い浮かんでいたように思う。マンガと現実の様子を重ね、釣りを楽しんでいたように思う。 2020年11月。作者の矢口先生の訃報を知った。子供時代から続いていた「ひとつの時代」が終わりを告げたように感じた。10代の頃に出会ったことが、人生の重要な価値観のひとつになる、というような文章をどこかで目にしたような記憶がある。確かにそうだと思う。もしも「釣りキチ三平」に出会わなかったのならば、私は釣りをすることはなかったかもしれない。釣竿を抱えて、遠くの場所へ旅をすることもなかっただろう。 これからも私は、ときおり「釣りキチ三平」を読み返すと思う。そしてその度に、あのころの自分を思い出すのだと思う。矢口先生ありがとうございました。

「百年待っていて下さい」夏目漱石【夢十夜】より

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「百年待っていて下さい」夏目漱石【夢十夜】 今回紹介するのは、 夏目漱石の夢十夜【第一夜】 です。以下、物語の結末に触れる部分がありますのでご注意ください。よろしいでしょうか? それでは始めていきます。 【第一夜】には男女二人が登場します。女性は亡くなる直前に、男性にこのような約束をします。   「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」(夏目漱石 夢十夜より) 女性は男性に、自分が死んだら墓を作って欲しい。そして墓の横に座って待っていて欲しい。100年経ったら会いに来るから、そう約束をして亡くなってしまいます。のこされた男性は、女性に言われた通りに墓を作りその横に座り待ち続けます。太陽が東から昇り西に沈む。何度それを繰り返しても、100年はやってこない。やがて男性は 「自分は騙されたのではないだろうか」 と思い始めます。 すると女性の墓から、青い茎が伸び、その先に真っ白な百合の花が開きます。その百合に触れた男性は 「百年はもう来ていたんだな」 (同) とすでに百年が過ぎ、約束の時になっていたことに気がつく。【第一夜】は、このような話です。  夢か? 幻想か? 物語なのか? 夏目漱石の作品というと、現実的でシリアスな内容だと感じている方が多いのではと思います。しかしこの「夢十夜」という作品は、夢なのか? 幻想なのか? それとも物語なのか? と、とても不可思議な世界が描かれています。 亡くなった女性が100年経ったら会いにくる、と約束をする。男性は墓の横に座って、その時を待ち続ける。百合の花が咲きそれに触れた時、100年はもう来ていたことに気がつく。ロマンティックな話だと感じる方もいらっしゃるでしょうし、なにか背筋がぞくぞくするようなものを、感じる人もいるかもしれません。読み手によって、物語の印象が大きく変化していく作品だと思います。 夏目漱石の「深層心理」を覗き込むように 夢十夜は「夢」という形式を使って描かれた作品です。実際に夏目漱石が見た夢をそのまま書いているのか、それとも「夢物語」という形式を使った創作なのか。その辺は、はっきりとしていません。 ただ「夢」という形式をとることによって、 不可思議で現実離れしたような展開でも、違和感なく頭の中に染み込んでくる と、私は感じています。作品の

「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」風姿花伝より

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「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず(風姿花伝)」 こちらは風姿花伝の中にある一文です。 「秘密にするならば花となり人を魅了する。秘密にせずに公開してしまうと、花ではなくなる」 このような解釈になるかと思います。 私が初めてこの一文を目にしたのは、高校生の時だったと思います。古文の資料の中にあったと思うのですが、初めてこの一文を見た時は「なるほどそうか」と。秘密は公開してしまうと力が失われていくものなのだ。一子相伝というけれど、やすやすと公開してはいけないのだな、と考えたことを覚えています。 先日、風姿花伝を読み返したところ、この一文のあとに、このような文章が続いていることに気がつきました。 しかれば秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。 (風姿花伝) 「秘事」と聞くと、とんでもなく 貴重な秘訣であり期待してしま けれども、実際には「たいしたことない」ものなのである。だからこそ 「秘密にしておく」ことそのものに意味があるのだ。 そのように解釈できると思います。 成功者しか知らない『秘密』があるのでは? 確かに、これは私自身にも 思い当たる体験 があります。私は「独立起業」した時、成功している経営者の人に会うたびに「うまくいく秘訣を教えてください」というようなことを質問したものです。この質問の背後に 「成功するには、その人たちしか知らない『秘密』があるのではないか」 という考えがあったからです。 ところが、私の質問に返ってくる言葉は「真面目にやること」というような 「普通のこと」 ばかりだったのですね。まさに「させることにてもなきものなり。」という感じです。当時に私は、そのような返事を耳にする度に 「たしかに、真面目が大切なことはわかる、でも本当の秘密は別にあるに違いないし、簡単に教えてはもらえないのだろう」 と感じていたものです。 しかし、実際のところ「真面目にやること」こそが「秘訣」であり本質なのです。経営者のみなさんは「秘訣を隠していた」わけではないのです。なので「 たいしたことないな」と思われるくらいならば、秘密にしておいた方がいい。そして、本当に理解できる人や、ここぞというタイミングに伝えた方がいい。 まさに、風姿花伝に書かれていたことを、実感したのでした。 そじて実際に、これから私が起業する若手のみなさんに質問されたとしても「真面目

間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。【走れメロス 太宰治より】

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「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。(走れメロス 太宰治より)」 太宰治「走れメロス」の一場面。 主人公メロスは、王様とセリヌンティウスとの約束を守るために町に帰ろうとしています。しかし残り時間がわずかで、間に合わないかもしれない。そこで「もう間に合わないから、走るのを止めてほしい。せめて自分の命だけでも大切にしてほしい」と訴えかけてきた、セリヌンティウスの弟子に向かってメロスが口にした言葉です。 次々に襲いかかってくる困難を乗り越え 「私は信頼されている。」 と自分に言い聞かせながら走り続けるメロス。本作品の見どころのひとつだと想います。 「信じるもののために」走る!? 走れメロスは、中学生の国語の教科書に収録されているので、そこで目にした方も多いかと思います。おそらく学校の授業では 「友情」「約束」「弱さを乗り越える」 というようなキーワードで、解説を受けたのではないかと思います。定期テストで「メロスの性格を表している部分を書き抜きなさい」というような問題を解いた人もいるかもしれません。 しかしながら、大人になり小賢しい知識を手に入れてしまうと「走れメロス」を、素直に読めなくなっている自分にも気がついたりします。 以前、別の記事で解説しましたが「走れメロス」は、 太宰治と檀一雄とのエピソード がモデルになっている のではないか、とされています。現実のエピソードに重ねて「メロス= 太宰」とするならば、太宰は人質になっていた友人「セリヌンティウス =檀一雄」のところへ 戻ってきませんでした。 太宰は「走らず」に将棋を指し、檀一雄も、友情を信じて待っていることはなく、太宰のところ怒って乗り込んで行きます。 実際には物語とは真逆のことが起きていた わけですね。 「現実」と「理想」の世界 おそらく「走れメロス」は、太宰治の理想の世界なのでしょう。それは現実とは正反対の世界であり「現実の自分にはできなかったこと」を表現しているのでしょう。そのようなことを考えながら読んでみると 「私は信頼されている。(理想)」は「私は信頼されたい(現実)」の裏返しであり「 信じられている(理想)」は「信じられたい(現実)」なのでしょう。 そのよ

あした勝てなければ、あさって勝つ。【夏目漱石 坊っちゃんより】

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困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。(坊ちゃん 四)  こちらは、夏目漱石「坊っちゃん」の一場面です。主人公の「坊っちゃん」は、四国の中学校に数学の教師として赴任するのですが、そこで生徒からいたずらを受けるんですね。ところが生徒たちは、自分たちのいたずらを認めようとしない。知らないふりをしている。その様子に腹を立てた主人公が、生徒に正面からぶつかっていく場面です。 正直が勝つ。明日勝てなければ、あさって勝つ。自分が「正直」と信じることに対して、まっすぐに進んでいく。そんな主人公の様子が感じられて応援したくなってきますし、 リズム感とスピード感のある文体 に乗せられながら、読んでいると妙に元気が出てくる。個人的に「坊っちゃん」の名場面のひとつだと考えています。 漱石の実体験から  「坊っちゃん」は、夏目漱石が松山で教師をしていたときの体験が反映されている、とされています。漱石にとって、松山での生活はあまり心地よいものではなかったようで、正岡子規に宛てた手紙の中でも 「貴君の生まれ故郷ながら余り人気のよき処では御座なく候」 などと書いてもいます。  当時は学歴によって給料が決まっていたため、東京帝国大学出身の漱石は、校長先生よりも高い給料をもらっていました。江戸っ子の漱石と地元の人達との間には、すこし距離ができてしまったのかもしれません。くわしいことはわかりませんが、どこか漱石の考える「正直さ」と少しだけ違った「何か」があったのかもしれません。そのように、 慣れない土地で生活をしている若き「漱石先生」の様子を想像しながら読む のも、また違った発見があるかもしれません。 「坊っちゃん」は勝てたのか? 作品の中には、赤シャツ、野だいこ、など「正直さ」から外れたような人物が登場します。そして「正直さ」を持った人たちが、辛い立場に追いやられていきます。その様子を見た主人公は、彼らと正面から対立していくことになります 。はたして「坊っちゃん」は勝てたのか?   正直さを貫いた先には、どのような場面が待っているのか? その結末は、ぜひ作品を読んで確かめてみてください。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 「夏

私の記憶は、どれほどの「勘違い」で構成されているのか?

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「白井道也は文学者である」 こちらは、 夏目漱石「野分」の冒頭である。 私が初めてこの冒頭文を知ったのは、予備校生の時だった。現代文のテスト対策として、有名な文学作品の冒頭文を覚えていた時に、この一文を目にしたのだった。 大学生になった私は「野分」を読んでみることにした。予備校生の時に暗記した冒頭文を思い浮かべながら、ページをめくった。違和感をもった。 「あれ? 白井道也は文学者だったのか? 数学者だと思っていた!」 そう私は 「白井道也は文学者である」を「白井道也は数学者である」と勘違いして覚えていた のだった。なぜ数学者だと思ったのか? それはわからない。「白井道也」という名前が、なんとなく数学者っぽいと感じて(個人のイメージです)そのように覚えてしまったのだと思う。そしてそれを全く疑わずに、数年間過ごしてきたわけである。 私の「記憶」が勘違いで、構成されているのなら この件では、実際に「野分」を読むことで、自分の思い込みと勘違いに気がつけたため、記憶を修正することができた。しかし、このように確認することができないまま 「勘違いしたまま」で今日まで過ごしてきた事柄は、おそらく私が想像しているよりも膨大な量 になるのだろう。 人生は「記憶」で構成されている 。つまりそれが思い込みでも勘違いでも、自分の中で「それが真実の記憶」としているのであれば、 それが「私の人生」ということになる。 いったい、私の人生の何%が勘違いで構成されてるのだろうか。文学者を数学者と勘違いするのもなかなかだが、それ以上のとんでもない間違いが多々存在するような気がする。確認した途端に、今までの自分を支えてきた何かが揺らいでしまうような、そんな根本部分に接触するものもあるかもしれない。 そんなことを考えると切ないような気分にもなる。 黄昏時の風景が頭の中に広がるような気分 にもなる。それと同時に、まぁでも それが私の人生なのだから と考えたりもする。他者に迷惑を与えているのならば、申し訳ないが個人的な体験としては、 まちがいさえも自分自身だと思ってみる。 それはともかく「白井道也は文学者である」。数学者でも芸術家でもない。この点においては明確な勘違いなので修正できてよかったと思う。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwi

「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」【夏目漱石 門 より】

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自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。 (門 夏目漱石) こちらは、夏目漱石の「門」の一場面です。主人公(宗助)は「親友の妻を奪って結婚してしまった」という過去を持っています。その罪の意識を抱えながら、逃れるようにして生活をしてきたのですが、その「罪」は過去からずっと追いかけてくる。どうあがいても逃げることができない。そのような状況で苦しんでいるわけです。そこで宗助は、その解決のきっかけを宗教に求めます。寺に参禅して、悟りを得ようとするんですね。 今回紹介したのは、宗助10日ほど寺で過ごしたあと、現在の自分の状況を考察している場面です。この 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」を私なりに解釈 してみますと、目の前の問題を乗り越えようとする時には、 最初の「門」は自分自身の力でこじ開けなければいけない。最初から他者にすがるのではなく「自力」で精進することが肝要 なのだ。また同時に、 精進するならば「やがて、自力で開けられるものなのだ」 と。そのような意味なのではないかと私は解釈しています。  伸びる生徒 伸びにくい生徒 私は教育の仕事に20年以上取り組んできました。そして、実際に多くの生徒を指導してきて感じることなのですが、目の前の壁を越えて「伸びていく生徒」と「伸びにくい生徒」には、共通点があるのですね。 伸びていく生徒は「壁」があったとすると「まずは自力で一生懸命努力をする」のです。先生から与えられた課題を、自分なりに試行錯誤して地道な時間を積み重ね、なんとか乗り越えようとする。その後 「自分なりに頑張ったのですが、なかなかうまくいかないので教えてください」 と相談にくるのです。 私たちは生徒の状況を見ながら「この部分を見落としているから、ここをこのように修正した方いいですよ」「ここを演習すれば、もっとスムーズに進みますよ」と新しい課題を与えます。生徒はわかりました、と素直に取り組んで試行錯誤して、また質問にやってきます。その地道な繰り返しの中で、本当に活用できる実力を磨いていくのですね。 伸びにくい生徒は、課題に少し手をつけた段階で質問にきます。そして 「他の方法はないですか?」 と質問してきます。しかし別のアドバイスをもらったと